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ロッシーニ:「ウィリアム・テル」序曲

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団1962年12月13日~14日録音



Rossini:Overture to Guillaume Tell


序曲だけがあまりにも有名になりました。

オペラそのものはあまり上演されないのに、その序曲だけが有名になると言うことがあります。小学校の音楽の時間には必ず聞かされたスッペの「軽騎兵序曲」などはその典型例ですが、このウィリアム・テル序曲の知名度もオペラ本体と比べると段違いです。
 もっとも、こちらはオペラそのものの出来が悪いと言うよりは、あまりにも規模が大きすぎて上演される機会が少ないことがその原因となっています。現役盤のカタログをくってみても、この全曲盤はムーティによるワンセットだけみたいで(2001年頃の話ですが・・・^^;)、それも限定盤のようです。こうなると、このオペラの全貌を聞く機会はほとんど無いと言うことであり、結果として序曲とオペラ本体とのポピュラリティにますます差が出きると言うことになります。


 この作品はスイス兵の行進を表すテーマがあまりにも有名で、テレビなどではその部分だけが使われる事が多いので、作品そのものも「あのテーマ」からはじまるように思われています。
 それだけに、はじめてこの作品を聞いた人は、いったい何の曲がはじまったのか?と思うようです。
 聞いてもらえば分かるように、この作品は4つの部分からなっています。「夜明けー嵐ー静けさースイス兵の行進」です。
 冒頭の夜明けはウェーバーを連想させるような、まさにゲルマンの森の描写です。まさに「あのテーマ」とは正反対の音楽ですから、「一体何がはじまったんだ?」と思うのも無理はありません。しかし、最後のスイス兵の行進で聞くことができる弾むようなリズムと前進力にあふれる旋律はいかにもロッシーニらしい音楽となっています。

 私は、この序曲を聴くと、変な連想ではありますが、ショスタコーヴィッチの最後のシンフォニーとなった15番を思い出します。
 この作品には、作曲家自身が幼いときに大きな影響を受けた音楽として二つのメロディが引用されています。一つがワーグナーの「ワルキューレ」に出てくる「運命の動機」で、もう一つがウィリアム・テル序曲の「あの有名なテーマ」です。
 序曲の有名なテーマは第1楽章に都合5回も引用されていますが、このテーマがショスタコーヴィッチ自身が生まれてはじめて好きになった旋律だと言うことを息子のマキシムが語っています。幼いショスタコーヴィッチがこのウィリアムテル序曲の有名なテーマを聞いてはキャッキャと喜んでいる姿が浮かんで来るようなエピソードです。
 そして、まさにこのような分かりやすさと親しみやすさこそがロッシーニの真骨頂だったことを考えると、ロッシーニを褒め讃えるのにこれほど素晴らしいエピソードもないように思います。


豊かな歌心と確かな構成力は一人の指揮者のなかでしっかりと一つになっている

ジュリーニという指揮者に対しては「コンサート指揮者」というイメージしか湧きません。しかしながら、ヨーロッパの、それもイタリア出身の指揮者がオペラと無縁であるはずもなく、調べてみれば50年代の初めにはあのミラノ・スカラ座の音楽監督を務めています。そして、マリア・カラスと「椿姫」の録音なども行っているのです。

しかしながら、この「カルロ・マリア・ジュリーニ」という指揮者は不思議な人物です。ミラノ・スカラ座の音楽監督は1953年から1956年にかけて務めているのですが、その後は長い期間フリーの時期が続きます。その後1969年からはシカゴ交響楽団の首席客演指揮者としてショルティとともに低迷していたオケを鍛え直します。その後は1973年からウィーン交響楽団の首席指揮者に就任し、1978年からはロサンジェルス・フィルの音楽監督を務めています。
おそらく、彼が望めばもっとメジャーなオーケストラのシェフの地位は得られたのでしょうが、それよりは束縛が少なく自由が許されるポジションを彼は選んだように思われます。そして、そのロサンジェルス・フィルも妻の病気のために1984年には辞任し、それ以降はフリーのの活動しか行わなくなりました。

つまりは、この「カルロ・マリア・ジュリーニ」という指揮者は「音楽」以外のことに煩わされるのが心底嫌だったようなのです。オーケストラのシェフというものは「音楽」以外の社交儀礼や繁雑な事務を強いられるものです。プログラムにしても、客の入りを考えなければいけないので、自分のやりたい作品だけで構成するという自由も許されないのが普通のようです。
おそらく、ジュリーニはそう言う束縛を嫌い、お金よりは自由を選んだのでしょう。そう考えれば、よくぞ3年とは言え、伏魔殿のうな歌劇場で、それもカラスとテバルディが火花を散らしていた時代のミラノ・スカラ座でよくぞ音楽監督を務めていたものだと感心してしまいます。

振り返ってみれば、ジュリーニが亡くなってからすでに15年という時間が経過してしまいました。その15年というときを経た「今」という時代からこの男を振り返ってみれば、彼は真の意味で「貴族的な指揮者」であったことに気づかされます。
「貴族」という言葉には往々にして否定的な意味合いを伴うことが多いのですが、ほんとうの貴族というものは芸術や文化に対する高貴とも言うべき素養を持った人々でした。そして、それは洋の東西をとはず、例えば日本の万葉集などを繙けば奈良時代の貴族というものがどれほどまでに高い教養と知性、そして高貴な精神を持っていたがよく分かります。

ジュリーニもまた、その様な高貴な精神を持った指揮者でした。それが最もよくあらわれているのが、彼が「全集」というものに全く興味を示さなかったという事実です。もちろん、「全集」を作ることが悪いことだというのではありませんが、それでも「全集」というものを作ろうと思えば、それほど好きにもなれない作品も演奏をしなければ行けません。しかしながら、ビジネスという観点から見れば「全集」という形で完結した方がメリットが大きいので、好きになれない作品でも何とか形にしておこうという誘惑を断ちきるのは難しいのです。
しかしながら、ジュリーニはほんとうに自分が演奏するに値すると思う音楽しか指揮をしませんでした。ブラームスの交響曲だけが「全集」になっているのは、それは彼がその4曲全てを愛していたからです。

と言うことで、ロッシーニやヴェルディの音楽とは関係ない話が延々と続いたのですが、それらの演奏を聞くとさすがにミラノ・スカラ座の音楽監督を務めただけのことはあると感心します。
とりわけ、ロッシーニの序曲と言えば真っ先にトスカニーニやセルの録音を思い出します。あれはもう、イタリアのパリッと乾いた陽光を思わせるような明るくて切れのある音楽でした。しかし、それは、逆から見ればオペラの始まりを告げる「序曲」と言うよりは一つの「管弦楽曲」として完成させられた音楽のように聞こえます。
もちろん、それはそれで素晴らしいことなのですが、ジュリーニが指揮する序曲はどれもこれも、聴き終わった後に幕が開くような思いにとらわれます。
音色も乾いた陽光と言うよりは薄暗い歌劇場の雰囲気に相応しい、いささか湿り気味の音色であることがそう言う思いにさせるのかもしれません。

そして、その序曲のどれもがイタリアの指揮者らしい「歌心」にあふれていながら、オケを締めるべきところはしっかりと締めて野放図になることを戒めています。
おそらく、この豊かな歌心と確かな構成力は一人の指揮者のなかでしっかりと一つになっていることこそがジュリーニの魅力であり、この一連のロッシーニとヴェルディの序曲からはその様なジュリーニの魅力が存分に発揮されています。

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