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ハイフェッツ(Jascha Heifetz)|J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調, BWV.1004(J.S.Bach:Violin Partita No.2 in D minor, BWV 1004)
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調, BWV.1004(J.S.Bach:Violin Partita No.2 in D minor, BWV 1004)
(Vn)ヤッシャ・ハイフェッツ:1935年12月4日&6日録音(Jascha Heifetz:Recorded on December 4&6, 1935)
J.S.Bach:Violin Partita No.2 in D minor, BWV 1004 [1.Allemande]
J.S.Bach:Violin Partita No.2 in D minor, BWV 1004 [2.Courante]
J.S.Bach:Violin Partita No.2 in D minor, BWV 1004 [3.Sarabande]
J.S.Bach:Violin Partita No.2 in D minor, BWV 1004 [4.Gigue]
J.S.Bach:Violin Partita No.2 in D minor, BWV 1004 [5.Chaconne]
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータの概要
バッハの時代にはこのような無伴奏のヴァイオリン曲というのは人気があったようで、とうていアマチュアの手で演奏できるとは思えないようなこの作品の写譜稿がずいぶんと残されています。ところが、古典派以降になるとこの形式はパッタリと流行らなくなり、20世紀に入ってからのイザイやバルトークを待たなければなりません。
バッハがこれらの作品をいつ頃、何のために作曲したのかはよく分かっていません。一部には1720年に作曲されたと書いているサイトもありますが、それはバッハが(おそらくは)自分の演奏用のために浄書した楽譜に記されているだけであって、必ずしもその年に作曲されたわけではありません。さらに言えば、これらの6つの作品がはたして同じ目的の下にまとめて作曲されたのかどうかも不確かです。
しかし、その様な音楽学的な細かいことは脇に置くとしても、これらの作品を通して聞いてみると一つの完結した世界が見えてくるのはユング君だけではないでしょう。それは、どちらかと言えば形式がきちんと決まったソナタと自由に振る舞えるパルティータをセットととらえることで、明確な対比の世界が築かれていることに気づかされるからです。そして、そのパルティータにおいても、「アルマンド」−「クーラント」−「サラバンド」−「ジーグ」という定型様式から少しずつ外れていくことで、その自由度をよりいっそう際だたせています。そして、パルティータにおいて最も自由に振る舞っている第3番では、この上もなく厳格で堂々としたフーガがソナタの中で屹立しています。
この作品は演奏する側にとってはとんでもなく難しい作品だと言われています。しかし、その難しさは「技巧」をひけらかすための難しさではありません。
パルティータ2番の有名な「シャコンヌ」やソナタ3番の「フーガ」では4声の重音奏法が求められますが、それは決して「名人芸」を披露するためのものではありません。その意味では、後世のパガニーニの「難しさ」とは次元が異なります。
バッハの難しさは、あくまでも彼がヴァイオリン一挺で描き尽くそうとした世界を構築するために必要とした「技巧」に由来しています。ですから、パガニーニの作品ならば指だけはよく回るヴァイオリニストでも演奏できますが、バッハの場合にはよく回る指だけではどうしようもありません。それ以上に必要なのは、それらの技巧を駆使して描ききろうとしたバッハの世界を理解する「知性」だからです。
その意味では、ヴァイオリニストにとって、幼い頃からひたすら演奏テクニックを鍛え上げてきた「演奏マシーン」から、真に人の心の琴線に触れる音楽が演奏できる「演奏家」へとステップアップしていくために、一度はこえなければいけない関門だといえます。
ソナタ第1番ト短調 BWV1001
第3楽章の「シチリアーノ」以外は全てト短調という珍しい調性を持っています。この異例ともいえる調整の関係についてはいろいろと説明している本もあるのですが(ドリア旋法がどうたら、リディア旋法がかんたら・・・)、そう言う楽典的な事には弱いユング君にはよくわからんのです。(^^;しかし、この偉大な6曲の冒頭を飾るに相応しい作品であることは間違いありません。
1. Adagio
2. Fuga. Allegro
3. Siciliano
4. Presto
パルティータ第1番ロ短調 BWV1002
4つの全ての舞曲の後半にそれぞれ、ドゥーブルと呼ばれる変奏が置かれているために、一見すると8楽章構成のように見えますが、本質的に以下の4楽章構成です。そのために、パルティータの最後は一般的には「ブーレ」ではなくて「ジーグ」なのですが、それではその後にドゥーブルをおくとすわりが悪いので変更したのだろうと推測されています。
1. Allemande - Double
2. Courante - Double. Presto
3. Sarabande - Double
4. Tempo di Bourree - Double
ソナタ第2番イ短調 BWV1003
第2楽章の「フーガ」は289小節にも及ぶ長大なものですが、至る所にあらわれるオクターブの跳躍は音楽に躍動感と起伏感を与えています。また第3楽章の「アンダンテ」では、1本のヴァイオリンで、旋律と通奏低音の二声を弾くというものですが、音量を調節してメロディラインを際だたせるという高度な制御が要求されるようです。
1. Grave
2. Fuga
3. Andante
4. Allegro
パルティータ第2番ニ短調 BWV1004
シャコンヌとは、「上声は変わっていくのに、バスだけは同じ楽句に固執し執拗に反復するものである」と説明されています。上声部がどんなに変奏を展開しても、低声部で執拗に繰り返される主題が音楽全体の雰囲気を規定します。
しかし、その低声部での主題を聞き手が意識することはほとんどありません。冒頭にその主題が提示されますが、その後は展開される変奏の和声の最低音として姿をくらましてしまうからです。
ところが、姿をくらましても、それが和声進行のパターンを根底で支配するのですから作品全体に与える影響力は絶大であり絶対的です。
聞き手には移り変わっていく上声部のメロディラインしか意識には残らないでしょうが、執拗に繰り返される低声部の主題が音楽の支配権を握っています。
ですから、聞き手にはこの低声部の主題がそれとは明確に意識できない代物であっても、演奏する側はそのことを明確に意識して演奏する必要があります。
つまりは、スコアに書いてある音符をそれなりに音にするだけでは音楽にはならないのです。
そのことは、何もこの作品に限ったことではありませんが、シャコンヌはとりわけ演奏者サイドにその手の難しさを要求するようです。
1. Allemande
2. Courante
3. Sarabende
4. Gigue
5. Chaconne
ソナタ第3番ハ長調 BWV1005
ソナタ全3曲中で最も壮大な音楽がこれです。とくに第2楽章のフーガは354小節からなる長大なものであり、それはバッハが書いたフーガの中で最大のものだと言われています。フーガの主題は古いコラール「来たれ、聖霊よ、主なる神よ」によるものだそうです。
1. Adagio
2. Fuga alla breve
3. Largo
4. Allegro assai
パルティータ第3番ホ長調 BWV1006
組曲の一般的な配列からは大きく逸脱して最も自由に振る舞っています。そのために、全6曲の中では最も明るく、最も華麗な音楽になっています。また、全6曲の中では唯一アマチュアでも演奏できそうな作品であるために昔から高い人気を持っていました。特に、第3楽章の「ガヴォット」は、「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」などという厄介な名前など知らない人でもどこかで一度は耳にしたことがある有名な旋律です。
1. Preludio
2. Loure
3. Gavotte en Rondeau
4. Menuet I/II
5. Bourree
6. Gigue
色気を感じさせるハイフェッツの戦前録音
ハイフェッツという人は年を重ねても「衰え」というものを殆ど感じさせない人でした。
もっとも、そう書いたところで彼の実演は聞いたことなどはないので、あくまでも「録音」を通してのことです。
ベルリンでのハイフェッツ13歳の頃の演奏を聴いたフリッツ・クライスラーが、友人のヴァイオリニストに「私も君もヴァイオリンを叩き割ってしまったほうがよさそうだ」と語ったというのは有名な話です。
そして、「確かに上手いが、あいつは13才の頃からちっとも進歩していない」と貶したヴァイオリニストがいたというのは、そう言うハイフェッツの衰えのなさを裏返しの形で表現したものでした。
ただし、年を重ねると響きは細身になって厳しくなっていったような気がします。
それは、好意的に解釈すれば、ハイフェッツという人は戦後になるとどんどんザッハリヒカイトになっていったとも言え、それは同時に時代の流れでもありましたから、それほど不自然に感じることもありませんでした。
とりわけ、50年代に入って録音すべきレパートリーを録音しつくして、後は気の合う仲間と室内楽の演奏をメインにし始めた頃からその傾向はより強くなっていったでしょうか。中には、まさに寄らば切るぞと言わんばかりのキレキレの演奏などもあっていささか驚かされた者です。
そして、そう言うハイフェッツの音色を聞いて機械的で冷たいという評価も生まれたのかもしれません。
しかし、30年代を中心とした戦前のハイフェッツの録音を聞いてみると、そこには繊細なる官能性みたいなものを感じさせてくれる演奏が多いように思います。
例えば、戦後も録音しているバッハの無伴奏などを聞いていると、実にほどの良い色気をまとわせて演奏してくれています。そして、それはバッハだけに限らず戦前のハイフェッツに共通した特徴だったように思えます。
確かに、聞く耳を持って彼の戦後の演奏を聞いてみると、これよりも表情を濃くすると「色気」が「色」に傾きすぎ、薄すぎると「生硬」に過ぎるという絶妙なバランスの地点に成り立っている演奏も見受けられます。
それはそれで凄いと思うのですが、それだけに、こういう艶やかで、時には妖艶とも言える音色を振りまいていた戦前の録音も見過ごしたくはないと思います。
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