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フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwangler)|R.シュトラウス 交響詩「ドンファン」 作品20
R.シュトラウス 交響詩「ドンファン」 作品20
フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1954年3月2&3日録音
R.Strauss:交響詩「ドン・ファン」 作品20
シュトラウスの交響詩第1作
交響詩の歴史を振り返ってみると、ベルリオーズに源を発し、それをリストが引き継いで、リヒャルト・シュトラウスが完成させたといっていいでしょう。そんな、完成者シュトラウスの交響詩第1作となったのがこの「ドン・ファン」です。もっとも、作品そのものとしてはすでに「マクベス」が完成していたのですが、ビューローの忠告で改訂することとなったために、この「ドン・ファン」が最初の完成作品となったわけです。
ドン・ファン伝説はスペインで生まれたものですが、その後ヨーロッパ全体に広がっていき、ついにはあのモーツァルトでさえオペラの題材として取り上げるまでになります。もちろん、音楽の分野だけでなく、詩や戯曲にも幅広く取り上げられていくようになります。
言うまでもなく、ドン・ファンとは好色な貴族として描かれ、それは17世紀のスペイン宮廷の色と欲に満ちた権力者たちへの痛烈な皮肉・風刺として生み出されたものでした。
しかし、そのドン・ファン伝説は時代とともに次第に変容していきます。特に、19世紀に入って、ドイツの詩人レーナウが描いた「ドン・ファン」は、求めても求め得ない至高の女性を追い求める理想主義的な人物として描かれるようになります。ですから、レーナウの描くドン・ファンはモーツァルトのオペラのように地獄に落ちるのではなく、「薪は尽きたり。炉辺は暗く寒くなれり」と呟いて、一人寂しくこの世を去っていくことになります。
シュトラウスがその物語に共感して音楽化を思い立ったドン・ファンは好色な貴族としてのドン・ファンではなく、レーナウが描く寂しい理想主義者としてのドン・ファンでした。ですから、モーツァルトのように華々しい「地獄落ち」でクライマックス!!・・・と言うことはなく、静かに消え入るように音楽は閉じられます。
専門家の言によると、シュトラウスの交響詩は「客観化」の時代から「主観化」の時代、そして最後に「普遍化」の時を過ぎて、次の「オペラ」の時代へと遷移していくそうです。何だか、よく分からない話ですが、要は、交響詩を作り始めた初期の時代は、作品と私生活の間にはあまり関連性がないと言うことです。
確かに、「死と変容」にしても、彼は死の危険を感じるような重病を経験したわけでもありませんし、この「ドン・ファン」にしても理想の女性を追い求めて破滅的な人生に陥る危険に遭遇したわけでもありません。
一説によると、この作品には、将来彼の妻となるパウリーネとの関係が投影していると言われますが、二人はこの後目出度くゴールインして終生幸福な結婚生活をおくるようになるのですから、あまり深読みは禁物かもしれません。
個人的には、後の自己顕示欲の塊みたいな「英雄の生涯」なんかを書くようになるシュトラウスよりは、音楽のドラマとしてスマートに、そして客観的に描ききった初期作品の方が好みです。
いつもとは少しばかり異なった顔が見られる
フルトヴェングラーは、その残された言葉や文章を見る限り、いわゆる「標題音楽」というものを評価していなかったことは明らかです。例えば、彼は、標題音楽というものはフラワーアレンジメントみたいなものだと語っています。中には趣味のよい組み合わせもあるが本質的には見た目がきれいなものを適当に並べたり組み合わせたりしただけのものだと言うのです。
ですから、レッグからの強い要望でリストの「前奏曲」を録音したときも、それは全く気乗りのしないお仕事だったようです。
そして、そのような評価は、リストの一連の交響詩だけでなく、その完成形とも言うべきリヒャルト.シュトラウスの交響詩においても同様でした。もちろん、フルトヴェングラーは管弦楽法の名人としてのシュトラウスの才能は高く評価していましたし、その名人芸によって生み出される響きの素晴らしさは認めていました。しかし、そのような部分的な素晴らしさは認めていても、作品そのものを「偉大」なものだとは認めていなかったようです。
そのあたりの微妙な雰囲気を、彼は「遊び半分の名人芸」と表現しています。
彼は覚え書きの中でシュトラウスの遊び心は大真面目な子どもの遊び心ではなく、それは基本的には無責任な大人の遊び心であり、そのために彼は音楽を心を込めて真剣に語っていないと述べています。
つまり、彼はシュトラウスの素晴らしい名人芸は認めながらも、それが「真に偉大なもの」に奉仕するために発揮されていないというのです。もちろん今の時代ならば、シュトラウスが生きた時代にベートーベンのような人類愛の理想を脳天気に歌い上げることが可能だったのか?と言う「突っ込み」は入るでしょう。しかし、骨の髄までの古典主義者だったフルトヴェングラーにとってはそのような「突っ込み」自体がナンセンスでした。
ですから、彼がシュトラウスの作品を取り上げるときは、ベートーベンの作品を取り上げるときのような真剣で大真面目な態度は捨てて、その名人芸のひけらかしに徹しているように聞こえます。そして、おそらくはそのようなスタンスのためだと思うのですが、彼が取り上げたシュトラウスの作品は「ドン・ファン」「死と変容」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」の3作品に集中しています。言うまでもなく、これらの作品は古今の西洋音楽における管弦楽法の頂点をなすものです。
そう言う意味では、「20世紀の指揮芸術の頂点に君臨した男」としてのフルトヴェングラーとは、また異なった側面に出会える録音だとも言えます。ここでは、彼は古典派の音楽を取り上げるときとは全く異なったアプローチで音楽を作り上げています。
その最大の特徴は、響きの細部を精緻に表現しようとしていることでしょう。彼が得意とする、音楽全体が今まさに生まれだそうとしているかのような有機的な構造は背景に押しやられ、逆に瞬間瞬間の響きのテクスチャを精緻にあぶり出して楽しんでいるように聞こえます。
しかしながら、その響きは、数々のハイテクオケの響きになじんだ現代の耳からすれば、あまりにも厚ぼったくて内部の見通しもそれほど良好だとは言えません。そう言う意味では、カラヤン&ベルリンフィルのような組み合わせを押しのけてまでも選びたいとは思わない人も多いでしょう。
ただし、そうは言っても、やはり指揮棒を振っていると全体を構築する本能が顔を出すようです。例えばティルなどでは、細部の響きだけでなく結局はその荒っぽいアウトロー的な性格が誰よりも見事に描き出されてしまっていて、やっぱりフルヴェンはフルヴェンだと苦笑してしまいます。「死と変容」なども、次第次第に音楽うねりだして、気がつけばトリスタン的な世界が顔をのぞかせたりして、これもまた苦笑してしまいます。
と言うわけで、フルトヴェングラーの業績の中では「傍流」に位置するものでしょうが、いつもとは少しばかり異なった顔が見られると言うことで、それなりに興味深い録音だとは言えそうです。
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