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ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第3番 ニ長調, Op.18-3

レナー弦楽四重奏団:1926年12月2日録音



Beethoven:String Quartet No.3 in D major Op.18-3 [1.Allegro]

Beethoven:String Quartet No.3 in D major Op.18-3 [2.Andante con moto]

Beethoven:String Quartet No.3 in D major Op.18-3 [3.Allegro]

Beethoven:String Quartet No.3 in D major Op.18-3 [4.Presto]


ベートーベンの心の内面をたどる

ベートーベンの創作時期を前期・中期・後期と分けて考えるのは一般的です。ハイドンやモーツァルトが築き上げた「高み」からスタートして、その「高み」の継承者として創作活動をスタートさせた「前期」、そして、その「高み」を上り詰めた極点において真にベートーベンらしい己の音楽を語り始めた「中期」、やがて語り尽くすべき己を全て出力しきったかのような消耗感を克服し、古典派のスタイルの中では誰も想像もしなかったような深い瞑想と幻想性にあふれる世界に分け入った「後期」という区分です。

ベートーベンという人はあらゆるジャンルの音楽を書いた人ですが、交響曲とピアノソナタ、そして弦楽四重奏はその生涯を通じて書き続けました。とりわけ、弦楽四重奏というジャンルは第10番「ハープ」と第11番「セリオーソ」が中期から後期への過渡的な性格を持っていることをのぞけば、その他の作品は上で述べたそれぞれの創作時期に截然と分類することができます。さらに、弦楽四重奏というのは最も「聞き手」を意識しないですむという性格を持っていますから、それぞれの創作時期を特徴づける性格が明確に刻印されています。
そういう意味では、彼がその生涯において書き残した16曲の弦楽四重奏曲を聞き通すと言うことは、ベートーベンという稀代の天才の一番奥深いところにある心の内面をたどることに他なりません。

<前期の6作品>

弦楽四重奏曲という形式を完成させたのは言うまでもなくハイドンでありモーツァルトです。彼らは、単なるディヴェルティメント的な性格しか持っていなかったこの形式を、個人の心の内面を語る最もシリアスな音楽形式へと高めていきました。ベートーベンがこの形式の創作のスタートラインとしたのは、このハイドンやモーツァルトが到達した終着点だったのです。

ベートーベンがこのジャンルの作品を初めて世に問うたのは30才になろうとする頃です。この時までに、彼は室内楽の分野では多くのピアノ・トリオと弦楽三重奏曲、三つのヴァイオリン・ソナタ、二つのチェロ・ソナタ、さらに様々な楽器の組み合わせによる四重奏や五重奏を書いています。ですから、作品番号18として6曲がまとめられている最初の弦楽四重奏曲は、その様な作曲家としての営為の成果を問うものとして、まさに「満を持して」発表されました。

弦楽四重奏曲第1番 ヘ長調 OP.18-1
全6曲の中ではおそらく2番目に創作されたものだと言われています。しかし、第1楽章の堂々たる音楽を聞けば、何故にベートーベンがこの作品を「第1番」とナンバリングしたのかが分かります。
最初の2小節で提示される動機を材料にして緊密に全体をくみ上げていく手法は後のベートーベンのすすみ行く方向性をはっきりと暗示しています。また、深い情緒をたたえた第2楽章も「ぼくはロメオとジュリエットの墓場の場面を考えていた」と述べたように、若きベートーベンの憂愁をうかがわせるものであり、まさにこのジャンルのスタートを飾るに相応しい作品に仕上がっています。

弦楽四重奏曲第2番 ト長調 OP.18-2「挨拶」
全6曲の中では3番目に完成されたものだと言われています。第1楽章の主題がまるで「挨拶」をかわしているかのように聞こえるために、それが作品のニックネームとなっています。

弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 OP.18-3
ベートーベンが完成させた最初の弦楽四重奏曲だと言われています。全6曲の中では最も明るさと幸福感に満ちた作品ですが、それは、ウィーンに出てきて音楽家としての新たなスタートを切った青年ベートーベンの希望に満ちた心象風景の反映だろうと言われています。

弦楽四重奏曲第4番 ハ短調 OP.18-4
作品番号18の6曲の中では最も最後に完成された作品だと言われています。そして、最後だからと言うわけではないのですが、疑いもなくこの全6曲の中では最も高い完成度を誇っているのがこの作品です。
モーツァルトにとってト短調というのが特別な意味を持った調性だったように、ベートーベンにとってはハ短調というのは特別なものでした。ベートーベンがこの調性を採用するときは音楽は劇的な性格の中に悲劇的な美しさを内包するものとなりました。そして、おそらくはこの調性に彼が求めていたものを初めてしっかりとした形で実現したのがこの作品だったと言えます。

弦楽四重奏曲第5番 イ長調 OP.18-5
全6曲の中では4番目に作曲されたものですが、聞けば分かるようにモーツァルトの音楽を連想させるような音楽で、とりわけ第2楽章のメヌエットはまるでモーツァルト聴いているかのような錯覚に陥ります。そういう意味では最もベートーベンらしくない作品なのですが、聞いていて実に楽しい気分させてくれると言うことでは悪くない作品です。

弦楽四重奏曲第6番 変ロ長調 OP.18-6
全6曲の中では5番目の作品というのが痛切ですが、番号通り最後の作品と見る人もいます。全体としては初期作品に共通する「明るさ」が全曲を支配しているのですが、第4楽章の冒頭に「ラ・マリンコニア(メランコリー)」と題された長大な序奏がつくのが特徴です。



今となっては二度と聞くことのできない演奏スタイル

全くの私見ですが、ベートーベンの弦楽四重奏曲の演奏史を遡っていけば、ブッシュ弦楽四重奏団とブダペスト弦楽四重奏団による戦前の録音あたりで流れが分かれたような気がします。そして、そこから遡って源流を辿ればこのレナー弦楽四重奏団による1930年代の世界初の全曲録音に辿り着くのでしょう。
つまりは、この二つのカルテット、ブッシュ弦楽四重奏団とブダペスト弦楽四重奏団はそのオリジンとも言うべきレナー弦楽四重奏団から引き継ぎながら、そこから新しく踏み出した方向性が異なったのでしょう。
そのあたりのことは、彼らの録音を紹介したときに少しばかり詳しくふれました。
そして、「このレナー弦楽四重奏団による全集もいつかは紹介する必要はあるとは思っているのですが、それよりも先に紹介したいと思える録音がたくさん存在しますので、それはいつのことになるかは分かりません。」と書いました。
しかし、どうやら、やっとレナー弦楽四重奏団に順番が回ってきたようです。

歴史的に重要な録音をFlacファイル化したいと書いたときに、一番要望が多かったのがレナー弦楽四重奏団でした。おそらく、彼らの録音に関してはYoutubeの方であげているので、それに気づいている方の中からもっと良い音質で聞きたいという要望があるようでした。
確かに、レナー弦楽四重奏団のベートーベンなんて、とんでもなく古い化石時代のような録音なのですが、昨今のハイテクカルテットを聞きあきた耳にはかえって新鮮に聞こえるから不思議です。

その最大の要因は、今のハイテク・カルテットが失ってしまっているこの上もなく上品で典雅な雰囲気を強く持っているからでしょう。
しかし、その反面として、ベートーベンの音楽が持っている構造性への切り込みという点では物足りなさを感じるかもしれません。世間ではその「構造性」のことを、「精神性」という便利な言葉で表現するのですが、まあ言ってみればアダージョ楽章は素晴らしくても、全体的にはベートーベンらしいがっしりとした無骨さみたいなものは希薄なのです。

もちろん、復刻音源によって聞こえ方は随分違うという話も聞くのですが、ファースト・ヴァイオリンが主導した主情的な演奏であることには違いはないでしょう。

そして、そう言うオリジンからの流れを受けて、出来る限りその様な主情性を排して、その音楽が持っている構造を明瞭に描き出す方向に足をすすめたのがブダペスト弦楽四重奏団であり、逆に、レナー弦楽四重奏団が持っていた強い主情性を捨てることなく、その上にベートーベンが持っている構造性というか、無骨さみたいなものを追求していこうとしたのがブッシュ弦楽四重奏団だったと言えます。

しかし、あまりそう言う難しいことは考える必要の無かった時代に、ひたすら強い主情性に貫かれたベートーベンを演奏しきったレナー弦楽四重奏団には不思議な魅力があります。
そして、そう言う魅力は時代を重ねるにつれて不思議な「オンリー・ワン的」なものへと昇華されていきます。つまりは時間が演奏に磨きをかけるという不思議なことがおこるのです。

ベートーベンと言えば構築性デュナーミクの拡大などが言われるのですが、それと同じように私が心動かされるのは「ロマンティシズム」があふれ出す部分である事は正直に告白しなければいけません。
それ故に、もっと分かりやすく言ってしまえばレナー弦楽四重奏団の「泣き節」に強い魅力を感じてしまうのです。

たとえば、第1番の弦楽四重奏曲からして、その第2楽章に溢れている「若きベートーベンの悲劇性への憧れ」みたいなものが見事に表現されています。
しかし、重要なことは、音楽とは「泣き節」だけでは成立しないので、その前の「第1楽章」において充分なお膳立てがされていることです。ある人によれば、この第1楽章は「ロミオとジュリエット」の墓場のシーンからイメージされたと言います。
つまりは、第1楽章がその様なシーンとして描かれているからこそ、この第2楽章の「泣き節」が生きてくるのです。

そして、弦楽四重奏曲と言えば4人の奏者が対等に会話を交わすように演奏するものだというのが今では常識ですが、レナー弦楽四重奏団では主導権はファースト・ヴァイオリンがしっかりと握っています。そしてその事はブッシュ弦楽四重奏団においても同様だったのですが、レナー弦楽四重奏団ではその事がよりはっきりと聞き取れます。
つまりは、今の耳からすれば、そのスタイルは極めて古いものだと言わざるを得ないのです。
しかし、そのスタイルこそが魅力的な「泣き節」を生み出していることも事実なのです。

しかしながら、このあとの時代をすでに知っている私たちにとって、この二つの分かれ道から大きな流れへとつながっていったのはブダペスト弦楽四重奏団が歩み出した方だったことを知っています。それ以降はジュリアードやアルバン・ベルクなどのカルテットが主流となり、レナー弦楽四重奏団やブッシュ弦楽四重奏団が選んだ道を辿るものは絶えてしまったのです。

つまりは、レナー弦楽四重奏団の演奏スタイルは、今となってはもう二度と聞くことのできない演奏スタイルになってしまったのです。

とは言え、こんな古い時代の録音を、さらに言えばそんな古い録音で時代に取り残されたような演奏スタイルを聞く気は起きないという人もいるでしょう。
そう言う人は、取りあえずは第1番の「第2楽章」、第12番の「第2楽章」、第13番の「第5楽章」、第15番の「第3楽章」、さらには最後の第16番の「第3楽章」あたりを聞いてみてください。これは、ブッシュ弦楽四重奏団の録音を紹介したときにも同じ事を書きました。

もちろん、こういう聴き方は邪道であることは分かっているのですが、それでもそのあたりだけでも聞いてもらえば、「オー、意外といいじゃない!」となり、さらには「20年代、30年代の録音と言っても思った以上に音がいいね」につながり、さらに突っ込んでみればこういう「泣き節もいいね」と思ってもらえばしめたものです。(^^;
もしも、そうであるならば、その時こそあらためて作品全体を聞き直してみてください。
老練な聞き手の方にとって入らぬ老婆心かもしれませんが、こういう演奏は昨今のハイテクカルテットを聞きあきた耳にはかえって新鮮に聞こえるはずだと信じています。

この演奏を評価してください。

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