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バーンスタイン(Leonard Bernstein) |チャールズ・アイヴズ:交響曲第3番「キャンプ・ミーティング」
チャールズ・アイヴズ:交響曲第3番「キャンプ・ミーティング」
レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨークフィル 1965年12月15日録音 Ives:Symphony No.3 "The Camp Meeting" [1.Old Folks Gatherin' (Andante maestoso)[
Ives:Symphony No.3 "The Camp Meeting" [2.Children's Day (Allegro)]
Ives:Symphony No.3 "The Camp Meeting" [3.Communion (Largo)]
アメリカ現代音楽のパイオニア
チャールズ・アイヴズほど変わった経歴を持つ作曲家はいないでしょう。
彼は1874年にアメリカはコネティカット州のダンベリーという町に生まれました。父はその町のバンド・リーダーを務めたヨーロッパ的音楽教養を身につけた人で、息子であるアイヴズもその様な父の影響を受けて育ちました。
しかし、アイヴズは15才で町の教会オルガニストを勤めるようになるものの、結局はイェール大学に進んでビジネスの世界に身を置くようになります。彼は大学を卒業するとニューヨークの保険会社に勤め、さらには独立をしてアイヴズ保険会社を設立します。この保険会社はその後「アイヴズ&マイリック保険会社と」として発展し大成功をおさめることになります。
そして、このビジネスマンとしての忙しい日常の合間を縫って、アイヴズは何処に発表する当てもなくこつこつと音楽を書き続ける生活をおくるようになるのです。
つまりは、アイヴズの音楽は当時の音楽界とは全く切り離された状態の中で、己の独創性を頼りとしながら書き続けられたものなのです。そして、その背景には、音楽に対する実験精神に溢れていた父の教育が大きく寄与していい他と思われます。
残されたエピソードによると、アイヴズの父は自らが率いていたバンドのメンバーを町中のいろいろな場所に分散させて演奏させ、その事によって生じる新しい音響の魅力について研究していたそうです。そういう父の精神はアイヴズにも受け継がれ、彼はビジネスに忙しい生活の合間に、20世紀の音楽を先駆けるような実験的試みを次々と成し遂げていったのです。
ある評論家はその様なアイヴズの音楽に対して「ストラヴィンスキーよりも早く複調性を用い、シェーンベルグよりも早く無調性に挑み」という調子で、彼の先駆性を称賛したのです。
しかし、その様な先駆性に満ちた彼の音楽が人々の耳に始めて届いたのは1946年のことでした。
この時、アイヴズは既に70才を超えていたのですが、彼の交響曲第3番が始めて演奏されたのです。そして、この初演は大成功をおさめ、翌年にはピュリッツァー賞を獲得することでアイヴズへの評価は高まり、それがきっかけとなって彼の作品が次々と演奏されるようになり、20世紀のアメリカを代表する偉大な作曲家に名を連ねることになるのです。
ただし、彼の創作活動は1925年にバイロンの詩による歌曲「今生の別れA Farewell to Land」を作曲したことで終わりを告げ、交響曲第3番がピュリッツァー賞を獲得することで作曲家としての名声を獲得しても、再び作曲活動を復活させることはありませんでした。そのことは、賞を獲得したときに「賞は坊やたちにくれてやるものだ。俺はもう大人だ」と語った言葉にも表れています。
また、アイヴズの作品は、演奏する人のことを殆ど顧慮していないがために演奏至難、もしくは演奏不可能な部分が少なくありません。それは音楽で飯を食っていかなければいけないプロの作曲家ならばあり得ないことなのですが、会社を経営しながら好きな音楽の作曲にいそしんだアイヴズにしてみればどうでもいいことだったようです。
彼が音楽ではなくて保険業を選んだときに「不協和音のために飢えるのはまっぴらご免だ」との名言を残しています。
彼はその生涯に番号付きの交響曲を4曲、番号なしの交響曲を2曲残しています。
作曲された順番に並べると以下のようになります。
交響曲第1番 ニ短調(1896年~98年)
交響曲第2番(1897年~1901年)
交響曲第3番「キャンプ・ミーティング」(1901年~1904年)
ホリデイ・シンフォニー「ニューイングランドの祝祭日」(1904年~1913年)
交響曲第4番(1910年~1916年)
ユニヴァース・シンフォニー(未完成の遺作。亡くなる直前まで作曲を続けていたという話もあります。)
交響曲第3番「キャンプ・ミーティング」
アイヴズの交響曲の中では最も知名度の高い作品であり、マーラーが注目したことでも知られている作品です。
殆ど演奏される機会もなく無視され続けていたアイヴズの作品に始めて注目したのがマーラーであったという事実は記憶に留めておいてもいいでしょう。マーラーはニューヨークフィルの音楽監督を務めていた時期にアイヴズの音楽に注目し、ヨーロッパで演奏するためにそのスコアを鞄に詰めて持ち帰っていたのです。しかし、既に健康を害していたマーラーはその作品を演奏する機会を持たないままにこの世を去ってしまいました。
歴史に「イフ」はないのですが、もしもマーラーによる初演でこの交響曲がヨーロッパに紹介されていれば、アイヴズという人の音楽家としての人生も大きく変わっていたかもしれません。
この交響曲は、タイトルの通り、アイヴズの故郷であるダンベリーで行われたキャンプ集会の印象に基づいて作曲されたものであり、それぞれの楽章にタイトルが付けられています。
第1楽章「昔馴染みが集いOld Folks Gatherin’」
第2楽章「子供の日Children’s Day」
第3楽章「聖餐式Communion」
しかしながら、いわゆる「標題音楽」とは異なり、そういうキャンプでの出来事から受けた印象が創作のインスピレーションとなっています。
それぞれの楽章は敬虔なる清教徒であるアメリカ国民ならば、誰もが耳に馴染んだ賛美歌に基づいて書かれているので、おそらく私たちが想像する以上に耳に馴染んだ音楽だったのでしょう。
ですから、この音楽は前衛的な佇まいとも、後期ロマン派風の濃厚さとも無縁で、どちらかと言えば古き良きアメリカのイメージが古典的な佇まいで描かれていきます。
そして、こういう作風が時々顔を出すがゆえに、アメリカ前衛音楽の雄であったエリオット・カーター等からは「不完全」という烙印を押されることになるのです。しかしながら、人々はカーターの音楽を忘れていっても、アイヴズの音楽を忘れることはないのです。この厳然たる事実こそが、多くのすぐれた音楽の専門家がどれほど前衛音楽の優位性を主張し擁護しても、それが全く虚しいことであることを突きつけるのです。
アメリカ現代音楽の擁護者
バーンスタイン自身は作曲家でした。
若い頃のバーンスタインは何よりも「ウェスト・サイド・ストーリー」の作曲家として有名であり、やがてはその有名な作曲家は指揮活動もしているらしいと言うことで伝わってきたものです。だからと言うわけでもないのでしょうが、バーンスタインには「アメリカ現代音楽の擁護者」というもう一つの顔があります。
作曲家というのは辛い仕事で、どんなに頑張って音楽を仕上げても、それを実際の音として演奏してくれる人がいなければ一般の人の耳には届きません。その他理が、取りあえずは完成した作品を壁に掛けておく場所さえあれば画家とは違うところです。
さらに言えば、ピアノ一台や幾つかの楽器があれば演奏可能な室内楽作品ならばまだしも、規模の大きなオーケストラが必要とされる管弦楽作品ならばそのハードルはますます高くなります。
ですから、そういうときに有名な指揮者が擁護者としてその作品を積極的に取り上げてくれるならば、これほど有り難い話はありません。と言うか、現代音楽などというものは、そういう指揮者とペアでなければ興業として成り立つものではないのです。そして、その有名な指揮者であったバーンスタインが積極的に取り上げたのがコープランドとアイヴズだったのです。
バーンスタインにとってコープランドは自らを見いだしてくれた恩人であり、長きにわたる親友でもあったので、存在としては特別でした。
そして、アイヴズは古き良きアメリカを体現するものとしてのシンパシーがあったのでしょうか。アイヴズの交響曲第2番を初演したのはバーンスタインでしたし、ニューヨークフィルの音楽監督就任を披露する演奏会で取り上げたのもアイヴズの交響曲でした。その思いは、現在は彼の弟子であるティルソン・トーマスに受け継がれ、アイヴズへの評価は確固たるものへと変わってきています。
バーンスタインの指揮によるアイヴズ作品を聞くとき、このような古き良きアメリカを実感させてくれる演奏は他では聴けないなぁ・・・と思わざるを得ません。そして、その古き良きアメリカの伝統がトランプを選んだ今のアメリカからは滅びようとしているような気がします。
そういえば、バーンスタインはハーバード大学で行っの講義に「答えのない質問」とタイトルを付けています。鋭い人はすぐに気がつくと思うのですが、このタイトルはアイヴズの「答えのない質問」という作品の名前に由来します。
その講義で、バーンスタインは「殺戮に明け暮れた20世紀と未来においても、私たちは音楽の力を信じることができるのか?」問いかけます。そして、最後に「それは答えのない質問であり、自分にも答えがどんなものかは分かりませんが、『Yes』であることを信じたいのです。」と語りかけていました。今のアメリカをバーンスタインが見れば、それでも彼は「『Yes』であることを信じたい」と語るのでしょうか。
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