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オーマンディ(Eugene Ormandy)|ラヴェル:組曲「クープランの墓(管弦楽版)」(Ravel:Le Tombeau de Couperin)
ラヴェル:組曲「クープランの墓(管弦楽版)」(Ravel:Le Tombeau de Couperin)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1958年11月16日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on November 16, 1958)
Ravel:Le Tombeau de Couperin [1.Prelude]
Ravel:Le Tombeau de Couperin [2.Forlane]
Ravel:Le Tombeau de Couperin [3.Menuet]
Ravel:Le Tombeau de Couperin [4.Rigaudon]
戦死した友人たちへのレクイエム

ラヴェルは作曲家としてデビューしたときはドビュッシーを尊敬し、その影響を強く受けたことを認めています。しかし、その後ラヴェルが歩んだ道はドビュッシーが切り開いた印象派の音楽とはずいぶん異なるもののように思えます。
特に、よく指摘されることですが、時を経るにつれてラヴェルは古典的な明晰さを前面に打ち出すようになっていきます。
ドビュッシーの輪郭線のぼやけた茫洋たる世界とは対照的な、はっきりくっきりした世界を構築していきます。さらに音楽の形式もどんどん簡潔なものに変化しています。
そして、ラヴェルのもう一つの特質は、コンサートグランドの性能を極限まで使い切る事への強い関心です。
その関心はこの「クープランの墓」にも反映していて、第6曲の「トッカータ」は古今のピアノ曲の中でも指折りの難曲として有名ですし、その演奏効果は絶大なものがあります。
こういうラヴェルという作曲家をどうしてドビュッシーが切り開いた「印象派」という世界に閉じこめようとするのでしょうか?ホントに不思議です。
さて、この「クープランの墓」ですが、彼の音楽がより明晰で簡潔なものへと変化していく中で深く傾倒していったフランス古典音楽の大家たちへのオマージュとして構想されました。
しかし、1914年に着手されたこの作品は第1次世界大戦の勃発によって作曲が一時中断されます。
そして、ラヴェル自身も兵士として参戦し、戦いの中で多くの友人を失います。ラヴェル自身は病気によって1916年に除隊するのですが、この戦争体験は彼に深い悲しみを与え、ノルマンディーの片田舎に引きこもってこの作品の完成に没頭します。そして、1917年にようやく完成した時には、当初の18世紀古典音楽へのオマージュという形式を乗り越えて、第1次大戦で亡くなった友人たちへのレクイエムという性質を持つようになります。
ラヴェル自身は6つの小品それぞれを亡くなった友人たちに捧げています。
これは、亡くなった音楽を追悼するために一つの作品を捧げるという18世紀のスタイルを踏襲したものなのですが、そう言う意味で、この作品は「オマージュ」と「レクイエム」の二重構造をもつ作品になったわけです。
- 第1曲:プレリュード(前奏曲、Prelude)
ジャック・シャルロー中尉に捧げられている。抑揚のない音楽で装飾音が多用されているので、まるでチェンバロ曲のような風情。
- 第2曲:フーガ (Fugue)
ジャン・クルッピ少尉に捧げられている。フーガですから、何本もの旋律をきちんと浮かび上がらせるポリフォニックなテクニックが求められて、意外とムズイ・・・と言う話もあり。
- 第3曲:フォルラーヌ (Forlane)
ガブリエル・ドゥリュック中尉に捧げられている。フォルラーヌとは北イタリアを起源とする古典的舞曲のこと。
- 第4曲:リゴードン (Rigaudon)
ピエール&パスカルのゴーダン兄弟に捧げられている。リゴードンは、南仏プロヴァンス地方の力強く野性的な古典的舞曲のこと。ゴチャゴチャした和音の中から主たる旋律を浮かび上がらせるのがけっこうムズイ・・・と言う話もあり。
- 第5曲:メヌエット (Menuet)
ジャン・ドレフュスに捧げられている。落ち着いたメヌエットで、ホッと一息。
- 第6曲:トッカータ(Toccata)
ジョゼフ・ドゥ・マルリアーヴ大尉に捧げられている。彼の奥さんはあの有名なマルグリット・ロンです。
ラヴェルのピアノ作品の中ではオンディーヌやスカルボ(夜のガスパール)と並んで、難曲中の難曲として有名です。ピアニスティックで壮大な盛り上がりを見せて曲が結ばれるので演奏効果も絶大です。ただし、途切れることの無い高速の連打はかなりムズイ・・・とは誰もが認めるところです。
ちなみに、この作品は未亡人となったマルグリット・ロンによって初演されました。
なお、ラベルはこの中から4曲(Prelude・Forlane・Menuet・Rigaudon)を選んで管弦楽曲に仕立てていて、そちらもよく演奏会に取り上げられます。
オーケストラの機能性を極限まで追求するラヴェル作品は、このコンビにとっては相性がいいようです。
吉田秀和氏がラヴェルの音楽をあまり評価していなかったという話を聞いたことがあります。
ラヴェルと言えば真っ先に思い浮かぶのは「スイスの時計職人」という言葉です。彼の作品は、例えばピアノ曲であれば、極限まで進歩したコンサート・グランドの全ての機能を使い切った音楽を指向していましたし、管弦楽曲であれば、オーケストラの可能性の全てを追求したかのような多彩で繊細な、そして時にはこの上もなく豊麗な響きを追求しました。
音楽というものは「言葉が尽きたところから始まる」と言った人がいました。それは言葉では表現できない人間の感情や思念を音に託したものが音楽だと言うことになります。
この言い方になぞらえるならば、ラヴェルの音楽というのは極めて豪奢な入れ物であるにもかかわらず、その中には「魂」というものが入っていないかのように見えると言うことです。
そして、こういう言い方をすると吉田秀和氏に対して不遜な物言いになることは承知しているのですが、そう言う音楽を評価しようとしなかった価値判断の根底には、彼らが生きた時代の「教養主義」的な価値観が根を張っていたのだろうなと思ってしまいます。
おそらく、ラヴェルは疑いもなく「時計職人」でした。
時計にとって重要なことは「正確に時を刻む」事であって、そしてその機能を極限まで実現するために微細な部品をこの上もなく機能的に、そして精緻に組み上げる必要があります。そして、その様にして組み上げられた機械式の時計はラヴェルの音楽と相似形です。
そして、そのような「時計」が時として「魂」を宿したものであるかのように見えるのと同様に、精緻で華麗なピアノの技法や管弦楽法によって仕上げられたラヴェルの音楽にも「魂」が宿ったかのように見えるときがあるのです。
しかし、そのためには、演奏する側には最初から「精神性」などと言うものは無視する「勇気」が必要です。
重要なことは「精神性」などと言う曖昧なものではなくて、職人ラヴェルが仕上げた精緻な音楽をあるがまに精緻に表現しつくす「腕」と「忍耐」なのです。
そう考えれば、このオーマンディとフィラデルフィア管による演奏は、そう言うスタイルに徹した典型的な演奏であるかのように見えます。
ただし、そのスタイルは、精緻さに焦点をあてたアンセルメとスイス・ロマンド管の演奏とは異なった方向性でラヴェルの要求に応えようとしていることは見ておく必要があります。
1958年に録音された「道化師の朝の歌」ではアンセルメを思わせるようなエッジの立ったシャープな音づくりへの指向が聞き取れます。同じ年に録音された「クープランの墓」も第1次大戦で亡くなった友人たちへのレクイエムという性質を持った作品ですから、それほどゴージャスに鳴らすのは控えているように聞こえます。
しかし、翌年に録音した「ラヴェル:ダフニスとクロエ」では精緻でありながらも響きの美しさが聞くものを惹きつけます。
そして、60年代以降に録音された作品はフィラデルフィア管の機能をフルに発揮して、華麗で豊満な響きでラヴェルの要求に応えようとしています。
60年に録音された「ボレロ」ではオケの個々のプレーヤーの名人芸が光りますし、63年録音の「ラ・ヴァルス」では滅びに向かう退廃性と、最後には玉と砕け散る「滅び行くものの華麗なまでの美しさ」を表現しつくしています。それは、同じ年に録音した「スペイン狂詩曲」では、より健康的な華やかさとして表現されています。
もう一つ同じ年に録音された「亡き王女のためのパヴァーヌ」では、聞き手はその作品に相応しい官能性に身をゆだねることが出来ます。
そう言う「精神性」などと言うものとは全く無縁の地点で、オーケストラの持つ機能性を極限まで発揮することが要求されるラヴェルのような作品は、このコンビにとって極めて相性がいい様に見えます。
クラシック音楽のコンサートというものは、「芸術」と「興行」という二律背反する要素を常にはらんでいます。
しかしながら、「芸」を伴わない「芸術」を聞かされるくらいならば、こういう「興行」に徹した「芸」を聞かせてくれる方がはるかにましです。
明治時代の職人達が作りあげた工芸品の多くは今では再現不可能なほどに精緻なものが多いと聞きます。そして、自己満足にしか過ぎない現在の「芸術品」の多くはそういう精緻に仕上げられた「工芸品」の足元にも及ばないのです。
ですから、こういう作品と演奏に対して中味がスカスカの外面的効果だけを狙ったものだという批判はそれなりの正当性を持ったとしても、ラヴェルにしてもオーマンディにしても、そんな事は最初から知ったことではないのです。
不思議な話ですが、そう言うことに徹しているが故に、音楽とはどういうものかをじっくりと見直す良い切っ掛けになるのではないでしょうか。
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