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ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95(B.178)「新世界より」

ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 北ドイツ放送交響楽団 1953年5月18日~20日録音



Dvorak:Symphony No.9 in E minor, Op.95 (B.178) "From the New World" [1.Adagio?Allegro molto]

Dvorak:Symphony No.9 in E minor, Op.95 (B.178) "From the New World" [2.Largo]

Dvorak:Symphony No.9 in E minor, Op.95 (B.178) "From the New World" [3.Molto vivace]

Dvorak:Symphony No.9 in E minor, Op.95 (B.178) "From the New World" [4.Allegro con fuoco]


ボヘミアの郷愁を歌った音楽であると同時にアメリカの息吹に触れることによってのみ生まれた作品である

ドヴォルザークが、ニューヨーク国民音楽院院長としてアメリカ滞在中に作曲した作品で、「新世界より」の副題がドヴォルザーク自身によって添えられています。

ドヴォルザークがニューヨークに招かれる経緯についてはどこかで書いたつもりになっていたのですが、どうやら一度もふれていなかったようです。ただし、あまりにも有名な話なので今さら繰り返す必要はないでしょう。
しかし、次のように書いた部分に関しては、もう少し補足しておいた方が親切かもしれません。

この作品はその副題が示すように、新世界、つまりアメリカから彼のふるさとであるボヘミアにあてて書かれた「望郷の歌」です。

この作品についてドヴォルザークは次のように語っています。
「もしアメリカを訪ねなかったとしたら、こうした作品は書けなかっただろう。」
「この曲はボヘミアの郷愁を歌った音楽であると同時にアメリカの息吹に触れることによってのみ生まれた作品である」


この「新世界より」はアメリカ時代のドヴォルザークの最初の大作です。それ故に、そこにはカルチャー・ショックとも言うべき彼のアメリカ体験が様々な形で盛り込まれているが故に「もしアメリカを訪ねなかったとしたら、こうした作品は書けなかっただろう」という言葉につながっているのです。

それでは、その「アメリカ体験」とはどのようなものだったでしょうか。
まず最初に指摘されるのは、人種差別のない音楽院であったが故に自然と接することが出来た黒人やアメリカ・インディオたちの音楽との出会いです。

とりわけ、若い黒人作曲家であったハリー・サンカー・バーリとの出会いは彼に黒人音楽の本質を伝えるものでした。
ですから、そう言う新しい音楽に出会うことで、そう言う「新しい要素」を盛り込んだ音楽を書いてみようと思い立つのは自然なことだったのです。

しかし、そう言う「新しい要素」をそのまま引用という形で音楽の中に取り込むという「安易」な選択はしなかったことは当然のことでした。それは、彼の後に続くバルトークやコダーイが民謡の採取に力を注ぎながら、その採取した「民謡」を生の形では使わなかったののと同じ事です。

ドヴォルザークもまた新しく接した黒人やアメリカ・インディオの音楽から学び取ったのは、彼ら独特の「音楽語法」でした。
その「音楽語法」の一番分かりやすい例が、「家路」と題されることもある第2楽章の5音(ペンタトニック)音階です。

もっとも、この音階は日本人にとってはきわめて自然な音階なので「新しさ」よりは「懐かしさ」を感じてしまい、それ故にこの作品が日本人に受け入れられる要因にもなっているのですが、ヨーロッパの人であるドヴォルザークにとってはまさに新鮮な「アメリカ的語法」だったのです。
とは言え、調べてみると、スコットランドやボヘミアの民謡にはこの音階を使用しているものもあるので、全く「非ヨーロッパ的」なものではなかったようです。

しかし、それ以上にドヴォルザークを驚かしたのは大都市ニューヨークの巨大なエネルギーと近代文明の激しさでした。そして、それは驚きが戸惑いとなり、ボヘミアへの強い郷愁へとつながっていくのでした。
どれほど新しい「音楽的語法」であってもそれは何処まで行っても「手段」にしか過ぎません。
おそらく、この作品が多くの人に受け容れられる背景には、そう言うアメリカ体験の中でわき上がってきた驚きや戸惑い、そして故郷ボヘミアへの郷愁のようなものが、そう言う新しい音楽語法によって語られているからです。

「この曲はボヘミアの郷愁を歌った音楽であると同時にアメリカの息吹に触れることによってのみ生まれた作品である」という言葉に通りに、ボヘミア国民楽派としてのドヴォルザークとアメリカ的な語法が結びついて一体化したところにこの作品の一番の魅力があるのです。
ですから、この作品は全てがアメリカ的なもので固められているのではなくて、まるで遠い新世界から故郷ボヘミアを懐かしむような場面あるのです。

その典型的な例が、第3楽章のスケルツォのトリオの部分でしょう。それは明らかにボヘミアの冒頭音楽(レントラー)を思い出させます。
そして、そこまで明確なものではなくても、いわゆるボヘミア的な情念が作品全体に散りばめられているのを感じとることは容易です。

初演は1883年、ドヴォルザークのアメリカでの第一作として広範な注目を集め、アントン・ザイドル指揮のニューヨーク・フィルの演奏で空前の大成功を収めました。
多くのアメリカ人は、ヨーロッパの高名な作曲家であるドヴォルザークがどのような作品を発表してくれるのか多大なる興味を持って待ちかまえていました。そして、演奏された音楽は彼の期待を大きく上回るものだったのです。

それは、アメリカが期待していたアメリカの国民主義的な音楽であるだけでなく、彼らにとっては新鮮で耳新しく感じられたボヘミア的な要素がさらに大きな喜びを与えたのです。
そして、この成功は彼を音楽院の院長として招いたサーバー夫人の面目をも施すものとなり、2年契約だったアメリカ生活をさらに延長させる事につながっていくのでした。


戦後の荒廃の中で、ドイツにつながるものをもう一度ドイツ的な視点で捉えなおそうという試みを感じとることが出来る

音楽史的には「国民楽派」というカテゴリに分類されるドヴォルザークであるにもかかわらず、ドイツ音楽復興にかけたイッセルシュテットと北ドイツ放送交響楽団の熱い思いがストレートに伝わってきます。

ドヴォルザークと言えばその民族色に重点をおくか、もしくはそう言う色は綺麗に漂白してコスモポリタン的な表現に徹するかという演奏はよく聞きます。
しかし、ここでのイッセルシュテットはそのどちらにも組みしない表現なのです。

ドヴォルザークは音楽史においては「国民楽派」という括り方をされるのですが、ブラームスを深く尊敬し、音楽的には多くのものをそこから得ていました。そして、そのブラームスは言うまでもなくベートーベンのことを深く尊敬していました。
イッセルシュテットはドヴォルザークの音楽を、その様なドイツ音楽の系譜の中で捉えていることが、この演奏を聞けばよく分かります。

しかしながら、「ドイツ的」という言葉はよく使われるのですが、その意味するものは使う人によってその内実は大きく異なります。ある人は重厚な響きによって作り出される音楽に「ドイツ的」なものを感じる人もいれば、別の人は強固な形式感に裏打ちされた建造物のような音楽に「ドイツ的」なものを感じる人もいるでしょう。
はたまた、鬱蒼としたゲルマンの森を思わせるような響きこそが「ドイツ的」だと感じる人もいるでしょう。

それは「ドイツ的」を「日本的」という言葉に置き換えてみても事情は同じです。
ましてや、来日した外国人観光客が思い浮かべる「日本的」なものが多くの日本人を戸惑わせるように、私たちが思い浮かべる「ドイツ的」なものは多くのドイツ人を戸惑わせるかもしれません。

そう言うことは承知をしていながら、それでも、戦後の荒廃の中でドイツの誇りをもう一度取り戻すために、ドイツにつながるものをもう一度ドイツ的な視点で捉えなおそうという試みをここから感じとることが出来ます。
それ故に、もともとが純ドイツ的なベートーベンやブラームスを取り上げたとき以上に、このドヴォルザークはドイツ的なものを感じさせられるのです。

そして、そう言うイッセルシュテットの思いを具体的な形にするために、どっしりとした低域を土台とした重厚な響きでありながらふくよかさを失わない北ドイツ放送交響楽団もいい仕事をしていますし、録音の方もその響きを見事にとらえきっています。

イッセルシュテットはこの2ヶ月前に交響曲第7番を「Decca」で録音していますが、この「新世界より」は「Telefunken」での録音です。
カルショーはその自伝の中で、ドイツの録音エンジニアは面白味のない奴ばかりだがやるべき事は事務的にこなすと述べています。

褒めているのか貶しているのかよく分からない言葉なのですが、確かにここではカルショーが言うところの「やるべき事」はドイツ的几帳面さできちんとやり遂げているようです。

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