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シューリヒト(Carl Schuricht)|ベートーヴェン:交響曲第1番 ハ長調, Op.21
ベートーヴェン:交響曲第1番 ハ長調, Op.21
カール・シューリヒト指揮:ウィーン・フィルハーモニ管弦楽団 1952年5月27日~30日録音
Beethoven:Symphony No.1 in C major ,Op.21 [1.Adagio Molto; Allegro Con Brio]
Beethoven:Symphony No.1 in C major ,Op.21 [2.Andante Cantabile Con Moto]
Beethoven:Symphony No.1 in C major ,Op.21 [3.Menuetto; Allegro Molto E Vivace]
Beethoven:Symphony No.1 in C major ,Op.21 [4.Adagio; Allegro Molto E Vivace]
18世紀の交響曲の集大成であり、ハイドンの総決算
ベートーベンという人の作曲家としての道筋を辿るときに、重要な目印になるのが32曲のピアノ・ソナタです。
ベートーベンという人はクラシック音楽の世界を深く掘り下げた人であるのですが、驚くほど多方面にわたって多様な音楽を書いた人でもありました。さすがに、オペラは彼の資質から見ればそれほど向いている分野ではなかったようなのですが、それでも「フィデリオ」という傑作を残しています。
特定の分野に絞って深く掘り下げた人はいますし、多方面にわたって多くの作品を書き散らした人もいます。しかし、ベートーベンのように幅広い分野にわたって革命的と言えるほどに深く掘り下げた人は、他にモーツァルトがいるくらいでしょうか。
そんなベートーベンが、その生涯にわたって創作を続けた分野がピアノ・ソナタであり、それ以外では交響曲と弦楽四重奏の分野でしょうか。
そして、この3つの中でもっとも数多くの作品を残したのがピアノ・ソナタですから、ピアノ・ソナタこそがもっとも細かい目盛りでベートーベンという男を計測できるのです。
この計測器を使って初期の1番と2番の交響曲を計測してみれば、それが同列に論じてはいけないことは一目瞭然です。
- ベートーベン:交響曲第1番 ハ長調 作品21 [1799年~1800年]
- ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36 [1801年~1802年]
時間的に見れば相接しているように見えるのですが、ピアノ・ソナタで計測してみれば、この二つの交響曲の間には明らかに大きな飛躍が存在していることに気づかされます。
ベートーベンはこの第1番の交響曲を書き上げるまでに「悲愴ソナタ」を含む第10番までのピアノ・ソナタを書き上げていました。ピアノ・ソナタ全体のおよそ3分の1を占める10番までの初期ソナタは、ハイドンやモーツァルトが確立した18世紀のソナタを学んでそれを血肉化し、それをふまえた上で前に進もうと模索した時期でした。
そう言う模索の先に第1番の交響曲が生み出されたことは、ベートーベンという男の「歩み方」のようなものが暗示されているように思えます。
彼にとってピアノ・ソナタは常に新しい道を切り開くアイテムであり、そこで切り開いた結果を集大成するのが交響曲でした。
その意味では、この第1番の交響曲は18世紀の交響曲の集大成であり、その手本は明らかにハイドンだったのです。
しかし、その事は先人の業績をなぞっただけの作品になっていると言うことを意味するものではありません。そこには、ハイドンが長年の試行錯誤の中で確立した18世紀的な交響曲の手法をしっかりと自らのものとしながら、そこに何か新しいものを付け加えようとする意欲も垣間見ることが出来るのです。
それは、例えば第1楽章冒頭のちょっと不思議な印象が残る和音進行からして明らかです。そう言えば、カラヤンがこの冒頭部分は指揮者にとっては難しいみたいな事をどこかで語っていました。
続く、第2楽章では、どこか浪漫派を思わせるような叙情性を身にまとっていますし、何よりも続くメヌエット楽章の雰囲気はハイドン的な典雅さとは随分隔たっています。もっとも、それを「スケルツォ」とまでは言い切れないのでしょうが、それでもハイドンをなぞっているだけでないことは明らかです。
そして、最終楽章のアダージョの序奏はハイドン的な世界からはかなりへだっています。
しかしながら、音楽全体としてはやはりそれはハイドンの総決算です。
そして、この第1番の交響曲を書き上げた後に、さらに第11番から18番までのピアノ・ソナタを書き上げます。
しかし、それらのピアノ・ソナタは同一線上に存在するものではなくて、11番から15番までの作品群と、それ以後の作品31の16番から18番までの作品群に分かれます。
前者の作品群はそれ以前の初期ソナタの流れを引き継ぐものであり、それはウィーンでの人気ピアニストとしての腕を振るうために18世紀的ソナタを集大成たピアノ・ソナタでした。
ですから、それらは若き人気ピアニストの作品群と言えます。
しかし、それはやがて彼のわき上がるような創作意欲をおさめるものとしては、あまりにも小さく、そしてあまりにも古いものであることに気づかざるを得なくなります。
そして、その事に気づいたベートーベンは、未だ誰も踏み出したことがないような世界へと歩を進めていくのです。
それが、「私は今後新しい道を進むつもりだ」と明言して生み出された「テンペスト」を含む作品31のソナタだったのです。
交響曲2番は、まさにその様な新しい道へと踏み出した時期に生み出された音楽なのです。ですから、「初期の1番・2番」などとセットにして語ってはいけないのです。
交響曲の1番が18世紀の総括だとすれば、第2番は明らかに19世紀への新しい一歩を踏み出した音楽なのです。
そして、彼はピアノ・ソナタの分野ではこのすぐ後に「ワルトシュタイン」を生み出し、その後に、ついに音楽史上の奇蹟とも言うべき「エロイカ」が生み出されるのです。
ここには「力強さ」がある
シューリヒトのベートーベンと言えば真っ先に1950年代の後半にパリ音楽院管弦楽団と全曲録音したものを思い出します。あの演奏に関しては私は次のように書いていたようです(^^;。
これは、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュのベートーベン演奏からは対極にある演奏であることはすぐに分かりますが、かといってトスカニーニやセルのベートーベンと同族かと言われるとそれも少し違います。
そこで気づいたのが、もしかしたらこれと一番対極にあるのは晩年のカラヤンかもしれないということです。そう、あの「カラヤン美学」から最も遠い位置にある演奏がこのシューリヒトではないかと思い至ったのです。
カラヤンの特長はめいっぱいに「音価」を長くとって、それを徹底的に磨き抜くことです。たとえば、晩年に録音したシベリウスの交響曲第2番の第4楽章などは、別の音楽に聞こえるほどに音価を長くとって、まるでハリウッドの映画音楽みたいになっています。
それに対して、ここでのシューリヒトは限界までに音価を短く切り詰めています。
たとえば、エロイカの冒頭などは切り詰めを通り越して切り上げてるようにすら聞こえます。結果として、聞こえてくる音楽はとても「軽く」なります。当然のことながら、人の官能に訴えかける魅力は非常に乏しくなります。
しかし、そう言う俗耳に入りやすい「分かりやすさ」を犠牲にしてシューリヒトが獲得しようとしたのは明晰でクリアなベートーベン像だったことは明らかです。
ただし、そのベートーベンはトスカニーニやセルのような甲冑を身にまとったベートーベンではなくて、「透明感のある響き、まるでステンドグラスのようなベートーヴェン」です。
確かに、フルトヴェングラーのように、最後の着地点を見定めておいて、全ての部分をそこを目指して築き上げるドラマの素材にしてしまうような音楽とは真逆です。
そして、カラヤン美学とは全く遠い地点にあることは言うまでもありません。
もちろん、こんな風に書いたからと言ってフルトヴェングラーやカラヤンを否定しているわけではありません。つまりは、ベートーベンの音楽というのはどの様なトライをするにしても「全力投入」を求めますが、アプローチの仕方の多様性は許容すると言うことです。
そして、この40年代から50年代初頭に録音した一連のベートーベンにおいてもその様なシューリヒトの基本は変わっていません。
しかし、50年代後半の全曲録音と較べると、明らかにここには「力強さ」があります。
しかし、その力強さによって音と音の絡み合いの妙が一切犠牲にはなっていません。結果として、この上もなく見通しの良いベートーベンであることにはかわりはないのです。オーケストラを絶妙のバランスでコントロールしながら、それを前へ前へと推進していくシューリヒトの姿が目に浮かぶようです。
おそらく、50年代後半の全曲録音では、オーケストラを統率する手腕が次第に弱くなっていたのかもしれません。
しかし、この時期のシューリヒトはまさに全盛期だったようで、もはやこれを「ステンドグラスのようなベートーヴェン」と言うことは出来ないでしょう。
それならば、トスカニーニ流のベートーベンなのかと言えばそれもどこか異なります。同時期に録音されたトスカニーニのNBC交響楽団の全曲録音と較べてみれば音楽にしなやかさがあります。
そして、もう一つ気づいたのは、そう言う全体の構成や内部の見通しの良さを大切にしながら、その中におさえがたい熱情が封じ込まれていることがより明確になっているのです。
その意味では、どこかセルのベートーベンと似通った部分があるのかもしれません。
ただし、我が儘なウィーンフィルと蜜月を築く事が出来た指揮者でしたから、オケに対する姿勢は真逆だったことでしょう。
第1番と第2番ではウィーンフィルの持つ魅力も堪能できます。
それから、1949年にパリ音楽院管弦楽団と録音した第5番もまた後年の録音と較べれば圧倒的な迫力に溢れています。
これもまた、見落とししまってはあまりにも勿体ない録音です。
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