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パレー(Paul Paray)|ワーグナー:トリスタンとイゾルデ 第3幕への前奏曲
ワーグナー:トリスタンとイゾルデ 第3幕への前奏曲
ポール・パレー指揮 デトロイト交響楽団 1956年3月23日録音
Wagner:Tristan Und Isolde Prelude To Act3
愛と情念のドラマ
ワーグナーが書いた数々のオペラの中で最もワーグナー的なオペラがこの「トリスタンとイゾルデ」でしょう。
このオペラはもともと「ニーベルングの指環」を作曲しているときに、それを中断して書かれた作品でした。
理由は簡単、「指環」を一生懸命書いているものの、たとえ完成しても上演の見込みは全くない、これじゃ駄目だ・・・、と言うことで一般受けする軽いオペラを書こうと思い立ったのです。
そこで取り上げたのが「トリスタン伝説」、叔父の花嫁と許されぬ恋におち、悲恋の炎に身を焼かれるように死への道をたどる・・・、うーん、いかにも一般受けしそうです。
ところが、台本書いて、音楽をつけていくうちに、だんだんとふくれあがって来るではないですか。
第1幕のスケッチが終わった時点で、到底、一般受けする小振りなオペラにはならないことをワーグナー自身が悟ります。
第2幕を書き終えた時点で「私の芸術の最高峰だ!」と叫んだそうです。
そして、全曲書き終えたときは「リヒャルト、お前は悪魔の申し子だ!」と叫んだとか。
自惚れと自己顕示欲の塊みたいな男ですから、さもありなんですが、しかし、このオペラに関してだけは、この「叫び」は正当なものでした。
しかし、何とか上演される作品を書こうとしたワーグナーの所期の目的は、この作品があまりにも「偉大」なものになりすぎたが故になかなか上演されないという「不幸」を背負ってしまうことになります。
とりわけ、主役の二人、トリスタンとイゾルデを歌える歌手がほとんどいないと言うことは、この作品を上演するときの最大のネックとなっています。
特に、トリスタンは最後の第3幕はほとんど一人舞台なので、舞台で息を引き取るときは歌手も息を引き取る寸前になる・・・などと言われるほどです。
それから、この作品を取り上げると、お約束のように、前奏曲の冒頭にあらわれる「トリスタン和音」や、無限旋律のことが語られ、それが20世紀の無調の音楽に道を開いたことが語られます。
私は専門家ではないので、こういう楽典的なことをはよく分からないのですが、ただ、ワーグナー自身は「調性の破壊」などという革命的な意図を持ってこの作品を書いたのではないと言うことだけは指摘しておきましょう。頭でっかちの聴き方などはしないで、ごく自然にこの音楽に耳を傾ければ、愛と死に対する濃厚な人間の情念が滔々たる流れとして描かれていることが納得できるはずであり、その世界は極めて安定した調和のある世界として描かれています。
あのトリスタン和音にしても、そう言う安定した調性の世界の中で響くからこそ一種独特の不思議な響きが引き立つのであって、決して機能和声の枠から外れたその響きが作品全体を構成するキイとはなっていないのです。
ただし、ワーグナーが用いたこの響きの中に、全く新しい音楽の世界を切り開く可能性が存在して、その上に20世紀の無調の音楽が発展したことも事実です。
しかし、それはワーグナーにとっては全く与り知らないことであり、そう言う「前衛性」でこの作品を評価するような声を聞くと、私のような「古い人間」は首をかしげざるを得ません。
なお単独の管弦楽曲としては第1幕の前奏曲と第3幕の最後で歌われる「愛の死」がよく取り上げられるのですが、第3幕の前奏曲が単独で取り上げられることはあまり多くはありません。
しかし、第2幕がイゾルデの心象風景として描かれはじめるとすると、この第3幕は明らかにトリスタンの心象風景を描き出している音楽であり、単独でも十分に聴き応えのある音楽です。
低音域の弦楽器によって演奏される音楽の重苦しさはまさトリスタンの内面そのものであり、「憧憬の動機」が短調となったその重苦しい音楽はトリスタンの絶望感を描き出しまていす。
ワーグナーのミニチュア作品
ポール・パレーという指揮者の最盛期はデトロイト交響楽団を率いて新興レーベルだったMercuryと組んで次々と録音活動を行っていたころでしょう。しかし、1963年にデトロイト交響楽団を退任したあとは、驚くほどに何の業績も残していません。
この上もなく優秀なMercury録音によって聞くことのできるデトロイト交響楽団との演奏を聞けば、彼がいかに優れた「オーケストラ・トレーナー」であったかがよく分かります。そして、実際のところは分からないのですが、その「オーケストラ・トレーナー」としての結果を残すために、セルやライナーのような「恐い話」は聞こえてきませんし、マルケヴィッチのようにオケから追い出されると言うこともなかったようですから、オケから見ても貴重な存在であったことは間違いないはずです。
しかしながら、デトロイト響の音楽監督を退いてからも長生きをして1979年にモンテカルロで93歳の長寿を全うするのですが、その後は特定のポストに就くことはありませんでした。
確かに、デトロイト響を退いたときはすでに70代の後半だったのですからそれで「引退」という思いがあったのかもしれません。しかしながら、それでも80歳になっても90歳になっても指揮台にしがみつくのが「指揮者」という人種ですから、潔いと言えば潔い人だったのでしょう。
パレーの音楽は、そのすぐれたトレーニング能力によってスキルを向上させたオーケストラを自在に操って一音といえども蔑ろにしないで音楽の形を提示しきることでした。
その意味では、この一連のワーグナー録音を聞くと、方向性としてはセルやマルケヴィッチと同じだと言えます。おそらく、これほどスコアの隅から隅までクッキリと光を当てたようなワーグナーの録音はセルやマルケヴィッチと相似形です。
ただし、ワーグナーが理想としたバイロイトの歌劇場ではオーケストラ・ピットには蓋がされています。それは、視覚的に不要なものが聴衆の目にはいるのを嫌ったこともあるのですが、その蓋をすることによってオーケストラの音が渾然一体となってクリアになりすぎることを嫌ったからでもありました。
ですから、こういうスコアの隅から隅までクッキリと浮かび上がらせた演奏スタイルをワーグナーが良しとするとは思えませんし、そう言う思いでもってフルトヴェングラーやクナパーツブッシュのような演奏こそを最上と評価する人がいることも理解できます。
しかし、芸術作品というものは(異論はあるかもしれませんが)、作者の手を離れてしまえば一人歩きをはじめるものであって、それをどのように受け取るかは他者にゆだねられます。ですから、このようなワーグナーもまた「いとをかし」なのです。
ただし、セルやマルケヴィッチと方向性が同じと言っても、やはりそれなりの違いはあります。
マルケヴィッチのワーグナーには精緻さの向こうにある種の野蛮さというか狂気のようなものが潜んでいたのですが、パレーの精緻さにはその様な「恐い」ものは何処を探しても出てきません。そして、セルと較べてしまうと、デトロイトのオケがいかに頑張ってもクリーブランド管に対してはいささか分が悪いですし、さらにはセルの精緻さの奥底に潜んでいる世紀末ウィーンの空気感のようなものもありません。
しかし、パレーの演奏には、そう言う内面的なものは取りあえず横に置いて、とにかくスコアに書かれている全ての音を明瞭に聞き手の耳に届けようとする「執念」は抜きんでています。
ですから、これが誉め言葉になるかどうかは分からないのですが、それはまるで極めて精巧に作りあげられた「ワーグナーのミニチュア」のように聞こえるのです。何だ、それって、ただ単にスケールの小さな音楽だと言っているのと同じじゃないかと言われるかもしれないのですが、そこはしばしお待ちください。
精巧に作りあげられたミニチュア作品というものは他にない魅力を湛えているものです。
そして、それは「工芸作品」などでは広く周知されているのですが、それが「音楽」の世界ではあまり認められては来なかったのです。ましてや「巨大」さが「売り」のワーグナーでミニチュア化をはかるなどと言うのは本末転倒のように思えるのですが、不思議なことにそのパラドックス故にこのミニチュア化は大成功しているように思えるのです。
つまりは、「いとをかし」なのです。
とりわけ、1956年に録音されたものよりも1960年に録音されたものの方が、より鋭利な刃物で細部の細部に至るまで実物そっくりに彫り上げられているように聞こえます。
そして、その精巧さを聞き手にしっかりと伝えきったMercuryの優秀録音による貢献も忘れてはいけないでしょう。
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