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バーンスタイン(Leonard Bernstein)|ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 作品98
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 作品98
バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィル 1953年6月29日録音
とんでもない「へそ曲がり」の作品

ブラームスはあらゆる分野において保守的な人でした。そのためか、晩年には尊敬を受けながらも「もう時代遅れの人」という評価が一般的だったそうです。
この第4番の交響曲はそういう世評にたいするブラームスの一つの解答だったといえます。
形式的には「時代遅れ」どころか「時代錯誤」ともいうべき古い衣装をまとっています。とりわけ最終楽章に用いられた「パッサカリア」という形式はバッハのころでさえ「時代遅れ」であった形式です。
それは、反論と言うよりは、もう「開き直り」と言うべきものでした。
しかし、それは同時に、ファッションのように形式だけは新しいものを追い求めながら、肝腎の中身は全く空疎な作品ばかりが生み出され、もてはやされることへの痛烈な皮肉でもあったはずです。
この第4番の交響曲は、どの部分を取り上げても見事なまでにロマン派的なシンフォニーとして完成しています。
冒頭の数小節を聞くだけで老境をむかえたブラームスの深いため息が伝わってきます。第2楽章の中間部で突然に光が射し込んでくるような長調への転調は何度聞いても感動的です。そして最終楽章にとりわけ深くにじみ出す諦念の苦さ!!
それでいながら身にまとった衣装(形式)はとことん古めかしいのです。
新しい形式ばかりを追い求めていた当時の音楽家たちはどのような思いでこの作品を聞いたでしょうか?
控えめではあっても納得できない自分への批判に対する、これほどまでに鮮やかな反論はそうあるものではありません。
眩しいまでの若さが溢れる演奏〜1953年のデッカ録音
帝王カラヤンと人気を二分したバーンスタインですが、その残された業績には様々な評価が入り乱れてなかなか一致点を見いだすのは難しいようです。取りあえず、彼の指揮者としてのキャリアを振り返ってみれば、以下の3期に分けられることには誰も異存はないでしょう。
(1)1943年〜1958年 衝撃のデビュー・コンサートからニューヨーク・フィルの常任指揮者就任まで
(2)1958年〜1969年 ニューヨーク・フィルの常任指揮者時代
(3)1969年〜1990年 ニューヨーク・フィルの常任指揮者を辞任してから亡くなるまで
この3期を、ホップ・ステップ・ジャンプと捉えて、客演指揮者として世界中のオケを指揮してまわった晩年をベストとする人と、そうではなくてニューヨークフィルの常任指揮者として活躍していた時期こそがベストだと言う人と、大きく分けて二分されるようです。
晩年の超絶的スローテンポの演奏を重厚で円熟の極みと褒めちぎる人もいれば、どうにも「付き合いきれんなぁ・・・!」と言う人も少なからず存在して、そう言う連中は「荒さはあってもニューヨークフィル時代がベスト!」なんて言っていました。
ユング君は、それぞれの時期にいい録音もあればあまりよくないものもあるという当然の前提はふまえながら、それでも二択を迫られれば迷うことなく若い時代を選ぶ人でした。
余談になりますが、バーンスタインが最晩年にイスラエルフィルを帯同した来日公演で演奏したマーラーの9番は、「ベルリン・フィルとの歴史的演奏をも凌ぐ壮絶な超名演」と評されて絶賛の嵐を巻き起こしたものです。ユング君もおそらくバーンスタインもこれが最後かもしれないと思って、その演奏会を聴きに出かけたのですが、正直申し上げて、超絶的なまでのスローテンポで、尚かつ、延々とピアニシモで演奏される終楽章にはすっかり恐れ入って(辟易として??)、とてもじゃないが「付き合いきれんなぁ」と思いつつ、これまた延々と続くカーテンコールに背を向けてさっさと家路に向かった一人でした。まあ、お前にはマーラーを聴く耳がないんだと言われればそれまでですが・・・。
思うに、「芸」というものは年齢とともに右肩上がりに上昇していくものではないようです。必ず、どこかで頂点があり、そこを超えれば必ず低下し始めるのが「芸」というものです。ただ、名人と呼ばれるような人は、頂点を極めた後の落ち込みが非常に小さくて、年齢を重ねても非常に高いレベルの芸を披露してくれるのが名人の名人たるゆえんです。そして、人はそう言う芸を「円熟」という名で賞賛するのです。
しかし、ユング君は年を経た後の「円熟」ではなくて、その「頂点」に向けて上昇を続けている若い時代の「勢い」にこそ魅力を感じます。もちろん、「円熟の芸」というのを否定する気はないのですが、それでも、頂点に向けて駆け上がっていくときの唯一無二の魅力は望むべくもありません。
1953年の6〜7月にバーンスタインはデッカとの間で初めて交響曲の録音をしています。
*ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」 6月22日録音
*シューマン:交響曲第2番 6月24&26日録音
*ブラームス:交響曲第4番 6月29日録音
*チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」 6月29&30日録音
*ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」 7月28日録音
本当に「一気!!」という感じでに録音されたこれらの演奏は、そう言う「若さ」にしか持ち得ない「勢い」が横溢しています。もちろん、バーンスタインにしてみれば初めて訪れた大きな録音の仕事ですから、それこそ万全を期して指揮棒を握ったことでしょう。しかし、そんなプレッシャーなどは微塵も感じさせない伸びやかな勢いを感じさる演奏に仕上がっています。
もちろん、後の時代の録音と比べれば荒さも未熟さもあるわけですが、伝統や約束事にとらわれず、自分の信じる音楽を精一杯表現しようとする「若さの勢い」はこの上もなく眩しいものです。
もしも、指揮者というものは、年を経て年輪を重ねた時期の芸こそがベストだと思っておられる方がいれば、是非ともこういう若い時代の録音に虚心坦懐に耳を傾けてほしいと思います。
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よせられたコメント
2009-11-08:あつし
- いいですね。若かりし頃のバーンスタインの勢いが、実に広がりのある演奏となって表れているようで、個人的には晩年の全集よりもこちらを採りたいですね。
2009-11-19:せいの
- 若いころはブラームスは好きだったんですが、中年の域になり、暑苦しく、鬱陶しく感じるようになってしまいました。しかし、この演奏はそんな印象を受けません。正攻法で攻めて、なんとすがすがしい音楽でしょう。元気はつらつ、こんなに憂いの少ない4番を聞くのは初めてです。しかし、決して薄味にはなっていませんね。2楽章なんかはほんとに美しい。
さっそくCDを探してみました・・・が・・・ありませんねえ・・・。
いろんな指揮者が晩年には弛緩した演奏をしてしまい、がっかりすることがあります。たぶん、これだけの大人数のプロをまとめあげて制御するには、それなりの気力、体力がいるのではないかと思っています。
2009-11-22:シューベルティアン
- 私はバッハ、ベートーベン、シューベルトをとくべつ尊重して、何度でも飽かず聞いているんですが、ブラームスにはあまり惹かれません。なぜだかわからない。みんなが好きなものを自分も好きになりたいんですが。シンフォニーの一番にせよ四番にせよ、ベートーベンを強烈に意識して、ずいぶん苦労して書き上げたというわりに、たいしたことないじゃないか? と思ってしまいます。
誰かブラームスの魅力を教えてくれる人いませんか。
小林秀雄が「あれは本質的に老年作家だね!」とかなんとかいっていたので、若い時分には理解しにくいものなのかなあ、と思ったら下の「せいの」さんはまったく反対のことをいっておられる。私にはどうもとっつきにくい、不可解な、難しい作曲家なのです。
2009-11-22:yung
- 「シューベルティアン」さんのコメント、実によく分かります。私も長い間、ブラームスはどうにも苦手でした。
でも、テンシュテットが初来日したとき、大阪のフェスティバルホールですばらしいブラ1を聞かせてもらって、見る目・聞く耳が変わってしまいました。
そう言えば、最近、作曲家の吉松隆氏がこんな事を書いていて、フフフッと笑ってしまいました。
ブラームス先生の凄さ
「♪ブラームスはどこが凄くてどこが斬新なんでしょうか?
いや、どこも凄くなくてどこも斬新じゃないでしょう。・・・
♪じゃあ全然ダメじゃないですか?・・・
とんでもない!・・・その「どこも凄くなくてどこも斬新でない」ところが凄くて斬新なんですよ!」
冗談めかして書いていますが、卓見だと思います。
2009-11-23:シューベルティアン
- まさかご返事いただけるとは。Yungさんありがとうございます。
吉松隆氏のそのセリフは、なんともいえず面白いですね。
えらい音楽だと思って気張って聞かないほうがいい、ということかもしれませんね。
僕はCD党員だもんで、生演奏で曲の真価を知った! なんて話を聞くと、うらやましくってなりません。一度でいいから、そういう体験をしてみたいですよ。
興味深いご返事、ありがとうございました。
──────────────────────
2009-11-28:カンソウ人
- ブラームスの交響曲は、偏差値が高いという言われ方をする。
単なる穴埋め的な和音の付き方をするところが少なくて、旋律的に動くことが多い。
オーケストレイションの上で、金管だけ木管だけ弦だけが使われるところが少なく、うまく混ぜて使われる。
同じような部分の繰り返しが少なくて、うまく音色・伴奏音形・モチーフなどに違いを作りながら聴く耳を退屈させないように、又は違いすぎて唐突にならないようにする。
どの楽器にも比較的活躍の場を与えている。木管系でも1番ばかりが目立つのではなく、以下の奏者にも演奏に参加する喜びを与えられている。
オーケストラの団員には、受けが良く演奏する喜びがあると思う。
こう書いていて、ブルックナーの反対のような気がするが、どちらも天才であることは間違いがない。ブラームスを演奏して、弦楽器の人が肘を腱鞘炎でいためる、金管の人の唇が腫れあがるとか、なんてありえない。しかし、何が言いたいかと言う点においてはブルックナーの方が圧倒的に明快で、「神がそこにおられる」という一点のみという潔さが素晴らしい。朝比奈隆のブルックナーの素晴らしさで、この神はキリスト教である必要はないような気が私にはしている。
ブラームスの場合、何が言いたいかという点で潔さは無く、そこは寂しい。ベートーベンの後継者になりたかったのは理解できるが、個人的な発言では無い気がする。
それほどたくさんの演奏や作品に触れたわけではないけれど、ブラームスの作品で自分にとって納得がいくものは、ピアノ協奏曲の1番、交響曲の4番作品98、ピアノ曲で7つの幻想曲作品116、3つの間奏曲作品117、6つの小品作品118、4つの小品作品119である。
バーンスタインは、この曲の魅力をニューヨークフィルを使って説明しているのだと思う。私の住んでいる近くには大学図書館があり、そこの良聴覚ライブラリーの中に彼の若き日の、若い人々のためのコンサートのヴィデオが全巻あり、コツコツとほとんどを視聴した。長々マイクを持って話をした後で演奏していた。作曲家のこと、作曲技法のこと、音楽の聴き方のこと、解説と言うよりは大学でも授業に近かった。近視眼的な音楽の部分の説明と視野の広い総合的な音楽の演奏とを、対比させていた。
指揮をすることは、作曲の勉強としてはこの上なく素晴らしく、大学時代合唱ではあるが学生指揮者でそれを感じた。オーケストラがバンと出る時、当時のニューヨークフィルでは説明したり練習したりすることがたくさんあり、ウィーンフィルでは指揮者が邪魔しないことが大切。どうやってほしいかが分かれば、指揮せずとも演奏される。この差は大きいように思う。
そこに、オーケストラをうまく練習させることが出来る、セル、ライナー、ドラティ、ショルティ、若き日のストコフスキーらと、作曲家バーンスタインとは違うのではと思った。
この曲は、カルロスクライバーとウィーンフィルの演奏で魅力を知った。オーケストラの音色の斬新さに魅力に全身が震える思いがした。音がホールの壁に吸い込まれていくその瞬間の美しさ。アルゲリッチのピアノ音と何か共通の物を感じる。整理された建築物のような響きの美しさとは全く違う物であった。バルビローリの柔らかい優しさとも違っていた。この曲は、崩れ去る前の一瞬の美を要求しているのかもしれないと思っている。
このサイトに、ブラームス晩年のピアノ曲集がないのが寂しい。ここには、ブラームス本人が登場しているように思うから。
今は、バーンスタインがウィーンフィルと演奏した記録を聴くのを楽しみにしている。
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