クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~




Home|シュミット=イッセルシュテット(Hans Schmidt-Isserstedt)|パッヘルベル:カノンとジーグ

パッヘルベル:カノンとジーグ

ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 北ドイツ放送交響楽団 1954年8月21日録音

Pachelbel:Canon and Gigue in D major


あまりにも有名なバロック作品

バロック音楽の中では、ヴィヴァルディの四季、アルビノーニのアダージョ、そして、このパッヘルベルのカノンが抜群の知名度を誇っています。おそらく、クラシック音楽などというものに全く関心がない人でも、これらの作品ならば耳になじんでいて、どこかで何度かは聞いたことがあるはずです。
ただし、こんなにも有名な作品を残しているのに、これ以外の作品となると、今度はよほどのクラシック音楽ファンでも思い出すのは難しいでしょう。まあ、ヴィヴァルディならば探せば四季以外の作品を自分のコレクションから見いだすことはできるでしょうが、アルビノーニやパッヘルベルとなれば、思い出すことはかなり困難なはずです。

ちなみに、有名な「アルビノーニのアダージョ」はアルビノーニの名前をかたった別人の偽作であることが確定していますが、この「カノン」の方は間違いなくパッヘルベルの手になる作品です。
この「カノン」と称される作品は「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」と呼ばれる作品集の第1曲です。

作品名の通り、チェロとコントラバス、そしてチェンバロによる通奏低音を下支えとして3声のヴァイオリンが追いかけっこをします。しかし、さすがにそれだけでは音楽的には単調となるので、そのカノンに続けて「ジーグ」が演奏されるので、正確には「カノンとジーグ」とすべき作品です。しかし、現実にはカノンだけが単独で演奏されることが多く、この作品本来の姿である「カノンとジーグ」として演奏される機会は少ないようです。


雲に隠れた膨大な山塊に気づかせてくれる存在

「ハンス・シュミット=イッセルシュテット」と言う名前があまりにも長すぎたのか、気づけば、このそこそこ著名な指揮者の録音をほとんど取り上げていないことに気づきました。やはり、人のやることにはどこか「欠落」が伴うものです。

なお、この長すぎる名前は、本当は「ハンス・シュミット」だったようです。
しかし、この「ハンス・シュミット」というのは「鍛冶屋のヨハネス」という意味になるそうで、ドイツでは「鈴木一郎」くらいにありふれた名前だそうです。そこで、母方の「イッセルシュテット」を後につけることで少しでも印象を強くしようとして「ハンス・シュミット=イッセルシュテット(以下、あまりにも長いので『イッセルシュテット)』)としたそうです。

ただ、芸風の方は、そう言う名前をめぐるちょっとしたあざとさとは対照的に「穏健」そのものです。
そして、その音楽を聞いていて、ふと思い出したことがありました。

確かに、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュやクレンペラーなどと言う存在は実に偉大なものでした。それは、たとえてみれば、雲海の上にその山巓を抜きんでて誇示する偉大な山々でした。そして、私たちの多くはその偉大なる高峰群を、その山塊から遠く離れた東海の島国から長きにわたって眺めていたわけです。
しかし、遠く眺めるだけではなく、やがて少なくない人々はその山塊の麓に足を運べるようになる時代がきました。そして、山麓にたどり着いてみれば、クラシック音楽という巨大な山塊の大部分はその雲の下に姿を隠していたことに気づくようになりました。

私もまた、若い頃に何度かヨーロッパに足を運ぶようになって、ヨーロッパの楽団だからと言ってどれもこれもが抜きんでて素晴らしいわけでないと言う「当たり前の事実」に気づくようになりました。しかし、その反面、小さな街にも歌劇場があり、教会では日曜日ごとにミサと称する(^^;音楽会が開かれている事実に驚かされました。
小さな村の教会でバッハのコラールを聴いたときの感動は今も深く記憶に刻み込まれています。

そして、そのような雲の下に隠れている膨大な山塊を知らずして、その上にそびえている高峰群の本当の素晴らしさを理解することができるのだろうか、と言う疑問にとらわれたものでした。

おそらく、今という時代からこのイッセルシュテットという山塊を眺めれば、それは時々、その頂きを垣間見ることができるような山かもしれません。特に、戦後は北ドイツ放送交響楽団の事実上の音楽監督としての仕事に全力を傾注して、セッションでの録音には熱心でなかったために、有名な割には録音には恵まれていません。
おそらく、イッセルシュテットと言って真っ先に思い浮かぶのは、1965年から68年にかけて行われたベートーベンの交響曲全集、とりわけ第8番の録音でしょう。オケはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団でした。
しかし、それ以外で彼の録音を尋ねられて、ぐに答えることが出来る人は多くないように思われます。

その意味で、彼は雲海の上にかすかにその頂きをつきだしている存在なのです。
しかし、それだからこそ、そう言う雲海の下に没してしまっている彼の録音を聞き直してみると、その雲の下に隠れているクラシック音楽という山塊の巨大さを気づかせてくれるように思うのです。

彼の芸術には「オレがオレが」という灰汁の強い自己主張は全くありません。彼の録音の何を聞いても、そこにはきちんと整理された過不足のない表現が実現されています。
かといって、その過不足のなさは、戦後のクラシック音楽を覆った「新即物主義」に基づいた「原点に忠実な演奏」というのとも根本的に違います。もちろん、彼の演奏はスコアを恣意的に弄るような古いタイプの演奏とは遠い位置にありますが、それでいながら、長い歴史を持つクラシック音楽という世界に受け継がれてきた「伝統」をしっかりとふまえた「穏健さ」が貫かれているのです。

それは、一見すれば穏やかな微笑みに満ちているようでいながら、その穏やかさの底に伝統を守る強靱な意志と頑固さが貫かれています。
そして、そのような強い意志と頑固さこそが、もしかしたらフルトヴェングラーとの出会いを経た後のメニューヒンをすくませたものかもしれません。

頂きを仰ぎ見ることは大切なことで。
しかし、頂きだけを眺めていたのでは見落ちしてしまうこともたくさんあると言うことは肝に銘じておいた方がいいようです。

<カノンについて>
正直言って、冒頭のあまりにも分厚い低声部の響きを聞くと、いささか度肝を抜かれます。しかし、その響きに耳が馴染んでくると、これはこれで結構面白い表現だと納得させてしまう力は持っています。
同時代の演奏としては、例えばクナの管弦楽組曲第3番(バッハ)やフルトヴェングラーのブランデンブルグ協奏曲なども同じような雰囲気ですが、それでもここまで低声部を分厚くは響かせていません。そう言う意味では、こういう時代においてもさらに異色な音楽の形だったのかもしれません。
ちなみに、この低声部を分厚く響かせるというスタイルは、ワルターの音楽の作り方とも似通ったところがあります。そう言う意味では、このの音楽の作り方の背景には、古き良きヨーロッパの伝統を色濃く残しているのかもしれません。イッセルシュテットの音楽的な根っこはあくまでも戦前のヨーロッパにあって、戦後のヨーロッパは彼にとっては本質的には異文化な世界だったのかもしれません。

この演奏を評価してください。

  1. よくないねー!(≧ヘ≦)ムス~>>>1~2
  2. いまいちだね。( ̄ー ̄)ニヤリ>>>3~4
  3. まあ。こんなもんでしょう。ハイヨ ( ^ - ^")/>>>5~6
  4. なかなかいいですねo(*^^*)oわくわく>>>7~8
  5. 最高、これぞ歴史的名演(ξ^∇^ξ) ホホホホホホホホホ>>>9~10



2711 Rating: 5.1/10 (212 votes cast)

  1. 件名は変更しないでください。
  2. お寄せいただいたご意見や感想は基本的に紹介させていただきますが、管理人の判断で紹介しないときもありますのでご理解ください
名前*
メールアドレス
件名
メッセージ*
サイト内での紹介

 

よせられたコメント

2023-02-28:コタロー


2023-03-25:大串富史


2024-12-08:しょうちゃん


2024-12-28:じゅんじゅん





【リスニングルームの更新履歴】

【最近の更新(10件)】



[2025-07-22]

エルガー:行進曲「威風堂々」第2番(Elgar:Pomp And Circumstance Marches, Op. 39 [No. 2 in A Minor])
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1966年7月14日~16日録音(Sir John Barbirolli:New Philharmonia Orchestra Recorded on July 14-16, 1966)

[2025-07-20]

ショパン:ポロネーズ第6番 変イ長調, Op.53「英雄」(管弦楽編曲)(Chopin:Polonaize in A flat major "Heroique", Op.53)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロンドン新交響楽団 1961年録音(Rene Leibowitz:New Symphony Orchestra Of London Recorded 1961)

[2025-07-18]

バッハ:トッカータとフーガ ニ短調 BWV.565(Bach:Toccata and Fugue in D Minor, BWV 565)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)

[2025-07-16]

ワーグナー:ローエングリン第3幕への前奏曲(Wagner:Lohengrin Act3 Prelude)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1959年12月30日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on December 30, 1959)

[2025-07-15]

ワーグナー:「タンホイザー」序曲(Wagner:Tannhauser Overture)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1964年12月7日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on December 7, 1964)

[2025-07-11]

ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」(Beethoven:Symphony No.6 in F major, Op.68 "Pastoral")
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団 1960年録音(Joseph Keilberth:Bamberg Symphony Recorded on 1960)

[2025-07-09]

エルガー:行進曲「威風堂々」第1番(Elgar:Pomp And Circumstance Marches, Op. 39 [No. 1 In D Major])
サー・ジョン・バルビローリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1962年8月28日~29日録音(Sir John Barbirolli:Philharmonia Orchestra Recorded on August 28-29, 1962)

[2025-07-07]

バッハ:幻想曲とフーガ ハ短調 BWV.537(J.S.Bach:Fantasia and Fugue in C minor, BWV 537)
(organ)マリー=クレール・アラン:1961年12月10日~12日録音(Marie-Claire Alain:Recorded December 10-12, 1961)

[2025-07-04]

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調, Op.64(Mendelssohn:Violin Concerto in E minor Op.64)
(Vn)ヨーゼフ・シゲティ:トーマス・ビーチャム指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1933年録音(Joseph Szigeti:(Con)Sir Thomas Beecham London Philharmonic Orchestra Recoreded on 1933)

[2025-07-01]

ベートーベン:交響曲第5番 ハ短調 「運命」 作品67(Beethoven:Symphony No.5 in C minor, Op.67)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1958年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1958)