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チャイコフスキー:交響曲第5番

ムラヴィンスキー指揮 レニングラードフィル 1956年6月録音



Tchaikovsky:交響曲第5番 「第1楽章」

Tchaikovsky:交響曲第5番 「第2楽章」

Tchaikovsky:交響曲第5番 「第3楽章」

Tchaikovsky:交響曲第5番 「第4楽章」




何故か今ひとつ評価が低いのですが・・・

チャイコフスキーの後期交響曲というと4・5・6番になるのですが、なぜかこの5番は評価が今ひとつ高くないようです。

 4番が持っているある種の激情と6番が持つ深い憂愁。その中間にたつ5番がどこか「中途半端」というわけでしょうか。それから、この最終楽章を表面的効果に終始した音楽、「虚構に続く虚構。すべては虚構」と一部の識者に評されたことも無視できない影響力を持ったのかもしれません。また、作者自身も自分の指揮による初演のあとに「この作品にはこしらえものの不誠実さがある」と語るなど、どうも風向きがよくありません。
 ただ、作曲者自身の思いとは別に一般的には大変好意的に受け入れられ、その様子を見てチャイコフスキー自身も自信を取り戻したことは事実のようです。

 さてユング君はそれではどう思っているの?と聞かれれば「結構好きな作品です!」と明るく答えてしまいます。チャイコフスキーの「聞かせる技術」はやはり大したものです。確かに最終楽章は金管パートの人には重労働かもしれませんが、聞いている方にとっては実に爽快です。第2楽章のメランコリックな雰囲気も程良くスパイスが利いているし、第3楽章にワルツ形式を持ってきたのも面白い試みです。
 そして第1楽章はソナタ形式の音楽としては実に立派な音楽として響きます。
 確かに4番と比べるとある種の弱さというか、説得力のなさみたいなものも感じますが、同時代の民族主義的的な作曲家たちと比べると、そういう聞かせ上手な点については頭一つ抜けていると言わざるを得ません。
 いかがなものでしょうか?

主観的解釈の客観的表現がみせる至芸の極致


ムラヴィンスキーと彼の手兵であるレニングラードフィルのコンビが西側に初めてその姿を表したのが1956年のモーツァルト生誕200年を記念した音楽祭でした。その初めてのヨーロッパ公演の途中にチャイコフスキーの3つの交響曲が録音されました。
ムラヴィンスキーのチャイコフスキーと言えば60年に同じくウィーンにおいて行われた再録音の方が広く世間に流通しています。60年盤がステレオ録音であるのに対して56年盤はモノラル録音であること、さらには56年盤には4番がザンデルリングが担当しているのに対して60年盤の方は全曲をムラヴィンスキーが指揮をしている・・・等々というアドバンテージ考えれば仕方がありません。
しかし、今回56年盤がパブリックドメインの仲間入りしたこともあってあらためて聴き直してみたのですが、いやはや、このコンビが放射する圧倒的なパワーには脱帽です。演奏の精緻さ、強力な低声部に支えられた鋼のような響き、そしてその鋼鉄の響きが一糸乱れることなく驀進していく強力なエネルギー感などなど、60年の再録音と比べても全く遜色がありません。

少し前になるのですが、掲示板の方に「ムラヴィンスキーの本芸はモーツァルト・ベートーヴェン・ブラームス・ついでにブルックナーで、チャイコは刺身のツマ!」という書き込みに大人げなくも熱くなって(^^;反論したことがあります。
曰く、
「『チャイコフスキーのシンフォニーをベートーベンの不滅の9曲にも匹敵する偉大な音楽だと心の底から信じた男』というのは、私の思いつきの言葉ではなくて(^^;、ムラヴィンスキーが至るところで、繰り返し、繰り返し語っていることです。
とりわけ6番については暇さえあればスコアを眺めて、時には涙していたそうです。もちろんその姿勢に関しては4番も5番もそう大差のあるものでありません。
ムラヴィンスキーに関しては、その人間性も含めてなかなかその姿が正確に伝わってこないもどかしさがありましたが、最近よい本が出版されました。

「ムラヴィンスキーと私」 河島みどり 著

この本はムラヴィンスキーの未亡人から彼の膨大な日記やショスタコーヴィッチとの往復書簡などを提供されて書かれたもので、実に興味深いものです。
私もこれを読んで、何故に彼のチャイコフスキーがあんなにも立派なのかが理解できました。
それは、チャイコフスキーの交響曲のような作品でも立派に造形した のではなくて、まさにそれに値するほどの偉大な作品だと心の底から信じていた からこそ、あのような立派な演奏をなしえたのだと教えられました。
ですから、ムラヴィンスキーにとって、彼の演奏を総括して誰がどのように評論しようとも、彼にとってチャイコフスキーはその人生の最後の瞬間まで、最も偉大で重要な作曲家の一人だったのです。」

今回56年盤を聴き直してみて、この考え方を変える必要が全くないことを確信しました。
確かに、ムラヴィンスキーが演奏するチャイコフスキーには音楽職人としてのチャイコフスキーが持つ「軽み」や「優雅さ」みたいなものが欠落していることは事実です。しかし、そんなことはどうでもいいのです。また、人によっては、ムラヴィンスキーの演奏ではチャイコフスキーが意図した以上のものが表現されていると批判されることもあります。それもまた、どうでもいいことなのです。
ここで聴くことができるのは、「ムラヴィンスキーという男の信じたチャイコフスキーの姿」なのです。
「主観的解釈の客観的表現がみせる至芸の極致」
これこそが、ムラヴィンスキーを聴く喜びなのです。そして、彼が心の底から共感した音楽家の一人がチャイフスキーだったのです。

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