何年か前"Vladimir Horowitz live at Carnegie Hall"と題して、1951-1978年の間(+α)のホロヴィッツのカーネギー・ホールでの演奏会を集大成したCDが発売されたことがありました。言うまでもなくカーネギー・ホールは彼の米国での本拠地であったわけで、この1953年の演奏会も1965年のHistric Return演奏会もこのホールで行われている。カーネギーと言う鉄鋼王の名を冠するこのホールは、如何にもアメリカ的で古い歴史を背負わない米国の(プチ)ブルジョワ文化の象徴でもある。このホールでホロビッツは50年に渡って”王様”であり、批評家からはショーンバーグからは”猫の額云々”とも、その後のニューヨークで音楽評論を書いたE. サイードに言わせれば”政治家と同じく権力の座にとどまることしか望んでいない”ように見える演奏家・・・とも言われる。
そのホロヴィッツは、カーネギー・ホールにデビューすることを”the end of a particular phase in the pianist’s career, not the starting point”だと考えていたという。それは言葉を変えれば、高額のチケットを購入し恭しい礼装に身を包んで音楽を聴くことを一つのステータスと考える芸術”愛好家”のお気に入り・ペット・・・そして王様になることでもある。音楽を高尚なもの、虚飾を廃した真実なるものと考える純粋培養芸術の立場からは、カーネギー・ホールには鼻持ちならないスノッブの香りが付きまとうことは否定できないし、実際大抵の演奏には盛大な”フライング拍手”が付属していて、(我が国のように?)音楽の余韻を楽しむ”精神性豊かな”聴衆の趣は乏しい。
・・・・しかし、だからこそなお、これらの彼の演奏の記録を聴きながらホロビッツがこのホールで成し遂げたことの実績と意味を考えると圧倒されるものがある。ホロビッツはスカルラッティでもハイドンでもモーツアルトでもベートーヴェンでもシューマンでもショパンでもラフマニノフでもスクリャービンでも、何を弾こうと”ホロヴィッツ”であって、ブレンデルやポリーニとの比較が適切な演奏家でもない。20世紀と言う時代に”クラシック”という”古典”に回顧以上の意味を与える道を根無し草の”米国文化”の中で一人のピアニストとして模索し、良かれ悪しかれソノ展望(の一隅)を一人で示した演奏家だったと思う。その意味では、グールドもホロヴィッツの後裔であり(グールドがホロヴィッツを意識して止まなかったのも当然・・か)、ホロヴィッツの演奏を肯定するにせよ否定するにせよピアノという楽器(とピアノ音楽)の表現の幅と可能性を広げたことは否定できないように思う。
最後に、この1953年の演奏会のプログラムは、上述のCDセットではブラームスのラプソディ・変ホ長調・op.119-4から始まっていてシューベルトで肩慣らしをした訳では無いようです。