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Ravel

<フランス:1875〜1937年>

生涯


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1875年、ラヴェルはフランス南西部、スペインにほど近いバスク地方のビアリッツ近郊にある町シブールで生まれた。生家は、オランダの建築家により17世紀に建てられたもので、アムステルダムの運河に面している建物のように完全にオランダ様式を呈して、サンジャンドリュツの港に面して建っている。母マリーはバスク人であった。一方、父ジョゼフはスイス出身の発明家兼実業家であった。家族がパリへ移住した後、弟エドゥアールが生まれた。両親はラヴェルが音楽の道へ進むことを激励し、パリ音楽院へ送り出した。在学中、ラヴェルは多くの若く革新的な芸術家と行動を共にし、影響と薫陶を受ける。

音楽院の14年の間、ガブリエル・フォーレやエミール・ペサールらの下で学んだラヴェルは、有名なローマ大賞を勝ち取ろうと試みる。しかし作品のクオリティーを認められながらも年齢制限により最終選考から外されるなどした。その落選理由の不純さは波紋を呼び、フォーレをはじめ、ロマン・ロランらも抗議を表明。パリ音楽院院長のテオドール・デュボワ(Théodore Dubois)は辞職に追い込まれる事態となった。これは「ラヴェル事件」と呼ばれている。結局ラヴェルはローマ大賞に5回挑戦。1901年には最高3位まで上り詰め(カンタータ「ミルラ」)、受賞が確実と思われたこともあったものの、4度目では予選すら通過しなかったのである。

1907年、歌曲集「博物誌」の初演後、エドゥアール・ラロの息子ピエール・ラロはこの作品をドビュッシーの盗作として非難し、論争が起こった。しかし、「スペイン狂詩曲」が高い評価で受け入れられると、すぐに批判はおさまった。そしてラヴェルは、ロシア・バレエ団のセルゲイ・ディアギレフの委嘱により「ダフニスとクロエ」を作曲。

第一次世界大戦中、ラヴェルは年齢とその虚弱体質から、小規模軽量を考慮した上でパイロットとして徴募したが、その希望は叶わなかった。代わりにトラック運転手として兵籍登録されることとなる。当初の手記では、彼が戦時中に運転したトラックは「砲トラック」か総括的なトラックとの言及がほとんどで、救急車を運転するとの言及はないという。大戦で友人たちを失ったラヴェルはその死を悼み、「クープランの墓」を作曲した。その後、フランス政府が彼にレジオンドヌール勲章を授与したが、ラヴェルはこれを拒否した。

1928年、ラヴェルは初めてアメリカでピアノによる演奏旅行を行った。パリにおけるどの初演でもみられたしらけ方とは違い、ニューヨークでは彼はスタンディングオベーションを受けた。同年、オックスフォード大学はラヴェルに名誉博士号を与えた。

1932年、パリでタクシーに乗っている時、交通事故に遭い、記憶障害や失語障害などが徐々に進行していく。かつての手紙の流麗な筆記体は活字体になり、1通仕上げるのに辞書を使って1週間も費やした。また渡されたナイフの刃を握ろうとして周囲を慌てさせたが、自身の曲の練習に立ち会った際には演奏者のミスを明確に指摘している。(どんな病気にかかっていたかは諸説ある[1])病床にあって彼はいくつかの曲の着想を得、それを書き留めようとしたがついに一文字も書き進める事が出来なくなったと伝えられる。さらに体調が悪化、1937年、彼が望みを賭けていた脳の手術が失敗し、まもなく世を去った。享年62。遺体はレバロワ・ペレ(Levallois-Perret)(パリ西北郊)に埋葬された。

晩年を過ごしたイヴリーヌ県モンフォール・ラモリ(Montfort-l'Amauryにあるラヴェルの最後の家は、現在ラヴェル博物館(Musée Maurice Ravel)となっている。浮世絵を含む絵画や玩具のコレクション、作曲に用いられたピアノなどが展示されている。

作風


「オーケストレーションの天才」「管弦楽の魔術師」「スイスの時計職人」(ストラヴィンスキー談)と言われるほど、精緻な音楽手法で知られる。また、スペイン音楽やアメリカのジャズなどを取り入れた曲を書いている。

ラヴェルはドビュッシーと共に印象派(印象主義)の作曲家に分類されることが多い。しかし、ラヴェルの作品はより強く古典的な曲形式に立脚しており、ドビュッシーとは一線を画していた。ただし自身への影響を否定はしながらも、ドビュッシーを尊敬・評価し、1902年には実際に対面も果たしている。また、ドビュッシーもラヴェルの弦楽四重奏曲へ長調を高く評価するコメントを発表している。

ラヴェル自身はモーツァルト及びフランソワ・クープランからはるかに強く影響を受けていると主張した。しかしながら、ラヴェルとドビュッシーの作風に共通する点があるのも事実であろう。ラヴェルも、スペイン音楽、アメリカのジャズ、アジアの音楽及びフォークソング(俗謡)を含む世界各地の音楽に強い影響を受けていた。ラヴェルはおそらく宗教を信じず、無神論者であったと思われる。彼は、リヒャルト・ワーグナーの楽曲に代表されるような宗教的テーマを表現することを好まず、その代わりにインスピレーション重視の古典的神話に題を取ることをより好んだ。

また彼はエマニュエル・シャブリエ、エリック・サティの影響を自ら挙げており、さらに「エドヴァルド・グリーグの影響を受けてない音片を書いたことがありません。」とも述べている。

ピアノ協奏曲ト長調について、ラヴェルは、モーツァルトおよびサン=サーンスの協奏曲がそのモデルとして役立ったと語った。彼は1906年頃に協奏曲『Zazpiak Bat』(「バスク風のピアノ協奏曲」。直訳だと「7集まって1となる」というバスク人のスローガン)を書くつもりであったが、それは完成されなかった。ノートからの残存や断片で、これがバスクの音楽から強い影響を受けていることを確認できる。ラヴェルはこの作品を放棄したが、かわりにピアノ協奏曲など他の作品のいくつかの部分で、そのテーマとリズムを使用している。

ラヴェルは、「アンドレ・ジェダルジュ(André Gedalge)は私の作曲技術の開発において非常に重要な人でした」とコメントした。(ジェダルジュは対位法教程を残した最初期の作曲家でもある。)ラヴェルは、華麗な色彩のオーケストラの使い手として評価が高いが、オーケーストレーターとして可能性を高めるために各楽器の機能を注意深く研究している。このことは、彼の管弦楽描写の成功(『展覧会の絵』のような編曲ものを含む)とピアノ技巧との両方が物語っているのではないだろうか。

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