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カザルス|ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
ジョージ・セル指揮 チェコ・フィルハーモニー Vc.パブロ・カザルス 1937年録音
Dvorak:チェロ協奏曲「第1楽章」
Dvorak:チェロ協奏曲「第2楽章」
Dvorak:チェロ協奏曲「第3楽章」
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チェロ協奏曲の最高傑作であることは間違いありません。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
特徴
この協奏曲は、アメリカ時代の終わり、チェコへの帰国直前に書かれた作品で、ボヘミアの音楽と黒人霊歌やアメリカン・インディアンの音楽を見事に融和させた作品として名高い(これについて、芥川也寸志は「史上類をみない混血美人」という言葉を贈っている(『音楽を愛する人に』1971年)。
この作品の主題が原住民インディオや南部の黒人の歌謡から採られたという俗説があるが、これについては作曲者自身が友人のオスカール・ネダブルに宛てて1900年に書いた手紙の中で明快に否定しており、その後の研究でもそのような歌謡は見つかっていない。こうした誤解は、この作品がいかに親しみやすい旋律に満ちているかを物語る証左であるが、それと同時に独奏チェロの技巧性を際だたせる場面にも富んでいる。また、低音の金管楽器を巧みに用いることで、シンフォニックで、かつ柔らかな充実した響きをもたらすことにも成功している。コンチェルトには異例な程オーケストラが活躍する曲であり、特に木管楽器のソロは素晴らしい。さらには、主題操作の妙や確かな構成と、協奏曲に求められる大衆性と芸術性を高度に融合させた傑作である。
この作品を知ったブラームスは「人の手がこのような協奏曲を書きうることに、なぜ気づかなかったのだろう。気づいていれば、とっくに自分が書いただろうに」と嘆息したと伝えられる。
作曲の経緯
1894年11月から翌1895年2月にかけて作曲された。きっかけは同郷のチェロ奏者、ハヌシュ・ヴィハンからの依頼である。作曲が一度完了後、第3楽章に大幅に手が入れられている。この修正は後述するドヴォルザークの個人的事情によるものだった。
1895年8月にドヴォルザークのピアノ伴奏で試弾したヴィハンは、ソロパートが難しすぎるとの感想を述べ修正を提案したがドヴォルザークは納得せず、カデンツァを入れようと言う提案には激怒。ついには世界初演をヴィハンではなくレオ・スターンに任せるといった一幕もあった。
初演
1896年3月19日、ロンドンのフィルハーモニー協会。独奏は先に述べたようにレオ・スターン、作曲者自身の指揮によるロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏。
依頼者のヴィハンはチェコでの初演を担当し、この曲を献呈されている。
楽器編成
独奏チェロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン3、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、トライアングル、弦楽五部
楽章構成
Allegro
Adagio ma non troppo
Allegro moderato
演奏時間は全曲で約40〜45分
楽曲の内容
第1楽章は、ロ短調で比較的厳密なソナタ形式に則った楽章。曲の冒頭でクラリネットがつぶやくように奏でる主題が第1主題である。第2主題はホルンが演奏するニ長調の慰めに満ちた主題。オーケストラがこれらの主題を提示し、確保した後、独奏チェロが第1主題を奏で、その動機をカデンツァ風に発展させながら登場する。速い動きの経過句を経て第2主題を独奏チェロが奏で、提示部コーダから展開部へと移る。再現部は、オーケストラが第2主題を演奏して始まり、独奏チェロがこれを繰り返す。ついで提示部のコーダ、第1主題の順に再現される。最後はロ長調によるトゥッティによる短いコーダで力強く終わる。
第2楽章はト長調、三部形式。ドヴォルザークのメロディーメーカーとしての天賦の才能がいかんなく発揮された、抒情性に満ちた旋律を堪能できる緩徐楽章。のどかな主題が最初木管楽器で提示され、これを独奏チェロが引き継ぐ。木管と独奏チェロが掛け合いで進行するうち徐々に他の弦楽器も加わり発展させてゆく。中間部はオーケストラの強奏で表情を変えて始まるが、すぐに独奏チェロがほの暗い主題を歌い上げる。この主題はドヴォルザーク自身の歌曲「一人にして」op.82-1 (B.157-1)によるものである。やがて第1主題が、ホルンに再現され、第3部に入る。独奏チェロがカデンツァ風に主題を変奏し、最後は短いコーダで静かに終わる。
第3楽章はロ短調のロンド形式。ボヘミアの民俗舞曲風のリズム上で黒人霊歌風の旋律が奏でられるドヴォルザークならではの音楽である。ロンド主題の断片をオーケストラの楽器が受け渡しながら始まり、やがて独奏チェロが完全なロンド主題を演奏する。まどろむような第1副主題、民謡風の第2副主題といずれも美しい主題がロンドの形式に則って登場する。終わり近くで、第1楽章の第1主題が回想されると急激に速さを増して全曲を閉じる。
逸話
ドヴォルザークがこの曲で自身の歌曲を引用したのには理由があった。ニューヨークで作曲中に、夫人の姉であるヨセフィーナ・カウニッツ伯爵夫人(彼が若き日に想いを寄せた人でもある)が重病であると言う知らせを聞いたドヴォルザークは、彼女が好んでいた自作の「一人にして」を引用した。
1895年の4月にドヴォルザークは家族と共にプラハへと帰国。その1ヵ月後、彼女は亡くなった。第3楽章のコーダは、このときに第1楽章の回想と再び歌曲の旋律が現れるものに書き換えられている。この60小節は修正前は4小節しかなかった。
研究家達によれば、習作のチェロ協奏曲を書いていた時期と、彼女への想いを募らせていた時期がほぼ一致していることから、これらは当時の彼女への想いを振り返り、その後も親しくしていた彼女への感謝が込められていると考えられている。ヴィハンの修正などの提案にドヴォルザークが気分を害した(ヴィハンに「1つも音を変えてはならない」と念押しする書簡まで書いている)のも、彼にしか分からない気持ちがこめられていたからであった。
若き日のセル 〜 カザルスとの共演
若き日のセルといえば、この録音を見逃すことはできません。あまりにも有名な作品なのでここでわざわざ紹介する必要もないと思ったのですが、それはセルに入れ込んでいる人間の判断であって、一般の人にとってはこんなに古い録音のCDはあまり買ってみようという気はあまりおこらないでしょうから、それはそれで十分意味があるのではないかと思いアップすることにしました。
それに60年以上も前の録音ですが、十二分に鑑賞に堪える音質です。
録音は1937年4月、場所はプラハです。
こういうヒストリカルな録音はその音質ゆえにユング君は基本的に避けていたのですが、著作権の関係からHPでアップするには50年以上前のものでないと駄目なので、最近仕方なしに聞くようになりました。(オイオイ!)
このセルとカザルスの録音も有名な録音なのですが、正直言ってあまりまじめに聞いたことはありませんでした。f(^^;;
でも今回このページを書くにあたってあらためて聞きなしてみてその素晴らしさに驚嘆しました。
音の方も今お聞きいただいているようにそんなに悪くはありません。もちろんダイナミックレンジがせまくて、オケの全強奏時には詰まってしまっているのは気にはなりますが、それ以外はとても60年以上も前の録音とは思えません。
カザルスのチェロも実にクリアな音でおさめられています。
そして何よりもそこから流れてくる「音楽」の素晴らしさ!
この曲はチェロだけがどんなに頑張っても駄目です。オケがシンフォニーを演奏するぐらいの気構えでしっかり自己主張しないとこの作品の良さはスポイルされてしまいます。とりあえず合わせておく、なんてスタンスは言語道断の作品です。
ここでは若きセルがカザルスのチェロに負けないほどしっかりとオケを鳴らしきり、歌いきっています。
そしてカザルスも実に素晴らしいチェロを聞かせてくれています。
確かにテクニックという点では、今のハイテク時代の優秀なチェリストと比べればたどたどしいという感じさえします。しかしそこから紡ぎ出される音楽の野太さみたいなものは、今の時代が失ってしまったものです。
セルは後年、ベルリンフィルとフルニエのコンビでもう一度この作品を録音しています。海賊盤ではロストロポーヴィッチをソリストにむかえて手兵のクリーブランドと入れた録音もあります。
どれがベストかと言われれば迷うところですが、叙情性という点ではフルニエ盤、音楽の構えの大きさではカザルス盤と言うことでしょうか。
ただ唯一残念なのは、クリーブランドとの間で正規盤を残してくれなかったことですが、新世紀早々無い物ねだりをしても仕方がありません。海賊盤で我慢するとしましょうか。
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- 最高、これぞ歴史的名演(ξ^∇^ξ) ホホホホホホホホホ>>>9~10
215 Rating: 7.4/10 (236 votes cast)
よせられたコメント
2010-02-23:カンソウ人
- オーケストラの出だしから、録音が良いのがまずびっくりしました。
録音機器がどうのとかは関係無い、マイクの置き場所の問題でしょうか。
カザルスのソロが素晴らしい。
技巧の冴えも、遺憾なく・遠慮なく発揮されている。
情熱的というか、感情の豊かさに、曲が呼応します。
音楽が、独奏者がイニシャティヴを取る形で進むのは、どうしようもないですね。
1937年の時点で、カザルスは大巨匠ですから、しかも彼を嫌いな音楽家はいないでしょう。
彼の周りの演奏者が、一回り上手になったような感じがするのは、人徳でしょうかね。
能力は高くて尊敬はされても、愛されない人は、この世には多いのですが…。(笑)
音楽家も、そうでしょうね。
ターリッヒが仕込んでいたチェコフィルは、音色が個性的ですね。
色彩感が独特ですね。
ロシア的な音色とはちがう「原色的」です。
金管楽器のバランスでしょうかね?
ドイツの音とは、全く違う感じです。
民族の音なのでしょう。
アンチェルやノイマンの頃までは、感じた音色ですが、今はどうでしょうかね。
残っていますかね。
コバケン・チェコフィルでそうだったっけ?
邦人作品を演奏する場合、我が国のオーケストラは独特の、淡い音色を出しますよね。
中学生の頃、チェコフィル来日の折、ノイマンとスターンでのベートーベンのV協奏曲。
この演奏を聞きながら、あの演奏が思い出されてしまいました。
壮年期の独奏者のエネルギッシュな感じとチェコフィルの音色でしょうか。
歳を取ると、オーディオで音楽を聞くと、復古趣味になるのはなぜでしょうかね。
とにかく、印象的な演奏です。
2013-06-03:Hide
- これぞカザルスですね。チェロの第一主題を聴いただけで分かります。力の篭ったボーイングとやや行きすぎと思えるテンポルバート、そして歌心あふれる演奏は見事なものです。歴史的名演奏として永遠に残るのでしょう。セルはこの演奏に自信があったようで仲の良いフォイアマンにポータブルレコーダで二日に分けて聴かせています。フォイアマンは妹への手紙で感想を書いています。「カザルスは驚く程素晴らしい。美しいなど超えて羨ましくなるほどの美しさだ。明日、続きが聴けるのが待ち遠しい。私にも同じ演奏は出来るがカザルスは実に良く磨き上げている。私のようにいいかげんではない(フォイアマンは9年前の26歳の時、若さ溢れる超絶技巧の録音を残しています)。」大演奏家が聴けば如何に努力して楽曲を分析し練習を重ねて録音に臨んだかが分かるのだと思います。その力に引かれてセルも実力以上のものを発揮できた演奏です。
P.S.モロー著Emmanuel Feuermannより抜粋。