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バルトーク:ピアノ協奏曲 第3番 Sz.119(Bartok:Piano Concerto No.3 in E major, Sz.119)

(P)モニク・アース:フェレンツ・フリッチャイ指揮 RIAS交響楽団 1954年4月27日~30日録音(Monique Haas:(Con)Ferenc Fricsay RIAS Symphony Orchestra Recorded on April 27-30, 1954)



Bartok:Piano Concerto No.3 in E major, Sz.119 [1.Allegretto]

Bartok:Piano Concerto No.3 in E major, Sz.119 [2.Adagio religioso]

Bartok:Piano Concerto No.3 in E major, Sz.119 [3.Allegro vivace]


たった3曲でバルトークの創作の軌跡をおえるコンチェルト

バルトークについては、彼の弦楽四重奏曲をアップするときに自分なりのオマージュを捧げました。そして、その中で「バルトークの音楽は20世紀の音楽を聞き込んでいくための試金石となった作品でした。とりわけ、この6曲からなる弦楽四重奏曲は試金石の中の試金石でした。」と書いています。
その事は、この一連のピアノ協奏曲にも言えることであって、とりわけ1番と2番のコンチェルトは古典派やロマン派のコンチェルトになじんできた耳にはかなり抵抗感を感じる音楽となっています。

その抵抗感のよって来たるところは、まず何よりも旋律が気持ちよく横につながっていかないところでしょう。ピアノやオケによって呈示されるメロディはどこまで行っても「断片」的なものであり、「甘さ」というものが入り込む余地が全くありません。さらに、独奏ピアノは華麗な響きや繊細でメランコリックな表情を見せることは全くなく、ひたすら凶暴に強打される場面が頻出します。
こういう音楽は、聞き手が「弱っている」時は最後まで聞き通すのがかなり困難な代物なのです。

弦楽四重奏曲については、「すごく疲れていて、何も難しいことなどは何も考えずに、ただ流れてくる音楽に身を浸している時にふとその音楽が素直に心の中に入ってくる瞬間がある」みたいなことを書きましたが、このコンチェルトに関しては、そう言う状態で向きあうと間違いなくノックアウトされてしまいます。
そうではなくて、このコンチェルトに関しては、気力、体力ともに充実し、やる気に満ちているようなときに向きあうべき音楽なのです。そうすると、この凶暴なまでに猛々しい姿を見せる音楽が、ある時不意に「快感」に変わるときがあります。
そして、バルトークの音楽の不思議は、単独で聞けばかなり耳につらい不協和な音があちこちで顔を出すのに、音楽全体は不思議なまでの透明感を保持していることにも気づいてきます。

さて、ここから書くことは全くの私個人の感慨です。
バルトークの創作の軌跡を追っていて、イメージがダブったのは画家のルオーです。
彼は「美しい」絵を拒否した画家でした。若い頃のルオーが描く題材は「売春婦や娼婦」が中心であり、そう言う「醜い存在」を徹底的に「醜く」描いた画家でした。
専門家は彼のことを「醜さの専門家」と言って攻撃しましたが、その攻撃に対して彼は「私は美ではなく、表現力の強さを追求しているのです」と主張しました。

そんなルオーなのですが、その晩年において、天国的とも言えるような「美しい」絵を描きました。
茨木のり子が「わたしが一番きれいだったとき」という詩の中で
だから決めた できれば長生きすることに
年取ってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように

と書いたように、本当に美しい絵を描きました。

バルトークもまた、若い頃は、どうしてそこまで不協和音を強打するんだと思うほどに、猛々しい音楽を書きました。
それは、第1番のコンチェルトに顕著であり、第2番は多少は聞きやすくなっているとは言え、依然として手強いことは否定できません。それは、作曲者自身が「聴衆にとってもっと快い作品としてこの第2番を作曲した。」と語ってくれたとしても、古典派やロマン派の音楽に親しんだ耳には到底聞きやすい音楽とは言えません。

しかし、そんな彼も晩年になると、音楽の姿が大きく変化します。
第6番の弦楽四重奏曲やオケコンのエレジーなどは、古典派やロマン派の音楽とは佇まいがかなり異なりますが、それでも素直に「美しい」と思える姿をしています。
それは、彼の白鳥の歌となった第3番の協奏曲ではさらに顕著となります。
そして、その「美しさ」は、晩年のルオーとも共通する「天国的」なものにあふれています。

いわゆる「専門家」と言われる人の中には、このようなバルトークの変化を「衰え」とか「退嬰」だと主張する人がいますが、私は全くそうは思いません。
彼もまた、ルオーと同じように、その晩年にいたって「凄く美しい絵」をかいてくれたのだと思います。

バルトークの生涯はルオーの生涯に包含されます(ルオー爺さんはホントに長生きしました)から、この二人は同時代人と言っていいでしょう。もちろん、こんな関連づけは「こじつけ」の誹りは免れがたいとは思いますが、それでもジャンルは違え、同じ芸術家としてその創造の根底において共通する何かがあったような気がしてなりません。

かなりの困難を伴うかもしれませんが、できることならばこの3曲のコンチェルトを聞き通すことで、そんなバルトークの軌跡をたどっていただければ、いろいろと感じることも多いのではないでしょうか。


深い祈りを感じさせる

モニク・アースと言えばドビュッシーやラヴェルのスペシャリストとして認識されています。そんなわけで、ドビュッシーのピアノ曲がとりわけ苦手な私にはいささか縁遠い存在でした。
実は、私とドビュッシーの相性の悪さはあるコンサートを切っ掛けにしています。(^^;ピアニストの名前はうろ覚えなので明示しませんが、当日のプログラムはドビュッシーの前奏曲の第1巻、第2巻の全曲演奏でした。随分昔の古い話なのですが、少しは近代フランスの音楽にも親しんでおかなければねという気持ちで出かけたのでした。
ところが、何ということか、何たる不覚か、演奏は始まるとすぐに眠くなってきて、やがて爆睡してしまったのです。後にも先にもコンサートの途中で爆睡するなど、この時と、後はんどころなき事情でコンサートの前に3000メートルほど泳がなければいけないという事情で出かけたときの二度だけです。
後者の場合は仕方がありません、そりゃぁ、誰だって眠ってしまうでしょう。
言ってみれば、前者は痛恨の爆睡、後者は至福の眠りでした。

そんなわけで、その時以来ドビュッシーとはどうにも不仲になってしまったのです。

それだけに、アースがバルトークのコンチェルトを録音していたとはいささか驚きでした。
そして、ドビュッシーのスペシャリストがバルトークを演奏すると、なるほどこういう雰囲気になるのかという驚きと納得感に溢れたものでした。

ここには、ピアノの名人芸をひけらかす意識は微塵もなく、おそらくはバルトークが万感の思いを込めたであろう思いを我が身に引き受けて、それを深い祈りの領域にまで昇華させた演奏でした。とりわけ、第2楽章の「Adagio religioso」はその指示通り宗教的な厳粛さに満ちていて、これほど美しく、そして深沈たる祈りに満ちた演奏は他では聞いたことがありません。

さらに、第3楽章の一転した「Allegro vivace」は名人芸のひけらかしとは最も遠い場所に位置する演奏です。
ピアノ・コンクールの最終審査などでもよく演奏される作品ですが、そこではほとんどの演奏者はこの最終楽章にはいると、待ってましたとばかりに指がフル回転します。それはそれで大変な修練の賜物で否定するつもりはありません。亡き妻のために書いたこの作品にはそう言うピアニストの腕の見せ所を用意したであろう事は否定できません。
しかし、こういうバルトークもあると言うことは忘れてはいけないでしょう。

それから、最後に付け足しのような形で申し訳ないのですが、そう言うアースのピアノにピッタリと寄りそうフリッチャイの指揮も出色です。
この深い祈りはその両者によってこそ成り立った演奏だと言うことは確認しておきたいと思います。

この演奏を評価してください。

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2023-09-08:大串富史





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