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ベートーベン:ピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」 変ロ長調 Op.106

(P)ヴィルヘルム・ケンプ 1964年1月27日~28日録音



Beethoven: Piano Sonata No.29 In B Flat, Op.106 "Hammerklavier" [1. Allegro]

Beethoven: Piano Sonata No.29 In B Flat, Op.106 "Hammerklavier" [2. Scherzo (Assai vivace - Presto - Prestissimo - Tempo I)]

Beethoven: Piano Sonata No.29 In B Flat, Op.106 "Hammerklavier" [3. Adagio sostenuto]

Beethoven: Piano Sonata No.29 In B Flat, Op.106 "Hammerklavier" [4. Largo - Allegro risoluto]


30年にわたって取り組んできた音楽体験の全てを統合しようとしたソナタ

とんでもなくザックリとした切り分け方なのですが、ベートーベンのピアノ・ソナタ創作の軌跡を眺めてみるならば、それは概ね3つの時期に分かれるように見えます。
まず最初の時期は、ハイドンやモーツァルト言う先人達の18世紀的ソナタから多くのことを学び、それを自らの血肉としていった時期です。それは言葉をかえれば「古典的均衡」の時期とも言えるのですが、それでも、そう言う初期の時代からでもそこに人間的感情の発露を表現しようとする意志が垣間見られました。

ナンバリングで言えば、8番「悲愴」において中間のまとめを行い、14番「月光」と15番「田園」において総仕上げを行ったと言えるでしょうか。
ベートーベンのキャリアと重ね合わせてみるならば、そう言う一連のソナタにおいて新進気鋭の人気ピアニストとしての地位を築き上げていった時代でもありました。

そして、それに続くのが、その様な18世紀的な「古典的均衡」から抜け出して、人間的感情という行方しれぬものを表現しようとする「新しい道」への時代でした。
しかし、ここで注意が必要なのは、ベートーベンというのはその様な新しい表現を実現するために伝統を破壊したと言われることについてです。

「革命=破壊」というのは分かりやすい図式ではあるのですが、目の前にある現実の上に立脚しない限り新しい価値観というのは現実の力を持つことは出来ないものです。
つまりは、破壊だけでは何も新しいものは生み出せず、破壊の後の建設は古い切り株の上でしか芽吹かないのです。

ベートーベンが模索した「新しい道」を支えたのも「伝統の破壊」だけではなくて、まさに彼がそこに至るまでに身につけた「18世紀的伝統」という古い切り株だったことは正確に見ておく必要があります。
ですから、ベートーベンは新しい一歩を踏み出すと必ず後戻り、もしくは収縮をすることによって、その新しい一歩と過去の伝統との間で折り合いをつけようとします。
この「新しい道」においても行きつ戻りつを繰り返しながら、それでもナンバリングで言えば17番「テンペスト」から21番「ワルトシュタイン」、そして23番「アパショナータ」へと駆け上がっていきます。
そして、この「新しい道」が「アパショナータ」によって行き着くところまで行き着いたように見えながらも、その後にそれを確かめるように「テレーゼソナタ」や「告別ソナタ」によって収縮してしまうのがベートーベンなのです。

しかしながら、この収縮によっても、それに続く全く新しい方向性を見いだすことが出来なかったことは事実です。
告別ソナタを1810年に完成させた後に、ポツンと1814年に27番とナンバリングされたホ短調のソナタを作曲するのですが、それは次の方向性を模索する作品ではありませんでした。
彼が本当に最後の試みにチャレンジするようになるのは、その2年後に作曲された作品101のソナタ(28番)においてでした。

この作品101のソナタは、その傍らに「ハンマークラヴィーアソナタ」がたたずんでいるので過小評価されることが多いのですが、彼の創作の軌跡を辿ってみるならば、それこそが「深くて高い」と言われる後期の世界、つまりは第3の時期への入り口となったチャレンジでした。

中期のベートーベンが目指したのは、行方もしれずとらえどころもない「人間的感情」というものを、「デュナーミクの拡大」という手法によって、それが持つ「たぎるような力の発現」として表現してみせることでした。
しかし、作品101のソナタではその様な力の発現は影をひそめて、その代わりに、人間の内面を描き出すための繊細な手法を模索しはじめているのです。
そして、その模索は最後の3つのソナタへと結実していくことはここで指摘するまでもないことです。

その様にとらえてみると、この「ハンマークラヴィーアソナタ」は作品101のソナタで新しい一歩を踏み出したベートーベンが、その踏み出した一歩を確かめるための収縮だったと言うことになります。
もちろん、こんな事を書くと、「おい、おい、この巨大なソナタを前にして収縮だなんて、お前は気は確かか!」と言われそうなのですが、おそらく、ここのところの捉え方がこの作品を理解する上できわめて重要なポイントだと思われます。

一般的にこのソナタは、それまでに例をみないほどの巨大さを持っているので、ベートーベンの32のピアノソナタの中でも記念碑的な音楽だと思われてきました。
そして、多くのピアニスト達も、この作品が持っている技術的困難を克服しながら、記念碑的作品に相応しい演奏を追求してきていました。

しかし、この作品の構造をじっくりと眺めてみると、特異な要素が少なく、作品101のソナタと較べればはるかに伝統に則した内容になっているとローゼン先生は述べています。
そして、スランプと言われた時期においてもベートーベンは様々な形式の問題に取り組んでいたのであり、この巨大なソナタにおいて、彼が30年にわたって取り組んできた音楽体験の全てを統合しようとしていると指摘しています。

例えば、このソナタは、ベートーベンによってメトロノームによるテンポ設定が為されている唯一のピアノソナタ作品なのですが、その指定によれば第1楽章は「Allegro」で「二分音符 = 138」という数値が指定されています。
交響曲においても同様なのですが、ベートーベンがメトロノーム指定した数値はどれもこれもがかなり速いのですが、これもまたこの作品を記念碑的なソナタにするにしては「速すぎる」数値指定なのです。

もちろん、このような数値指定に感情を込めることは出来ないので、その指定は最初の数小節にのみ有効だとベートーベン自身も語っているのですが、それでも彼がこの第1楽章をかなり速めのテンポで演奏することを望んでいたことは事実です。
しかしながら、その様な速いテンポはこの「記念碑的」な性格を持つソナタには相応しくないというので、それよりはゆっくりめに演奏されるのが「伝統」となっています。
ワインガルトナーは「80!!」、ハンス・フォン・ビューローは「112」、モシュレスは「116」、スコダは「120~126」と言う数値を提案していたようです。もっとあからさまに、「138」という指示はベートーベンのミスだとして否定して、「オレはオレの道を往く」事を公言する人も少なくありません。

確かに、その様な遅いテンポでこのソナタの演奏をはじめれば、この第1楽章は記念碑的なソナタに相応しい壮大な性格を持つようになります。
しかし、ベートーベンは出版社宛の手紙の中で「Allegroのみでassaiを消してほしい」と書き、「138」という数値を指定しているので、それは当時の常識に従えばモーツァルトのソナタにおけるAllergoと同じようなテンポを想定していたことになります。
そして、その様な速いテンポでこの楽章を演奏すれば、それは記念碑的な壮大さよりは中期のソナタに通ずるエネルギーの爆発が前面に出てきます。そう考えれば、このソナタにおいて、ベートーベンはいつものように、作品101で踏み出した一歩をもう一度過去に戻って確かめているように聞こえるのです。

そして、その様な姿勢はこれに続く第2楽章のスケルツォを見ればよりはっきりとします。この楽章は、きわめて真っ当なメヌエットの形式で書かれていることは明らかであり、ローゼン先生によれはこれまでのどのソナタにもあらわれるメヌエットやスケルツォよりも何の変哲もないスタイルになっているからです。
つまりは、ここでベートーベンは18世紀的な伝統に厳格に従いながら、その伝統の中で次の新しいステップにおいて大きな力となるものが何なのかを吟味しているのです。
ちなみに、この楽章に指示したベートーベンの数値は「二分音符 = 80」となっていて、これもまた多くのピアニストを戸惑わせるのに十分なほどの速さです。

さらに、第3楽章のAdagio sostenutoで注目すべきは、出版譜の校正段階で追加された第1小節です。
この追加された小節はくぐもった響きであり、それに続く小節においても感情が極度に抑制されています。にもかかわらず、ベートーベンが与えたメトロノーム指定は「8分音符 = 92」という、これまたかなり速いものです。

確かに、今日のコンサート会場においてこのテンポで感情を抑制して演奏するというのはかなり不都合なように思われるのですが、小さな集まりで囁くように演奏することが出来るならば、それはかなり感動的な場面になります。おそらく、多くの人がこの楽章に捧げた讃辞、「全世界のすべての苦悩の霊廟」であるとか「人が魂の最も深い所から出てくる何か特別の訴えには、囁きにまで声を落とす」などと言う言葉は、その様な親密な場における親密な演奏においてのみ実現できるのかもしれません。

それは、これに続く巨大な終楽章と並び立つときに何とも言えず不思議な組み合わせになるのですが、それは、この時点においてベートーベン自身がこの作品がどのようにして演奏されるのかと言うことはほとんど頭の中には去来していなかったことの証左になるのかもしれません。
確かに、そう考えれば、このソナタを締めくくる最後のLargoとfugaが、とんでもない混乱の中から一つの秩序を探り当てようとするような音楽であり、それ故にそれが演奏者に対してどれほどの困難を強いるものかを全く考慮していないことにも分かるような気がするのです。

しかし、終楽章はそう言う混乱の中を彷徨うに見えながら、導入のLargoはローゼン先生によれば対位法の誕生であり、それに続くfugaはロンド形式に一連の変奏を結びつけた形式であり、それらはともに終楽章における伝統的な形式の枠から出るものではない事に気づきます。
そう言う意味では、彼がどれほど既存の伝統の破壊者のように見えたとしても、その根っこは頑ななまでに18世紀的伝統の上に絡みついているのです。

そして、ベートーベンが他の作曲家と較べて飛び抜けて偉大だったのは、その様な18世紀的な伝統を決して安易に放り出さずに、その伝統と自らの新しいチャレンジとの間で希有のバランスをとり続けたことです。
そう考えてみれば、この巨大なソナタは作品101のソナタという新しい実験を受けての一つの収縮だったと言うのは、それほど突飛な把握の仕方ではないと言えるのです。
そして、その様にとらえることは、エドウィン・フィッシャーのように「この曲の意味をすっかり汲み尽くすことは誰にでも出来ることではない。そのためには我々はベートーヴェンの全生活を彼と共に遍歴し、 彼の精神の世界創造の働きをみまもらねばならない」みたいに神棚に祭り上げてしまうよりは役に立つと思うのです。


神から与えられた恩寵がケンプというエオリアンハープを通して鳴り響く演奏

演奏家の本質的な部分を考える上で「コンプリートする人」と「コンプリートにはこだわらない人」というのは一つの指標になるはずです。
しかし、世の中は常に「例外」が存在するのであって、この二分法が全く意味をなさない演奏家というものも存在します。やはり、そう言うシンプルな「図式論」で割り切れるほど現実はシンプルではないと言うことなのでしょう。

一般的にいって「コンプリートする人」というのはその一連の演奏に一貫した「論理」みたいなものが通底しています。ですから、その論理に従って一つずつの作品と丁寧に向き合い、じっくりと時間をかけて「全集」を完成させるというのが通常のスタイルです。
例えば、ピアニストで言えばバックハウスなどはその典型だと思うのですが、彼は2回目のベートーベンの全集に10年以上の時間をかけながら結果として29番のソナタを残してこの世を去りました。
モノラル録音による1回目の全集にしても1950年から1955年までの長い時間を要しています。

つまりは、じっくりと時間をかけて一つずつの作品と向き合って丁寧に仕上げていくのがそう言うタイプの演奏家の特徴なのです。
ところが、このケンプというピアニストに関しては、そう言う「常識」が通用しないのです。

外面的に見れば、彼は疑いもなく「コンプリートする人」の部類に入ります。
何しろ、彼はモノラル録音で1回、ステレオ録音で1回の計2回もベートーベンのソナタをコンプリートしているからです。最晩年には、当時は取り上げる人もそれほど多くなかったシューベルトのソナタもほぼコンプリートしています。

さらに調べてみると、ケンプは戦時中の1940年代にもベートーベンの全曲録音に取り組んでいました。
結果としてこの全集は未完成に終わったのですが、もし完成していればシュナーベルに続くコンプリートになる予定でした。
そしてもう一つ、1961年の来日の時にNHKのラジオ放送のためにベートーベンのソナタを全曲録音しているのです。

つまりは、彼はその生涯においてベートーベンのソナタの全曲録音に4回も取り組み、その内の3回は完成させているのです。


  1. 1940年~1943年:SP録音(未完成)

  2. 1951年~1956年:モノラル録音

  3. 1961年:ラジオ放送のためのライブ録音

  4. 1964年~1965年:ステレオ録音



61年のライブ録音は10月10日,12日,14日,16日,26日,27日,30日の7日間で行われています。来日時の限られた日程の中での録音だったのでそれは仕方がないことだったのですが、それ以外のセッション録音の方はクレジットを見る限りはそれなりに時間をかけて取り組んだかのように見えます。
ですから、外見上は疑いもなく「コンプリートする人」のように見えるのです。

ところが、詳しい録音のクレジットが残っている50年代のモノラル録音と60年代のステレオ録音をさらに細かく調べてみると、一見するとそれなりに時間をかけて取り組んだように見えながら、その実態は61年のライブ録音とそれほど変わりのないことに気づくのです。
例えば50年代のモノラル録音をもう少し詳しく見てみると以下のような日程で行われています。


  1. 1951年9月20日:作品110/作品111

  2. 1951年9月21日:作品90/作品106

  3. 1951年9月22日:作品57/ 作品78/作品79

  4. 1951年9月24日:作品53/作品81a

  5. 1951年10月13日:作品7

  6. 1951年12月19日:作品2-2/作品2-3/作品10-1/作品10-2

  7. 1951年12月20日:作品14-2/作品26/作品27-1/作品10-3/作品14-1

  8. 1951年12月21日:作品28/作品31-1/作品31-2

  9. 1951年12月22日: 作品31-3

  10. 1951年9月25日&12月22日:作品49-1

  11. 1951年10月13日&12月22日:作品2-1

  12. 1951年9月25日: 作品49-2/作品54/作品101/作品109




  1. 1953年1月23日:作品13

  2. 1956年5月3&4日:作品27-2

  3. 1956年5月4&5日:作品22



つまりは1951年の9月と12月の10日ほどの間に集中して録音がされていて、落ち穂拾いのように53年と56年に3曲が録音されているのです。
録音の進め方としては61年のライブ録音の時とそれほど大差はありません。

そして、それと同じ事がステレオ録音の方に言えるのです。
煩わしくなるのでこれ以上細かいクレジットは紹介しませんが、ザックリと言って、64年の1月に29番以降の後期のソナタを4曲録音して、その後は9月の4日間で中期の9曲、11月の4日間で初期作品を中心に12曲、そして年が明けた1月の4日間で残された7曲を録音して全集を仕上げているのです。

つまりは、誤解を恐れずに言い切ってしまえば、ケンプという人は「コンプリートにこだわらない人」の感性を持って「コンプリート」しているように見えるのです。
「コンプリートにこだわらない人」の特徴は己の感性に正直だということです。

ですから、普通そう言うタイプの人は「好きになれない音楽」「共感しにくい音楽」をコンプリートするためだけに無理して録音などはしないのですが、なぜかケンプという人は己の感性に従って淡々と録音をしていくのです。
そして、時には1950年12月20日のように、この一日だけで5曲も録音を仕上げてしまったりするのです。
ちなみにその前日には4曲を仕上げていますから、この2日間だけで全体の3分の1近くを仕上げてしまったことになります。

そして、その淡々とベートーベンの音楽を鳴り響かせるケンプの姿に接していると、ブレンデルの「ケンプはエオリアンハープである」という言葉を思い出さざるを得ないのです。
おそらく、ケンプにとってベートーベンやシューベルトの音楽は、好きとか嫌いなどと言う感情レベルで判断するような音楽ではなかったのでしょう。
それはまさに神から与えられた恩寵であり、その恩寵がケンプというエオリアンハープを通して鳴り響くだけだったのかもしれません。

風が吹けば鳴り、風が吹かなければ鳴りやむ、ただそれだけのことだったのかもしれません。

例えば、8番のパセティックの冒頭、普通ならもっとガツーンと響かせるのが普通です。29番のハンマークラヴィーアにしても同様です。

ところが、ケンプはそう言う派手な振る舞いは一切しないで、ごく自然に音楽に入っていきます。そして、その後も何事もないように淡々と音楽は流れていきます。
あのハンマークラヴィーアの第3楽章にしても、もっと思い入れタップリに演奏しようと思えばできるはずですが、ケンプはそう言う聞き手の期待に肩すかしを食らわせるかのように淡々と音楽を紡いでいきます。

普通、こんな事をやっていると、面白くもおかしくもない演奏になるのが普通ですが、ところがケンプの場合は、そう言う淡々とした音楽の流れの中から何とも言えない感興がわき上がってくるから不思議です。
おそらく、その秘密は、微妙にテンポを揺らす事によって、派手さとは無縁ながら人肌の温かさに満ちた「歌」が紡がれていくことにあるようです。

パッと聞いただけでは淡々と流れているだけのように見えて、その実は裏側で徹底的に考え抜かれた「歌心」が潜んでいます。


ケンプのモノラル録音全集に対してこういう言葉を綴ったことがあるのですが、このステレオ録音に対しても全く同じ事が、いやそれ以上にその言葉はステレオ録音の方にこそ相応しいのかもしれません。

しかし、彼の録音をさらに聞き込んでいく中で気づかされたのは、彼の魂とも言うべ「微妙にテンポを揺らす事によって」紡ぎ出される「人肌の温かさに満ちた歌」は、「徹底的に考え抜かれた歌心」ではなくて、まさに彼に吹き寄せる風によって生み出され多た「歌」だったと言うことです。そして、そう言う風が鳴り響かせる「歌」に身を任していれば、音楽にとってテクニックというものはどこまで行っても「手段」にしかすぎないと言うことを再認識させられるのです。

しかしながら、その「歌」の幻想的なまでの心地よさは認めながらも、それでもベートーベンの音楽には演奏する側にとっても聞く側にとっても「傾注」が必要だという事実にも突き当たります。
そして、ケンプの演奏はその様な「論理に裏打ちされた傾注」によって構築されたベートーベンではないことは明らかなのです。ベートーベンという音楽を象るアウトラインが曖昧であり、率直に言ってぼやけていると言われても仕方がありません。つまりは「緩い」のです。

もちろん、そう言う「傾注」と「エオリアンハープ」が同居することなどはあり得ない事ははっきりしています。
そして、その事が明確であるがゆえに、まさにそこにこそケンプの演奏の魅力と限界があると言わざるを得ないのです。
そう考えれば、彼のエオリアンハープ的資質が存分に発揮されるのはベートーベンではなくてシューベルトなんだろうと思われます。

しかし、そこから先のことはシューベルトの録音を取り上げたときに、さらに突っ込んで考えてみたいと思います。

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