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フォーレ:レクイエム 作品48

アンドレ・クリュイタンス指揮 サントゥスタシュ合唱団&管弦楽団 (S)マルタ・アンジェリシ (BR)ルイ・ノグェラ (Org)モーリス・デュリュフレ 1950年9月14日&16日~17日録音



Faure:Requiem, Op.48 [1.Introit et Kyrie]

Faure:Requiem, Op.48 [2.Offertoire]

Faure:Requiem, Op.48 [3.Sanctus]

Faure:Requiem, Op.48 [4.Pie Jesu]

Faure:Requiem, Op.48 [5.Agnus Dei]

Faure:Requiem, Op.48 [6.Libera me]

Faure:Requiem, Op.48 [7.In paradisum]




フォーレその人の心の奥からわき上がった信仰告白

FGabriel aure:Requiem, Op.48
Andre Cluytens:Les Chanteurs De Saint-Eustache et Orchestra (S)Martha Angelici (Br)Louis Noguera (Org)Maurice Durufle Recorded on September 14&16-17, 1950


 クラシック音楽ファンを対象に「自分が死んだときに流してほしい音楽」をアンケートすれば1位か2位に入ることは間違いありません。(対抗できるのはエロイカの第2楽章くらいか!!)
 とにかく美しい音楽です。
 弦とハープの分散和音にのって歌い出される第3曲、サンクトゥスの美しさは言うまでもなく、第4曲、ピエ・イェズの心に染みいるようなソプラノ独唱の素晴らしさは一度聞けば絶対に忘れることの出来ない魅力に溢れています。そして、こんなにも天国的に美しい音楽を作曲した作曲家は教会のオルガニストもしていたと聞けば、信心深い敬虔なクリスチャンだったと誰しもが思うでしょう。
 ところが、現実は大違いで、若い頃のフォーレは夜遊び大好き、お酒、たばこも大好き、さらには女性も大好きというとても現世的な人だったらしいのです。件のオルガニストのお仕事も夜遊びがすぎて朝のお勤めに着替えが間に合わず、エナメルの靴と白いネクタイのままでオルガンを演奏してクビになったというエピソードも残っています。また、女性遍歴も片手では足りないほどで、どうしてかくも現世的な人間の手からかくも天国的な音楽が生み出されたのかと楽しくなってしまいます。
 しかし、この作品よく聞くと、音楽の雰囲気はとても天国的なのに、そのスタイルはカソリックのお約束からはかなり逸脱していることに気づきます。まず、誰でも分かるのは、レクイエムの核とも言うべき「怒りの日」が含まれていないことです。さらに、これに続いて最後の審判が描かれ、涙の日へとなだれ込んで行く部分もフォーレのレクイエムではバッサリとカットされています。

怒りの日 (Dies ira)

怒りの日、その日は
ダビデとシビラの預言のとおり
世界が灰燼に帰す日です。
審判者があらわれて
すべてが厳しく裁かれるとき
その恐ろしさはどれほどでしょうか。

 古今東西、坊主の仕事は地獄の恐ろしさを説き、その恐怖から救ってくれる神や仏の有り難さを売り込むことでビジネスとして成り立っていたのですから、こんなレクイエムでは困ってしまうのです。その辺のことは当事者の方が敏感ですから、マドレーヌ寺院での初演ではこのままでは演奏できないと言われたりしたそうですし、その後も「死の恐怖が描かれていない」「異教徒のレクイエム」等々、様々な批判にさらされました。

 信仰というのは基本的に心の問題です。これは恋愛と同じで、心の中の有り様というのは形として表出しないと相手に伝わりません。ですから多くの男どもはせっせと意中の女性にプレゼントを贈ったり食事に誘ったりします。信仰もまたそれを形として表出しないと人間社会では「信心深い」かどうかが判定しづらいので、「あるべき信仰の姿」というのが、教会によって定められます。
 しかし、恋愛ならば対象は人間ですが、信仰の対象は神です。人ならば、愛の深さをその人の外観からしか判断出来なかったとしても、神ならばその人の心の有り様そのものから信仰の深さを判断できるはずです。神の代理人たる聖職者が、その人のスタイルを根拠に不信心ものと決めつけたとしても、それでも私は深く神を信じていると反駁できる「個の強さ」がもてる時代になれば、そう言う思いはいっそう強くなるでしょう。
 そう言う意味で言えば、このフォーレのレクイエムは大きな時代の分岐点にたっている作品だと言えます。信仰がスタイルではなくて心そのものによって担保される時代のレクイエムです。
 ですから、この作品の天国的な雰囲気から敬虔なカソリック教徒による有り難いレクイエムと受け取るのはあまりにも脳天気ですが、同じくそのスタイルの「異形」を理由に、この作品から宗教的側面を捨象するような受け取り方も一面的にすぎるように思います。
 この作品は疑いもなく、フォーレその人の心の奥からわき上がった信仰告白です。その事は、フォーレの次の言葉にはっきりと刻印されています。
「私が宗教的幻想として抱いたものは、すべてレクイエムの中に込めました。それに、このレクイエムですら、徹頭徹尾、人間的な感情によって支配されているのです。つまり、それは永遠的安らぎに対する信頼感です。」

 教会がこの作品を「異教徒のレクイエム」と批判しても、おそらく神はこの音楽を嘉し給うでしょう。


  1. 入祭唱とキリエ(Introit et Kyrie)

  2. 奉献唱(Offertoire)

  3. サンクトゥス(Sanctus)

  4. ああ、イエスよ(Pie Jesu)

  5. 神の子羊(Agnus Dei)

  6. われを許したまえ(Libera me)

  7. 楽園にて(In paradisum)



密やかに、訥々とフォーレの信仰告白を聞くような思いにさせてくれる


ステレオ録音の方を取り上げたときには、何とも「申し訳ない」物言いをしてしまいましたが、私にとっては「好きになれない」演奏である事は今も変わりません。
それと比べると、この古いモノラル録音のレクイエムは雑駁で、有り体に言えば拙いアンサンブルではあるので最初はかなり気になるのですが、聞き進むうちにそう言うことは次第に気にならなくなってきます。そして、ひたむきと言っていいほどの姿勢から、カソリックの約束事にはこだわらないフォーレならではの心からの祈りがひたひたと伝わってきます。

ただし、このモノラル録音の演奏団体の実態がよく分からないのです。
いろいろ調べてみると、3種類の記述があることが分かりました。


  1. サントゥスタシュ合唱団&コロムビア管弦楽団

  2. サントゥスタシュ合唱団&管弦楽団

  3. サントゥスタシュ合唱団&サントゥスタシュ管弦楽団



つまりは、合唱団に関しては問題はないのですが、オーケストラの実態がよく分からないのです。
「コロンビア管弦楽団」というのは明らかに覆面オケですから、50年9月という録音時期を考えれば、前年に首席指揮者に就任したコンセルヴァトワールのオケと考えるのが普通でしょう。オケの名前が不詳の「管弦楽団」についても同様です。
しかし、ごく一部に「サントゥスタシュ管弦楽団」という記述も存在します。

「サントゥスタシュ管弦楽団」というのもよく分からないオケなのですが、調べてみると65年録音のエミール・マルタン指揮によるフォーレのレクイエムには「サントゥスタシュ教会聖歌隊&サントゥスタシュ管弦楽団」というクレジットがあるのです。
ただし、雰囲気としては「サントゥスタシュ合唱団&サントゥスタシュ管弦楽団」と言う記述は「サントゥスタシュ合唱団&管弦楽団」を読み違えた可能性が高いようです。

ですから、この正体不明のオケは実態としてはコンセルヴァトワールのオケが中心になっていると考えるのが妥当だと思われます。このあたりのことで、何か情報をお持ちの方がおられましたらご教示ください。

振り返ってみれば、クリュイタンスがパリ音楽院のオケをミンシュから引き継いだのは1949年のことでした。
そして、形の上では1960年にクリュイタンスは首席指揮者を退くのですが、コンセルヴァトワールのオケは新しい指揮者を招くことはなかったので両者の実質的な関係はそれ以後も続くことになります。そして、その関係が終わるのはクリュイタンスの死によるものであり、そして、それは同時にコンセルヴァトワールのオケにとっても「終わり」を意味することになったのです。

指揮者とオケが深い関係を結ぶと言うことはよくありますが、その生死まで共にしたのはクリュイタンスとパリ音楽院管弦楽団くらいのものでしょう。
しかし、その「生死」をともにしてしまったところに、この両者の関係が生み出した「美質」と「弊害」が象徴的に現れています。

「弊害」について言えば、それはオーケストラとしてのクオリティの低下です。
それガラムルー管のようなオケならば「味」の一つですむのでしょうが(失礼!<(_ _)>)、パリ音楽院のオーケストラともなればそれはフランスを代表する存在ですから、ベルリンやウィーンやアムステルダムやロンドンのオケと比較されることは避けられません。そうしてみれば、そのあまりにも雑なアンサンブルしか実現できないパリのオケは、その他の都市のオケと較べれば情けないほどに見劣りがしたのです。

そして、その責任は少なくない部分はクリュイタンスにあり、そしてそう言う指揮者との間で四半世紀以上も馴れ合うことだ惰眠をむさぼっていたオーケストラメンバーが残りの責任を分かち合うことになります。
確かに、フランスのオケというのはアンサンブルを揃えると言うことにあまり興味がないことは一つの伝統でしたが、その伝統はこの両者の関係にあっては、まさにかつてマーラーが喝破したように「怠惰の別名」でしかなかったのです。

ですから、クリュイタンスの死によって後ろ盾を失ったこのオーケストラがパリ管という別組織に再編されて、オーケストラのメンバーの大半が馘首されたのは仕方のないことでした。

しかし、そう言う「弊害」を抱えながらも、このコンビが四半世紀にもわたって少なくない人々から支持されてきたのは、他のコンビからは聞くことのできない「美質」を持っていたからでした。その「美質」を多くの人は「粋と優雅」という曖昧な言葉で表現するのですが、しかしながら、私もそれに変わる言葉は容易に見つけ出すことは出来ないので、その言葉を使うしかないのです。

「粋」と対になる言葉は「野暮」と言うことになるのでしょうが、確かにオケのメンバーがまなじりを決して指揮者の棒に食らいつき、機械のように正確なアンサンブルを実現している「図」というのは確かに「野暮」かも知れません。そして、それは「優雅」ではなくて一種の「野蛮」であるかも知れないのです。

それでは、この古い方のレクイエムがどうして好ましく響くのかというと、この録音の方がフォーレのレクイエムという音楽に相応しいこぢんまり感を維持させているからです。
もちろん、この録音に参加しているオケがコンセルヴァトワールのオケでない可能性もあるのですが、それであってもこのオケもまた良くも悪くも「フランス的」です。

それゆえに、密やかに、訥々とフォーレの信仰告白を聞くような思いにさせてくれる演奏なのです。
これと比べれば、ステレオ録音のコンセルヴァトワールのオケは無理をしてスケール感を広げようとしすぎています。特に場違いな感じがするのはフィッシャー=ディースカウの歌唱でしょうか。

そして、クリュイタンスの指揮も合唱も含めて重々しく仕上げようという意図が前面に出ていることは明らかでした。
もちろん、そう言うレクイエムを好む人もいるでしょうからその事は否定はしません。

しかし、偏見かも知れませんが、フォーレのレクイエムにはこのモノラル録音のような訥々とした地味な語り口の方が相応しく思えるのです。
そして、その演奏も教会に集った会衆の合唱のような素人臭さを感じさせる拙さがあるのですが、それもまたこの作品にとっては大きなマイナスにはならないのです。

こんな事を書くと日々レッスンに励んでいる真面目な音楽家の方々には申し訳ないのですが、こういう古い録音を聞いていると、確かに音楽を成り立たせるためには楽器を演奏するスキルが必要条件ではあるのですが、その必要とされるレベルはそれほど高くなくてもいいのではないかなどと思ってしまうのです。
それは、演奏のクオリティという必要条件は申し分のないほど高いレベルで満たしているのに、その演奏を通して何を語るかという十分条件を満たし切れていない演奏よりははるかに聞くに値するという当然のことを思い出させてくれるのです。

なお、この録音でもう一つ注目したいのはオルガンをモーリス・デュリュフレが担当していることです。録音のバランスとしてオルガンの音量がやや大きめになっているのは、そう言うビッグネームの故かと勘ぐってしまいニヤリとさせられます。


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