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Home|グルダ(Fredrich Gulda)|ベートーベン:ピアノソナタ第26番 変ホ長調 作品81a 「告別」

ベートーベン:ピアノソナタ第26番 変ホ長調 作品81a 「告別」

(P)フリードリヒ・グルダ 1953年11月27日録音



Beethoven: Piano Sonata No.26 In E Flat, Op.81a "Les adieux" [1. Das Lebewohl (Adagio - Allegro)]

Beethoven: Piano Sonata No.26 In E Flat, Op.81a "Les adieux" [2. Abwesenheit (Andante espressivo)]

Beethoven: Piano Sonata No.26 In E Flat, Op.81a "Les adieux" [3. Das Wiedersehen (Vivacissimamente)]


「爆発」するベートーベンから「沈潜」するベートーベンへの変わり目のようなものが垣間見られる

ベートーベンのもっとも有力なパトロンであったルドルフ大公が、ナポレオンのオーストリア侵入のためにウィーンを離れなければならなくなり、それを契機として作曲されたソナタだと言われています。
作品とは直接関係のないことではあるのですが、この大公はベートーベンにとってはきわめて重要な人物でしたから、少しばかりふれておきたいと思います。

ルドルフ大公はオーストリア皇帝レオポルト2世の末子として生まれました。
この二人が出会ったのは、1803年から1804年にかけて、ベートーベンからピアノと作曲の授業を受けた時でした。

この時、ルドルフは15歳、ベートーベンは33歳でしたから、この年の開きがベートーベンの狷介さを和らげたのでしょうか、それ以後二人の結びつきは長く続き、ルドルフもベートーベンに対する深い尊敬の念を持ち続けました。

そして、1808年に、ウェストファリアの宮廷がベートーベンを招こうとしたときに、このルドルフが中心となってウィーンの貴族に呼びかけ、ベートーベンに生涯確実な年金を支払うことでウィーンに引き留めました。
この年金は、その後、ナポレオンの侵攻などによって多くの貴族が財政的な危機に陥る中で空手形になっていくのですが、その中で最後まで約束を果たし続けたのがルドルフ大公でした。

ルドルフは生来病弱であり、激務に耐えることはできなかったと伝えられています。
そのためもあってか、政治的な権力の世界からは距離をとる生き方をして、大司教から枢機卿というコースを辿ります。

ですから、彼にとって音楽というものの存在は非常に大きかったのだろうと想像されます。
実際、ルドルフ大公は幾つかの作品も残していて、それは長きにわたって「お殿様の手慰み」程度の凡庸な音楽と思われていたのですが、最近になってその見直しも進んでいるようです。

そして、その様なルドルフの生き方がベートーベンとの関係を長きにわたって良好なものとしたのでしょう。
また、この二人の間では親しく手紙のやり取りもされていて、ベートーベンにとっては年若い存在でありながら、色々な面で頼れるパトロンであったことは間違いないようです。

この作品に対しては、「告別」というタイトルを巡って出版社との間で悶着が起こり、その悶着の中で「この作品は大公にさえ捧げられていません」等と書き送っていたりします。
しかし、このような言い方はベートーベンならではの「短気」の表れでしょう。

戦争自体はすぐに集結して、やがて大公もウィーンに帰還したために、それぞれの楽章に「告別」「不在」「再会」と表題をつけたのはベートーベンです。
ただし、そのような表題を付すべきかどうかずいぶんと悩んだようではあるのですが、それでも最終的にその様な標題をつけてルドルフ大公に献呈しているのですから、この作品とルドルフ大公の関係を否定する方が不自然だと言わなければなりません。

第1楽章冒頭は3つの音で始まるのですが、この響きは明らかにホルンを想定しています。そして、このホルンの響きはこのソナタ全体に鳴り響いています。
この時代におけるホルンの響きには「隔たり」「孤独」そして「記憶」をあらわすというコンセンサスがありました。そして、それに続く数小節の間に何かを追い求めるような切ない感情が見事に吐露されています。
その意味では、この第1楽章は疑いもなくルドルフ大公との「告別」を暗示しています。

また、注意しなければいけないのは、この冒頭の3つの音がこのソナタ全体のモットーになっていることです。
もちろん、こういうシンプルなモットーから巨大な作品を構築するというのが中期のベートーベンが追い求めた手法でしたから、それがここで使われていても何の不思議もありません。

しかし、ベートーベンは、ここではその3つのモットーから巨大な構築物を作るのではなくて、それを縦糸、横糸として一枚の布の中に織り込んでいくようにして音楽を紡いでいるのです。
もちろん、作品としては中期の作品らしく、例えば当時のピアノで使用可能だった最高音から最低音まで駆け抜けるなどという派手な技巧を披露していますが、それでいながらがむしゃらに驀進していく姿は影を潜めています。

また、もう一つの特徴は不協和音を巧みに使用して告別の痛みを暗示したりもしている事です。
そして、最後は左手が低音域に下降するのに対して、右手がその8倍の速さで最高音まで駆け上がります。
ローゼン先生はそれを遠くに消え行こうとしているものを追いかけて自らも消え失せていくかのようだと評しています。

続く第2楽章はハ短調なのですが、この主調がなかなか確立しないという事をピアニストは分析する必要があるようです。
もちろん、多くの聞き手はその様なことは全く気にもしないのですが、その不安定さが間違いなく「不在」に伴う不安感の表出となっていることは聞き取れます。

また、この楽章で注意が必要なのは、ベートーベンが使用していたピアノには存在しない低音のE音が用いられていることです。
この事は、与えられた現実の中にとどまろうとしないパッションの発露であり、ピリオド演奏の原理主義的価値観に対するベートーベンからの異議申し立てのように聞こえます。

そして、この不在の感情はそのまま一気に第3楽章への「再開」の喜びへと爆発していきます。
そして、この最終楽章で注意しなければいけないのは、展開部におけるダイナミクスの処理であるとローゼン先生は指摘しています。

冒頭で喜びを爆発させた以上は、それ以上の喜びを形として表すことは不可能だと考えたかのように、静かなままで展開部は進行します。にもかかわらず、多くのピアニストはそこでクレッシェンドの誘惑から逃れることは難しいと述べています。
この「爆発」するベートーベンから「沈潜」するベートーベンへの変わり目のようなものが垣間見られる場面かもしれません。

なお、作品番号の「81a」というのは、「告別ソナタ」よりも少し前にボンの出版社が六重奏曲(2本のホルンと弦楽四重奏のための室内楽曲)を「作品81」として出版したので、ベートーベンの作品をすべて出版していたプライトコプフが作品番号の順番を乱さないために「81a」と「81b」と整理したためです。
なんだか「Op,81a」というと、「Op.81」という「第1稿」があるような気になるのですが、そういうわけではありません。


見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェン

ブレンデルのソナタ全集を紹介したときにグルダの全集に関しても少しばかりふれました。
一般的にグルダによるベートーベンのピアノ・ソナタ全集は1967年に集中的に録音されたAmadeoでのステレオ録音と、1954年から1958年にかけてモノラル・ステレオ混在で録音されたのDecca録音の二つが知られていました。しかし、最近になってその存在が知られるようになったのがここで紹介しているた1953年から1954年にかけてウィーンのラジオ局によってスタジオ収録された全曲録音です。

この録音は、きちんとセッションを組んで以下のような順番で全曲が録音されたようです。

  1. 1953年10月8&9日録音:1番~3番

  2. 1953年10月15&16日録音:4番~7番&19番~20番

  3. 1953年10月22日録音:8番~10番

  4. 1953年10月26日録音:11番

  5. 1953年10月29日録音:12番~13番&15番

  6. 1953年11月1日録音:14番

  7. 1953年11月6日録音:16番~18番&21番

  8. 1953年11月13日録音:22番&24番~25番

  9. 1953年11月20日録音:23番&27番

  10. 1953年11月26日録音:30番~31番

  11. 1953年11月27日録音:26番&32番

  12. 1954年1月11日録音:28番~29番


グルダは年代順にベートーベンのピアノ・ソナタを全曲録音するという構想を立てていて、それを実際に行ったのは1953年のことでした。その年に、グルダはなんとオーストリアの6都市でベートーベンのピアノ・ソナタ全曲演奏会を行うことになるのですが、おそらくはその集大成として1953年10月8日から1954年1月11日にかけて、セッション録音を行ったのでしょう。

しかしながら、その全曲録音が終了した1954年からグルダはDeccaで同じような全曲録音を開始するのです。
この1953年から1954年にかけて録音を行ったウィーンのラジオ局は、当時は依然としてソ連の管理下にあったこともあってか、結局は一度も陽の目を見ることもなく「幻の録音」となってしまったようなのです。

それでは、その「幻の録音」が何故に今頃になって陽の目を見たのかと言えば、録音から50年が経過しても未発表だったのでパブリック・ドメインとなったためでしょう。そう考えてみると、著作権というのは創作者の権利を守るとともに、一定の期間を過ぎたものはパブリック・ドメインとして多くの人に共有されるようにすることには大きな意味があるといえるのです。

さて、私事ながら、ベートーベンのピアノ・ソナタ全曲の「刷り込み」はグルダのAMADEOでのステレオ録音でした。つまりは、全曲をまとめて聴いたのがその録音だったのです。
理由は簡単です。その当時、AMADEOレーベルから発売されていたこの全集が一番安かったからです。(それでも1万円ぐらいしたでしょうか。昔はホントにCDは高かった)

ただ、買ってみて少しがっかりしたことも正直に申し上げておかなければなりません。なぜなら、その当時の私の再生装置では、なぜかピアノの響きが「丸く」なってしまって、それがどうしても我慢できなかったからです。
その後、CDプレーヤーは捨ててファイル再生に(PCオーディオ)へと移行していく中で、意外としゃっきりと鳴っていることに気づかされて、そのおかげでグルダの演奏の凄さが少しは分かるようになっていったものでした。音楽家への評価と再生装置の問題は意外と深刻な問題をはらんでいるのです。

当時のHMVのキャッチコピーを見ると「録音から既に長い年月が経過していますが、その間にリリースされた全集のどれと較べても、全体のムラのない完成度や、バランスの見事さ、響きの美しさといった点で、いまだに優れた内容を誇り得る全集だと言えるでしょう。」と書いています。
CDプレーヤーでお皿を回しているときは、この「バランスの見事さ、響きの美しさ」と言う評価には全く同意できなかったです。ただし、今のシステムならば十分に納得のいくものとなっています。

そして、それとほぼ同じ事がこの若き日の録音にもいえるのです。
1953年から1954年と言えば、バックハウスやケンプが現役バリバリで活躍していた時代でした。彼らのようなドイツの巨匠によるベートーベンは、シュナーベルやフィッシャーなどから引き継がれてきたドイツ的なベートーベン像でした・・・おそらく・・・。
そして、それ故に彼らのソナタ全集は多くの聞き手から好意的に受け入れられ、その結果としてメジャーレーベルから華々しく発売されることになったのです。

そう言う巨匠達の演奏と較べれば、このグルダのベートーベンは全く異なった時代を象徴するような演奏でした。
もしもバックハウスの演奏が「絶対的」なものならば、このグルダの演奏は明らかに異質な世界観のもとに成り立っています。
全体としてみれば早めのテンポで仕上げられていて、シャープと言っていいほどに鋭敏なリズム感覚で全体が造形されています。そして、ここぞと言うところでのたたみ込むような迫力は効果満点です。この、「ここぞ!」というとところでのたたき込み方は67年のAMADEOでのステレオ録音よりもこの50年代のモノラル録音の方が顕著です。
つまりは、それだけ覇気にあふれていると言うことなのでしょう。

ですから、バックハウスのようなベートーベンを絶対視する人から見れば、この演奏を「軽い」と感じる人もいることは否定しません。
たとえば、グルダの演奏を「音楽の深さや重さを教えているものではなく、極めて口当たりの良い軽い音で、しかも気軽に聞けるように作り直している」と評価している人もいたほどでした。それは、67年の録音に対してのものでしたから、それとほぼ同じスタンスで演奏した50年代の初頭の録音ならば(それは結局は陽の目を見なかったのですが)、大部分の人がそのような「否定的」な感想を持ったのだろうと思います。

しかし、ベートーベンはいつまでもバックハウスやケンプを模倣していないと悟れば、このグルダの録音は全く新しいベートーベン像を呈示していることに気づかされます。
つまり、シュナーベルから引き継がれてきたドイツ的(何とも曖昧な言葉ですが・・・^^;)なベートーベン像だけが絶対的な「真実」ではないと悟れば、このグルダが提供するベートーベン像の新しさは逆に大きな魅力として感じ取れるはずです。何故ならば、重く暑苦しい演奏は数あれど、ここまで見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェンはこれが初めてかもしれないのです。

そう言う意味で、録音から50年が経過して、著作権の軛から解放されてこの演奏が陽の目をみることが出来たことは喜ばなければなりません。

この演奏を評価してください。

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