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アレクセイ・ゴロコフ(Alexei Gorokhov)|ラロ:スペイン交響曲 ニ短調, Op21(Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21)
ラロ:スペイン交響曲 ニ短調, Op21(Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21)
(Vn)アレクセイ・ゴロコフ:キリル・コンドラシン指揮 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団 1952年録音(Alexei Gorokhov:(Con)Kiril Kondrashin Moscow Philharmonic Orchestra Recorded on 1952)
Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21 [1.Allegro non troppo]
Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21 [2.Scherzando]
Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21 [3.Intermezzo; Allegro non troppo]
Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21 [4.Andante]
Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21 [5.Rondo]
遅咲きの一発屋
ラロといえばスペイン交響曲です。そして、それ以外の作品は?と聞かれると思わず言葉に詰まってしまいます。
いわゆる、クラシック音楽界の「一発屋」と言うことなのでしょうが、それでも一世紀を超えて聞きつがれる作品を「一つ」は書けたというのは偉大なことです。
なにしろ、昨今の音楽コンクールにおける作曲部門の「優秀作品」ときたら、演奏されるのはそのコンクールの時だけというていたらくです。そして、そのほとんど(これはかなり控えめな表現、正確には「すべて」に限りなく近い「ほとんど」)が誰にも知られずに消え去っていく作品ばかりなのです。
クリエーターとして、このような現実は虚しいとは思わないのだろうかと不思議に思うのですが、相変わらず人の心の琴線に触れるような作品を作ることは「悪」だと確信しているような作品ばかりが生み出されます。いや、そのような「作品」でないとコンクールでいい成績をとれないがためにそのようなたぐいの作品ばかりを生み出していると表現した方が「正確」なのでしょう。
しかし、音楽はコンクールのために存在するものではありません。
当たり前のことですが、音楽は聴衆のために存在するものです。この当たり前のことに立ち戻れば、己の立ち位置の不自然さにはすぐに気づくはずだと思うのですが現実はいつまでたっても変わりません。相変わらず、「現代音楽」という業界内の小さなパイを奪い合うことにのみ腐心しているといえばあまりにも言葉がきつすぎるでしょうか。
ですから、こういうラロの作品を、異国情緒に寄りかかった「効果ねらい」だけの音楽だと言って馬鹿にしてはいけません。
クラシック音楽というのは人生修養のために存在するのでもなければ、一部のスノッブな人間の「知的好奇心」を満たすために存在するのでもありません。
まずは聞いて楽しいという最低限のラインをクリアしていなければ話にはなりません。
ただ、その「楽しさ」にはいくつかの種類があるということです。
あるものは、このスペイン交響曲のように華やかな演奏効果で人の耳を楽しませるでしょうし、あるものは壮大な音による構築物を築き上げることで喜びを提供するでしょう。はたまた、それが現実への皮肉であったり、抵抗であったりすることへの共感から喜びが生み出されるのかもしれません。
そして、時には均整のとれた透明感に心奪われたり、持続する緊張感に息苦しいまでの美しさを見いだすのかもしれません。
私はポップミュージックに対するクラシック音楽の最大の長所は、そのような「ヨロコビ」の多様性にこそあると思います。
そして、華やかな演奏効果で人の耳を楽しませるという、ポップミュージックが最も得意とする土俵においても、このスペイン交響曲のように、彼らとがっぷり四つに組んでも十分に勝負ができる作品をいくつも持っているのです。
そういう意味において、このような作品はもっともっと丁重に扱わなければなりません。
閑話休題、話があまりにも横道にそれすぎました。(^^;
ラロはスペインと名前のついた作品を生み出しましたが、フランスで生まれてフランスで活躍し、フランスで亡くなった人です。ただし、お祖父さんの代まではスペインで暮らしていたようですから、スペインの血は流れていたようです。
彼は、1823年にフランスのリルという小さな町で生まれて、その後パリに出てパリ国立音楽院でヴァイオリンと作曲を学びました。そして、20代の頃から歌曲や室内楽曲を作曲して作曲家としてのキャリアをスタートさせようとしたのですが、これが全く評価されずに失意の日々を過ごします。
その内に、作曲への夢も破れ、弦楽四重奏団のヴィオラ奏者という実に地味な仕事で生計を立てるようになります。
このようなラロに転機が訪れたのが、アルト歌手だったベルニエと結婚した42歳の時です。
ベルニエはラロを叱咤激励して再び作曲活動に取り組むように励まします。そして、ラロも妻の激励に応えて作曲活動を再開し、ついに47歳の時にオペラ「フィエスク」がコンクールで入賞し、その中のバレー音楽が世間に注目されるようになります。そして、そんな彼をさらに力づけたのが、1874年にヴァイオリン協奏曲がサラサーテによって初演されたことです。
そして、その翌年にこの「スペイン交響曲」が生み出され、同じくサラサーテによって初演されて大成功をおさめます。
彼はこれ以外にも、「ロシア協奏曲」とか「ノルウェー幻想曲」というようなご当地ソングのようなものをたくさん作曲していますが、これは当時流行し始めた異国趣味に便乗した側面もあります。
しかし、華やかな色彩感とあくの強いエキゾチックなメロディはそういう便乗商法を乗り越えて今の私たちの心をとらえるだけの魅力を持っています。
- 第1楽章:Allegro non troppo ソナタ形式
- 第2楽章:Scherzando. Allegro molto 三部形式
- 第3楽章:Intermezzo. Allegro non troppo 三部形式
- 第4楽章:Andante 三部形式
- 第5楽章:Rondo
それぞれにそれぞれの良さ
指揮者はともにコンドラシンなのですが、フィルハーモニア管弦楽とレオニード・コーガン、もう一つはモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団とアレクセイ・ゴロコフと言う二種類の録音です。レオニード・コーガンといえばだれもが知るヴァイオリニストであり、たいしてアレクセイ・ゴロコフの方は知る人もそれほど多くない存在でしょう。
さらに言えば、すでに何度もふれていますがモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団は首都モスクワの名を冠したオケなのですが、設立は1951年という若いオーケストラであり、さらには国立のオケには採用されなかった音楽家を寄せ集めて創設されたようなオケでした。ですから、最初はモスクワ・ユース管弦楽団と名乗っていて、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団と改名したのは1953年のことでした。まさに、出来たてほやほやの若いオケだったのです。
それに対してフィルハーモニア管の方は何の説明も必要ないほどのメジャー・オーケストラです。
下手をすれば、これって「公開処刑」みたいな雰囲気にならないのかという不安もあったのですが、聞き較べてみれば、これが実に面白くていろいろなことを考えさせてくれる演奏で、実に面白かったです。
言うまでもなく、コーガンとフィルハーモニア管の録音はまさに完璧です。
コーガンという人はオイストラフのような滴るような美音で歌い回すというタイプではありません。しかし、「美音」ではないけれども実に多彩な音色を持っていて、その多彩な音色を駆使してこの上もなく繊細に旋律のラインを描き分けていきます。そして、コンドラシンはその様なパーフェクトなコーガンをこれまたこの上もない明晰さで支えていて、その高い要求にフィルハーモニア管も完璧に応えています。
それと比べてみれば、アレクセイ・ゴロコフとモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団との演奏は実にのんびりした感じの音楽に仕上がっています。アレクセイ・ゴロコフは己の思うがままに好き勝手に歌い上げています。時々ポルタメントなどもかまして、ザッハリヒカイトが主流となりつつあった時代においては古き良き時代を思い出させます。
そして、産声を上げたばかりのモスクワ・フィルもそういうアレクセイ・ゴロコフのヴァイオリンに合わせてなのか、ゆったりとした大らかな音楽でこたえています。コンドラシンも、このオケに無理を言っても仕方がないと分かっているのか、アレクセイ・ゴロコフの濃厚な歌い回しの邪魔にならないようにオケをコントロールしています。
おそらく、生まれたばかりのオケでもそれほど無理をしなくてもその棒に追随できたはずです。
しかしながら、この録音を聞いているうちになんだか気持ちが良くなってくるのです。そのゆったりとした音楽を聞いていると、ラロのスペイン交響曲ってのは眦を決して挑むような音楽じゃなくて、もっとエンターテイメント性を前に出した方がいいよな、等と思ってしまうのです。
つまりは、コーガンのような完璧な演奏で聞いていると、なんだか聞いている方にも緊張感を知られているような感じがしてくるのです。そのために、アレクセイ・ゴロコフの方の、大雑把であってものんびり、ゆったりとした音楽が妙に気持ちがいいのです。
もちろん、だからといってコーガンの演奏が駄目だと言っているわけではありません。おそらく、この演奏を作曲者のラロが聞けば「オレの作ったこの作品ってこんなにも立派な音楽だったのかな、いやいやオレって意外といけてるじゃねぇ」などと言い出すかもしれません。
つまりは、これは誰もが見たこともない風景見魅せてくれる演奏であり、それを一緒に見るためには聞き手もまたのんびりしていてはいけないと言うことなのです。
それぞれにそれぞれの良さ有りと言うことでしょうか。
ちなみに、最後にアレクセイ・ゴロコフの略歴を紹介しておきます。
ゴロコフ1927年にはモスクワで生まれ、1999年にこの世を去っています。
モスクワ音楽院で学び、ヤンポリスキーらに師事したようです。面白いのは、1951年レオニード・コーガンが第1位に輝いたエリザベート王妃国際音楽コンクールで第7位だったことです。
思わぬところで二人には縁があったのでしょうね。
1957年にはキエフ(今はキーウと言うべきでしょうか)音楽院のヴァイオリン科の教授に就任して、その生涯はウクライナで終えることになりました。その背景には祖国ソ連への深い失望があったとも言われているようです。
パガニーニの協奏曲の全曲録音が有名で、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、チャイコフスキーなど数多くの協奏曲録音を残しているようです。
しかし、ほとんどCD化されていないので一部では幻のヴァイオリニストなどとも言われているようです。その意味でも、これは貴重な音源といえるかもしれません。
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