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プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 Op.26

(P)バイロン・ジャニス:キリル・コンドラシン指揮 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団 1962年6月録音



Prokofiev:Piano Concerto No.3, Op.26 [1.Andante. Allegro]

Prokofiev:Piano Concerto No.3, Op.26 [2.Tema con variazioni]

Prokofiev:Piano Concerto No.3, Op.26 [3.Allegro, ma non troppo]


ピアニストの超絶技巧がたっぷりと味わえる音楽

人には相性というものがあるようで、それは作曲家においても同様で、私の場合はドビュッシーの茫洋たる響きがどうにも苦手で最も相性の悪い存在でした。そして、もう一人相性の悪い人がいて、それがプロコフィエフでした。
それは、このサイトを見てもらえば分かるように、プロコフィエフの録音はほとんどアップしていません。ドビュッシーは音楽史における位置が非常に高いので、好き嫌いは言ってもおられないのでそれなりにカバーはしてきたつもりなのですが、プロコフィエフに関してはほとんど放置に近い状態です。

では、何故に相性が悪いのかと言えば、プロコフィエフのような偉大な作曲家に対して恐れ多い物言いになるのですが、どうにこうにも中途半端な感じが拭いきれないのです。時にはロマン派の音楽のような耳あたりのいい作品を書くのですが、それはプロコフィエフの本質ではないでしょう。しかしながら、ある種の先進性を持った作品の中にも、その様な分かりやすさが紛れ込んでくるので、何ともいえずとらえどころのなさを感じてしまうのです。
ですから、例えば彼の代表作である交響曲第5番などには「アイロニー(皮肉)」のようなものしか感じないと書いていました。

それでも、いつまでも相性が悪いとも言ってはおられません。音楽史におけるプリコフィエフの占めるポジションを考えれば、それなりに聞き込んでいって作品を紹介する必要はあるでしょう。何しろ、自分でも驚いたのですが、協奏曲の分野では1曲もアップしていないのです。
このアップしていないという事実にはつい最近になって気がついたのですが、それはいくら何でも不味いだろうと思わざるを得ません。

と言うことで、一番最初に彼の出世作であり、作曲家としての名声を確立する切っ掛けとなった「ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 Op.26」を取り上げることにしました。

今さら言うまでもなく。プロコフィエフはピアニストとしても超一流でした。「鋼鉄の指と手首を持つ」と言われたほどのピアニストであり、彼が書いたピアノ作品はそんなプロコフィエフと同等の技量とパワー持ったピアニストでなければ演奏できないとも言われたものでした。
しかし、彼が書いたピアノ協奏曲は常に「賛否」の対象となりました。
もう少し正確に言えば、圧倒的な否定的批評の中にごく僅か絶賛する人がいるという音楽だったのです。

たとえば、第1番の協奏曲に対しては「新奇性を探しているものの、また自分自身の本質というものがないために完全にひずんでしまっている」と酷評され、第2番に至っては「こんな未来派の音楽などは悪魔にくれてやれ。我々は楽しみを求めてやってきたの。家の猫にだってこんな音楽は出来るぞ」とまで罵倒されました。
それは、この時代のロシアの聴衆がいかに保守的だったかの証左ともなるのですが、それはラフマニノフもまた同じでした。そして、ラフマニノフは「芸術」は捨てて「芸」に徹することで復活したのですが、それと同じようなことがプロコフィエフにもいえたようです。

ただし、プロコフィエフは地主階級に生まれた裕福な家庭の子供だったので、そう言う悪評もラフマニノフほどにはこたえなかったようです。しかしながら、それに続く第3番の協奏曲では、かなり大きな変化を見せたことは否定できません。
それは、この第3番の協奏曲はロシアで書かれはじめたのですが、完成したのはアメリにおいてでした。その間には、ロシア革命による混乱と、それを逃れるためにシベリアを横断して日本に渡り、そしてアメリカに移り住むという経験が横たわっていました。そして、日本からアメリカに渡るときに乗り継ぎが上手くいかず、日本に2ヶ月も滞在することを余儀なくされています。

その日本滞在中に懐の金も寂しくなってきたのか、お金の心配をしないでいいようにどこかで「興行」が出来ないものかと日記に書いていたようです。どうやら、この頃のプロコフィエフはピアノのコンサートを「興行」ととらえるようになっていたようで、それがアメリカに渡るとより強くなったようで、この第3番の協奏曲は実に分かりやすい、そしてピアニストの超絶技巧がたっぷりと味わえる音楽になっているのです。
有り体に言ってしまえば、この協奏曲は「受け狙い」の要素が散りばめられていることは明らかです。

そこにはロシアの土俗性もあれば、アダージョ楽章の叙情性にも不足はしません。そして、最終楽章の最後の最後でピアノの超絶技巧を爆発させてこの上もないほどの華やかさで曲を締めくくります。これで「ブラボー」が来なければ不思議なほどなのですが、ただでさえ大変なピアノパートを弾き続けて、その最後の最後に最大の難関が待ちかまえているというのは、ピアニストにとっては極めてリスキーな作品だともいえます。
見事に決めてみせれば拍手大喝采、しかしミスってしまえば地獄に真っ逆さまです。

なお、この作品の第3楽章の冒頭の旋律が日本の「越後獅子」に似ているという話は昔から良く語られていて、それはアメリカに渡る前に2ヶ月滞在した日本の影響が反映しているとも言われてきました。
確かに、この印象的な旋律は何度もでてきますし、最後のコーダに突入するときにもこの「越後獅子」の旋律がゴーサインのように聞こえます。

ただし、そう言う旋律が使われているからと言って、そこに日本文化の影響があったというのはいささか言い過ぎな様な気がします。
ただし、日本のどこかで聞いたメロディがふと蘇って、それがこの最終楽章に相応しいと思った可能性はあるかもしれません。


ホロヴィッツが録音していればこんな感じになっただろうなと思わせる「凄み」がある

50年代から60年代のアメリカでは優れた才能を持った若きピアニストが次々と登場しました。ざっと思いつくだけでも、ウィリアム・カペル、バイロン・ジャニス、ゲイリー・グラフマン、レオン・フライシャー、ヴァン・クライバーン、ジュリアス・カッチェン等々です。
しかしながら、彼らのほとんどはもう一つ上のランクにはい上がることが出来ずにそのキャリアを終えています。

ヴァン・クライバーンはその華やかなキャリアの始まり故にあっという間に才能を使い切られてしまいました。レオン・フライシャーは、その生真面目さ故に指の故障をに見舞われてキャリアが途絶えました。そうなってしまった彼らの背景にホロヴィッツの影を見るのは穿ちすぎでしょうか。それから、ジュリアス・カッチェンは「我が道を行く」のスタイルを崩すことなく多くの優れた演奏と録音を残しましたが、1969年にわずか42歳でこの世を去ってしまいました。もしかしたら、そのあまりにも旺盛な演奏活動故の過労が原因だったのかもしれません。

そして、残りのメンバーにも、その背後にホロヴィッツの影が見え隠れせざるを得ません。
ピニストであればホロヴィッツ、ヴァイオリニストであればハイフェッツ。アメリカでは若き才能が登場すると、常に彼らの後継者としての期待がかけられました。もちろん、ホロヴィッツの弟子でもあった、バイロン・ジャニスやゲイリー・グラフマンは「オレの物まねになるな」というホロヴィッツの言葉は胸に刻んでいたはずです。

しかし、結果として、地味ながらも最晩年までピアニストとしての活動を続けることが出来たのはゲイリー・グラフマンだけでした。彼の演奏を聞いていると、このホロヴィッツの言葉を素直に受け入れて、己の才能の分の中で自分なりの音楽を築き上げていったように感じられます。
しかし、、「オレの物まねになるな」という言葉を胸に刻みながらも、それでもどこかで自分もホロヴィッツになれるかもしれないと思ってしまったのがバイロン・ジャニスでした。皮肉なことですが、その背景としてバイロン・ジャニスにはホロヴィッツになりうるかもしれないほどの才能があり、ゲイリー・グラフマンにはそう言う才能がないことを自らも自覚していたからでしょう。

うえで上げたピアニストの中でこのプロコフィエフの難曲を録音しているのはウィリアム・カペル、バイロン・ジャニス、ゲイリー・グラフマンの3人だけです。(クライバーンもワルター・ヘンドル指揮 シカゴ交響楽と録音しているとの情報をいただきました。やはり演奏効果の高いこの作品は腕自慢たちにとっては魅力があるのでしょうね。ただし、この録音は残念ながら未聴です。)おそらく、ホロヴィッツは録音はしていませんし、演奏会で取り上げたこともなかったのではないでしょうか。
ホロヴィッツという人は不思議な人で、どうしてこの作品を録音していないの?と言う事がよくあります。そして、そう言うホロヴィッツが録音しなかった作品をバイロン・ジャニスは積極的に録音しているのですが、それはもう、ラフマニノフの2番にしてもこのプロコフィエフの3番にしても、もしもホロヴィッツが録音していればこんな感じになっただろうなと思わせる「凄み」があります。
それは、コンドラシンの極めて適切なサポートに支えられているメリットもあるのですが、その完璧なテクニックから繰り出される確かなファンタジーはこの作品の録音の中では決して忘れることの出来ないものです。

それに対して、ゲイリー・グラフマンはプロコフィエフの複雑なピアノスコアをこの上もなく端正に再現しています。
しかし、その演奏からは、どこからもホロヴィッツの影は見えてきません。その演奏は一言で言えばこの上もなくバランスの取れた端正なものであり、率直にいってプロコフィエフ作品の中に潜んでいるある種の「野蛮」さを完全に漂白してしまっているが故にある種の物足りなさを感じるかもしれません。
そこにはプロコフィエフが求めたであろうある種の「凄み」や、ホロヴィッツの演奏から感じ取れる「凄み」とも遠く離れた地点にあるピアノの世界を作りあげています。それは、エンリケ・ホルダ&サンフランシスコ交響楽団との1957年録音でも、ジョージ・セル&クリーヴランド管弦楽団とで1966年録音でも方向性は全く同じです。

とりわけ、エンリケ・ホルダ&サンフランシスコ交響楽団との録音ではその傾向が強いです。それに対して、セルとの録音では背景でサポートするオケが素晴らしいので、それだけでも十分に聴き応えがありますし、グラフマンのピアノもそう言うオケの響きの中に綺麗にはまりこんでいます。
そして、ある意味ではそう言う「自己主張」の控えめな点がセルに気に入られた要因であることは間違いないでしょう。
自分の才能を客観的に見切り、その範囲の中で精進を続けたが故に長く活動を続けることが出来たというのは皮肉な話なのですが、それほどまでに当時のアメリにおけるホロヴィッツの亡霊は巨大な存在だったと言うことなのでしょう。

なお、最後になりましたが、1953年に飛行機事故でこの世を去ったウィリアム・カペルは少しばかり事情が異なります。
ショーンバーグが「第二次世界大戦終焉後世代における最も有望なアメリカ人ピアニスト」と評価したように、彼が長く活動を続けていれば、もしかしたら十分にホロヴィッツの対抗馬になり得たかもしれない存在でした。

ウィリアム・カペルも1949年にこの作品を録音しています。
古い録音ですが、音質的には十分なクオリティを持っています。彼の録音の中ではあまり話題になることは少ないのですが、その強靱なタッチと透明感に溢れた響きはまさにホロヴィッツを想起させるものがあります。
そして、こういう録音を聞くと、彼がホロヴィッツに憧れてピアニストへの道を歩み始め、それを目標にして追いかけながら、もしかしたら彼と並び、そして追い抜けるかもしれないと思い始めたんだろうなと想像させるに十分なほどの演奏です。最も、彼はあまりにも早く亡くなりすぎました。もしも、さらに長い活動期間が与えられていれば、彼もまたホロヴィッツとの影と戦いながらどういう結果になったのかは誰にも分かりません。

ただし、彼がホロヴィッツの影を完全に払拭してしまっていたら、それに続く多くのピアニストにとっては大きな福音となったであろう事は疑う余地はありません。歴史に「if」はないのは分かり切っているのですが、そう言う「if」を考えさせるだけの力を持ったピアノ使徒がカペルだったことは間違い阿ありません。

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