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ギオマール・ノヴァエス(Guiomar Novaes)|ショパン:2つのワルツ Op.69(遺作:第9番・第10番)&3つのワルツ Op.70(遺作:第11番~第13番))&ワルツ ホ短調(遺作:第14番)(Chopin:Waltzes, Op.69&Waltzes, Op.70&Waltzes, Op.0Posth)
ショパン:2つのワルツ Op.69(遺作:第9番・第10番)&3つのワルツ Op.70(遺作:第11番~第13番))&ワルツ ホ短調(遺作:第14番)(Chopin:Waltzes, Op.69&Waltzes, Op.70&Waltzes, Op.0Posth)
(P)ギオマール・ノヴァエス:1953年発行(Guiomar Novaes:Published in 1953)
Chopin:Waltzes No.9, Op.69 [No.1 in A-flat major L'Adieu]
Chopin:Waltzes No.10, Op.69 [No.2 in B minor]
Chopin:altzes No.11, Op.70 [No.1 in G-flat major]
Chopin:altzes No.12, Op.70 [No.2 in F minor]
Chopin:altzes No.13, Op.70 [No.3 in D-flat major]
Chopin:Waltz No.14 in E minor, Op.Posth
ショパンの手によって芸術として昇華した
いわゆるウィーン風のワルツからはほど遠い作品群です。
ショパンがはじめてウィーンを訪れたときはJ.シュトラウスのワルツが全盛期の頃でしたが、その音楽を理解できないと彼は述べています。
いわゆる踊るための実用音楽としてのワルツではなく、シューマンが語ったようにそれはまさに「肉体と心が躍り上がる円舞曲」、それがショパンのワルツでした。また、全体を通して深い叙情性をたたえた作品が多いのも特徴です。
ショパンの手によってはじめてワルツと言う形式は芸術として昇華したと言えます。
ショパン:ワルツ 変イ長調, Op.42(第5番)
ショパンの一連のワルツ作品の中でも最も優れた作品の一つと言えるでしょう。
ショパンの円熟期ともいえる1840年に作曲されたもので、この頃のショパンは公開の場での演奏活動から距離をおいていた時期でもあります。そして、この時期はドイツのの楽譜出版社であるライトコプフ・ウント・ヘルテル社と頻繁に出版交渉を重ねている時期でもありました。
そこには、ショパンの心境の変化もあったようで、サロン音楽と言えば「会話の付随物」としか思われていなかったドイツにおいて、いわゆる「サロン音楽」の地位を引き上げようとする意気込みがあったのかもしれません。
確かに、パリにおいてはショパンのワルツは「もっとも高貴な種類のサロン楽曲である」と評価されていました。
とりわけ、このOp.42(第5番)のワルツには舞踏詩としての側面とワルツ本来が持っている形式が見事に融合しています。
また、楽曲の規模も大きく長大なコーダも印象的です。さらには、ピアにスティックな効果も満点で、まさにショパンのワルツの一高峰と言ってもいいでしょう。
その意味において、「ワルツが単なる飾り物でない」とするシューマンの言葉を裏付ける作品と言えます。
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ショパン:2つのワルツ Op.69(遺作)(第9番・第10番)
ショパンの死後に出版された作品なので遺作とされるのですが、作曲時期は第9番(Op.69 No.1)は1935年頃、第10番(Op.69 No.1)は未だパリの社交界を知らぬ19歳のころの作品ではないかと考えられています。
第9番はドレスデンを訪れたときに世話になった一家に美しい少女がいて、その美しさに魅せられたショパンが彼女に贈ったものです。
その旋律は美しく優雅であり、また同時にどこか憂鬱な部分もあるために「別れのワルツ」ともいわれます。
第10番は(Op.69 No.2)は若い頃の作品ということで、ショパンのワルツの中でももっとも民族的な薫りを持つ作品です。ショパンはこの時期にこのロ短調のワルツも含めて5曲のワルツを作曲したことが知られています。
ちなみに、19歳のショパンはワルシャワ音楽院の歌姫コンスタンツァにはじめての恋をしていて、友人に「僕にとっては不幸なことかもしれないが、僕はすでに理想のひとを見つけた」と打ち明けた事はよく知られたエピソードです。
第8番(Op.64 No.3)は暗鬱な第7番とは一転して明るさと喜ばしさに溢れています。かといって、この作品は病の苦しみから抜け出したわけでもなく、第7番を作曲したときと同じような状況の下で書かれたものだというのですから、驚くしかありません。
全体はあでやかな旋律に彩られているのですが、そこにはどうしても何らかの「無理」みたいなものを感ずことも否定できません。
ショパン:3つのワルツ Op.70(遺作)(第11番~第13番)
第11番(Op.70 No.1)は主題は飛び跳ねるような旋律です。しかし、変ニ長調に転調すると楽想が一転して優美な旋律が登場するあたりが印象的です。全体として手の込んだ美しい作品と言えるでしょう。
第12番(Op.70 No.2)もまた非常に甘い美しさに溢れていて、同時に感傷的な音楽になっています。その意味では歌謡性に富んだ作品と言えるのですが、第1番も同様にいささかその方向に引っ張られすぎている傾向は否定できないようです。
第13番(Op.70 No.3)は第1番、第2番と違って若い頃の作品です。おそらく、これもまた初恋の女性を想って書かれた作品群の一つのようです。それはまさに青春の憧憬に溢れた音楽であり、3つの作品としてショパンの死後にまとめられOp.70の中ではもっとも聞き手の心にも迫ると同時に完成度も高い作品です。
ショパン:ワルツ ホ短調(遺作) KK IVa-15(第14番)
ショパンの死後に出版された一連の遺作の中でも人気の高い作品です。それは、ピアニスティックな側面が際だっていて弾き手にも聴き手にもアピールする要素が強いからでしょう。
しかし、ワルツの分野において舞踏のための実用音楽としての領域から離れていったショパンからすれば、この差空品は明らかに舞踏のための音楽の枠におさまってしまっています。
おそらく、年代的に華麗な3つのワルツと同じような時期に作曲されたものと考えられているのですが、華やかコーダの魅力には抗いがたいものがあります
考え抜かれた演奏
ギオマール・ノヴァエスはかなりまとまった数のショパン作品を録音しています。この時代を考えれば(今の時代も同じかも)当然と言えば当然なのかもしれませんが、やはり聞き手にとっては嬉しい事実です。
ノヴァエスは「ブラジルの偉大なピアニスト」といわれることもあり、「パンパスの女パデレフスキー」とよばれることも多かった人です。このパンパスとは言うまでもなく、ブラジル南部に広がる草原地帯のことです。幼い頃に育ったブラジルの風土や文化は彼女の心の奥深い部分に根を張っている事は否定できないでしょう。
しかし、10代半ばでパリに移り住み、パリ音楽院でイシドール・フィリップに学ぶ事でピアニストとしての基礎を固め、その後はアメリカを中心に、とりわけニューヨークを拠点に活動を行いましたから、音楽的には生まれ故郷のブラジルとの関わりはそれほど大きくはないと思われます。
ですから「パンパスの女パデレフスキー」という異名の「パンパス」の方は音楽的にはあまり影響はあたえておらず、重要なのは、「女パデレフスキー」の方でしょうか。つまり、彼女が19世のロマン主義的なピアニストを連想させる事の方が重要かもしれません。
つまりは、彼女の出発点はヴィルトゥオーゾ的ピアニストとしてのものであり、優れたテクニックで数多くの作品を楽々と弾きこなす存在だったと言うことです。
そして、何よりも丹念に旋律線を歌い込むピアニストで、それもまた同時に情緒過多になることなく無理のない歌い回しの枠を崩すことはありませんでした。
その前提として、彼女は考え抜くピアニストであったと言うことは忘れてはいけないでしょう。
確かに、彼女は実演において二度と同じようには演奏しなかったと言われるのですが、それは気のおもむくままに演奏したというのではなく、常に考え続けて、その考えたことを次のコンサートでは披露したと言うことなのです。
「考えるな、感じろ!」とはブルー・スリーの言葉ですが、クラシック音楽の世界では真逆で「感じるな、考えろ!」が基本とならなければいけません。感じるがままに演奏してものになるほどこの世界は単純ではありません。
ヴィルトゥオーゾ的ピアニストで「パンパスの女パデレフスキー」などという異名を奉られれば、いかにも感情のおもむくままにピアノを弾いていたような誤解を与えるのですが、彼女のベースは考え抜くことでした。
すでに紹介済みなのですが、セルやクレンペラーなどを従えて多くの協奏曲を演奏したり録音したのは、そう言う彼女の姿勢が高く評価されていたからです。
そして、録音されることを目的とした演奏であるならば、それまでの演奏活動の中で考え抜いた事の決算という意味をもっていたはずです。ですから、結果としてその演奏は高雅で情感溢れるものであり、時にはショパンのパッションが力強く描き出されたりもするのですが、かといってそれは鬼面人を驚かすようなものではありません。
そして、ショパンのように次から次へと新しい録音が登場してくるような世界では、その演奏が十分に魅力的であったとしても、その上に積み重なっていく大量の録音によっていつかは覆い尽くされ聞き手の視野から消えていくのが宿命みたいなものです。
おそらく、ショパンのような音楽は存命中のピアニストが一番有利なのでしょう。亡くなってしまえば、いつかは聞き手の視野から見えなくなっていくのが宿命です。もちろん、例えばコルトーのような例外はありますが。
それだけに、こういうサイトではそう言う埋もれた録音の山の中からノヴァエスのような存在を拾い出すのが大きな役割なのでしょう。
あらためて彼女のショパン演奏を聞けば、どれもこれも安心してショパンの世界に浸れる安定感と叙情性に溢れています。
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