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ペルルミュテール(Vlado Perlemuter)|モーツァルト:ピアノソナタ第8番 イ短調 K 310
モーツァルト:ピアノソナタ第8番 イ短調 K 310
(P)ペルルミュテール 1956年録音
Mozart:ピアノソナタ第8番 イ短調 K 310 「第1楽章」
Mozart:ピアノソナタ第8番 イ短調 K 310 「第2楽章」
Mozart:ピアノソナタ第8番 イ短調 K 310 「第3楽章」
モーツァルトの人生における重要なターニングポイント
ソナタ第7番 ハ長調 K 309 1777 マンハイム
ソナタ第9番 ニ長調 K 311 1777 マンハイム
ソナタ第8番 イ短調 K 310 1778 パリ
さて、最初の6曲(K279〜284)に続く3曲は、就職先を求めて母と二人で行ったパリ旅行の途中で作曲されたものです。
この演奏旅行は、父レオポルドの厳格な監督から生まれて初めて解放された時間を彼に与えたと言う意味でも、さらには当時の最先端の音楽にふれることができたという意味でも、さらにはパリにおける母の死という悲劇的な出来事に遭遇したという意味においても、モーツァルトの人生における重要なターニングポイントとなった演奏旅行でした。
K310のイ短調ソナタに関してはすでに語り尽くされています。ここには旅先のパリにおける母の死が反映しています。あまりにも有名な冒頭の主題がフォルテの最強音で演奏される時、私たちはいいようのないモーツァルトの怒りのようなものを感じ取ることができます。そしてその怒りのようなものは第2楽章の優しさに満ちた音楽をもってしても癒されることなく、地獄の底へと追い立てられるような第3楽章へとなだれ込んでいきます。
疑いもなく、ここには母の死に直面した当惑と、その死に直面して何の為すすべもなかったふがいない己への怒りが満ちているように思えます。
そして、それに先立つ二つのソナタK309とK311から、レオポルドの監督から逃れて思う存分に羽を伸ばしているモーツァルトの素顔が透けて見えるだけに、その痛ましさはよりいっそう深まります。
パリへ向かう途中のアウグスブルグとマンハイムで作曲されたと思われるK309とK311には自由を満喫して若さと人生を謳歌している屈託のない幸せなモーツァルトの喜びがあふれています。この二つのソナタとイ短調ソナタを比べてみると、わずか6ヶ月で人はこんなにも飛躍できるものなのかと驚嘆させられます。
今の私には荷が重過ぎる
1956年はモーツァルトの生誕200年に湧いた年で、この年に向けて多くのレコード会社が意欲的な録音を企画し実行に移していきました。例えば、デッカは総力を挙げてこの年に照準を合わせて4大オペラの録音に取り組みました。EMIは1953年にはギーゼキングが世界初のピアノソナタのコンプリートを完成させています。そんな中の一つにこのペルルミュテールによるピアノソナタのコンプリートがありました。
ペルルミュテールはラヴェルの高弟と言うことで、基本的には「ラヴェル弾き」と思われているのですが、このコンプリートの依頼を受けてから積極的にモーツァルトを取り上げるようになっています。もちろん、モーツァルトの録音はこれが最初だと思うのですが、それまでもコンサートではよく取り上げていたようです。しかし、録音という形でモーツァルトと正対するようになってからは、次のように語っています。
「これまでモーツァルトは数多く弾いてきた。だけど今の私には荷が重過ぎる。」
いささか出来すぎた言葉だとは思うのですが、しかし、このコンプリートの録音を聞くと、なるほどな!と思わせられる部分があることも事実です。
とにかくこの演奏は「謙虚」です。
これほどまでも、演奏者の「我」が前面に出ない演奏は珍しいのではないでしょうか。とにかく、つまらないルパートや装飾というものが一切ないので、モーツァルトの音楽が実にクリアに、明晰に浮かび上がってきます。演奏者が「まあ、こんなモンだろう!」という感じで適当に弾きとばしている部分が全くない演奏で、細部の細かい音の動きの一つ一つまでもが確信を持って再現されていきます。その事が結果として、モーツァルト作品の持つ光と影の微妙な交錯が鮮やかなまでに浮かび上がらせてくれます。
なるほど、こういうごまかしのきかない音楽作りでモーツァルトと向き合えば、荷が重すぎると感じるのは当然のことだと納得させられた次第です。
パッと聞いただけでは何の変哲もないありきたりのモーツァルトに聞こえるかもしれませんが、この「変哲もないモーツァルト」を成り立たせるためには、その下部構造においてどれだけの労力がつぎ込まれている事かと呆然とさせられます。
そういう意味では、この演奏は基本的には50年代を席巻した新即物主義の流れの中にあるギーゼキングの業績と同じベクトルを持っています。
しかし、同じベクトルとはいってもギーゼキングにはないものをペルルミュテールは持っています。それが、音色のヨロコビであり、それこそがこの演奏の最大の魅力となっているように思えます。
ユング君はかつてギーゼキングの演奏の歴史的価値を認めながらも「今日の贅沢な耳からすればもう少し愛想というか、ふくよかな華やぎというか、そういう感覚的な楽しみが少しはあってもいいのではないかと思う側面があることも事実です。」と書いたことがあります。この二人、ギーゼキングとペルルミュテールは、モーツァルトに真摯に仕えるというスタンスは同じですが、ペルルミューテルにあってギーゼキングにないのはこの「ふくよかな華やぎ」です。
確かに、ギーゼキングの透明感に満ちた音色も素晴らしいものですが、それがモーツァルトに最適なものか?と聞かれれば疑問なしとは言えません。それに対して、このペルルミュテールの音色にはモーツァルトに相応しい何とも言えないふくよかな華やぎがあります。おそらく、そのかなりの部分がプレイエルのピアノが貢献しているでしょうし、残りの部分をラヴェルが絶賛した繊細に音色を紡ぎ出す彼のタッチが貢献しているのでしょう。
誰かが、この演奏のことを、ピアノ好きにとっては「マタタビ」のような魅力があると語っていました。一度はまってしまえば、これ以外は受け入れられないと思わせるような「魔力」を持った演奏です。
そのためか、この録音は中古市場では天文学的な価格で取引されていました。(聞くところによると、6枚セットのLP全集が100万円!!)
まさに、「マタタビ」のなせる技です。
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