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チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35

(Vn)ナタン・ミルシテイン:シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団 1953年3月29日録音



Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [1.Allegro moderato - Moderato assai]

Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [2.Canzonetta. Andante]

Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [3.Finale. Allegro vivacissimo]


これほどまでに恵まれない環境でこの世に出た作品はそうあるものではありません。

まず生み出されたきっかけは「不幸な結婚」の破綻でした。
これは有名な話のなので詳しくは述べませんが、その精神的なダメージから立ち直るためにスイスにきていたときにこの作品は創作されました。

チャイコフスキーはヴァイオリンという楽器にそれほど詳しくなかったために、作曲の課程ではコテックというヴァイオリン奏者の助言を得ながら進められました。

そしてようやくに完成した作品は、当時の高名なヴァイオリニストだったレオポルド・アウアーに献呈をされるのですが、スコアを見たアウアーは「演奏不能」として突き返してしまいます。
ピアノ協奏曲もそうだったですが、どうもチャイコフスキーの協奏曲は当時の巨匠たちに「演奏不能」だと言ってよく突き返されます。
このアウアーによる仕打ちはチャイコフスキーにはかなりこたえたようで、作品はその後何年もお蔵入りすることになります。そして1881年の12月、親友であるアドルフ・ブロドスキーによってようやくにして初演が行われます。
しかし、ブドロスキーのテクニックにも大きな問題があったためにその初演は大失敗に終わり、チャイコフスキーは再び失意のどん底にたたき落とされます。

やはり、アウアーが演奏不能と評したように、この作品を完璧に演奏するのは当時の演奏家にとってはかなり困難だったようです。
しかし、この作品の素晴らしさを確信していたブロドスキーは初演の失敗にもめげることなく、あちこちの演奏会でこの作品を取り上げていきます。やがて、その努力が実って次第にこの作品の真価が広く認められるようになり、ついにはアウアー自身もこの作品を取り上げるようになっていきました。

めでたし、めでたし、と言うのがこの作品の出生物語と世に出るまでのよく知られたエピソードです。

しかし、やはり演奏する上ではいくつかの問題があったようで、アウアーはこの作品を取り上げるに際して、いくつかの点でスコアに手を加えています。
そして、原典尊重が金科玉条にようにもてはやされる今日のコンサートにおいても、なぜかアウアーによって手直しをされたものが用いられています。

つまり、アウアーが「演奏不能」と評したのも根拠のない話ではなかったようです。
ただ、上記のエピソードばかりが有名になって、アウアーが一人悪者扱いをされているようなので、それはちょっと気の毒かな?と思ったりもします。

ただし、最近はなんと言っても原典尊重の時代ですから、アウアーの版ではなく、オリジナルを使う人もポチポチと現れているようです。
でも、数は少ないです。クレーメルぐらいかな?

<追記:2018年2月>

アウアーのカットと原典版の違いが一番よく分かるのは第3楽章の繰り返しだそうです。(69小節~80小節・259小節~270小節・476小節~487小節の3カ所だそうな・・・)
それ以外にも第1楽章で管弦楽の部分をカットしていたりするのですが、演奏技術上の問題からのカットではないようなので、そのカットは「演奏不能」と評したアウアーを擁護するものではないようです。

ちなみにノーカットの演奏を録音したのはクレーメルが最初のようで、1979年のことでした。
ただし、それを「原典版」と言うのは少し違うようです。

なぜならば、通常の出版譜でもカッとされる部分がカットされているわけではなくて、「カット可能」と記されているだけだからです。
そして、その「カット」は作曲家であるチャイコフスキーも公認していたものなので、どちらを選ぶかは演奏家にゆだねられているというのが「捉え方」としては正しいようなのです。それ故に、79年にクレーメルがノーカット版で録音しても、それに追随するヴァイオリニストはほとんどあらわれなかったのです。

ある人に言わせれば、LP盤の時代にこのノーカット版を聞いた人は「針が跳んだのかと思った」そうです。(^^;
ただし、最近になって、本家本元(?)のチャイコフスキーコンクールではノーカットの演奏を推奨しているそうですから、今後はこのノーカット版による演奏が増えていくのかもしれません。


ミンシュという人が持っている引き出しの多さ

ミンシュ&ボストン響の伴奏による初期の時代の協奏曲の録音を幾つか続けて聞いてみました。
聞いたのは以下の3つです。

  1. ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調, Op.26
    (Vn)ユーディ・メニューイン 1951年1月18日録音

  2. ブラームス:ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調, Op.83
    (P)アルトゥール・ルービンシュタイン 1952年8月11日録音

  3. チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調, Op.35
    (Vn)ナタン・ミルシテイン団 1953年3月29日録音


まず驚いたのは、1951年にメニューインと共演して録音していることです。
よく知られている話ですが、メニューインはフルトヴェングラー擁護を積極的に行い、その事がアメリカのユダヤ人社会の怒りを買い、そのためにユダヤ系音楽家が支配的なアメリカ楽壇から事実上追放されて活動の拠点をイギリスに移さざるを得なくなっていました。
そう言えば、この1951年という年はアメリカの親善大使として来日していますから、ある程度は彼への締め付けは緩くなっていたのかもしれません。とは言え、アメリカにおけるユダヤ系の影響力を考えればメニューインと共演して録音を行うというのは小さくはないリスクだったはずです。

そこであらためて気づくのは、ミンシュという人にはほとんど戦争の影が感じられないと言うことです。
彼は1926年にゲヴァントハウス管弦楽団のヴァイオリニストとして音楽家としての活動を開始するのですが、その後は楽団のコンサート・マスターをつとめながら1929年にパリで指揮者としてデビューします。そして、1937年にパリ音楽院管弦楽団の指揮者となって1946年まで在任しました。
つまりは、ナチス支配下のフランスにおいて彼はずっとその地位にあり、その後はアメリカに渡って1949年にボストン交響楽団の常任指揮者に就任するのです。

そんな彼の人生にはナチスの影みたいなものがほとんど感じられないのです。もちろん、積極的にナチスに荷担することもなく、外から見た目にはその困難な時代を淡々とくぐり抜けたように見えるのです。
しかし、詳しく調べてみると、ナチス支配下のパリでオーケストラを維持していくのはかなりの困難を伴うものであり、それ以外にも、密かに対独レジスタンス運動に身を投じていた事も知られるようになってきました。また、戦時下に南仏で製作が進められた映画「天井桟敷の人々」のサウンドトラックの指揮を担当した事も忘れてはいけないでしょう。

しかし、そう言うことを彼はあまり口にはしなかったようで、結果として淡々と戦時下をくぐり抜けてきたように見え、それ故に彼に戦争の影を感じることも少なかったのでしょう。

ですから、この時にあってもメニューインと共演することにも躊躇いがなかったのでしょう。
カサドシュとのモーツァルト演奏の時にもふれましたが、ここでもメニューインを立てて実に手堅く伴奏をつけています。

ところが、1952年に録音されたルービンシュタインとのブラームスでは雰囲気がガラリと変わります。
もともとこの作品のオーケストラパートは交響曲のように充実しています。そして、それに対抗しうるようにピアノのソロも充実していて、その両者はがっぷりと組み合うことが要求されます。
まさに、ここで聞ける両者の演奏を一言で言えば「喧嘩上等」です。

考えてみれば、ルービンシュタインもミンシュも偉大な芸術家ではあるのですが、その根っこを掘り下げていけば基本的にはエンターテイナーです。ですから、多少のアンサンブルの乱れなどは気にしないで、「オレの方が目立たなくてどうするんだ!」という意気込みがひしひしと伝わってきます。
最近ではみんなお行儀が良くなって、こういう「喧嘩上等」な協奏曲は滅多に聴けなくなっているので、気楽な聞き手にとっては実に楽しい時間を過ごすことが出来ます。
ピアノというのは楽器一つでフル・オーケストラと互角に渡り合えるのですから、やはりこうでなくっちゃいけません。

そして、その翌年にミルシテインとの録音になると、これまたガラリと雰囲気が変わるのです。
これはミルシテインというヴァイオリニストが持っている美質が最高に発揮された録音です。

ミルシテインという人は、おそらくハイフェッツの影を殆ど気にしなかった数少ないヴァイオリニストの一人でしょう。
両者はともにアウアー門下であり、そしてアウアーの指導は自分で考えることを強く要求するものでした。ですから、ハイフェッツはハイフェッツであり、自分は自分であるという極めて当然のことを素直に認識できた数少ない一人だったのです。
ミルシテインは優れた技巧を持ちながらもそれをひけらかすことはなく、歌心と美音を前面に押し出すことが自分の美質を最大限に発揮する道だと確信していました。ですから、ハイフェッツのような凄みのある音楽は自分とは無縁のものであると思っていたのでしょう。

面白いのは、そう言うミルシテインのスタイルをミンシュは完全に理解して、そう言うミルシテインの美質が最大限に発揮されるようにオーケストラをコントロールしていることです。
こういうのを聞くと、ミンシュはミルシテインのことを本当に尊敬していたんだなと言うことが伝わってきます。
そして、あらためてミンシュという人が持っている引き出しの多さと懐の深さに感心せざるを得ないのです。

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