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ギーゼキング(Walter Gieseking) |シューマン:ピアノ協奏曲 Op.54
シューマン:ピアノ協奏曲 Op.54
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 (P)ヴィルヘルム・ギーゼキング ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1942年3月3日録音
Schumann:Piano Conserto in A minor Op.54 [1.Allegro affetuoso]
Schumann:Piano Conserto in A minor Op.54 [2.Intermezzo]
Schumann:Piano Conserto in A minor Op.54 [3.Allegro vivace]
私はヴィルトゥオーソのための協奏曲は書けない。
クララに書き送った手紙の中にこのような一節があるそうです。そして「何か別のものを変えなければならない・・・」と続くそうです。そういう試行錯誤の中で書かれたのが「ピアノと管弦楽のための幻想曲」でした。
そして、その幻想曲をもとに、さらに新しく二つの楽章が追加されて完成されたのがこの「ピアノ協奏曲 イ短調」です。
協奏曲というのは一貫してソリストの名人芸を披露するためのものでした。
そういう浅薄なあり方にモーツァルトやベートーベンも抵抗をしてすばらしい作品を残してくれましたが、そういう大きな流れは変わることはありませんでした。(というか、21世紀の今だって基本的にはあまり変わっていないようにも思えます。)
そういうわけで、この作品は意図的ともいえるほどに「名人芸」を回避しているように見えます。いわゆる巨匠の名人芸を発揮できるような場面はほとんどなく、カデンツァの部分もシューマンがしっかりと「作曲」してしまっています。
しかし、どこかで聞いたことがあるのですが、演奏家にとってはこういう作品の方が難しいそうです。
単なるテクニックではないプラスアルファが求められるからであり(そのプラスアルファとは言うまでもなく、この作品の全編に漂う「幻想性」です。)、それはどれほど指先が回転しても解決できない性質のものだからです。
また、ショパンのように、協奏曲といっても基本的にはピアノが主導の音楽とは異なって、ここではピアノとオケが緊密に結びついて独特の響きを作り出しています。この新しい響きがそういう幻想性を醸し出す下支えになっていますから、オケとのからみも難しい課題となってきます。
どちらにしても、テクニック優先で「俺が俺が!」と弾きまくったのではぶち壊しになってしまうことは確かです。
数少ないシューマンの協奏曲の貴重な録音
協奏曲の伴奏が好きだという指揮者は基本的にはいないでしょう。
指揮者なんてのは目立ってなんぼという側面は否定できない仕事です。にも関わらず、協奏曲では目立つべきはソリストであって、指揮者が目立ってはいけないのが基本ですから、面白いはずがありません。
しかしながら、コンサートの一番基本的なスタイルというのは前菜としての小品の後に協奏曲が来て、その後にメインの作品を演奏するというものです。おそらく、10回コンサートをやれば、少なくともその半分以上のコンサートで協奏曲の伴奏が求められるはずです。
そう考えてみると、フルトヴェングラーが協奏曲の伴奏を行った回数は際だって少ないことに気づきます。きちんとカウントしたわけではないのですが、残された録音の数を眺めてみても多くはないことは明らかです。
まあ、フルトヴェングラーくらいの指揮者になると自分が脇役になると言うのはあまりやりたい仕事ではなかったのでしょう。
しかしながら、そう言う中で割合積極的に取り上げていたのがブラームスとシューマンでした。
とりわけブラームスのピアノ協奏曲第2番が一番たくさん取り上げられているというのは、同じ協奏曲でもオケと指揮者が最も目立つ作品だったからでしょう。そして、その次に演奏回数が多いのがこのシューマンのピアノ協奏曲とチェロ協奏曲らしいです。
ただしシューマンの協奏曲に関しては、「音の記録」としてしっかり残っているのはこの1942年の録音だけのようです。
当然のことかもしれませんが、戦後になってもそれらのスタジオ録音はおろか、コンサートでも取り上げていないのではないでしょうか。ただし、幸いなのは、この残された42年の録音のクオリティが高いことで、とりわけチェロ協奏曲の方のライブであるにもかかわらず音質は非常に優れています。
ギーゼキングと共演したピアノ協奏曲の方は、最初はいささか冴えないのですが、後半にいくに従って目が醒めてくるような感じで、全体としてみれば、この時代の録音としては十分に納得のいくレベルであり、音楽的資料としてではなく鑑賞の対象として十分に楽しめるクオリティは持っています。
まず、ピアノ協奏曲を聞いて真っ先に気づいたのは、ギーゼキングの演奏スタイルが戦後の静的で即物的なスタイルとは別人のようだと言うことです。
冒頭部分からすでに気合い十分ですし、フィナーレに向かって盛り上がっていくところでは指揮者のフルトヴェングラー共々に迫力満点です。
ご存知の方も多いと思いますが、ギーゼキングはエリー・ナイほどではないにしても、それなりに確信犯的なナチス党員でした。ですから、フルトヴェングラーが戦争中に共演したピアニストとしては、彼の盟友であったエドウィン・フィッシャーの次に回数が多いのです。
エドウィン・フィッシャーは立場的にはフルトヴェングラーと同じようなポジションであの戦争を乗り切りました。
それに反して、ギーゼキングの方はナチスとの関係で共演せざるを得ない場面が多かったと言うことでしょう。その証拠に、戦後は彼らは一度も共演していません。
そして、この熱気にあふれたギーゼキングの演奏を聞いてしまうと、バリバリのナチスとして活動していた戦争中こそが、彼にとって最も活力にあふれた時代だったのかもしれないという思いがわき上がってきます。とは言え、彼はエリー・ナイほどの筋金入りのナチスでもなかったので、戦後の大きな変化の中で考えることは色々あったのでしょう。
そう言う思いが彼なりのもう一つの新しい演奏スタイルに結実したのですから、やはり並のピアニストでなかったことだけは事実です。
それから、チェロ協奏曲の方ですが、ソリストは「ティボール・デ・マヒュラ」なる人物がつとめています。
今となってはまさに「Who are You」という感じなのですが、調べてみると現在はルーマニア領になっている「クルジュ=ナポカ」という街で生まれた人物で、1936年からはベルリン・フィルのチェロ首席奏者に就任したチェリストでした。
つまりは、彼はユダヤ人ではないけれどもドイツ人でもないという微妙な立ち位置の中であの戦争をやり過ごしたのです。そして、戦争が終わると彼はさっさとコンセルトヘボウに移籍してしまいますから、どういう思いで戦争をやり過ごしたかは概ね想像がつこうかというものです。
ただし肝心なのは演奏の方です。そして、それが驚くほどに素晴らしいのです。
伴奏をつとめるフルトヴェングラーにしてみれば手兵のオケの首席奏者と言うことで、自分のやりたいように遠慮会釈なくオケを鳴らしまくっています。
独奏楽器がピアノならばまだしも相手はチェロなんだから、もう少しは配慮してやれよな!と言いたくなるような伴奏の付け方です。
ところが、ティボール・デ・マヒュラはそんなフルトヴェングラーに真っ向から挑みかかるように演奏しきっているのです。これだけのテクニックと根性があれば戦後はソリストとして活躍できたことは間違いないと思うのですが、何故か彼は1947年にコンセルトヘボウに移籍した後は30年にわたってコンセルトヘボウの首席チェロ奏者としての活動を続けました。
もちろん、ソリストとしての録音は幾つかは残っているようなのですが、それも数えるほどです。
実に勿体ない話だと思うのですが、、それがおそらくは彼なりの音楽家としての生き方だったのでしょう。
ちなみに、この演奏が行われ1942年10月28日のコンサートのプログラムは以下の通りです。
シューマン:チェロ協奏曲 イ短調 作品129
ブルックナー:交響曲第5番 変ロ長調
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