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アダン:バレエ音楽「ジゼル」

カラヤン指揮 ウィーンフィル1961年9月5~22日録音


Adam:Giselle_Act1 Introductio

Adam:Giselle_Act1 Les Vendangeurs

Adam:Giselle_Act1 Entree du Prince

Adam:Giselle_Act1 Loys seul et entree de Giselle

Adam:Giselle_Act1 Retour des Vendangeurs

Adam:Giselle_Act1 Pas de deux

Adam:Giselle_Act1 La Chasse

Adam:Giselle_Act1 Marche des Vendangeurs

Adam:Giselle_Act1 Variation de Giselle

Adam:Giselle_Act1 Galop general

Adam:Giselle_Act1 Final

Adam:Giselle_Act2 Apparition et scene de Myrthe

Adam:Giselle_Act2 Apparition de Giselle

Adam:Giselle_Act2 Entree de Loys

Adam:Giselle_Act2 Scene de Wilis

Adam:Giselle_Act2 Grand pas de deux

Adam:Giselle_Act2 Variation de Loys

Adam:Giselle_Act2 Variation de Giselle

Adam:Giselle_Act2 Final


踊り子たちの幽霊伝説

「ジゼル」は今もバレエ界にとってはなくてはならぬドル箱の作品です。しかし、たとえば、チャイコフスキーの3大バレエのように「音楽」として聞くだけでも十分満足できる作品と比べるとかなり密度の薄いものとなっています。
さらに、この作品はアダム自身のオリジナルに数々の改訂が付け加えられて、初演時の原形をとどめないほどに改変されているようです。しかし、バレエにおける主役は踊りなのですから、その振り付けにあわせて音楽が変更されるのは常識みたいなものだったようです。さらに言えば、原典尊重なんてことが言われるのは20世紀も後半になってからのことですから、19世紀中葉に作曲されたこの作品が度重なる改訂で訳の分からないことになってしまったのは仕方のないことだったといえます。

この作品の下敷きになっているのは、「ヴィリス」という名で知られている踊り子たちの幽霊伝説で、ハイネが紹介したことで有名になりました。

婚約はしていたのに、様々な理由で結婚前に死んだかわいそうな乙女たちが「ヴィリス」という妖精となり、真夜中になると墓から抜け出しては通りかかった男性を捕らえて死ぬまで踊らせるという伝説です。そして、この「ヴィリス」は「比類なく美しい女性の姿をしており、一度その姿を見たものは、人間の女性では満足できなくなる」らしいのです。
ハイネは「ぞっとするような明るい声で笑い、冒涜的なまでに愛くるしい。」と紹介しています。

ですから、アダムが書いた「ジゼル」はこの伝説を下敷きにしていますが、そこにいくつかのアレンジが施されています。たとえば、身分を隠した貴族アルブレヒトと村娘ジゼル、そしてジゼルに密かに心を寄せる村の青年ヒラリオンの三角関係を持ち込む事でお話にふくらみを持たせ、、さらには妖精「ヴィリス」にも妖艶さよりは慎ましやかさと秘めやかさをプラスしています。結果的にはこのアレンジは成功していると思います。

大まかなあらすじ
<第1幕>
魅力的な村娘ジゼルに身分を隠した貴族アルブレヒトが言い寄ります。このアルブレヒトの行為がただの戯れだったのか本気だったのかは台本を読む限りでははっきりしません。しかし、そのことをどのように解釈するかによって作品の雰囲気は大きく変わります。
真意がどこにあったのははっきりしませんが、やがて二人は心を通わせるようになります。
しかし、それを面白く思わなかったのは村の青年ヒラリオンです。彼はひそかにジゼルを愛していたのですから当然と言えば当然のことです。

彼はロイスと名乗る恋敵の正体を探りにかかり、ついにロイスがアルブレヒトという貴族であり、さらには大公の令嬢であるバティルドという婚約者がいることを突き止めます。そして、その事実をジゼルとアルブレヒトの前で突きつけます。
追いつめられたアルブレヒトはついに婚約者バティルドの手にキスをすることでその事実を認めます。そして、その事実に錯乱したジゼルは母の腕の中で息絶えます。
こんな事くらいで死ぬのかと突っ込みが入ったときのために、ジゼルは笑顔は明るいが「心臓が弱い」という設定になっています。(~~v

<第2幕>
場面はにぎやかな村の広場から一転して森の沼のほとりの墓場にかわります。
ここは結婚前に死んだかわいそうな乙女たちが「ヴィリス」という妖精となり、真夜中になると墓から抜け出してはが集まる場所・・・という設定になっています。そして、ジゼルもまたそう言う妖精の一員としてヴィリスの女王ミルタによって仲間に迎え入れられられます。

そこへ、やってきたのがジゼルを結果として死に追いやることになったヒラリオンです。
彼は、自らの行為を悔いてジゼルの墓に許しを請いにやってきたのですが、鬼火に追い立てられてヴィリスたちが集まる森の中に迷い込んでしまったのです。

ヴィリスは夜中に迷い込んできた人間や裏切った男を決して許すことはなく、死ぬまで踊らせます。
やがて、ヴィリスに追い立てられたヒラリオンは力尽きて許しを請うのですが、ヴィリスの女王ミルダが彼を許すことはなく冷たく死の沼に突き落としてしまいます。

一方、ジゼルを失ったアルブレヒトもジゼルの墓を訪れるのですが、何故か彼の方は亡霊となったジゼルと再会します。そして、ヒラリオンを死に追いやったミルダは次にアルブレヒトも捕らえて死ぬまで踊らせようとするのですが、最後の最後でジゼルがミルタにアルブレヒトの命乞いをします。
この対応の違いに、個人的にはヒラリオンがあまりにも哀れだと思うのですが、この時間稼ぎのおかげでやがて朝の鐘が鳴り朝日が射しはじめます。朝日を浴びると、さすがのヴィリスたちも墓に戻っていきアルブレヒトの命は助かります。
そして、ラストのシーンでは、ジゼルは朝の光を浴びながらアルブレヒトに永遠の別れをつげて消えていきます。



カラヤンという音楽家が持っている美質が最も自然に表現されている「優れもの」

過去にこんな事を書いたので、新しくパブリックドメインとなったカラヤンのデッカ録音を追加します。
この横へ横へと気持ちよく旋律線が流れていく音楽作りをどう受け取るかによって評価は随分かわってくるでしょうね。それから、ウィーンフィルの響きの美しさをうまくすくい取ったデッカ録音をどこまで楽しめるか、も大きなポイントかと思います。
私は、とんでもない状況で録音されたらしい「ジゼル」でさえ、ウィーンフィルの美音をフルに活用してそれなりに聞かせてしまうカラヤンの手腕には感心させられました。

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ウィーンフィルとコンビを組んだ一連のデッカ録音は今ではすっかり影が薄くなってしまいました。しかし、彼が1959年にまとめて録音した3つの音楽(ベトーベンの7番、ハイドンのロンドン交響曲、そしてモーツァルトのト短調交響曲)をこうして聴き直してみると、「意外といいね」というレベルではなく、もしかしたらカラヤンという音楽家が持っている美質が最も自然に表現されている「優れもの」ではないかと思うようになりました。
カラヤンという人は、例えばクレンペラーのように、もしくはヴァントのように、煉瓦を一つずつ丹念に積み上げていって巨大な構築物を作り上げるような音楽家ではありません。そうではなくて、横への流れを重視し、明確な意志を持ってクッキリとメロディラインを描き出すことに重きを置いた音楽家でした。
そして、この国の通のクラシック音楽ファンはどういう訳か、、前者のようなスタンスは後者のスタンスにに対して優位性を持ったものとしてきました。
口の悪い私の友人などは、「カラヤンの音楽って何を聞いても映画音楽みたい」と宣っていたものでした。

しかし、そう言う理解の仕方には大きな間違いがあることに私も最近になって気づくようになりました。

確かにカラヤンの音楽は気持ちよく横へ横へと流れていきます。その意味では、耳あたりのいい映画音楽のように聞こえるのかもしれません。
しかし、聞く耳をしっかり持っていれば、メロディラインが横へ横へと気持ちよく流れていっても、そこで鳴り響くオケの音は決して映画音楽のように薄っぺらいものでないことは容易に聞き取れるはずです。映画音楽が一般的に薄っぺらく聞こえるのは、耳に届きやすい主旋律はしっかり書き込んでいても、それを本当に魅力ある響きへと変えていく内声部がおざなりにしか書かれていないことが原因です。
そして、例え響きを魅力あるものに変える内声部がしっかりと書き込まれていても、主旋律にしか耳がいかない凡庸な指揮者の棒だと、それもまた薄っぺらい音楽になってしまうことも周知の事実です。

当然の事ですが、カラヤンはそのような凡庸な音楽家ではありません。
カラヤンの耳は全ての声部に対してコントロールを怠りませんし、それらの声部を極めてバランスよく配置していく能力には驚かされます。そして、彼の真骨頂は、強靱な集中力でそのような絶妙なバランスを保ちながら、確固とした意志でぐいぐいと旋律線を描き出していく「強さ」を持っていることです。
それは、例えてみれば、極めてコントロールしにくいレーシングカーで複雑な曲線路を勇気を持って鮮やかに走り抜けるようなものかもしれません。彼は、目の前の曲線路の中に己が走り抜けるべきラインをしっかりと設定すると、そのラインに躊躇うことなく突っ込んでいきます。カーブの入り口で様子を見ながら少しずつハンドルを切るというような、凡庸な指揮者がやるよう不細工なことは決してしないのです。

ベートーベンの7番の第2楽章などは、そう言うカラヤンの美質が良く出た音楽ですし、ハイドンのロンドン交響曲も、こんなにもメロディラインが美しい音楽だったのか!と驚かされます。
モーツァルトト短調シンフォニーも本当に流麗な作りですが、ただし、その流麗さが過ぎて鼻につく人もいるかもしれません。(それって、あんたのことでしょう^^;)

そして、もう一つ特筆すべき事は、このウィーンフィルとの録音ではそのようなカラヤンの美質が極めて自然な形で実現していることです。おそらく、カラヤンが目指そうとした音楽の形とウィーンフィルの本能が上手くマッチングしているのでしょう。ここには、後のカラヤン美学全開のベルリンフィルとの音楽のような「人工臭」が全くありません。
もちろん、カラヤンの強烈な個性とそれを現実のものにするベルリンフィルの高度の合奏能力、とりわけ弦楽器群の優れた響きによって実現された響きは、20世紀のオーケストラ美学の一つの到達点であったことは否定しません。しかし、その磨き抜かれた響きのあまりの完成度の高さゆえに、そして横への流れがあまりにも重視されすぎることでリズム感が希薄になる部分もあったりして、結果として作り物めいた違和感を感じる場面があったことも否定できません。
それと比べると、このウィーンフィルとの録音は、カラヤンらしい美しさは堪能できるし、その美しさには一切の作り物めいた不自然さは感じられません。ですから、カラヤンという音楽家が持っている美質が最も自然に表現されている「優れもの」と感じたのです。

これはもう、残りのデッカ録音も全てアップしないといけませんね。

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