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ハイドン:交響曲第88番 ト長調 Hob.I:88 「V字」

ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1961年3月4日&8日録音

Haydn:Symphony No.88 in G major Hob.I:88 "V" [1.Adagio - Allegro]

Haydn:Symphony No.88 in G major Hob.I:88 "V" [2.Largo]

Haydn:Symphony No.88 in G major Hob.I:88 "V" [3. Menuetto. Allegretto - Trio]

Haydn:Symphony No.88 in G major Hob.I:88 "V" [4. Finale. Allegro con spirito]


フィナーレをどうするか?

交響曲と言えばクラシック音楽における王道です。お金を儲けようとすればオペラなんでしょうが、後世に名を残そうと思えば交響曲で評価されないといけません。ところが、この交響曲というのは最初からそんなにも凄いスタンスを持って生まれてきたのではありません。もとはオペラの序曲から発展したものとも言われますが、いろんな紆余曲折を経てハイドンやモーツァルトによって基本的には以下のような構成をもったジャンルとして定着していきます。

* 第1楽章 - ソナタ形式
* 第2楽章 - 緩徐楽章〔変奏曲または複合三部形式〕
* 第3楽章 - メヌエット
* 第4楽章 - ソナタ形式またはロンド形式

いわゆる4楽章構成です。
しかし、ハイドンやモーツァルトの時代には舞曲形式の第3楽章で終わってしまうものが少なくありません。さらに、4楽章構成であってもフィナーレは4分の3とか8分の6の舞曲風の音楽になっていることも多いようです。
もう少し俯瞰してハイドンやモーツァルト以降の作曲家を眺めてみると、みんな最終楽章の扱いに困っているように見えます。それは、交響曲というジャンルに重みが加わるにつれて、その重みを受け止めて納得した形で音楽を終わらせるのがだんだん難しくなって行くように見えるのです。
その意味で、ベートーベンのエロイカはそう言う難しさを初めて意識した作品だったのではないか気づかされます。前の3楽章の重みを受け止めるためにはあの巨大な変奏曲形式しかなかっただろう納得させられます。そして、5番では楽器を増量して圧倒的な響きで締めくくりますし、9番ではついに合唱まで動員してしまったのは、解決をつけることの難しさを自ら吐露してしまったようなものです。
そう言えば、チャイコの5番はそのフィナーレを効果に次ぐ効果だとブラームスから酷評されましたし、マーラーの5番もそのフィナーレが妻のアルマから酷評されたことは有名な話です。さらに、あのブルックナーでさえ、例えば7番のフィナーレの弱さは誰しもが残念に思うでしょうし、8番のあのファンファーレで始まるフィナーレの開始は実に無理をして力みかえっているブルックナーの姿が浮かび上がってきます。そして、未完で終わった9番も本当に時間が足りなかっただけなのか?と言う疑問も浮かび上がってきます。いかにブルックナーといえども、前半のあの3楽章を受けて万人を納得させるだけのフィナーレが書けたのだろうとかという疑問も残ります。

つまり、ことほど左様に交響曲をきれいに締めくくるというのは難しいのですが、その難しさゆえに交響曲はクラシック音楽の王道となったのだとも言えます。そして、交響曲は4楽章構成というこの「基本」にハイドンが到達したのはどうやらこの88番あたりらしいのです。
というのも、ハイドンはこの時期に4分の2で軽快なフィナーレをもった作品を集中的に書いているのです。常に新しい実験的な試みを繰り返してきたハイドンにとって一つのテーマに対するこの集中はとても珍しいことです。
ああ、それにしてもこの何という洗練!!そういえば、この作品を指揮しているときがもっとも幸せだと語った指揮者がいました。しかし、この洗練はハイドンだけのものであり、これに続く人は同じやり方で交響曲を締めくくることは出来なくなりました。その事は、モーツァルトも同様であり、例えばジュピターのあの巨大なフーガの後ろにハイドンという陰を見ないわけにはいかないのです。


粋が分かる指揮者

ワルターとハイドンの組み合わせは相性がいい。それは、彼が戦前にウィーンフィルと録音した100番「軍隊」の録音を聞くだけで納得がいくはずです。
ハイドンという人は、人格破綻者の群れとも言うべき作曲家のなかでは異例とも言うべきほどの「いい人」でした。そして、ワルターもまた一筋縄ではいかない奇人・変人の群れとも言うべき指揮者のなかでは、これまた異例とも言うべき温和な人格者と見なされていました。
ただし、そんな「いい人」の音楽だから「人格者」が指揮して「いい音楽」になるほどこの世界は甘くはありません。

ハイドンの音楽は普通にスコアを音に変換しただけではちっとも面白くありません。
大切なことは、そのスコアに仕込まれた「職人ハイドン」の意図を自分なりに読み込んで、そこに一つの世界を表現しないといけません。ですから、「原典尊重」が己の無能の隠れ蓑になっているような指揮者が棒を振ると、ホントに悲惨なことになってしまいます。
また、指揮者がそれなりに意図を持って棒を振っても、それに応えるオケに必要な機能が備わっていないと、これまた悲惨なことになってしまいます。ですから、ハイドンのシンフォニーはオケの性能テストなどと言われるのです。

ですから、ハイドンを熱心に取り上げてきた指揮者というのは、それぞれの持ち味がはっきりしていました。

ハイドンがスコアに仕込んだ職人の技をひたすら精緻に再現することに執念を燃やしたのがセルでした。
ハイドンが築き上げた交響曲という仕様が持っている構築の世界をひたすら追求したのがクレンペラーでした。
そして、ハイドンが生涯失うことのなかったユーモアとエスプリを見事に表現してみたのがビーチャムでした。

シェルヘンはセルと同じ指向だったのでしょうが、明らかに力及ばず、バーンスタインも結構熱心にハイドンを取り上げているのですが、何をしたかったのかがイマイチはっきりしません。
カラヤンはハイドンの中に潜んでいるメロディラインの美しさだけに興味があったようで、それに共感できる人ならば楽しめる音楽作りです。

さて、そんな中にワルターのハイドンをおいてみると、さて彼の立ち位置は何処にあるんだろうか、と考え込んでしまいます。
50年代の未だ現役の指揮者だったときに録音した96番「奇蹟」や102番では、オケに対してコントロールしようという意図ははっきりと感じ取れます。モノラルではあるのですが録音状態がいいので、引き締まったニューヨークフィルの響きから現役指揮者の気迫が伝わってきます。
それでも、セルの精緻さやクレンペラーの構築への執念と較べると、そこまでの強烈なコントロールとは異なります。
しかし、そこまでの指揮者による強固な意志は感じ取れなくても、そこには確かにハイドンの音楽が持っている「趣味の良さ」みたいなものがはっきりと聞き取れます。

困るのは61年に録音された88番「V字」と100番「軍隊」の録音です。
オケは臨時編成のコロンビア交響楽団で、ワルターは音楽の大きな流れだけを示しているだけで、オケをコントロールしようという素振りは全く感じられません。しかし、それでも、そこで鳴り響いている音楽はスコアを音に変換しただけの「無能の隠れ蓑としての原典尊重」とは明らかに異なります。

どうやら、同じ交響曲と言っても、ハイドンやモーツァルトの交響曲とベートーベン以降の交響曲とでは、全く別物のようです。と言うか、ベートーベンという男はそういう風に交響曲を変えてしまったのです。
そして、ベートーベン以降の音楽家は、ベートーベンが変えてしまった価値観でハイドンやモーツァルトを見るというおかしな事になってしまっているのかもしれません。

しかし、こんな事を書くと穿ちすぎと言われるかもしれませんが、もしかしたらワルターの血のなかにはベートーベン以前の18世紀的な価値観が生き残っていたのかもしれません。
ベートーベンはモーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ 」を不道徳なオペラと断じて最後まで認めることができなかったそうです。彼は最後まで18世紀のハプスブルグ帝国に息づいていた「粋」を理解することはできず、それを19世紀的な「野暮」でぶった切って見せたのでした。
そう考えると、クレンペラーのハイドンは18世紀的な「粋」を19世紀的な「野暮」でぶった切った演奏であり、セルのハイドンは19世紀的な怜悧で捌いた演奏だったのかもしれません。

ワルターがハイドンの音楽を大きな方向を示すだけでハイドンたり得たのは、彼のなかに18世紀的な「粋」が未だに息づいていたからなのでしょう。
そして、ちょっとしたお遊びですが、この時代の巨匠を「粋」と「野暮」で二分すると意外と面白いかもしれません。そうすると、トスカニーニ、フルトヴェングラー、クレンペラーと野暮のオンパレードです。

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