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ミュンシュ(Charles Munch)|ヘンデル:水上の音楽(ハーティー版)(Handel:Water Music Suite)
ヘンデル:水上の音楽(ハーティー版)(Handel:Water Music Suite)
シャルル・ミュンシュ指揮:ボストン交響楽団 1950年12月26~27日録音(Charles Munch:The Boston Symphony Orchestra Recorded on December 26-27, 1950)
Handel:Water Music Suite [1.Allegro]
Handel:Water Music Suite [2.Air]
Handel:Water Music Suite [3.Bourree]
Handel:Water Music Suite [4.Hornpipe]
Handel:Water Music Suite [5.Andante espressivo]
Handel:Water Music Suite [6.Allegro deciso]
機会音楽
「水上の音楽」は名前の通り、イギリス国王の船遊びのために、そして「王宮の花火の音楽」は祝典の花火大会のために作曲された音楽です。
<追記>
一般的には、1715年のテムズ川での王の舟遊びの際にこの曲を演奏した、というエピソードが有名ですが、最近の研究では事実ではないと考えられているようです。
ただし、その2年後の舟遊びでは演奏されたことは間違いないようです。
<追記終わり>
クラシック音楽の世界では、こういう音楽は「機会音楽」と呼ばれます。機会音楽とは、演奏会のために作曲されるのではなく、何かの行事のために作曲される音楽のことをいいます。それは純粋に音楽を楽しむ目的のために作られるのではなく、それが作られるきっかけとなった行事を華やかに彩ることが目的となります。ですから、一般的には演奏会のための音楽と比べると一段低く見られる傾向があります。
しかしながら、例え機会音楽であっても、その創作のきっかけが何であれ、出来上がった作品が素晴らしい音楽になることはあります。その一番の好例は、結婚式のパーティー用に作曲されたハフナー交響曲でしょうか。
そして、このヘンデルの2つの音楽も、典型的な機会音楽でありながら、今やヘンデルの管弦楽作品を代表する音楽としての地位を占めています。
機会音楽というのは、顧客のニーズにあわせて作られるわけですから、独りよがりな音楽になることはありません。世間一般では、作曲家の内なる衝動から生み出された音楽の方が高く見られる傾向があるのですが、大部分の凡庸な作曲家にあっては、そのような内的衝動に基づいた音楽というのは聞くに堪えない代物であることが少なくありません。それに対して、モーツァルトやヘンデルのようなすぐれた才能の手にかかると、顧客のニーズに合わせながら、音楽はそのニーズを超えた高みへと駆け上がっていきます。
そして、こんな事を書いていてふと気づいたのですが、例えばバッハの教会カンタータなどは究極の機会音楽だったのかもしれないと気づきました。バッハが、あのようなカンタータを書き続けたのは、決して彼の内的な宗教的衝動にもとづくのではなく、それはあくまでも教会からの要望にもとづくものであり、その要望に応えるのが彼の職務であったからです。
そう考えれば、バッハの時代から、おそらくはベートーベンの時代までは音楽は全て基本的に機会音楽だったのかもしれません。
なお、「水上の音楽」は楽譜は出版されず、自筆譜もほとんどが消失しているために、曲の配列や演奏形態も確定されていません。
以下のような19曲と3つの組曲に分ける形態が一般的なものとされています。
第1組曲 ヘ長調 HWV 348(9曲)
- 第1曲「序曲(ラルゴ - アレグロ)」
- 第2曲「アダージョ・エ・スタッカート」
- 第3曲「(アレグロ) - アンダンテ - (アレグロ)」
- 第4曲「メヌエット」
- 第5曲「エアー」
- 第6曲「メヌエット」
- 第7曲「ブーレ」
- 第8曲「ホーンパイプ」
- 第9曲(アンダンテ)
第2組曲 ニ長調 HWV 349(5曲)
- 第1曲(序曲)
- 第2曲「アラ・ホーンパイプ」
- 第3曲「ラントマン」
- 第4曲「ブーレ」
- 第5曲「メヌエット」
第3組曲 ト長調 HWV 350(5曲)
- 第1曲(メヌエット)
- 第2曲「リゴードン」
- 第3曲「メヌエット」
- 第4曲(アンダンテ)
- 第5曲「カントリーダンスI・II」
しっかりとしたスコアの読み込みが背骨のようにまっすぐ立っている
ミンシュの音楽家としてのキャリアは1926年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のプレーヤーとしてスタートしています。指揮者としては1929年にパリでデビューしているのですが、その後も1932年までゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターとして活動を続けています。おそらくは、フルトヴェングラーやワルターのもとで活動を続けることに大きな魅力があったのでしょう。
その後、パリ音楽院管弦楽団の指揮者を経て1949年にボストン交響楽団の常任指揮者に就任します。ミンシュの主要な活動はこのボストン交響楽団と1967年に創設されたパリ管弦楽団に集中していると言っていいでしょう。
しかし、多くの人にとって強烈な印象を残したのは最晩年のパリ管弦楽団での活動でした。そのために、ミンシュと言えば情熱的で熱気にあふれる音楽表現というイメージが染みつき、綿密なリハーサルを行っても、本番中悪魔のような笑みを浮かべつつ練習とは全く違う指示を出す指揮者というエピソード等が世間に広がっていきました。そして、その事は、若き時代にフルトヴェングラーやワルターに強い影響を受けたことと結びつけても語られました。
もちろん、それはミンシュという指揮者の重要な側面を為していることは疑いありません。そして、それ故に、彼のボストン時代の演奏が明晰さに重点をおいている事への不満へと結びつくとなると、しばしお待ちくださいと言わざるを得ません。
「指揮者というものは音楽院の門をくぐったその日から、疲れ果てて最後のコンサートの指揮棒を置くその日まで勉強を続けなければいけない」と語ったのはミンシュでした。彼は徹底的にスコアを読み込み、それを精緻に表現しようとする事を常に指揮活動の基本としていました。
しかし、面白いと思うのは、自分はそこまで徹底的にスコアと向き合いながら、それを現実の音楽にするためにセルやライナーのようにオケを絞り上げなかったことです。
おそらく、そこにこそミンシュという指揮者のもう一つの本質があるのでしょう。そう言えば、これによく似た指揮者にミトロプーロスの名前を挙げてもいいかもしれません。
そして、時に爆発するような情熱的な演奏を繰り広げることのあるミンシュなのですが、その背景にはしっかりとしたスコアの読み込みが背骨のようにまっすぐ立っています。悪魔のようにニヤリと笑って指揮棒を風車のように回したとしても、それは決して恣意的な思いつきとは全く無縁だったのです。
その意味で言えば、ボストンに着任した初期の録音を聞き直してみると、自分は徹底的にスコアと向き合いながらも、それを可能な範囲で実現させようとする姿が垣間見られるような気がします。
例えば、1950年に録音されたブラームスの交響曲第4番やハイドンの交響曲等はそう言う明晰さがよくあらわれた演奏です。ブラームスの4番はステレオ時代にも録音しているのですが、このモノラル録音の方がより明晰さに重点がおかれています。
とりわけ、ハイドンに関しては実に堂々たるシンフォニーにあげています。
それ以外で言えば、同じ年にに録音したハーティー版の「水上の音楽」なんてのは、盛ろうと思えばいくらでも盛れる音楽です。しかし、彼はあっさりと音楽の姿をまとめ、明晰さを前面に押し出しています。しかし、その明晰さのためにオケを絞り上げるようなことはしていません。
おそらく、ボストン響を長く率いる内に、最初は明晰さに徹しながらも、その内にもう一つの本性である情熱的な側面があふれ出していったのでしょう。もちろん、そのどちらもがミンシュという人の背骨を為していたことは事実です。彼の持つ明晰さは即物主義が全盛を極めた当時のアメリカの潮流におもねったものでないことはしっかりと見ておく必要があります。
その意味では、彼がボストン響とモノラル時代とステレオの時代に二度録音した作品を聞き比べてみるのは面白いかもしれません。
と言うことで、いささか紹介に手抜き感が拭えないのですが、もう一つ1951年に録音したシューマンの第1番にもふれておきます。
すでに1959年のステレオ録音は紹介しているのですが、これもまた1951年のモノラル録音が存在します。
ステレオ録音の方は見事にギアを入れ替えて風景を一変させる演奏だったのですが、よく見てみるとそれがシューマン自身の指示だったように思えます。どちらにしても、あれこれと問題の多いシューマンの交響曲ですから、それをどう料理するかは指揮者とオケの腕の見せ所です。
そして、このモノラル録音を聞いて思いだしたのは、このコンビの初来日時に吉田秀和氏が「まるでスコアが目の前に浮かんでくるようだ」と言った言葉です。
確かエロイカの演奏ではなかったでしょうか。
そして、それは誉め言葉であると同時にある種の物足りなさの表明でもあったようです。
おそらく、その言葉がこの51年録音のシューマンの演奏にもあてはまるのかもしれません。
こういう過去のミンシュの姿勢を理解しておかないと、最晩年のパリ管弦楽団での演奏の本質を読み間違える事に繋がりかねないなと、あらためて気づかされる録音です。
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