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モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466

(P)マリア・ユーディナ:セルゲイ・ゴルチャコフ指揮 モスクワ放送交響楽団 1948年録音

Mozart:Piano Concerto No.20 in D minor, K.466 [1.Allegro]

Mozart:Piano Concerto No.20 in D minor, K.466 [2.Romance]

Mozart:Piano Concerto No.20 in D minor, K.466 [3.Allegro assai]


こににも一つの断層が口を開けています。

この前作である第19番のコンチェルトと比べると、この両者の間には「断層」とよぶしかないほどの距離を感じます。ところがこの両者は、創作時期においてわずか2ヶ月ほどしか隔たっていません。

 モーツァルトにとってピアノ協奏曲は貴重な商売道具でした。
 特にザルツブルグの大司教との確執からウィーンに飛び出してからは、お金持ちを相手にした「予約演奏会」は貴重な財源でした。当時の音楽会は何よりも個人の名人芸を楽しむものでしたから、オペラのアリアやピアノコンチェルトこそが花形であり、かつての神童モーツァルトのピアノ演奏は最大の売り物でした。
 
1781年にザルツブルグを飛び出したモーツァルトはピアノ教師として生計を維持しながら、続く82年から演奏家として活発な演奏会をこなしていきます。そして演奏会のたびに目玉となる新曲のコンチェルトを作曲しました。
 それが、ケッヘル番号で言うと、K413?K459に至る9曲のコンチェルトです。それらは、当時の聴衆の好みを反映したもので、明るく、口当たりのよい作品ですが、今日では「深みに欠ける」と評されるものです。

 ところが、このK466のニ短調のコンチェルトは、そういう一連の作品とは全く様相を異にしています。
 弦のシンコペーションにのって低声部が重々しく歌い出すオープニングは、まさにあの暗鬱なオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の世界を連想させます。そこには愛想の良い微笑みも、口当たりのよいメロディもありません。
 それは、ピアノ協奏曲というジャンルが、ピアノニストの名人芸を披露するだけの「なぐさみ」ものから、作曲家の全人格を表現する「芸術作品」へと飛躍した瞬間でした。

 それ以後にモーツァルトが生み出さしたコンチェルトは、どれもが素晴らしい第1楽章と、歌心に満ちあふれた第2楽章を持つ作品ばかりであり、その流れはベートーベンへと受け継がれて、それ以後のコンサートプログラムの中核をなすジャンルとして確立されていきます。

 しかし、モーツァルトはあまりにも時代を飛び越えすぎたようで、その様な作品を当時の聴衆は受け入れることができなかったようです。このような「重すぎる」ピアノコンチェルトは奇異な音楽としかうつらず、予約演奏会の聴衆は激減し、1788年には、ヴァン・シュヴィーテン男爵ただ一人が予約に応じてくれるという凋落ぶりでした。
 早く生まれすぎたものの悲劇がここにも顔を覗かせています。


昼も夜も神に祈りを捧げてまいる所存です

いやはや、強烈なモーツァルトです。
まさに「鉄の女」という異名に恥じない「豪快なモーツァルト」です。ただし、モーツァルトに「豪快」という形容詞が褒め言葉になるかと言えば首をかしげざるを得ませんから、これは評価が分かれることは間違いありません。

それにしても、例えばパリで母親を失ったモーツァルトの絶望感が刻み込まれているというK.310のイ短調ソナタ(8番)の冒頭の凄まじさ!!
さらに言えば、まるでソ連の戦車軍団が驀進していくかのようなK.331のトルコ行進曲!!
さらにさらに付け加えれば、スターリンの求めに応じて録音したと伝えられているK.488のイ長調のコンチェルト(23番)の深い祈り。

どれもこれもが異形という言葉をこえるほどの音楽が展開されています。それと比べると、同じような時期に録音されたニ短調のコンチェルト(20番)やK.457のハ短調ソナタ(14番)はまだしも常識の枠の中には収まっています。
ただし、その「異形」には、受けを狙った外連味とは全く無縁の、強い「確信」に貫かれています。

特に、ユーディナはソ連の独裁者であったスターリンのお気に入りのピアニストとして有名でした。しかし、そのお気に入りは彼女のお追従によってもたらされたものでないことは明らかです。
それどころか、何故にスターリンが彼女を愛したのかが不思議なほどの「反体積的」な女性でした。

とりわけ有名なのは、スターリンの求めに応じて録音したと伝えられているイ長調コンチェルトにまつわるエピソードです。
スターリンはその録音をいたく気に入ったようで、ユーディナに対して破格のギャランティ(2万ルーブルだったと伝えられています)をはずみました。ところが、そのギャラを彼女は修道院の修理費用として全額寄付してしまうのです。これだけでも当時のソ連においては十分に「犯罪的」だと思うのですが、さらにその高額なギャラに対するお礼として次のような内容の手紙をスターリンに送ったのです。

「ヨシフ・ヴィッサリオノヴィッチ、あなたの支援に大変感謝いたします。私はこれから、国民や国に対するあなたの罪を神が許してくれるよう、昼も夜も神に祈りを捧げてまいる所存です。慈悲深い神はきっと許してくださることでしょう。いただいた2万ルーブルは、私が通っております教会の改修工事のために遣わせていただきます」

しかし、不思議なことにスターリンはこの手紙を無視したようで、いかなる処罰も受けなかったようです。
ただし、このような言動は彼女にとっては日常茶飯事であり、彼女が勤めていたいくつかの音楽院の教授職も「自由に過ぎる言動」を理由として3度も首になっていますし、演奏禁止処分などは数え切れないほどだったようです。それでも、彼女は親しい友人を招いては内輪の演奏会を続けました。

彼女にとって、常に精神的なものはいかなる物質的富よりも価値のあるものでした。そして、その精神的なものにおいてもっとも価値のあるのはまずは信仰であり、次いで音楽だったのでしょう。
その意味では、彼女の演奏には、その様な宗教的確信に貫かれた彼女ならではの解釈が貫かれています。そして、そのような強い確信がなければ、このような異形な演奏などはできなかったことでしょう。何しろ、あのリヒテルが彼女のことを尊敬はするが「好きではなかった」と語っていて、その理由の一つとして「作曲家に対して忠実ではなかった」と批判しているのです。

しかし、彼女の音楽で本当に素晴らしいのは、リリー・クラウスでさえ足元にも及ばないような強靱なタッチによる音楽の造形ではなくて、緩徐楽章における深い祈りです。、

それは、スターリンを感動させたイ長調コンチェルトの中間楽章でも明らかです。
おそらく、彼女が手紙にしたためた言葉は一編の嫌みもない真実の言葉だったのでしょう。スターリンが「国民や国に対して大きな罪を犯している」というのも真実でしょうし、そう言うスターリンに対して「神が許してくれるよう、昼も夜も神に祈りを捧げてまいる所存です。」というのも真実なのでしょう。
この中間楽章には、その様なユーディナの偽りのない祈りが聞き取れます。

同じ事が、あの悲劇的なイ短調ソナタの第2楽章からも聞き取ることができます。あの劇的な第1楽章を受けて、ほんの少しの慰めを見いだしたような中間楽章もすぐに深い翳りと憂愁の思いに満たされていくとき、そこにもユーディナの祈りが聞こえてきます。そして、いつも同じ事を繰り返すことになるのですが、そう言う演奏とは二度と巡り会えなくなった時代の流れを恨めしく思うのです。

最後に、録音のことについて少し付け加えておきます。
ソ連における古い録音と言うことで、音質面では懸念も多かったのですが、実際に聞いてみると、SP盤時代の美質が上手く収められています。
低域で言えば250Hzあたりから、高域で言えば6KHzあたりから特性がストンと落ちていますが、中域部の一番美味しい部分が実に上手くすくい取られています。ですから、それなりに配慮を持って再生すればユーディナの強靱さと祈りを聞き取る上で何の不満もありません。
ただ、不思議なのは50年代の半ば頃から60年代に入っての録音が逆にさえないのです。

このあたりも、もしかしたらスターリンの死が影を落としているのかもしれません。
それにしても、彼はどうしてこんなに厄介なピアニストを愛したのでしょうか。

彼がユーディナに求めたイ長調コンチェルトのレコードはスターリンの死後に彼の執務室から見つかったと伝えられています。それこそ、贈り物などは掃いて捨てるほどあったであろうスターリンにとって、その一枚のレコードはこの上もなく貴重なものであったことだけは事実なのです。
独裁者というのは常に不思議な存在です。

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