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シベリウス:交響曲第4番 イ短調 Op.63

オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1954年録音


本当に理解されているのでしょうか?

以前この作品についてこんな事を書いたことがあります。

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この作品は、シベリウス自身の指揮で1911年4月3日にヘルシンキで初演が行われています。
当時シベリウスの名声は固まっていましたから、聴衆の多くは期待をもって集まったと思われます。 しかし、実際に演奏された4番はとてつもなく晦渋な音楽であり、評論家も含めてどんなリアクションをとっていいものやら大いにとまどったそうです。
この初演時のとまどいこそが正直な反応なんだと思います。

ところが、シベリウス研究の権威であるセシル・グレイが、「最初から最後まで、余分な音符は一つとしてない」とのたまい、第7番と並ぶ最高傑作という御宣託もあって評価が固まったという経過があります。
へそ曲がりな私などは、「それなら、4番以外の交響曲のどの部分が余分な音符なのか教えてくれよ」と言いたくなるのですが、権威好きの日本人はそれ以後4番こそがシベリウスの最高傑作と言うことになりました。

でも、シベリウスが大好きな人でも、本音は4番が嫌いな人が多いですね。
証拠になるかどうかは分かりませんが、コンサートのプログラムで一番多く取り上げられるのは2番と1番でしょう。おそらく4番は一番少ないはずです。

でも、セシル・グレイ大先生はこう言っているんですね。
「この作品は官能的に訴えるものが全然ないから、通俗曲にはならないであろうが、(・・・だから、コンサートではめったに取り上げられないんですね・・・)少数の人々にとっては、シベリウスの最も偉大な作品となるであろう。(・・・くすぐる言葉ですね。馬鹿には分からないと言うことですが、下手すりゃ「裸の王様」?・・・)

彼はおそらくこれ以上のものを書かなかった。(・・・そんなことは本人が判断することだろう、それともあんたはシベリウスより偉いのか!・・・)」・・・ちなみに、(・・・ ・・・)内は私のつっこみ(^^;
まあここまで言われたら、へなちょこ評論家は恐れ入ってしまうでしょうね。

私について言えば、どの演奏を聞いても好きになったことは一度もありませんでした。ちなみに、シベリウスは大好きです。しかし、4番だけはどうしても駄目でした。
そんな私が初めて面白く4番を聞かせてくれたのは、ケーゲルの演奏です。しかし、聞き終わってから、これはシベリウスの音楽ではなくて、ケーゲルの音楽だなと気づかされました。ケーゲルという人は時に、強引に音楽をねじ曲げて自分の方に引っ張ってくるという力技を発揮しますが、このシベ4もその典型みたいな演奏でした。
そして、そういう演奏で初めて面白く聞けたと言うことに、私とこの曲の相性がよく現れています。

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昔は世間の目など気にせずずいぶん好き勝手に書いていたものだと我ながら驚きます。

しかし、一点だけ思いが変わっているのはケーゲルの演奏に対する評価です。もしかしたら、この作品を本当に理解し共感していたのはケーゲルだけだったのかもしれません。
この作品ほど幸福感から縁遠い音楽はそんなに存在しないでしょう。特に、この作品が生み出された時代?二つの世界大戦も核兵器の脅威も経験していない時代だったことを考えれば皆無だったかもしれません。そして、その深い絶望感がその様な社会的背景をもったものとしてではなく、全くの個人的な経験から発したものとして考えるならば、今も希有な存在であることは事実です。

おそらく、ケーゲルのシベ7というのは日常的に聞くような音楽でないことは確かです。一切の幸福感から切り離された、深い絶望と虚無を個人的体験として共有したのはこの二人だけだったのかもしれません。
ただし、この深い虚無感をシベリウスは乗り越えて再び此岸に帰ってきたのですが、ケーゲルは彼岸へと旅だっていきました。
その事が、彼の演奏をより悲劇的なものにしていることが、「強引に音楽をねじ曲げて自分の方に引っ張ってくるという力技」と感じた理由かもしれません。


豊かさと美しさに貫かれたシベリス

オーマンディに対する評価が低い原因の一つは吉田大明神の御託宣が影響しているかもしれません。曰く、セルが録音したエロイカと比較されて、そこに文化のクリエーターとキーパーの違いが如実に表れている・・・と、切って捨てられたのです。
この国のクラシック音楽界における大明神の神通力たるや絶大なものがありますから、この一言は大きな影響力を与えたものと思われます。

しかし、その反面、オーマンディとシベリウスの結びつきに関しては多くの逸話が残っていて、シベリウス自身もオーマンディとフィラデルフィア管による演奏には満足の意を表していたと伝えられています。そして、シベリウスの神通力は世界標準で言えば大明神を凌ぎますから、このシベリウス推薦というブランドはシベリウス存命中は大きなブランド力となったことは事実でしょう。
しかしながら、そのシベリウスもこの世を去ると同時にブランド力が低下しましたから、それと平行して「シベリス推薦」のブランド力も低下せざるを得ませんでした。そこへ、この国では大明神による文化の保守者にしか過ぎないというご託宣があったのですから、たまったものではありません。
さらに言えば、このコンビは4度も来日しているのですが、どういう訳か評論家筋の評価はよくなかったのです。今でも、「音が大きいのだけには驚いた」と皮肉まじりに語られたりしています。

ただ、そう言う辛口の評論家達もこの世を去り、大明神もまた大明神に相応しい世界へと去って逝かれました。
もうぼちぼち、あれこれの言葉に惑わされることなく、虚心坦懐にオーマンディの音楽に耳を傾けてもいい時代かもしれません。

そして、そうやって彼の音楽に耳を傾ければ、彼が求めた音楽の方向性は一点の揺るぎもなく確立していたことに気づかされます。
確かに、長きにわたってこの国でクラシック音楽と言えば、それはドイツ・オーストリア系の価値観に塗り込められたものでした。その中で、誰もが仰ぎ見る存在の象徴がフルトヴェングラーであり、そのベクトルが価値判断の重要な基準となっていたことは事実です。
そして、そんな物差しをオーマンディにあてはめれば、それこそ中味の何もない浅はか極まる音楽としか聞こえなかったことは確かです。

しかし、オーマンディの録音を虚心に聞いてみれば、彼はそんなドイツ・オーストリア系の価値観などは求めていなかったことはすぐに分かるはずです。そこにあるのは、ホロヴィッツがピアノで、そしてハイフェッツがヴァイオリンで求めようとしたものと全く同じ世界であることは容易に聞き取れたはずです。

ホロヴィッツの演奏を「猫ほどの知性もない」と貶して、彼の指は常にユートピアであり続けました。
ハイフェッツの演奏を「奴は13才の頃から少しも進歩していない」と嫌みを言おうが、その音のサーカスは批判のすべtを沈黙させました。

そして、オーマンディが求めたものも明らかにオケによるユートピアであり、ハイフェッツにも匹敵するような音のサーカスであったことは明らかです。

確かに、彼のシベリウスには「ヒンヤリ感」はありません。普通に演奏すれば、シベリウスの音楽というのは響きが薄くなってどこかヒンヤリするものです。
しかし、そのヒンヤリ感はシベリスにとってはそれほどお気に召したものではなかったのかもしれません。
彼は、オーマンディ&フィラデルフィア管が実現してくれたような豊かな響きこそが、本当は望みだったのかもしれません。そう思ってみると、シベリウス推薦のブランドは外向的な社交辞令ではなくて意外と本音だったのかもしれません。

おそらく、これほどオケが豊かに鳴り響き、メロディラインを美しく描き出した演奏はカラヤン盤と双璧かもしれません。しかし、晩年のカラヤン盤にはレガートカラヤンのドーピングが効きすぎていて好きになれない部分があります。それと比べれば、このオーマンディ&フィラデルフィア管の豊かな響きには人間的な暖かみがあります。
とりわけ、シベリウス最後の交響曲となった第7番がこれほど豊かに、そして美しく鳴り響くのを聞いたことはありませんでした。
4番と5番も録音が少し古くてモノラルなのですが、そのどちらもが同じような豊かさと美しさに貫かれています。もしかしたら、これこそがシベリウスが求めた響きだったのかもしれません。

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