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シューマン:交響曲第1番 変ロ長調, Op.38「春」(Schumann:Symphony No.1 in B flat major Op.38 "Spring")

シャルル・ミュンシュ指揮:ボストン交響楽団 1951年4月25日録音(Charles Munch:The Boston Symphony Orchestra Recorded on April 25, 1951)



Schumann:Symphony No.1 in B flat major Op.38 "Spring" [1.Andante un poco maestoso - Allegro molto vivace]

Schumann:Symphony No.1 in B flat major Op.38 "Spring" [2.Larghetto]

Schumann:Symphony No.1 in B flat major Op.38 "Spring" [3.Scherzo. Molto vivace]

Schumann:Symphony No.1 in B flat major Op.38 "Spring" [4.Allegro animato e grazioso]


湧き出でるがごとき霊感によって、一気呵成に仕上げられたファーストシンフォニー

1838年から39年にかけてシューマンはウィーンを訪れます。
シューマンにとってウィーンとは「ベートーベンとシューベルトの楽都」でしたから、シューベルトの兄であるフェルディナントのもとを訪れるとともに、この二人の墓を詣でることは彼にとって大きな願いの一つでした。

そして、ベートーベンの墓を詣でたときに、彼はそこで一本のペンを発見したと伝えられています。そして、彼はそのペンを使ってシューベルトのハ長調シンフォニーついての紹介文を執筆し、さらにはこの第1番の交響曲を書いたと伝えられています。
もちろん、真偽のほどは定かではありませんが、おそらくは「作り話」でしょう。
しかし、作り話にしても、よくできた話です。

そして、シューマンが自分を、ベートーベンからシューベルトへと受けつがれた古典派音楽の正当な継承者として自負していたことをよく表している話です。

シューマンは、同一ジャンルの作品を短期間に集中して取り組む傾向がありました。

クララとの結婚前までは、彼の作品はピアノに限られていました。
ところが、結婚後は堰を切ったように膨大な歌曲が生み出されます。そして、このウィーン訪問のあとは管弦楽作品へと創作の幅を広げていきます。

この時期の管弦楽作品の中で最も意味のある創作物である第1番の交響曲は、わずか4日でスケッチが完成されたと伝えられいます。
まさに、何かをきっかけとして、あふれる出るように音楽が湧きだしたシューマンらしいエピソードです。

彼の日記によると、1841年の1月23日から仕事にかかって、26日にはスケッチが完成したと書かれています。そして、翌27日からはオーケストレーションを始めて、それも2月20日に完成したと記録されています。
まさに、湧き出でるがごとき霊感によって、一気呵成に仕上げられたのがこのファーストシンフォニーでした。

しかし、この交響曲をじっくりと聞いてみると、明らかにベートーベンから真っ直ぐに引き継いだ作品と言うよりは、この後に続くロマン派の交響詩の嚆矢という方がふさわしい作品となっています。
おそらく、そんなことは私ごときが云々するまでもなく、シューマン自身も気づいていたことでしょう。

それ故に、この後に続く管弦楽作品では苦吟することになります。
第2番の交響曲は完成はしたものの納得のいく出来とはならずにお蔵入りとなり、晩年になって改訂を加えて第4番の交響としてようやく復活します。
ハ短調のシンフォニーはスケッチだけで破棄されています。
その他、例を挙げるのも煩雑にすぎるのでやめますが、結局はこの第1番の交響曲以外は完成を見なかったのです。

私ごときが恐れ多い言葉で恐縮ですが(^^;、この事実は複雑な管弦楽作品をしっかりとした構成のもとで完成させるには、未だ己の技法が未熟なことを知らしめることになったようです。
そして、その様な未熟さを克服すべく創作の中心を室内楽へと転換させていくことになります。

シューマンの交響曲はとかく問題が多いと言われます。

彼の資質は明らかに古典派のものではありませんでした。交響曲だけに限ってみれば、ベートーベンの系譜を真っ直ぐに引き継いだのは彼の弟子であるブラームスでした。
それ故に、そう言うラインで彼の交響曲を眺めてみれば問題が多いのは事実です。

しかし、彼こそは生粋のロマンティストであり、ベートーベンとは異なる道を歩き出した音楽としてみれば実に魅力的です。

楽器を重ねすぎて明晰さに欠けると批判される彼のオーケストレーションも、そのくぐもった響きなくしてシューマンならではの憂愁の世界を表現することは不可能だとも言えます。
あのメランコリックは本当にココロに染みいります。

たとえば、第2楽章のやさしくも深い情緒に満ちた音楽は、古典派の音楽が表現しなかったものです。
もちろん、演奏するオケも指揮者も大変でしょう。
みんなが気持ちよく演奏できるブラームスの交響曲とは大違いです。

しかし、その大変さの向こうに、シューマンならではの世界が展開するのですから、原典尊重でみんなで汗をかく時代になって彼の交響曲が再評価されるようになったのは実に納得のいく話です。

なお、どうでもいい話ですが、シューマンはベッドガーという人の詩から霊感を得てこの交響曲を作曲したと述べています。ですから、各楽章のはじめに「春のはじめ」「たそがれ」「楽しい遊び」「春たけなわ」と記しています。
この交響曲には「春「と言うタイトルがつけられていますが、それは後世の人が勝手につけたものではなくて、シューマンのお墨付きだと言えます。


しっかりとしたスコアの読み込みが背骨のようにまっすぐ立っている

ミンシュの音楽家としてのキャリアは1926年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のプレーヤーとしてスタートしています。指揮者としては1929年にパリでデビューしているのですが、その後も1932年までゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターとして活動を続けています。おそらくは、フルトヴェングラーやワルターのもとで活動を続けることに大きな魅力があったのでしょう。
その後、パリ音楽院管弦楽団の指揮者を経て1949年にボストン交響楽団の常任指揮者に就任します。ミンシュの主要な活動はこのボストン交響楽団と1967年に創設されたパリ管弦楽団に集中していると言っていいでしょう。

しかし、多くの人にとって強烈な印象を残したのは最晩年のパリ管弦楽団での活動でした。そのために、ミンシュと言えば情熱的で熱気にあふれる音楽表現というイメージが染みつき、綿密なリハーサルを行っても、本番中悪魔のような笑みを浮かべつつ練習とは全く違う指示を出す指揮者というエピソード等が世間に広がっていきました。そして、その事は、若き時代にフルトヴェングラーやワルターに強い影響を受けたことと結びつけても語られました。
もちろん、それはミンシュという指揮者の重要な側面を為していることは疑いありません。そして、それ故に、彼のボストン時代の演奏が明晰さに重点をおいている事への不満へと結びつくとなると、しばしお待ちくださいと言わざるを得ません。

「指揮者というものは音楽院の門をくぐったその日から、疲れ果てて最後のコンサートの指揮棒を置くその日まで勉強を続けなければいけない」と語ったのはミンシュでした。彼は徹底的にスコアを読み込み、それを精緻に表現しようとする事を常に指揮活動の基本としていました。
しかし、面白いと思うのは、自分はそこまで徹底的にスコアと向き合いながら、それを現実の音楽にするためにセルやライナーのようにオケを絞り上げなかったことです。
おそらく、そこにこそミンシュという指揮者のもう一つの本質があるのでしょう。そう言えば、これによく似た指揮者にミトロプーロスの名前を挙げてもいいかもしれません。

そして、時に爆発するような情熱的な演奏を繰り広げることのあるミンシュなのですが、その背景にはしっかりとしたスコアの読み込みが背骨のようにまっすぐ立っています。悪魔のようにニヤリと笑って指揮棒を風車のように回したとしても、それは決して恣意的な思いつきとは全く無縁だったのです。
その意味で言えば、ボストンに着任した初期の録音を聞き直してみると、自分は徹底的にスコアと向き合いながらも、それを可能な範囲で実現させようとする姿が垣間見られるような気がします。
例えば、1950年に録音されたブラームスの交響曲第4番やハイドンの交響曲等はそう言う明晰さがよくあらわれた演奏です。ブラームスの4番はステレオ時代にも録音しているのですが、このモノラル録音の方がより明晰さに重点がおかれています。
とりわけ、ハイドンに関しては実に堂々たるシンフォニーにあげています。

それ以外で言えば、同じ年にに録音したハーティー版の「水上の音楽」なんてのは、盛ろうと思えばいくらでも盛れる音楽です。しかし、彼はあっさりと音楽の姿をまとめ、明晰さを前面に押し出しています。しかし、その明晰さのためにオケを絞り上げるようなことはしていません。
おそらく、ボストン響を長く率いる内に、最初は明晰さに徹しながらも、その内にもう一つの本性である情熱的な側面があふれ出していったのでしょう。もちろん、そのどちらもがミンシュという人の背骨を為していたことは事実です。彼の持つ明晰さは即物主義が全盛を極めた当時のアメリカの潮流におもねったものでないことはしっかりと見ておく必要があります。
その意味では、彼がボストン響とモノラル時代とステレオの時代に二度録音した作品を聞き比べてみるのは面白いかもしれません。

と言うことで、いささか紹介に手抜き感が拭えないのですが、もう一つ1951年に録音したシューマンの第1番にもふれておきます。
すでに1959年のステレオ録音は紹介しているのですが、これもまた1951年のモノラル録音が存在します。
ステレオ録音の方は見事にギアを入れ替えて風景を一変させる演奏だったのですが、よく見てみるとそれがシューマン自身の指示だったように思えます。どちらにしても、あれこれと問題の多いシューマンの交響曲ですから、それをどう料理するかは指揮者とオケの腕の見せ所です。
そして、このモノラル録音を聞いて思いだしたのは、このコンビの初来日時に吉田秀和氏が「まるでスコアが目の前に浮かんでくるようだ」と言った言葉です。
確かエロイカの演奏ではなかったでしょうか。
そして、それは誉め言葉であると同時にある種の物足りなさの表明でもあったようです。

おそらく、その言葉がこの51年録音のシューマンの演奏にもあてはまるのかもしれません。
こういう過去のミンシュの姿勢を理解しておかないと、最晩年のパリ管弦楽団での演奏の本質を読み間違える事に繋がりかねないなと、あらためて気づかされる録音です。

この演奏を評価してください。

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