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グルダ(Fredrich Gulda) |ベートーベン:ピアノ・ソナタ第4番 変ホ長調 Op.7
ベートーベン:ピアノ・ソナタ第4番 変ホ長調 Op.7
(P)フリードリヒ・グルダ 1953年10月15日~16日録音
Beethoven: Piano Sonata No.4 In E Flat, Op.7 [1. Allegro molto e con brio]
Beethoven: Piano Sonata No.4 In E Flat, Op.7 [2. Largo, con gran espressione]
Beethoven: Piano Sonata No.4 In E Flat, Op.7 [3. Allegro]
Beethoven: Piano Sonata No.4 In E Flat, Op.7 [4. Rondo (Poco allegretto e grazioso)]
愛する女 "Die Verliebte"
若きベートーベンの意気込みがつたわってくるような作品です。作品2の3つのピアノソナタと比べると明らかに規模の大きな作品であり、内容的にも深みを増しています。
何しろ、32曲あるすべてのソナタの中でも最も長く、さらにはもっとも難しい作品の一つになっているのです。
特に、非常に速く演奏することが要求される第1楽章(Allegro molto e con brio)には、その様な困難さが集中しています。ローゼン先生はその具体例として長い跳躍、レガートのオクターブ、きわめて速い分散オクターブ、そして異なる声部が強調されなければならないトレモロなどをあげています。
さらに、第2楽章の「Largo con gran espressione」は、響きの面でも情緒の面でもより充実したものとなっています。
ベートーベンの初期のピアノソナタは聞かれることの少ない作品ですが、聞いていて一番面白いのは緩徐楽章です。順を追って、これら一連の初期ソナタを聞いていくと、その美しい緩徐楽章がより美しく、深みをましていく様子が手に取るように分かります。
そして、この第4番の「Largo con gran espressione」を聞くと、作品2のソナタより一段と響きは充実して深い情緒をたたえていることが分かります。
この深い情緒は賛美歌的な歌と、オペラのレチタティーボ的な歌という矛盾する二つの要素を巧みに組み合わせたことからもたらされていて、その効果を十全に発揮するためにはきわめて表情豊かな演奏が要求されます。
ピアニストにとっては、技術的困難を乗り越えた第1楽章の後に、このような緩徐楽章が待ち受けていて、こぼれ落ちるような歌心を発揮しなければいけないのです。
それは明らかに、指がまわるだけではどうしようもない、もう一つの異なる難しさです。
シューベルトはこの楽章から深い感銘を受けたと伝えられているのですが、さもありなんと言う感じです。
これに続く第3楽章はメヌエットともスケルツォとも記されていません。
作品2のソナタではスケルツォと記していたのですが、それはすでに述べたように基本的にはメヌエットの3部形式から離れるものではありませんでした。
当然の事ながら、その事はベートーベンも十分に理解していたでしょうから、このソナタでも曲想がどちらともつかないために、ベートーベン自身もあえて明記しなかったものと思われます。
最終楽章のロンド形式はモーツァルトのソナタにとって定番のようなフィナーレなのですが、ベートーベンもこの時期においてはその定番に従っています。
しかし、中間部では明確に「歌う」事が要求されていて、明るく親しみやすいモーツァルト的なフィナーレから少しずつ離れようとしていることも伺えます。
なお、「愛する女」というのは、このソナタの発表当時につけられたニックネームみたいなもので、全体に漂う優雅な雰囲気からその様な呼び方をされたのでしょう。
最近はその規模大きさから「Grand Sonata」と呼ばれることもあるようです。
見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェン
ブレンデルのソナタ全集を紹介したときにグルダの全集に関しても少しばかりふれました。
一般的にグルダによるベートーベンのピアノ・ソナタ全集は1967年に集中的に録音されたAmadeoでのステレオ録音と、1954年から1958年にかけてモノラル・ステレオ混在で録音されたのDecca録音の二つが知られていました。しかし、最近になってその存在が知られるようになったのがここで紹介しているた1953年から1954年にかけてウィーンのラジオ局によってスタジオ収録された全曲録音です。
この録音は、きちんとセッションを組んで以下のような順番で全曲が録音されたようです。
1953年10月8&9日録音:1番~3番
1953年10月15&16日録音:4番~7番&19番~20番
1953年10月22日録音:8番~10番
1953年10月26日録音:11番
1953年10月29日録音:12番~13番&15番
1953年11月1日録音:14番
1953年11月6日録音:16番~18番&21番
1953年11月13日録音:22番&24番~25番
1953年11月20日録音:23番&27番
1953年11月26日録音:30番~31番
1953年11月27日録音:26番&32番
1954年1月11日録音:28番~29番
グルダは年代順にベートーベンのピアノ・ソナタを全曲録音するという構想を立てていて、それを実際に行ったのは1953年のことでした。その年に、グルダはなんとオーストリアの6都市でベートーベンのピアノ・ソナタ全曲演奏会を行うことになるのですが、おそらくはその集大成として1953年10月8日から1954年1月11日にかけて、セッション録音を行ったのでしょう。
しかしながら、その全曲録音が終了した1954年からグルダはDeccaで同じような全曲録音を開始するのです。
この1953年から1954年にかけて録音を行ったウィーンのラジオ局は、当時は依然としてソ連の管理下にあったこともあってか、結局は一度も陽の目を見ることもなく「幻の録音」となってしまったようなのです。
それでは、その「幻の録音」が何故に今頃になって陽の目を見たのかと言えば、録音から50年が経過しても未発表だったのでパブリック・ドメインとなったためでしょう。そう考えてみると、著作権というのは創作者の権利を守るとともに、一定の期間を過ぎたものはパブリック・ドメインとして多くの人に共有されるようにすることには大きな意味があるといえるのです。
さて、私事ながら、ベートーベンのピアノ・ソナタ全曲の「刷り込み」はグルダのAMADEOでのステレオ録音でした。つまりは、全曲をまとめて聴いたのがその録音だったのです。
理由は簡単です。その当時、AMADEOレーベルから発売されていたこの全集が一番安かったからです。(それでも1万円ぐらいしたでしょうか。昔はホントにCDは高かった)
ただ、買ってみて少しがっかりしたことも正直に申し上げておかなければなりません。なぜなら、その当時の私の再生装置では、なぜかピアノの響きが「丸く」なってしまって、それがどうしても我慢できなかったからです。
その後、CDプレーヤーは捨ててファイル再生に(PCオーディオ)へと移行していく中で、意外としゃっきりと鳴っていることに気づかされて、そのおかげでグルダの演奏の凄さが少しは分かるようになっていったものでした。音楽家への評価と再生装置の問題は意外と深刻な問題をはらんでいるのです。
当時のHMVのキャッチコピーを見ると「録音から既に長い年月が経過していますが、その間にリリースされた全集のどれと較べても、全体のムラのない完成度や、バランスの見事さ、響きの美しさといった点で、いまだに優れた内容を誇り得る全集だと言えるでしょう。」と書いています。
CDプレーヤーでお皿を回しているときは、この「バランスの見事さ、響きの美しさ」と言う評価には全く同意できなかったです。ただし、今のシステムならば十分に納得のいくものとなっています。
そして、それとほぼ同じ事がこの若き日の録音にもいえるのです。
1953年から1954年と言えば、バックハウスやケンプが現役バリバリで活躍していた時代でした。彼らのようなドイツの巨匠によるベートーベンは、シュナーベルやフィッシャーなどから引き継がれてきたドイツ的なベートーベン像でした・・・おそらく・・・。
そして、それ故に彼らのソナタ全集は多くの聞き手から好意的に受け入れられ、その結果としてメジャーレーベルから華々しく発売されることになったのです。
そう言う巨匠達の演奏と較べれば、このグルダのベートーベンは全く異なった時代を象徴するような演奏でした。
もしもバックハウスの演奏が「絶対的」なものならば、このグルダの演奏は明らかに異質な世界観のもとに成り立っています。
全体としてみれば早めのテンポで仕上げられていて、シャープと言っていいほどに鋭敏なリズム感覚で全体が造形されています。そして、ここぞと言うところでのたたみ込むような迫力は効果満点です。この、「ここぞ!」というとところでのたたき込み方は67年のAMADEOでのステレオ録音よりもこの50年代のモノラル録音の方が顕著です。
つまりは、それだけ覇気にあふれていると言うことなのでしょう。
ですから、バックハウスのようなベートーベンを絶対視する人から見れば、この演奏を「軽い」と感じる人もいることは否定しません。
たとえば、グルダの演奏を「音楽の深さや重さを教えているものではなく、極めて口当たりの良い軽い音で、しかも気軽に聞けるように作り直している」と評価している人もいたほどでした。それは、67年の録音に対してのものでしたから、それとほぼ同じスタンスで演奏した50年代の初頭の録音ならば(それは結局は陽の目を見なかったのですが)、大部分の人がそのような「否定的」な感想を持ったのだろうと思います。
しかし、ベートーベンはいつまでもバックハウスやケンプを模倣していないと悟れば、このグルダの録音は全く新しいベートーベン像を呈示していることに気づかされます。
つまり、シュナーベルから引き継がれてきたドイツ的(何とも曖昧な言葉ですが・・・^^;)なベートーベン像だけが絶対的な「真実」ではないと悟れば、このグルダが提供するベートーベン像の新しさは逆に大きな魅力として感じ取れるはずです。何故ならば、重く暑苦しい演奏は数あれど、ここまで見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェンはこれが初めてかもしれないのです。
そう言う意味で、録音から50年が経過して、著作権の軛から解放されてこの演奏が陽の目をみることが出来たことは喜ばなければなりません。
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