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ブラームス:クラリネットソナタ第1番

CL:レオボルド・ウラッハ P:イェルク・デムス 1953年録音



Brahms:クラリネットソナタ第1番「第1楽章」

Brahms:クラリネットソナタ第1番「第2楽章」

Brahms:クラリネットソナタ第1番「第3楽章」

Brahms:クラリネットソナタ第1番「第4楽章」


残り火をかき立てて

ブラームスの晩年は表面的には名声につつまれたものでしたが、本音の部分では時代遅れの作曲だと思われていました。丁重な扱いの後ろに見え隠れするその様な批判に対して、ブラームスらしい皮肉を込めて発表されたのが交響曲の第4番でした。終楽章にパッサカリアという、バッハの時代においてさえ古くさいと言われていた形式をあえて採用することで、音楽に重要なのは流行を追い求めて衣装を取っ替え引っ替えするではなくて、あくまでもその内容こそが重要であることを静かに主張したのでした。

しかし、老境を迎えつつあったブラームスは確実に己の創作力が衰えてきていることを感じ取っていました。とりわけ、弦楽五重奏曲第2番を書き上げるために必要とした大変な苦労は、それをもって創作活動のピリオドにしようと決心させるに十分なだけの消耗をブラームスに強いました。
ブラームスは気がかりないくつかの作品の改訂や、身の回りの整理などを行って晩年を全うしようと決心したのでした。
ところが、その様なブラームスの消えかけた創作への炎をもう一度かき立てる男が出現します。それが、マイニンゲン宮廷楽団のクラリネット奏者であったミュールフェルトです。
ミュールフェルトはもとはヴァイオリン奏者だったのですが、やがてクラリネットの美しい音に出会うとその魅力の虜となり、クラリネットの演奏にヴァイオリンがもっている多様な表情と表現を持ち込もうとしたのです。彼は、音域によって音色が様々に変化するというクラリネットの特徴を音楽表現のための手段として活用するテクニックを完璧な形にまで完成させ、クラリネット演奏に革命的な進歩をもたらした人物でした。
そのほの暗く甘美なクラリネットの音色は、最晩年の諦観の中にあったブラームスの心をとらえてはなしませんでした。創作のための筆を折ろうと決めていた心はミュールフェルトの演奏を聴くことで揺らぎ、ついには最後の残り火をかき立てるようにクラリネットのための珠玉のような作品を4つも生み出すことになるのです。

1891年:クラリネット三重奏曲
1891年:クラリネット五重奏曲
1894年:二つのクラリネットソナタ

ブラームスの友人たちは、この4つの作品の中では形式も簡潔で色彩的にも明るさのある3重奏曲がもっともポピュラーなものになるだろうと予想したというエピソードが残っています。この友人たちというのは、ビューローであったり、ヴェルナーであったりするのですが、そういうお歴々であったとしても事の本質を言い当てるのがいかに難しいかという「当たり前のこと」を、改めて私たちのような愚才にも再確認させてくれるというエピソードではあります。
現在では、3重奏曲はこの中ではもっとも演奏される機会が少ない作品です。クラリネットソナタも同じように演奏機会は多くないのですが、ヴィオラ用に編曲されたものがヴィオラ奏者にとってはこの上もなく貴重なレパートリーとなっています。
しかし、何といってもポピュラーなのは五重奏曲です。このジャンルの作品としてはモーツァルトの神がかった作品に唯一肩を並べることができるものとして、ブラームスの全作品の中でも、いや、ロマン派の全作品の中においても燦然たる輝きを放っています。

ブラームスの最晩年に生み出されたこれらのクラリネット作品は、その当時の彼の心境を反映するかのように深い諦念とほの暗い情熱があふれています。この深い憂愁の味が多くの人に愛好されてきました。
ところが、友人たちがもっともポピュラーな作品になるだろうと予想した三重奏曲は、諦念と言うよりは疲れ切った気怠さのようなものを感じてしまいます。それは老人の心と体の中に深く食い込んだ疲労のようなものです。そして、おそらくはこの疲労がブラームスに創作活動を断念させようとしたものの正体なのでしょう。

ところが、わずかな期間を経てその後に創作された五重奏曲にはその疲労のようなものは姿を消しています。なるほど、人は恋をすることによってのみ、命を枯渇させる疲労から抜け出すことができるのだと教えられます。もちろん言うまでもないことですが、恋の相手はクラリネットでした。そして、三重奏曲の創作の時には心身に未だに疲労が深く食い込んでいたのに、五重奏曲に取り組んだときにはそれらは払拭されていました。もちろん、それでブラームスが青年時代や壮年時代の活力を取り戻したというわけではありません。それは、人生に対する深い諦念を疲労の食い込んだ愚痴としてではなく、きちんとした言葉で語り始めたと言うことです。

そして、最後の最後の残り火をかき立てるようにして、人生の苦さを淡々と語ったのが二つのクラリネットソナタでした。彼の親しい人たちが次々と先立っていく悲しみの中で、その悲しみを素直に吐露すると同時に、その様な人生の悲劇に立ち向かっていこうとする激しさも垣間見ることの出来る作品です。
晩年のブラームスが夏を過ごす場所としてお気に入りだったバート・イシェルにおいて流れるようにして書き下ろされたと伝えられる作品ですが、それ故にというべきか、かの全生涯を通して身につけた作曲技法を駆使することによって、この上もなく洗練された音楽に仕上がっています。あまりにも有名な五重奏曲と比べても遜色のない作品だと思えるだけに、もっと聞かれてもいいのではないかと思います。


奇跡的なバランスの中で生み出されたかけがえのない世界遺産

ウラッハは戦後間もない50年代に、ウェストミンスターレーベルでモーツァルトとブラームスのクラリネット作品を全て録音してくれました。そして、その全ての演奏が半世紀以上経過した今日でもその存在価値を失っていないと言うのは、考えてみればすごい話です。いや、存在価値を失っていないどころか、未だにこれをもってベスト盤と主張する人も少なくありません。
ウラッハの演奏の特徴は洗練されたテクニックや響きとは縁遠いものであり、そういうものとは対極にある典雅で暖かみのある鄙びた響きが特徴です。もちろん、それをもって「ウィーン風」というあまり内容のはっきりしない曖昧な概念で括って分かったふりはしたくありません。なぜなら、昨今の「ウィーン・ナンタラカンタラ」と冠だけはついた楽団の手抜きでへたくそで、それ故に形の崩れた演奏を「ウィーン風」と言ってありがたがるような愚かさとは一線を画したいからです。

ウラッハが50年代に残した録音を聞いてみると、その素晴らしさはもちろんウラッハの貢献によるものが大きいのですが、それと同じくらいにウラッハをサポートしている脇役陣の素晴らしさに気づかされます。

例えば、ブラームスだけに限ってみれば以下の通りです。
クラリネット三重奏曲→フランツ・クヴァルダ(チェロ)、フランツ・ホレチェック(ピアノ)
クラリネット五重奏曲→ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団
二つのクラリネットソナタ→イェルク・デムス(ピアノ)

フランツ・クヴァルダはウィーン・コンツェルトハウス四重奏団のチェロ奏者です。デムスは言うまでもなくウィーン近郊に生まれてウィーンで育ったピアニストです。フランツ・ホレチェックに関してはあまり詳しいことは知らないのですが、バリリと組んでモ−ツァルトのヴァイオリンソナタを録音しています。
つまり全員が同じ言葉をしゃべっているのです。
ですから、自分たちの町の音楽家であったブラームスやモーツァルトを、自分たちが知っているように演奏しているのです。そこには「グルーバルスタンダード」などという意味不明の概念が入り込むような隙間などは寸分も存在しません。もし、それがお気に召さなければご愁傷様、でも私たちにとってブラームスやモーツァルトはこうなんですよ、という開き直りともとれるような強気の姿勢がこれらの演奏を貫徹しています。

確かに、その様な姿勢はマーラーが語ったように「伝統とは怠惰の別名」に陥る危険性をはらんでいます。しかし、伝統という根っこを放棄した無国籍の「楽譜に忠実な演奏」ばかり聞かされていると、「ウラッハなんてしょせんはピンぼけ演奏でしょう!」などという批判に「そういわれてみれば否定しきれませんが・・・」などと一定の納得もしながら、それでも何ともいえない居心地の良さを感じてしまうのです。
おそらくは、これら一連の演奏は戦後の荒廃の中で、「音楽をすることがまっすぐに生きることにつながっていた」からこそ、伝統が怠惰に陥らないぎりぎりのラインで成立したものなのでしょう。
やがて、ウィーンブランドが大きな経済的利益をもたらすようになる60年代(50年代末・・・?)になると、伝統は怠惰の別名になるか、あるいは世界市場に横目を使って方言が少しずつ標準語に置き換わっていってしまいました。
その意味では、この50年代前半に残された一連の録音は、その様な奇跡的なバランスの中で生み出されたかけがえのない世界遺産だといえるのかもしれません。

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