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ジュリーニ(Carlo Maria Giulini)|ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68
ジュリーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1961年1月16日&17日録音
Brahms:交響曲第1番 ハ短調 作品68 「第1楽章」
Brahms:交響曲第1番 ハ短調 作品68 「第2楽章」
Brahms:交響曲第1番 ハ短調 作品68 「第3楽章」
Brahms:交響曲第1番 ハ短調 作品68 「第4楽章」
ベートーヴェンの影を乗り越えて
ブラームスにとって交響曲を作曲するということは、ベートーヴェンの影を乗り越えることを意味していました。それだけに、この第1番の完成までには大変な時間を要しています。
彼がこの作品に着手してから完成までに要した20年の歳月は、言葉を変えればベートーヴェンの影がいかに大きかったかを示しています。そうして完成したこの第1交響曲は、古典的なたたずまいをみせながら、その内容においては疑いもなく新しい時代の音楽となっています。
この交響曲は、初演のときから第4楽章のテーマが、ベートーヴェンの第9と似通っていることが指摘されていました。それに対して、ブラームスは、「そんなことは、聞けば豚でも分かる!」と言って、きわめて不機嫌だったようです。
確かにこの作品には色濃くベートーヴェンの姿が影を落としています。最終楽章の音楽の流れなんかも第9とそっくりです。姿・形も古典派の交響曲によく似ています。
しかし、ここに聞ける音楽は疑いもなくロマン派の音楽そのものです。
彼がここで問題にしているのは一人の人間です。人類や神のような大きな問題ではなく、個人に属するレベルでの人間の問題です。
音楽はもはや神をたたるものでなく、人類の偉大さをたたえるものでもなく、一人の人間を見つめるものへと変化していった時代の交響曲です。
しかし、この作品好き嫌いが多いようですね。
嫌いだと言う人は、この異常に気合の入った、力みかえったような音楽が鬱陶しく感じるようです。
好きだと言う人は、この同じ音楽に、青春と言うものがもつ、ある種思いつめたような緊張感に魅力を感じるようです。
ユング君は、若いときは大好きでした。
そして、もはや若いとはいえなくなった昨今は、正直言って少し鬱陶しく感じてきています。(^^;;
かつて、吉田秀和氏が、力みかえった青春の澱のようなものを感じると書いていて、大変な反発を感じたものですが、最近はこの言葉に幾ばくかの共感を感じます。
それだけ年をとったということでしょうか。
なんだか、リトマス試験紙みたいな音楽です。
音楽とは腰を据えて、じっくりネッチリと歌うべきものなり
正直に告白しましょう。
この録音を聞いて私は腰が砕けそうになってしまいました。
ジュリーニのブラームスと言えば、真っ先に思い浮かぶのがウィーンフィルによる全集(1989年?91年録音)です。
ジュリーニの最晩年と言えばチェリビダッケもビックリのスローテンポが特徴でした。そして、そんなスローテンポな録音の中でもとびきりの超絶スローテンポだったのがウィーンフィルによるブラームス全集でした。
ある人はそのテンポのことを「微速前進」と評したらしいのですが、いやはや何とも表現しがたいほどのネッチリ、ムッチリのブラームスでした。
しかしながら、こういう遅いテンポ設定は運動機能の低下という老化に起因することが多くて、若い頃の録音を聞いてみると驚くほどに颯爽とした演奏をしていることが多いのが一般的です。
それはチェリ然り、クレンペラーも然りです。
ですから、50代を少しまわったくらいのジュリーニによるブラームスならば、さぞや颯爽とした演奏を披露してくれているだろうと高をくくっていたのです。そして、シルバーシート優先の愚かさを笑ってやろう・・・などという不真面目なことも考えていました。
ところが、現実はそう言う思惑をはるかに超えていて、結果として冒頭の音が出た瞬間に腰が砕けてしまったという次第なのです。
何なんだ!この遅いテンポは・・・!!
80を超えた年寄りがこんなテンポ設定をするなら「同情」もし、「理解」もできますが、働き盛りの50代でこのテンポは「変態」です。(「変態」はさすがに言い過ぎかな^^;)しかも、その遅いテンポでもって、クレンペラーのような巨大な構築物を作るのではなくて、ネッチリと「歌う」んです。
ネット上の意見なんぞを散見してみると、それを「重厚なカンタービレ」と評する向きもあるのですが、まあ、私は腰が砕けました。(^^;
そして、歌うために、どうしてこの遅いテンポ設定が必要だったのかが、最後までよく分かりませんでした。もっと、適切なテンポで(何ともいい加減で曖昧な言い方で申し訳ないのですが)、颯爽と歌い上げれば随分と素敵な音楽になったろうに・・・と、思ってしまいます。
でも、50代にして、ジュリーニはこのテンポを選んだのです。
と言うことは、こういう粘液質的な音楽がジュリーニの性に合っていたと言うことなのでしょう。
ただし、最初はいささか面食らったのですが、聞き進んでいるうちに、次第にそのテンポ設定に始めほどの違和感を感じなくなってきました。最初の腰砕けは根拠のない思いこみとの落差の大きさに起因するもので、そう言う予断を持たずに聞いたならば、それほど「変態」的な演奏ではないのかもしれません。
確かに、晩年のウィーンフィルとの録音と比べれば、いくらかは速めのテンポ設定であることは事実です。
とは言え、50代でこのテンポはないだろうとは思います。しかし、そう思いつつも、それがジュリーニという人の本質だったのならば、それはそれとして受け入れるしかないのでしょう。
「音楽とは腰を据えて、じっくりネッチリと歌うべきものなり!!」なんでしょうかね。
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よせられたコメント
2013-07-11:emanon
- まったりとした癒し系のブラームス。それだけで希少価値が有る。若い頃から気負いのまったくない演奏をするジュリーニという男はただものではない。
2013-07-11:セル好き
- この曲は割と旋律の掛け合い的な演奏が多いようですが、ここで聴かれるのはブラームスが20年かかって丹念に積み上げた和声的な響きであり、ジュリーニはそれに敬意を表してか、管弦楽によるコラールのような仕上がりを求めて、丁寧に縦の線を最後まで破綻無く演奏した結果遅めになったのかも。
こういう演奏も、ミュンシュ/パリ管の熱い演奏もブラームスの本質に迫っているのかも。
2013-07-21:ブラームスがお好き♪
- そんなに遅いですかねぇ・・・・第3楽章の冒頭は確かにに遅いと感じましたが、
ベーム・Voの名演と差して違わない印象を持ちました。
というよりジュリーにもこういう覇気のある演奏があったのだなぁ、と再認識される演奏でした。
2013-07-23:ハンミチャン
- ジュリーニの話というと、すぐにテンポ!テンポ!テンポ!の連呼になります。しかし今日のクラシック音楽においてテンポの設定も指揮者の裁量権の範ちゅうに入っている以上、そのこと自体を云々することは無意味だと思います。またユング氏の「加齢による衰えから来るスローテンポ」はいささか強引な説ではないでしょうか。加齢とともにテンポアップしたトスカニーニや若くても超スローな上岡敏之などの存在は上記の公式に当てはまりません。また当のジュリーニ自身、晩年のシューマンのピアノ協奏曲では、それこそ「適切なテンポ?」で演奏しています。つまり晩年でも「やればできる」のであり、あくまでも指揮者の選択の問題ですから、そこに何らかの意味なりを込めていると考えるべきです。その上で感想などをのべていただきたいものです。ユング氏の「ネッチリスローテンポアレルギー」ぷりにビックリしました(セル信奉者ではさもありなんと思いますが)が、それこそがジュリーニの真骨頂であり、ここを否定されるとただの「青白きインテリな演奏」になってしまい、それこそ「腰が砕ける」こととなるでしょう。ジュリーニの演奏に見られるナイーブさを「弱さ」と断じてしまうと、ジュリーニの演奏は「気持ち悪い変態演奏」としか聴くことが出来なくなるかもしれません。
例えばある男の子が好きな女の子に告白したいがなかなか出来ない「勇気を出して告白しろ」と背中を押しても「あのね、でもね、あのね、でもね・・・・・・・」ともじもじするばかりでいっこうに告白出来ない。当人は非常な不安と苦しみの中にいるのだが、第三者から見れば「どうしたいの?」となってしまう。つまりここで男の子のナイーブな気持ちに寄り添っているのがジュリーニのスタイルなのであり、この男の子の矛盾した行動を分析し適切なアドヴァイスをしてしまうような人はもはやジュリーニの描く世界を「気持ち悪いもの」としか捉えられないのかもしれないと思いました。
ユング氏に「変態」とまで断じられたジュリーニですから、今後登場の機会は残念ながら少ないと思いますが、それでも1961年にフィルハーモニア管弦楽団とのコンビでのドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」は一聴の価値があるものと思います。
2013-11-09:金李朴
- 聞き慣れたブラームスの交響曲第1番とは、かなり異なった雰囲気の演奏です。何と言うか「まったり系」ですね。一瞬、ブラームスの1番ではなくて2番を聞いているような錯覚に陥りました。
私にとって、ジュリーニは割と好感度の高い指揮者です。あの上品に整った風貌も好印象です。特に彼のブルックナー(交響曲第7、第8、第9番)やマーラー(交響曲第9番)をしばしば聞いています。しかしながら、ブラームスの1番はジュリーニの芸風に合っていないのでしょうか。正直、繰り返し聞く気にはなれません。この曲には、少し勇み足が出るくらいの、若々しくエネルギッシュな演奏を所望します。
2013-11-15:オスカル
- ジュリーニはオーケストラとの相性の良し悪しが極端に感じられます(私は彼とCSOとの演奏はあまり好きではありません)。
晩年のVPOとのブラームス全集は、VPOの音色だからこそあのテンポが良い方に働いたのであって、他のオーケストラでは所謂ユルフンな演奏になってしまっていたのではないかと思います。
VPOとの演奏から聴かれる音色は、艷やかな高音とそれを支える中低音、そして意外なほどに強打されるティンパニがブレンドされることによって非常に充実したものとなっています。
好き嫌いは別として、これこそはジュリーニとVPOのコンビでなければできない演奏だと感じました。
ユングさんが仰られていたように、ジュリーニの指揮の特徴はレガートとテヌートの多用によって音楽を横に流していくところにあります。そして彼の演奏は各楽器の鳴らし方が非常に繊細です。そうするといかにも女々しい演奏になってしまいそうに思われますが、しかし彼はビブラートをあまり多用せずトランペットを高い音で強奏させないため、音楽が多湿化し嘆き節と化すぎりぎり手前で踏みとどまっているように思われます。たとえばVPOとのブラームスの4番の冒頭は、あのテンポ設定からは意外なほどに直線的な弦の響きで始まります。
曲に感情移入をして闘争や葛藤などの意志的なものに没頭するものも音楽であれば、ゆったりと音に浸り、野の花を慈しむように、ふと出会った美しい旋律を愛おしむようなものも音楽の一つのかたちなのではないかと思います(ジュリーニ自身の言葉を借りれば『高邁な怠惰』ということになるのでしょうか)。
とはいえ音楽の好き嫌いは感性に頼る部分が多いでしょうし、一聴して肌に合わないと感じたものは、世評や評論家の言葉に左右され無理をしてまで好きになる必要はないかと思います。
私にとってはエッシェンバッハのブラームスがそうでした。オーケストラの響きが薄すぎるように感じたのです(彼とNDRのシューマンは大好きです)。
2015-07-17:gohanda
- 1975年の春にNHKホールでベームとウィーン・フィルの組み合わせで、そして秋に東京文化会館でジュリーニとウィーン・シンフォニカとでこの曲を聴きました。アンコールは共に「美しく青きドナウ」、それはそれはとにかく色っぽいと言うか艶っぽいウィンナーワルツで、文化会館満場の聴衆の拍手喝采に笑顔で答えるジュリーニの端整な顔立ちを今も想い出します。あの頃最高と言われたベーム+ウィーンフィルとは一味違う、こんな演奏もあるんだ!と驚きました。どこのオケを振ろうとジュリーにの造る音楽は首尾一貫して艶っぽいですね!フィルハーモニアとの録音を興味深い解説と共に楽しませてもらい有難うございます。
2021-03-08:たつほこ
- セビリアの理髪師序曲から、ブラームスの交響曲2番、3番、1番と聴きました。
抒情的というか、オーケストラに歌わせていて、なかなか良いじゃないですか。
昔、シカゴ交響楽団とのシューベルトやマーラーの9番のレコードを聴いた時、茶色系の色合いが目に浮かぶような演奏だったと記憶しています。
今回、ブラームスを聴いて色は思い浮かびませんでしたが、よく歌うブラームスだなと思いました。
トスカニーニのSP盤のブラ1も、このブラームスも、どちらも良いと思わせるのですから、ブラームスは偉いですね。
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