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ラインホルト・バルヒェット(Reinhold Barchet)|ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」より「夏」
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」より「夏」
(Vn)ラインホルト・バルヒェット:フリードリヒ・ティーレガント指揮 南西ドイツ室内管弦楽団 1961年録音
Vivaldi:Violin Concerto in G minor, RV 315 (The Four Seasons:Summer) [1.Allegro non molto]
Vivaldi:Violin Concerto in G minor, RV 315 (The Four Seasons:Summer) [2.Adagio e piano - Presto e forte]
Vivaldi:Violin Concerto in G minor, RV 315 (The Four Seasons:Summer) [3.Presto]
「四季」と言った方が通りがいいですね(^^;
ヴァイオリン協奏曲集「和声と創意の試み」と言うよりは、「四季」と言った方がはるかに通りがいいですね。
ただヴィヴァルディは12曲からなる協奏曲集として作品をまとめており、その中に「春」「夏」「秋」「冬」という表題がつけられている4曲が存在するわけです。
それにしてもこの4曲をセットにして「四季」と名付けられた作品のポピュラリティには驚くべきものがあります。特に、「春」の第1楽章のメロディは誰もが知っています。
まさに四季といえばヴィヴァルディであり、ヴィヴァルディといえば四季です。
そして、その功績は何と言ってもイ・ムジチ合奏団によるものです。
ある一つの作品が、これほど一人の作曲家、一つの演奏団体に結びつけられている例は他には思い当たりません。(試しに、ヴィヴァルディの作品を四季以外に一つあげてください。あげられる人はほとんどいないはずです。)
そのような有名作品の中でが一番好きなのが「冬」です。
それは明らかに北イタリアの冬です。ローマやナポリの冬ではありませんし、ましてや絶対にドイツの冬ではありません。
ヴィヴァルディが生まれ育ったヴェネチアは北イタリアに位置します。その冬は、冬と言っても陽光のふりそそぐ南イタリアと比べればはるかに厳しいものですが、ドイツの冬と比べればはるかに人間的です。
厳しく、凛としたものを感じさせてくれながらも、その中に人間的な甘さも感じさせてくれるそんな冬の情景です。
四季といえば「春」と思いこんでいる人も、少しは他の季節にも手を伸ばしてくれればと思います。(^^
なお、「四季」と呼ばれる4曲には以下のようなソネットがそえられています。
協奏曲第1番ホ長調、RV.269「春」
アレグロ
春がやってきた、小鳥は喜び囀りながら戻って来て祝っている、水の流れと風に吹かれて雷が響く。小川のざわめき、風が優しく撫でる。春を告げる雷が轟音を立て黒い雲が空を覆う、そして嵐は去り小鳥は素晴らしい声で歌う。鳥の声をソロヴァイオリンが高らかにそして華やかにうたいあげる。みな、和やかに
ラルゴ
牧草地に花は咲き乱れ、空に伸びた枝の茂った葉はガサガサ音を立てる。ヤギ飼は眠り、忠実な猟犬は(私の)そばにいる。弦楽器の静かな旋律にソロヴァイオリンがのどかなメロディを奏でる。ヴィオラの低いCis音が吠える犬を表現している。
アレグロ(田園曲のダンス)
陽気な田舎のバグパイプがニンフと羊飼いを明るい春の空で踊る。
協奏曲第2番ト短調、RV.315「夏」
アレグロ・ノン・モルト?アレグロ
かんかんと照りつける太陽の絶え間ない暑さで人と家畜の群れはぐったりしている。松の木は枯れた。カッコウの声が聞こえる。そしてキジバトとスズメの囀りが聞える。柔らかい風が空でかき回される。しかし、荒れた北風がそれらを突然脇へ追い払う。乱暴な嵐とつんのめるかも知れない怖さで慄く。原譜には「暑さで疲れたように弾く」と指示がある。ヴァイオリンの一瞬一瞬の“間”に続いての絶え間ない音の連続が荒れる嵐を表現している。
アレグロ・プレスト・アダージョ
彼の手足は稲妻と雷鳴の轟きで目を覚まし、ブヨやハエが周りにすさまじくブンブン音を立てる。それは甲高い音でソロヴァイオリンによって奏でられる。
プレスト(夏の嵐)
嗚呼、彼の心配は現実となってしまった。上空の雷鳴と巨大な雹(ひょう)が誇らしげに伸びている穀物を打ち倒した。
協奏曲第3番ヘ長調、RV.293「秋」
アレグロ(小作農のダンスと歌)
小作農たちが収穫が無事に終わり大騒ぎ。ブドウ酒が惜しげなく注がれる。彼らは、ほっとして眠りに落ちる。
アダージョ・モルト(よっぱらいの居眠り)
大騒ぎは次第に弱まり、冷たいそよ風が心地良い空気を運んで来てすべての者を無意識のうちに眠りに誘う。チェンバロのアルペジオに支えられてソロヴァイオリンは眠くなるような長音を弾く。
アレグロ(狩り)
夜明けに、狩猟者が狩猟の準備の為にホルンを携え、犬を伴って叫んで現れる。獲物は彼らが追跡している間逃げる。やがて傷つき獲物は犬と奮闘して息絶える。
協奏曲第4番ヘ短調、RV.297「冬」
アレグロ・ノン・モルト
身震いして真ん中で凍えている。噛み付くような雪。足の冷たさを振り解くために歩き回る。辛さから歯が鳴る。ソロヴァイオリンの重音で歯のガチガチを表現している。
ラルゴ
外は大雨が降っている、中で暖炉で満足そうに休息。ゆっくりしたテンポで平和な時間が流れる。
アレグロ
私たちは、ゆっくりとそして用心深くつまづいて倒れないようにして氷の上を歩く。ソロヴァイオリンは弓を長く使ってここの旋律を弾きゆっくりとそして静かな旋律に続く。しかし突然、滑って氷に叩きつけられた。氷が裂けて割れない様、そこから逃げた。私たちは、粗末な家なのでかんぬきでドアを閉めていても北風で寒く感じる。そんな冬であるがそれもまた、楽しい。
こういう演奏と出会うと心穏やかになります
今さらヴィヴァルディの「四季」でもないだろうとは思ったのですが、ヴァイオリンのソロが「バルヒェット」とクレジットされていたので思わず手が伸びてしまいました。
ラインホルト・バルヒェットという名前も多くの人の記憶から遠ざかりつつあるのですが、私の場合は彼がリーダーを務めたカルテットによるモーツァルトの弦楽五重奏曲の演奏で深く記憶に刻み込まれています。
その理由として「昨今のハイテクカルテットとは対極にあるものです。ひと言で言えば鄙びた演奏ですが、その鄙びた素朴さの中にえもいわれぬロマンと気品が漂ってくるのが魅力なのでしょう。」と記していました。つまりは、今の時代となっては滅んでしまった、もしくは限りなく絶滅危惧種に分類されるようなヴァイオリニストなのです。
そして、このヴィヴァルディの四季に関しては1958年にミュンヒンガーと組んで録音した演奏があります。そのミュンヒンガーがつくり出す四季の世界はこの上もなく厳しいモノで、「イ・ムジチの演奏がアルプスの南側の演奏だったとすれば、これは明らかにアルプスの北側の演奏です。」などと記していました。
ですから、バルヒェットのソロも彼本来の持ち味からすればかなり細身で引き締まったものでした。
もちろん、それはそれで悪くない演奏なのですが、おそらくバルヒェットの本来の持ち味はこちらの1961年に録音した演奏の方でこそ発揮されているのでしょう。
フリードリヒ・ティーレガントという指揮者も 南西ドイツ室内管弦楽団という団体も全く知らない存在だったのですが、聞いてみれば実に穏やかでふくよかな響きでバルヒェットをサポートしています。そして、そのバックに安心しきってバルヒェットもまた己の持ち味であるふくよかで穏やかな上品さに満ちた響きを振りまいています。
まさかこんな場所にかくも優れた演奏と録音が隠れていたとは驚きです。
そして、こういう穏やかさは同時代のクルト・レーデルの演奏などと通ずるものがあります。
しかし、こういう世界は目立ってなんぼです。イ・ムジチのように大甘の大トロ演奏とか、ミュンヒンガー、ソチエタ・コレルリ合奏団やレイホヴィッツのような厳しいスタイル、さらにはオーマンディやバーンスタインのようなブッチャキ演奏のような録音の中においてみれば、その特徴のなさは忘れ去られる運命を持たざるを得なかったのでしょう。
そこに、ピリオド演奏などと言うムーブメントが襲いかかれば、こういう演奏はまさに過去の遺物となってしまうのは仕方のないことだったのかもしれません。
しかし、そう言う数々の演奏と録音の洗礼を受けていい加減ウンザリした後に、ひょっこりとこういう演奏と出会うと、この上もなく心穏やかになります。
もしも、今ヴィヴァルディの四季で何を選ぶと聞かれれば、今の私はこのバルヒェットの一枚を躊躇わずに選ぶことでしょう。
それから、この中古レコードなのですが、300円均一コーナーに並んでいたにもかかわらず盤面の状態が非常に良好でした。丁寧にクリーニングすればノイズもほとんど気にならないレベルなので、これは本当に掘り出し物でした。
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