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バルトーク:弦楽四重奏曲第5番, Sz.102(Bartok:String Quartet No.5, Sz.102)

ヴェーグ弦楽四重奏団:1954年7月録音(Quatuor Vegh:Recorded on July, 1954)

Bartok:String Quartet No.5, Sz.102 [1.Allegro]

Bartok:String Quartet No.5, Sz.102 [2.Adagio molto]

Bartok:String Quartet No.5, Sz.102 [3.Scherzo (Alla bulgarese, vivace)]

Bartok:String Quartet No.5, Sz.102 [4.Andante]

Bartok:String Quartet No.5, Sz.102 [5.Finale (Allegro vivace)]


ベートーベン以降最大の業績

バルトークの弦楽四重奏曲は、この形式による作品としてベートーベン以降最大の業績だといわれています。ところが、「そんなにすごい作品なのか!」と専門家の意見をおしいただいてCD等を買ってきて聞いてみると、思わずのけぞってしまいます。その「のけぞる」というのは作品のあまりの素晴らしさに感激して「のけぞる」のではなくて、作品のあまりの「わからなさ」にのけぞってしまうのです。
音楽を聞くのに、「分かる」「分からない」というのはちょっとおかしな表現ですから、もう少し正確に表現すれば、全く心の襞にふれてこようとしない「異形の姿」に「のけぞって」しまうのです。

とにかく古典派やロマン派の音楽に親しんできた耳にはとんでもなく抵抗感のある音楽です。そこで正直な人は、「こんな訳の分からない音楽を聞いて時間を過ごすほどに人生は短くない」と思ってプレーヤーの停止ボタンを押しますし、もっと正直な人は「こんな作品のどこがベートーベン以降の最大の業績なんだ!専門家の連中は馬鹿には分からないというかもしれないが、そんなの裸の王様だ!!」と叫んだりします。

しかし、作品そのものに関する専門家の意見というのはとりあえずは尊重しておくべきものです。伊達や酔狂で「ベートーベン以降の最大の業績」などという言葉が使えるはずがありません。今の自分にはとてもつき合いきれないけれど、いつかこの作品の真価に気づく日も来るだろう!ということで、とりあえずは買ってきたCDは棚にしまい込んでおきます。
そして、何年かしてからふと棚にバルトークのCDがあることに気づき、さらに「ベートーベン以降の最大の業績」という言葉が再び呪文のようによみがえってくるので、またまた魔が差してプレーヤーにセットすることになります。しかし、残念なことに、やはり何が何だか分かりません。
そんなときに、また別の専門家のこんな言葉が聞こえてきたりします。
「バルトークの弦楽四重奏曲を聴いて微笑みを浮かべることができるのは狂人だけかもしれない。」
「バルトークの弦楽四重奏曲は演奏が終わった後にやってくる無音の瞬間が一番美しい!」
全くもって訳が分からない!

しかし、そんなことを何度も繰り返しているうちに、ふとこの音楽が素直に心の中に入ってくる瞬間を経験します。それは、難しいことなどは何も考えずに、ただ流れてくる音楽に身を浸している時です。
おそらく、すごく疲れていたのでしょう。そんな時に、ロマン派の甘い音楽はかえって疲れを増幅させるような気がするので、そういうものとは全く無縁のバルトークの音楽をかけてみようと思います。ホントにぼんやりとして、全く何も考えずに流れきては流れ去っていく音の連なりに身を浸しています。すると、何気ないちょっとしたフレーズの後ろからバルトークの素顔がのぞいたような気がするのです。
それは、ヨーロッパへの訣別の音楽となった第6番の「メスト(悲しげに)」と題された音楽だけではなく、調性が破棄され、いたるところに不協和な音が鳴り響く3番や4番の作品からも感じ取れます。もちろん、それらの作品からは、「メスト」ではなくて「諧謔」や「哄笑」であったりするのですが、しかし、そういう隙間から戦争の世紀であった20世紀ならではの「悲しみ」の影がよぎったりするのです。
今までは全くとりつくしまのなかった作品の中に、バルトークその人の飾り気のない素顔を発見することで、なんだか「ウォーリーを探せ!」みたいな感じで作品に対峙する手がかりみたいなものを見出したような気がします。

そんなこんなで、聞く回数が増えてくるにつれて、今度はこの作品群に共通する驚くべき凝集力と、「緩み」というものが一瞬たりとも存在しない、「生理的快感」といっていいほどの緊張感に魅せられるようになっていきます。そして、このような緊張感というものは、旋律に「甘さ」が紛れ込んだのでは台無しになってしまうものだと納得する次第です。
また、専門書などを読むと、黄金分割の適用や、第3楽章を中心としたアーチ型のシンメトリカルな形式などについて解説されていて、そのような知識なども持ってバルトークの作品を聞くようになると、流れきては流れ去る音の背後にはかくも大変な技術的な労作があったのかと感心させられ、なるほど、これこそは「ベートーベン以降最大の業績」だと納得させられる次第です。

ざっと、そんなことでもなければ、この作品なじむということは難しいのかもしれません。
ユング君にとってバルトークの音楽は20世紀の音楽を聞き込んでいくための試金石となった作品でした。とりわけ、この6曲からなる弦楽四重奏曲は試金石の中の試金石でした。そして、これらの作品を素直に受け入れられるようになって、ベルクやウェーベルンなどの新ウィーン学派の音楽の素晴らしさも素直に受け入れられるようになりました。
音楽というのは、表面的には人の心にふれるような部分を拒絶しているように見えても、その奥底には必ず心の琴線に触れてくるものを持っているはずです。もし、ある作品が何らかのイデオロギーの実験的営みとして、技術的な興味のみに終始して、その奥底に人の心にふれてくるものを持たないならば、その様な作品は一時は知的興味の関心を引いて評価されることがあったとしても、時代を超えて長く聞き続けられることはないでしょう。なぜならば、知的興味というものは常に新しいものを求めるものであり、さらに新しい実験的試みが為されたならば古いものは二度と省みられることがないからです。
それに対して、一つの時代を生きた人間が、その時代の課題と正面から向き合って、その時代の精神を作品の中に刻みこんだならば、そして新しい技術的試みがその様な精神を作品の中に刻み込むための手段として活用されたならば、その作品の価値は時代を超えて色あせることはないはずです。その刻み込まれた精神が、それまでの伝統的な心のありようとどれほどかけ離れていても、それが時代の鏡としての役割を果たしているならば、それは必ず聞く人の心の中にしみこんでいくはずです。

おそらく、大部分の人はこの作品を拒絶するでしょう。今のあなたの心がこの作品を拒絶しても、それは何の問題ではありません。心が拒絶するものを、これはすぐれた作品だと専門家が言っているからと言って無理して聞き続けるなどと言うことは全く愚かな行為です。
しかし、自分の心が拒絶しているからと言ってそれをずっと拒絶するのはもったいなさすぎます。
人は年を経れば変わります。
時間をおいて、再び作品と対峙すれば、不思議なほどにすんなりとその作品が心の中に入ってくるかもしれませんし、時にはそれが人生におけるかけがえのない作品になるかもしれません。
心には正直でなければいけませんが、また同時に謙虚でもなければいけません。そのことをユング君に教えてくれたのがこの作品でした。

弦楽四重奏曲第5番 Sz.102(1934年作曲/1935年初演)



アメリカというのは時に粋な人物が出現する国であり、この作品を依頼したエリザベス・スプラグ・クーリッジ夫人というのもその様な人物の一人でした。彼女は現代音楽、とりわけ室内楽の擁護者として数々の音楽家を支援しました。その支援の手はバルトークにも及び、彼女の委嘱によって第5番の弦楽四重奏曲が書かれることになります。(話はそれますが、同時代の作曲家であるプーランクも彼女の支援を受けていた一人で、彼は夫人の死に際してフルートソナタを彼女の思い出のために献呈しています。さらにプーランクは独奏楽器とピアノのためのソナタを全てクーリッジ夫人に捧げています。)

残された記録によると、バルトークは1934年の夏、ブダペストにおいてわずか一ヶ月あまりでこの作品を書き上げたといわれています。
この時期のバルトークは、シェーンベルグに代表される無調の音楽や不協和な響きの世界から抜け出して、再び彼本来の世界である民族的な世界に舞い戻ってきます。その結果として、バルトークを20世紀における真に偉大な作曲家たらしめている一連の作品、「弦楽のためのディヴェルティメント」や「弦・打楽器とチェレスタのための音楽」、「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」などが生み出されていきます。そして、弦楽四重奏の世界ではこの第5番がこの偉大な時期を代表する作品として生み出されたのです。第4番と比べればしっかりとした調性を持った明快で分かりやすい作品に仕上がっています。
シェーンベルグ的な世界に魅力を感じる人にとっては、この明快さが作品の弱さと感じるようですが(もしくは後退と感じるようですが)、バルトークの本質が民族的なものにあると納得する人にとっては、この作品こそが6曲の中のベストと感じるのではないでしょうか。



プラスのライバル心

前にも書いたことなのですが、私が初めてシャンドル・ヴェーグという名前と出会ったのは、ザルツブルグを本拠地とするモーツァルテウム・カメラータ・アカデミカを指揮したモーツァルトの初期交響曲やディヴェルティメント、セレナーデ等の録音でした。さらに、長きにわたってザルツブルク・モーツァルテウム音楽院で教鞭もとっていたので、何となく生粋のザルツブルグの人のように思っていました。

それなので、彼が率いるカルテットがバルトークやスメタナ、コダーイなどの作品を熱心に録音していることが実に不思議に感じたものでした。
まあ、ただの阿呆というしかないのですが思いこみとは怖いものです。

言うまでもなくヴェーグはハンガリー出身で、ヴァイオリンはフバイに学び、作曲はコダーイに学んでいます。ですから、彼がバルトークやスメタナ、コダーイなどの作品を積極的に取り上げるのは当然の事という以上に、自らに課せられた重大な使命とも言えるものだったのでしょう。
そして、いささか下世話な話になるのですが、そう言うことの背景にゾルターン・セーケイの存在があったのではないかなどとも勘ぐってしまうのです。

ヴェーグは戦前は自らがトップとなってハンガリー四重奏団を結成して活躍していました。そこに登場したのがバルトークと親交のあったセーケイでした。ヴェーグはそのセーケイを通してバルトークとのつながりを持つようになるのですが、驚くべき事にハンガリー四重奏団のファースト・ヴァイオリンのポジションをセーケイに譲り、自らはセカンドに回ってしまうのです。
技量的に見ればヴェーグは必ずしもセーケイに劣るものではありませんから、このトップの交代の裏には何があったのかなどと三面記事的な興味がわいてきます。さらに、セーケイが活動の拠点をオランダに移すと、ヴェーグは自らが創設したハンガリー四重奏団をぬけて、新しくヴェーグ四重奏団を結成してハンガリーで活動を続けます。
そして、戦後すぐにヴェーグ四重奏団がジュネーヴ国際音楽コンクールで第1位を獲得するとすぐに西側に亡命し、結果的には1970年代まで活動を続け1980年に解散しています。つまりは、私がヴェーグを初めて知ったのはこの解散と合わせるかのようにモーツァルテウム・カメラータ・アカデミカの指揮者に就任した後の活動によるものだったのです。

そして、ふと思うのですが、50年代のヴェーグ四重奏団とセーケイ率いるハンガリー四重奏団の活動を見ていると、お互いがお互いを強く意識していたかのように思えるのです。
例えば、ヴェーグたちが1952年にベートーベンの弦楽四重奏曲の全曲録音すると、ハンガリー四重奏団も同じく全曲録音しています。そして、それを待っていたかのようにその翌年にはヴェーグはバルトークの弦楽四重奏曲の全曲録音を行っています。すると、少し時間は空きましたがハンガリー四重奏団もバルトークの全曲録音を行っています。
もちろん、ベートーベンとバルトークは弦楽四重奏曲の分野においては極めて重要なポジションにある作品なのですから、その録音が重なるのは何の不思議もないのですが、そこに何か対抗意識のようなものを感じてしまいます。

そう言えば、50年代の初め頃においてハンガリー四重奏団は「アンサンブルの極致」と言われていました。それと比べればヴェーグの四重奏団はそこまでの「売り」はありませんでした。
時代の流れから言えばいささか古いタイプに属するカルテットだったのかもしれませんし、それはベートーベンやモーツァルトの録音を聞けば納得がいくはずです。
しかし、50年代も半ばになってくるとヴェーグがひっぱていくと言うよりは4つの楽器のアンサンブルを意識するように変わっていくかのように思えます。ただし、彼らはそう言うことを声高に喧伝することはなく、常に淡々と己の音楽のあり方を見つめ一歩ずつ前に進んでいくという感じです。
彼らの演奏を聞いていると、彼らほどにオレがオレがと言う、この世界では絶対に必要な欲と我から縁遠い存在は思い当たりません。
それだけに、一般的には非常に聞き通すのが難しいバルトークだけでなく、スメタナやコダーイといういささかマイナー作品であっても、彼らの演奏ならば信頼を持って聞き通すことが出来ます。
そして、そう言う背景にはもしかしたらセーケイには負けられないというプラスのライバル心があったのかもしれないなと妄想してしまうのです。

この演奏を評価してください。

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