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ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73 「皇帝」

(P)カーゾン クナッパーツブッシュ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1957年6月10?15日録音



Beethoven:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73 「皇帝」 「第1楽章」

Beethoven:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73 「皇帝」 「第2楽章」

Beethoven:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73 「皇帝」 「第3楽章」


演奏者の即興によるカデンツァは不必要

ピアノ協奏曲というジャンルはベートーベンにとってあまりやる気の出る仕事ではなかったようです。ピアノソナタが彼の作曲家人生のすべての時期にわたって創作されているのに、協奏曲は初期から中期に至る時期に限られています。
第5番の、通称「皇帝」と呼ばれるこのピアノコンチェルトがこの分野における最後の仕事となっています。

それはコンチェルトという形式が持っている制約のためでしょうか。
これはあちこちで書いていますので、ここでもまた繰り返すのは気が引けるのですが、やはり書いておきます。(^^;

いつの時代にあっても、コンチェルトというのはソリストの名人芸披露のための道具であるという事実からは抜け出せません。つまり、ソリストがひきたつように書かれていることが大前提であり、何よりも外面的な効果が重視されます。
ベートーベンもピアニストでもあったわけですから、ウィーンで売り出していくためには自分のためにいくつかのコンチェルトを創作する必要がありました。

しかし、上で述べたような制約は、何よりも音楽の内面性を重視するベートーベンにとっては決して気の進む仕事でなかったことは容易に想像できます。
そのため、華麗な名人芸や華やかな雰囲気を保ちながらも、真面目に音楽を聴こうとする人の耳にも耐えられるような作品を書こうと試みました。(おそらく最も厳しい聞き手はベートーベン自身であったはずです。)
その意味では、晩年のモーツァルトが挑んだコンチェルトの世界を最も正当な形で継承した人物だといえます。
実際、モーツァルトからベートーベンへと引き継がれた仕事によって、協奏曲というジャンルはその夜限りのなぐさみものの音楽から、まじめに聞くに値する音楽形式へと引き上げられたのです。

ベートーベンのそうのような努力は、この第5番の協奏曲において「演奏者の即興によるカデンツァは不必要」という域にまで達します。

自分の意図した音楽の流れを演奏者の気まぐれで壊されたくないと言う思いから、第1番のコンチェルトからカデンツァはベートーベン自身の手で書かれていました。しかし、それを使うかどうかは演奏者にゆだねられていました。自らがカデンツァを書いて、それを使う、使わないは演奏者にゆだねると言っても、ほとんどはベートーベン自身が演奏するのですから問題はなかったのでしょう。
しかし、聴力の衰えから、第5番を創作したときは自らが公開の場で演奏することは不可能になっていました。
自らが演奏することが不可能となると、やはり演奏者の恣意的判断にゆだねることには躊躇があったのでしょう。

しかし、その様な決断は、コンチェルトが名人芸の披露の場であったことを考えると画期的な事だったといえます。

そして、これを最後にベートーベンは新しい協奏曲を完成させることはありませんでした。聴力が衰え、ピアニストとして活躍することが不可能となっていたベートーベンにとってこの分野の仕事は自分にとってはもはや必要のない仕事になったと言うことです。
そして、そうなるとこのジャンルは気の進む仕事ではなかったようで、その後も何人かのピアノストから依頼はあったようですが完成はさせていません。

ベートーベンにとってソナタこそがピアノに最も相応しい言葉だったようです 。


カーゾン vs クナッパーツブッシュ

カーゾンと怪物クナッパーツブッシュという組み合わせは、どう考えても食い合わせがよろしくないように感じます。また、録音嫌いで有名なこの二人がどういう経緯で何回もセッション録音を組んだのか、実に不思議な話です。
しかし、調べてみると、結構あちこちで協演しているので驚かされます。
有名なのはブラームスのコンチェルトでしょう。とりわけ第2番が有名で、ザルツブルク音楽祭(55年)でのライブ録音と57年のセッション録音が市場に出回っています。それ以外ではベートーベンの4番と5番のセッション録音も残されていますから、決して少ない数ではありません。見た目ほどには相性が悪いわけではなかったと言うことなのでしょうか。
ということで、実際に聞いてみました。
隣接権の関係で、紹介できるのはブラームスの2番(57年録音)とベートーベンの4番(54年録音)と5番「皇帝」(57年録音)だけです。

まず最初に感じるのは、カーゾンのスタイルというのは誰を相手にしても全く変わらないということです。
デッカ録音の優秀さもあるのでしょうが、ピアノの響きの透明感は秀逸です。「混濁」という言葉はカーゾンの辞書には存在しないようです。かといって、その透明感は音量控えめの繊細さの中で実現されるようなものではありません。それどころか、剛毅と言っていいほどに鳴らすところはかなり豪快にならしきっているですが、そんな時でもピアノの音は全く持って混濁せず、驚くほどの透明度を保っています。
そして、そのようなピアノによって表現される最も美しい世界はピアニシモの世界です。例えば、ベートーベンの第5番の第2楽章の冒頭の部分、または第3楽章への橋渡しの部分などは美しさの限りです。

しかしながら、いくらぶれが小さいと言っても、カーゾンもまた人間ですから出来不出来はあります。
上で述べたような美質が最も上手く表現されているのがブラームスの2番でしょう。とりわけ豪快にならしきる部分での美しさは出色です。また、いつもは端正で落ち着いた雰囲気を崩さないカーゾンなのですが、ここではクナッパーツブッシュの伴奏に煽り立てられたのか、結構熱さを感じる部分もあってなかなかに面白い演奏に仕上がっています。
また、録音もモノラルなのですが、「そう言われれば確かにモノラルだ・・・」と気づくほどに楽器の分離がよくて、カーゾンのピアノの深々とした響きも見事にすくい取られています。
それと比べると、ベートーベンの5番はステレオ録音であるにもかかわらず、音質的には55年録音のブラームス録音に一歩ゆずります。おそらくは、完成期に入っていたモノラル録音の「優秀盤」と、実験段階だったステレオ録音の「未だに課題が解決されきっていない盤」の差が出たのでしょう。ただし、第2楽章の繊細なピアニシモの世界においてはブラームスをしのぐ美しさがあるように思います。
そして、最も古い録音であるベートーベンの4番では、おそらくは録音の問題もあるのでしょうが、その響きは最も精彩に欠けます。実に残念な話です。

面白いのは、そのような背景として、おそらくはクナッパーツブッシュの姿勢があるように感じることです。
クナという人は随分「いい加減」な雰囲気が漂う人なのですが、このような協奏曲においては「きちんとつける」という基本的なことはしっかりできる人だったようです。ですから、充分な打ち合わせやリハーサルなどはしていないと思われるのですが、意外なほどに破綻をきたさずに演奏しきっています。
しかし、ベートーベンのコンチェルトにおいては、どう聞いても、気乗りがしないで「適当」にやっているような雰囲気が払拭できません。ところが、ブラームスの方では、どうしたわけか、全く持って別人のようにやる気に満ちています。
おそらく「やる気度」という点では「ブラームスの2番」>「ベートーベンの5番」>「ベートーベンの4番」です。
そして、やはりカーゾンも人の子で、そう言う指揮者の「やる気」が彼の「やる気」にも幾ばくかは影響を与えているようです。
ただし、クナとカーゾンとで根本的に異なるのは、そう言うむらっ気の幅が全く異なることです。クナの場合は誰が聞いてもやる気の「あるなし」は一聴瞭然なのですが、カーゾンの場合は強固な自制心で一定のレベルを必死で保とうと努力している姿が伝わってきます。そして、その自制心が崩壊する一歩手間にまで至ったのがベートーベンの4番であり、最後まで耐えて頑張り抜いたのが5番の演奏だったのでしょう。おそらく、クナとの協演が常にこんな結果に終わっていたならば二人の関係はそれまでだったのでしょうが、ブラームスのように波長があった時は凄い音楽になるのですから、カーゾンとしても機会があればチャレンジしてみようという気になったのでしょう。

というわけで、この3種類の録音を続けて聞いてみると、いろいろな想像がかき立てられて実に楽しい時間を過ごすことができました。

この演奏を評価してください。

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