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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調


カール・シューリヒト指揮 ウィーンフィル 1961年録音


ブルックナーの絶筆となった作品です

しかし、「白鳥の歌」などという感傷的な表現を寄せ付けないような堂々たる作品となっています。ご存じのようにこの作品は第4楽章が完成されなかったので「未完成」の範疇にはいります。
もし最終楽章が完成されていたならば前作の第8番をしのぐ大作となったことは間違いがありません。

実は未完で終わった最終楽章は膨大な量のスケッチが残されています。専門家によると、それらを再構成すればコーダの直前までは十分に復元ができるそうです。
こういう補筆は多くの未完の作品で試みられていますが、どうもこのブルックナーの9番だけはうまくいかないようです。今日まで何種類かのチャレンジがあったのですが、前半の3楽章を支えきるにはどれもこれもあまりにもお粗末だったようで、今日では演奏される機会もほとんどないようです。

それは補筆にあたった人間が「無能」だったのではなく、逆にブルックナーの偉大さ特殊性を浮き彫りにする結果となったようです。

ブルックナー自身は最終楽章が未完に終わったときは「テ・デウム」を代用するように言い残したと言われています。その言葉に従って、前半の3楽章に続いて「テ・デウム」を演奏することはたまにあるようですが、これも聞いてみれば分かるように、性格的に調性的にもうまくつながるとは言えません。

かといって、一部で言われるように「この作品は第3楽章までで十分に完成している」と言う意見にも同意しかねます。
ブルックナー自身は明らかにこの作品を4楽章構成の交響曲として構想し創作をしたわけですから、3楽章までで完成しているというのは明らかに無理があります。

天国的と言われる第3楽章の集結部分を受けてどのようなフィナーレが本当は鳴り響いたのでしょうか?永遠にそれは聞くことのできない音楽だけに、無念は募ります。

怖い演奏


今さら何の説明も不要なほどの「歴史的名盤」です。
魂がこもりきり、宇宙が鳴動するような(^^;演奏と言うことになっているのですが、さすがにパブリックドメインの仲間入りをするほどに年月を経るといろいろな意見が出てきます。曰く、「素っ気なさすぎる」、曰く「枯れすぎ!!」、曰く「響きが薄すぎて聞いていられない!」などなです。果ては「オケが下手すぎ!」と言うウィーンフィルに対する恐れを知らない批判なども散見します。
さすがに、「オケが下手すぎ」という意見に対しては同意しかねますが(スコアを正確に音に変換する機能ならば大幅に向上しましたが、それだけで全てが尽くせるほどにオケというのは単純なシステムではありません)、それ以外の感想にはそれなりに同意できる部分はあります。

ブルックナーという作曲家はドイツ語圏ではそれなりに高く評価されてきましたが、それ以外の地では「なんだか訳の分からない音楽」というのが通り相場でした。そして、そう言う率直な意見をドイツ語圏の人間にぶつけると、思いっきりの上から目線で「君たちが理解できるのはベートーベンやブラームス止まりでブルックナーが分かるにはほど遠い」などと言われたそうです。かの吉田大明神でさえ、若い頃にはじめてブルックナーを聞いたとき、あまりに単調な音型が繰り返されるスケルツォに眠りこけてしまい、再び目が覚めたときにも同じ音型が延々と繰り返されていて「すっかり恐れ入った」みたい事を書いていました。

そんなブルックナーが広く受け入れられるようになったのはCDという記録媒体が登場したからでした。
事情はマーラーも同様で、その器の大きさ(記録できる時間やダイナミックレンジの広さ)が彼らのシンフォニーにぴったりだったのです。さらに言えば、それらの作品のクライマックスで鳴り響くぶっちゃきサウンドは、世のオーディオマニアが自慢のシステムの威力を誇示するにはもってこいだったのです。
結果として、CDの時代になるとそれまでは考えられなかったほど多くの録音が世にあふれるようになります。もちろん、それらのクオリティは様々でしたが、裾野が広くなれば頂上が高くなるのは世の習いで、結果として私たちは多くのすぐれた録音を持つことができるようになりました。ヴァント、ヨッフム、ジュリーニ、そして好き嫌いはあるでしょうがカラヤン、バーンスタインなどなど・・・。そして、それらの多様性あふれるブルックナー像をすでにもってしまった今の時代にあって、このシューリヒト盤こそを絶対無二の名盤として持ち上げる人がいれば「それは違うだろう」と言いたくなるのは当然のことです。

しかし、その流れの中で、このシューリヒト盤を過去の遺物のように決めつけて切って捨ててしまうスタンスには異を唱えたいと思います。
歴史とは、ヘーゲルが喝破したように決して「阿呆の画廊」ではありません。歴史とは、現在という到達点から見て様々な不十分さや誤りを含んだ「阿呆」どもの陳列物ではありません。そうではなくて、(ヘーゲル流に言えば)「真理」へと至る過程、もしくは「真理」が顕現していく過程としてして個々の出来事を認識し、その認識をもとに個々の出来事を結びつけて記述していくことこそが歴史なのです。
そして、それは、哲学史だけに適用される話ではなくて、演奏の歴史においても同様です。

60年代初頭に、シューリヒトとウィーンフィルという黄金の組み合わせで録音された一連のブルックナー演奏は、この時代におけるブルックナー理解の一つの到達点を示しています。もちろん、それは後の虫眼鏡でスコアの隅々まで点検した上で、そのディテールをくっきりと描き出し積み上げたようなブルックナー演奏とは全く異なります。しかし、だからといって、そのような緻密さが欠如しているからと言ってこの演奏が無意味だとか、過去の遺物だと切り捨ててしまえば、あまりにも多くのことを私たちは失ってしまいます。

この時代の演奏の特徴を一言で言ってしまえば、どの作品においても演奏家の個性が色濃く反映していたことです。シューリヒトという人は、とりわけそのような特徴を色濃く持った人でした。彼の手にかかると、ベートーベンでもブラームスでも、そしてブルックナーにおいても最後はシューリヒトの色に染まった音楽になってしまいました。
それ故に、指揮者の個性が色濃く刻印されたシューリヒトの演奏を絶対無二のものとしてもてはやす人が今も存在するのです。
しかし、そう言うスタンスに立つ人は、主張していることは真逆のように見えて、演奏の歴史を「阿呆の画廊」としてしか見ていないという点で、立ち位置としては過去の遺物と切って捨てる人と全く同じです。

その後の演奏の歴史を振り返ってみれば、そう言う演奏する側の個性みたいなものよりは、スコアを徹底的に分析して、その分析した結果を緻密に再現することが重視されるようになりました。そして、そのような方向性が決して間違っていなかったことはヴァントやジュリーニの演奏などを聴けば容易に納得できますから、今となってはシューリヒトのような演奏スタイルに先祖返りすることは考えにくいのです。
現在のブルックナー演奏はシューリヒトの時代にはなかった雄大な響きと美しさをもっていることは否定しようのない事実です。

ただ、一言弁護すれば、ここに刻印されたシューリヒトの個性はかなり強烈です。表面的には素っ気なさすぎて枯れすぎた音楽に思えるかもしれません。しかし、この作品に内包された「怖さ」がこれほどまでに聞き手に迫ってくる演奏は他に思い当たりません。
とにかく、聞いていると、心臓にグサリと刺さってくるような「怖い」場面があちこちに存在するのです。そして、それは徹底的にスコアを分析し、その結果をどれほど緻密に分析しても再現できない類のものなのです。

よく言われることですが、落ち込んだときに夜中に一人で聞いてはいけない最右翼の一枚が、このシューリヒトのブル9なのです。

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