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ヨッフム(Eugen Jochum)|ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 作品92
ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 作品92
オイゲン・ヨッフム指揮 ベルリンフィル 1952年11月12日~14日録音
Beethoven:Symphony No.7 in A major , Op.92 [1.Poco Sostenuto; Vivace]
Beethoven:Symphony No.7 in A major , Op.92 [2.Allegretto]
Beethoven:Symphony No.7 in A major , Op.92 [3.Presto; Assai Meno Presto; Presto]
Beethoven:Symphony No.7 in A major , Op.92 [4.Allegro Con Brio]
深くて、高い後期の世界への入り口
「不滅の恋人」は「アマデウス」と比べるとそれほど話題にもなりませんでしたし、映画の出来そのものもいささか落ちると言わなければなりません。しかし、いくつか印象的な場面もあります。(ユング君が特に気に入ったのは、クロイツェル・ソナタの効果的な使い方です。ユング君はこの曲が余りよく分からなかったのですが、この映画を見てすっかりお気に入りの曲になりました。これだけでも、映画を見た値打ちがあるというものです。)
それにしても、「アマデウス」でえがかれたモーツァルトもひどかったが、「不滅の恋人」でえがかれたベートーベンはそれに輪をかけたひどさでした。
第9で、「人類みな兄弟!!」と歌いあげた人間とは思えないほどに、「自分勝手」で「傲慢」、そしてどうしようもないほどの「エキセントリック」な人間としてえがかれていました。一部では、あまりにもひどすぎると言う声もあったようですが、ユング君は実像はもっとひどかったのではないかと思っています。
偉大な音楽家達というものは、その伝記を調べてみるとはっきり言って「人格破綻者」の集まりです。その人格破綻者の群の中でも、とびきりの破綻者がモーツァルトとベートーベンです。
最晩年のぼろ屑のような格好でお疾呼を垂れ流して地面にうずくまるベートーベンの姿は、そのような人格破綻者のなれの果てをえがいて見事なものでした。
不幸と幸せを足すとちょうど零になるのが人生だと言った人がいました。これを才能にあてはめると、何か偉大なものを生み出す人は、どこかで多くのものを犠牲にする必要があるのかもしれません。
この交響曲の第7番は、傑作の森と言われる実り豊かな中期の時期をくぐりぬけ、深刻なスランプに陥ったベートーベンが、その壁を突き破って、後期の重要な作品を生み出していく入り口にたたずむ作品です。
ここでは、単純きわまるリズム動機をもとに、かくも偉大なシンフォニーを構築するという離れ業を演じています。(この課題に対するもう一つの回答が第8交響曲です。)
特にこの第2楽章はその特徴のあるリズムの推進力によって、一つの楽章が生成発展してさまをまざまざと見せつけてくれます。
この楽章を「舞踏の祝祭」と呼んだのはワーグナーですが、やはり大したものです。
そしてベートーベンはこれ以後、凡人には伺うこともできないような「深くて」「高い」後期の世界へと分け入っていくことになります。
白紙のノートに描いた音楽
白紙のノートに描いた音楽
ヨッフムに関してあれこれ書いた古いページを確認していると、我ながら実に簡潔に彼のキャリアをまとめているページを発見しました。
「1902年にドイツのバイエルン地方に生まれ、1927年にミュンヘンフィルでブルックナーの7番を指揮してそのキャリアをスタートさせています。その後は、当時の指揮者稼業としてはおきまりのコースである地方の歌劇場のシェフを務めながらキャリアアップをしていきます。キール歌劇場・マンハイム州立劇場・デュイスブルク市音楽総監督(現在のライン・ドイツ・オペラ)・ベルリン放送局音楽監督ときて、1934年からはベームの後任としてハンブルク国立歌劇場音楽総監督に就任します。実に順調です。
戦後は、1949年にバイエルン放送交響楽団の創設に参加して60年まで首席指揮者を務めます。ところが、その後は危機に陥った楽団のお助けマンみたいな仕事ばかりにかり出されます。
61年にはベイヌムの急逝を受けて、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者としてハイティンクを助けます。その仕事も64年に終わると、今度はカイルベルトの急逝を受けてバンベルク交響楽団の指揮者となります。その後はこれといった決まったポジションを持たずに、あれこれのオケに客演をしてはコンサートや録音をこなして晩年を過ごしています。
見るからに柔和で穏やかな表情は「人格者」を思わせますし、残された録音もそのようなヨッフムを彷彿とさせるような穏やかでしみじみとした味わいのあるものでした。特に、最晩年にシュターツカペレ・ドレスデンと録音したブルックナーの全集は神々しいほどの美しさをたたえていました。」
1902年に生まれ、1987年になくなったその人生は、20世紀という時代をすっぽりと被うものでした。そして、一つの世紀を被うような存在であった偉大な指揮者であれば、その存在を一つの言葉でまとめることなど到底不可能な複雑な姿を持っていました。
例えば、「ヨッフムのライブは凄い!!録音とライブは全く別人だ」という言葉はよく聞かれました。また、ある人は、「ヨッフムは録音になるとまとめようという意識がはたらいてしまって音楽が小さくなる」と苦言を呈していました。
ここでもう一度、ライブの演奏会と録音の違いについての「そもそも論」を蒸し返すつもりはありませんが、少なくとも「録音」は「ライブ」の代償行為でないということだけは指摘しておきましょう。「録音」という行為は「ライブ」とは全く異なる音楽の表現様式です。
ヨッフムは「ライブ」とは異なる「録音」という表現様式の特徴を完璧に理解していました。
ですから、「録音とライブは全く別人だ」と言う言葉を「ヨッフムはライブでこそ真価が発揮される」などと解してしまえば、そういう「複雑さ」の一つをすっぽりと取り逃がしてしまうことになります。
若い頃のヨッフムはテンポを大きく動かして入念な表情づけをするようなロマティクな演奏は「演奏の姿」としては「いけないもの」だと述べていました。しかしながら、その様に述べていながらも、若い頃のライブ録音を聞くと、彼自身がいけないと言っていたような演奏をしている事が多いので、その「言行不一致」に苦笑いさせられます。まあ、お客さんを目の前にすれば「受けてなんぼ」ですから、理性のたがが外れるのは仕方がなかったのでしょう。
しかし、「録音」ならばいらぬ誘惑に負けることなく「理性のたが」をはめ続けて演奏することは可能です。結果として、派手さのない、地味な演奏をするひとという印象を持たれることになるのですが、そこで再確認しなければいけないのは、まさにその様な演奏こそが彼が理想とした音楽の姿だったということです。
しかしながら、いささか困ってしまうのは、その様な「理想」の姿は、彼が年を重ねるに従って変わっていくのです。
「ブルックナーにおいては後期ロマン時代の官能的音楽が要求するような余りに大きいアッチェレランドやリタルダンドを私は戒めたいと思う。テンポの絶対的平均性のみがもたらしうる『ゆりうごく輪』をえがきつつ、ブルックナーの上昇は展開するのである。」と述べていました。
しかし、最晩年のシュターツカペレ・ドレスデンを率いて完成させた2度目の全集では、テンポを大きく動かし、アッチェレランドやリタルダンドも駆使して、神々しいまでのクライマックスを築き上げる人に変わっているのです。
しかしながら、彼の人生が全て終わってその業績が全て定まった時点から振り返ってみれば、即物的な演奏に徹していた若い時代から主情的な表現に重きをおいた晩年の様式に変わっていったというような「単純」なベクトルでまとめきれないことも明らかになってくるのでさらに困ってしまうのです。
もちろん、ザックリと眺めてみればこのベクトルでヨッフムをとらえることは間違いではないのですが、さらに細かく彼の録音を聞いていくと、彼の指揮者人生は「理」としての「即物主義」と「情」としての「ロマン主義」がせめぎ合っていたのではないかという思いもわき上がってくるのです。
ヨッフムはその生涯において、3種類のベートーベンの交響曲全集を完成させています。
- 1952年~1961年:ベルリンフィル+バイエルン放送交響楽団
- 1967年~1969年:アムステルダム・コンセルトヘボウ管
- 1976年?1979年:ロンドン交響楽団
もしも上のベクトルに当てはめるならば、最も即物的な演奏になるのが「ベルリンフィル+バイエルン放送交響楽団」による全集であり、最も主情的になるのがロンドン交響楽団を使った全集と言うことになるはずです。しかし、聞き比べてみれば最も熱くて重厚で、低弦楽器もゴリゴリしているのがヨッフム50代の録音である「ベルリンフィル+バイエルン放送交響楽団」による一番古い録音なのです。
彼が最も得意とした第6番「田園」を聞き比べてみても、じっくりとしたテンポ設定で入念に表情付けを行っているのはベルリンフィルとの54年盤なのです。
そう思って、久しぶりにロンドン交響楽団を使ったベートーヴェンの交響曲全集をザッと聞き直してみて気がつくのは(こういう再確認みたいな聴き方は作り手にとっては不本意だろうし失礼だと言うことは十分に承知してるのですが)、全9曲が明らかに一つのコンセプトのもとに統一感を持って構築されている事です。
そう言えば、誰かが「1番から9番までがまるで1曲の長大交響曲のようだ。」と述べていましたが、まさにその通りの作りになっているのです。
なるほど、そう思ってみれば、指揮者にとって「全集」を仕上げるというのはたとえてみれば罫線が引かれたノートに自分の思いを綴っていくようなものかもしれない、ということに気づかされます。
それに対して、52年から61年にかけて録音された「全集」にはその様な罫線が見あたりません。
何故ならば、この録音は結果としてはベルリンフィルと彼の手兵であったバイエルン放送交響楽団を使った「全集」として完結するのですが、おそらくヨッフムにしてもレーベルにしても始めの頃は「全集」を作るという意識などは全くなかったはずです。
結果として、その録音は白紙のノートに一枚ずつ、それぞれの交響曲の姿を思いのままに描ききったような演奏になりえたのではないでしょうか。
罫線が引かれたノートに書き込んでいくときには、その罫線に沿って書き進める必要があるためにどうしても「理」が前に出ることになり、逆に白紙のノートが与えられればその自由度の故に「情」が前に出ると言うことでしょうか。
しかしながら、そうなると、最晩年のシュターツカペレ・ドレスデンを率いて完成させたブルックナーの全集の時は、どんな罫線が引かれていたの?と突っ込まれそうです。おそらく、事はそんなに単純なことではないのでしょうし、そんな一言二言でこの偉大な存在を分かったような気になることは戒めないといけないのかもしれません。
結局は、こういう一つの時代を作ったような偉大な音楽家(音楽家に限った話ではないのでしょうが)というものは、そう言う相矛盾する要素が一つの人格の中に不思議な調和を持って共存していると言うことなのでしょう。
ですから、ヨッフムということで「誇張も気負いもない自然体の音楽」とか「汲めども尽きぬ深い味わいがしみじみと心に広がってくる」などという「お決まりの言葉」だけで分かったような気になる愚に陥ることだけは戒めなければいけないのでしょう。
<追記>
今回紹介した一番最初の、結果として「全集」となった録音のクレジットは以下の通りです。
- 交響曲第7番 イ長調 作品92:ベルリンフィル:1952年11月12日~14日録音(MONO)
- 交響曲第9番 ニ短調 「合唱付き」作品125:バイエルン放送交響楽団&合唱団:1952年11月24日~26日,29日&12月1日~2日録音(MONO)
- 交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」:ベルリンフィル:1954年2月1日~5日&7日録音(MONO)
- 交響曲第6番 ヘ長調 作品68「田園」:ベルリンフィル1954年11月9日,10日,12日,13日&16日録音(MONO)
- 交響曲第2番 ニ長調 作品36:ベルリンフィル:1958年1月27日,28日&30日録音
- 交響曲第8番 ヘ長調 作品93:ベルリンフィル:1958年4月30日&5月2日&5日録音
- 交響曲第1番 ハ長調 作品21:バイエルン放送交響楽団:1959年4月3日&5日録音
- 交響曲第5番 ハ短調 「運命」 作品67:バイエルン放送交響楽団:1959年4月25日~27日録音
- 交響曲第4番 変ロ長調 作品60:バイエルン放送交響楽団:1961年1月26日,30日&31日録音
録音のクレジットを見てみると7番は1952年11月12日~14日にかけて録音されています。まさに、フルトヴェングラーがベルリンフィルに君臨していたまっただ中の時代に録音されたものです。
それにしてもこのオケの響きは本当にいいですね。ベルリンフィルが未だにヨーロッパの地方オケだった時代の響きであり、そして、今やすでに私たちが失ってしまって二度と手に入れることのできなくなってしまった響きです。
そりゃ、雑と言えば雑です。
さらに言えば、もう少し響きの真ん中に芯の強さみたいなものもほしいなと思ったりします突っ込みを入れようと思えばいくらでも突っ込みは入れられるのですが、それでも結果としての響きは人の心の奥にずしりと届いてきます。
そう言えば、若手の指揮者のリハの時にちんたらちんたら音を出していたベルリンフィルが、突然本番かと思うよう気合いの入った音を出し始めたので、何事かと見渡せばホールの入り口にフルトヴェングラーが立っていたというのは嘘か本当かは知りませんが有名なエピソードです。
少なくとも、その若手指揮者がヨッフムでなかったことは確かなようです。
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よせられたコメント
2015-07-27:HIRO
- まさにベルリン・フィルの黄金時代の音です。
最近のベルリン・フィルは、「楽員民主主義」が良くない方向に出ていて、アバド以来、益々自分たちにとって、お気軽な指揮者ばかりを常任に選ぶため、確かに技術的には世界最高でしょうけれど、感動の全くない、「ただお上手な」演奏ばかりになってしまいました。
これは、明らかに向かう方向が間違っていて、アナウンサーが早口言葉がうまいとか、口跡が良いとか、読み間違えをしない…なんてのと同じで、いくら表面的には「美しい」ナレーションをしても、そこからは芸術的な感動は何も生まれません。自分たちより、遙かに優れた音楽家を指揮者に迎え、切磋琢磨しない限り、ベルリン・フィルからは、もう往年の名演は生まれないでしょう。
フルトヴェングラーが入り口に立っただけで音が変わる…それくらいの緊張感が必要なのかも知れません。
それにしても、この7番のモノと8番のステレオの間に録音技術は進歩しました。このモノの録音も良い音ですが、もう少しで、フルトヴェングラーもステレオ録音が残せたのかなと思うと感慨深いところです。