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ユージン・オーマンディ(Eugene Ormandy) |ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1963年2月3日録音
Ravel:Pavane pour une infante defunte
悲しいかな!私にはこの曲の持つ至らなさが手に取るように見えてしまう。
ラヴェルは後にこの作品について次のように述べています。
「悲しいかな!私にはこの曲の持つ至らなさが手に取るように見えてしまう。
シャブリエの顕著な影響と,貧弱な曲形式。
思うに,この不完全かつ冒険心のない曲が成功を収めたのは,演奏家の卓越した曲解釈が大きく寄与していたからではないか。」
ただし、いわゆる人格破綻者の群れとしか思えないような大作曲家の中では、珍しくも「いい人」だったラベルと言う人の特質は割り引いて考える必要があります。しかし、そう言う自己批判力の強さを割り引いたとしても、後のラヴェルのピアノ作品と比べればあまりにもサロン的な作品だとは言えます。
しかし、その「サロン的」な雰囲気と、思わせぶりなタイトルの効用もあって、発表当時も、そして今もなおボレロなどと並んでなかなかの人気を博しているという現実はなかなかに皮肉です。
ラヴェルは単なる語呂合わせで「亡き王女のためのパヴァーヌ」・・・「infante défunte」と付けたらしいのですが、この作品を発表してからは会う人ごとに「この王女とは誰なのか」と言う質問を挨拶代わりのようにぶつけられてすっかり閉口してしまったようです。確かに、この作品の甘く夢見るような雰囲気とこのタイトルは実にピッタリで、誰しもが作曲家はどの様な王女をイメージして今作品を書いたのだろうと思わせずにはおれない魅力を持っています。
オーケストラの機能性を極限まで追求するラヴェル作品は、このコンビにとっては相性がいいようです。
吉田秀和氏がラヴェルの音楽をあまり評価していなかったという話を聞いたことがあります。
ラヴェルと言えば真っ先に思い浮かぶのは「スイスの時計職人」という言葉です。彼の作品は、例えばピアノ曲であれば、極限まで進歩したコンサート・グランドの全ての機能を使い切った音楽を指向していましたし、管弦楽曲であれば、その可能性の全てを追求したかのような多彩で繊細な、そして時にはこの上もなく豊麗な響きを追求しました。
音楽というものは「言葉が尽きたところから始まる」と言った人がいました。それは言葉では表現できない人間の感情や思念を音に託したものが音楽だと言うことになります。
この言い方になぞらえるならば、ラヴェルの音楽というのは極めて豪奢な入れ物であるにもかかわらず、その中には「魂」というものが入っていないかのように見えると言うことです。
そして、こういう言い方をすると吉田秀和氏に対して不遜な物言いになることは承知しているのですが、そう言う音楽を評価しようとしなかった価値判断の根底には、彼らが生きた時代の「教養主義」的な価値観が根を張っていたのだろうなと思ってしまいます。
おそらく、ラヴェルは疑いもなく「時計職人」でした。
時計にとって重要なことは「正確に時を刻む」事であって、そしてその機能を極限まで実現するために微細な部品をこの上もなく機能的に、そして精緻に組み上げる必要があります。そして、その様にして組み上げられた機械式の時計はラヴェルの音楽と相似形です。
そして、そのような「時計」が時として「魂」を宿したものであるかのように見えるのと同様に、精緻で華麗なピアノの技法や管弦楽法によって仕上げられたラヴェルの音楽にも「魂」が宿ったかのように見えるときがあるのです。
しかし、そのためには、演奏する側には最初から「精神性」などと言うものは無視する「勇気」が必要です。
重要なことは「精神性」などと言う曖昧な者ではなくて、職人ラヴェルが仕上げた精緻な音楽をあるがまに精緻に表現しつくす「腕」と「忍耐」なのです。
そう考えれば、このオーマンディとフィラデルフィア管による演奏は、そう言うスタイルに徹した典型的な演奏であるかのように見えます。
ただし、そのスタイルは、精緻さに焦点をあてたアンセルメとスイス・ロマンド管の演奏とは異なった方向性でラヴェルの要求に応えようとしていることは見ておく必要があります。
1958年に録音された「道化師の朝の歌」ではアンセルメを思わせるようなエッジの立ったシャープな音づくりへの指向が聞き取れます。同じ年に録音された「クープランの墓」も第1次大戦で亡くなった友人たちへのレクイエムという性質を持った作品ですから、それほどゴージャスに鳴らすのは控えているように聞こえます。
しかし、60年代以降に録音された作品はフィラデルフィア管の機能をフルに発揮して、極めて華麗で豊満な響きでラヴェルの要求に応えようとしています。
60年に録音された「ボレロ」ではオケの個々のプレーヤーの名人芸が光りますし、63年録音の「ラ・ヴァルス」では滅びに向かう退廃性と、最後には玉と砕け散る「滅び行くものの華麗なまでの美しさ」を表現しつくしています。それは、同じ年に録音した「スペイン狂詩曲」では、より健康的な華やかさとして表現されています。
もう一つ同じ年に録音された「亡き王女のためのパヴァーヌでは、聞き手はその作品に相応しい官能性に身をゆだねることが出来ます。
そう言う「精神性」などと言うものとは全く無縁の地点で、オーケストラの持つ機能性を極限まで発揮することが要求されるラヴェルのような作品は、このコンビにとって極めて相性がいい様に見えます。
クラシック音楽のコンサートというものは、「芸術」と「興行」という二律背反する要素を常にはらんでいます。
しかしながら、「芸」を伴わない「芸術」を聞かされるくらいならば、こういう「興行」に徹した「芸」を聞かせてくれる方がはるかにましです。
明治時代の職人達が作りあげた工芸品の多くは今では再現不可能なほどに精緻なものが多いと聞きます。そして、自己満足にしか過ぎない現在の「芸術品」の多くはそういう精緻に仕上げられた「工芸品」の足元にも及ばないのです。
ですから、こういう作品と演奏に対して中味がスカスカの外面的効果だけを狙ったものだという批判はそれなりの正当性を持ったとしても、ラヴェルにしてもオーマンディにしても、そんな事は最初から知ったことではないのです。
不思議な話ですが、そう言うことに徹しているが故に、音楽とはどういうものかをじっくりと見直す良い切っ掛けになるのではないでしょうか。
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よせられたコメント 2023-10-16:joshua 吉田秀和が98歳で2012に亡くなってまだ10年余。その間、宇野功芳も2016年に旅立って7年。ChatGPTなるものが現れて、生成AIとして社会への影響を問われるようになりました。昭和半ば辺りまでの「教養主義」などどこかへ吹っ飛んだ感じです。それでも、教養を積むと世間に貢献しいい人生を送れる、というのは嘘じゃないと思いますし、機械に征服されないからこそ残されたものは、そこそこあるように思います。速さ・正確さでは絶対負けます。でも、「間を置く・沈黙を味わう」「黙って微笑する・しぐさでわかる」「音楽ならミュンシュの様に本番で大裏切りをする」・・・なんて人間の編み出した楽しい「変化球」。
音楽演奏の微妙な違いを楽しむという、何の得にもならないにせよ、飛び切り贅沢な「しあわせ」を味わえるんでしょう。亡きパバで言えば、6分前後の手軽さで、聴き漁りましたが、オッテルローが私の趣味でした。ホルンの上手さでは、このフィラデルフィアのメーソン・ジョーンズ。ただ、どれも本番で聴けば大いに感動して、「これだけ!」と思えたでしょう。教養主義の頃は、何となく楽観性があり、幸福感が見つけやすかったように思います。
蛇足ですが、教養主義の権化的指揮者がフルトヴェングラーだとすると、ラヴェルの演奏はどうだったんでしょう?録音は残っています。ただ、音を録ったまま聴いておりません。このページを読んで、改めて聞きたくなってきました。
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