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ベートーベン:ピアノ・ソナタ第28番 イ長調 Op.101

(P)ヴィルヘルム・ケンプ 1964年9月15日~18日録音



Beethoven: Piano Sonata No.28 In A, Op.101 [1. Etwas lebhaft und mit der innigsten Empfindung (Allegretto ma non troppo)]

Beethoven: Piano Sonata No.28 In A, Op.101 [2. Lebhaft, marschmasig (Vivace alla marcia)]

Beethoven: Piano Sonata No.28 In A, Op.101 [3. Langsam und sehnsuchtsvoll (Adagio ma non troppo, con affetto)]

Beethoven: Piano Sonata No.28 In A, Op.101 [4. Geschwind, doch nicht zu sehr und mit Entschlossenheit (Allegro)]


模索する実験の産物

ベートーベンに関する叙述を読んでいると、「傑作の森」とも言われる充実した中期の後にスランプに襲われるという記述に必ず出会います。そのスランプ期というのは一般的には1812年から1817年に至るおよそ5年程度の時期だとされていて、その背景には「不滅の恋人」との破局や甥カールの養育権をめぐる訴訟などが指摘されるのが一般的です。
しかし、そう言う私生活のあれこれが創造活動に影響を与えるのはいわゆる「凡人」どもであって、ベートーベンほどの才能がその様な「些事」で創作活動が左右されるという「考え」はそろそろ卒業した方がいいのかもしれません。

つまりは、ベートーベンが行き悩んだのはその様な私生活上の出来事ではなくて、あくまでも音楽の創作に関わる課題だったはずなのです。
それは、言葉をかえれば、中期のベートーベンに至る過程で探求してきた課題を、「全てやりきってしまった」ことこそが最大の課題だったのです。

彼は音楽におけるデュナーミクの拡大に取り組み、それによって彼はそれまでの誰もが考えもしなかったような力を音楽に与えたのでした。
しかし、その拡大路路線は行き着くところまで行き着いてしまった以上、彼はそれとは異なる新しい道を探さねばならなかったのです。この新しい道の模索というのは、ベートーベンほどの才能をもってしても、外からはスランプに陥ったと見られるほどの停滞を招いたのです。

実際、この5年間は大規模な作品はほとんど書いていません。
彼のもっとも得意な分野であるピアノ・ソナタでも作品90と101の小規模なソナタを2曲書いているだけなのです。

しかし、そんな中にあって、この作品101のイ長調ソナタは注目に値します。
何故ならば、そこには新しい道を模索するベートーベンの「実験」の後が刻み込まれているからです。

その事を教えてくれたのがローゼン先生でした。

ローゼン先生はこのピアノ・ソナタと作品102の1のチェロ・ソナタの類似性を指摘しています。
作品101のピアノ・ソナタは一般的には3楽章構成、作品102の1のチェロ・ソナタは2楽章構成と言うことになっているのですが、ローゼン先生はこの2作品はともにアタッカで演奏される4楽章構成の作品と解するべきだと述べています。

ピアノ・ソナタの方は第3楽章の序奏部分としての「Adagio,ma non troppo,con affetto」を第3楽章と見なして、それにトリルで連結される「Allegro」の本体部分だけを第4楽章と見なすのです。
チェロ・ソナタは第1楽章の「Andante」の部分を第1楽章、「Allegro vivace」の部分を第2楽章と見なし、続く第2楽章の「Adagio - d'Andante」の部分を第3楽章、「Allegro vivace」の部分を第4楽章と見なすのです。

そうするとこんな感じになります。

ピアノソナタ第28番 イ長調 作品101


  1. 第1楽章:Allegretto,ma non troppo

  2. 第2楽章:Vivace alla Marcia

  3. 第3楽章:Adagio,ma non troppo,con affetto

  4. 第4楽章:Allegro



チェロソナタ第4番 ハ長調 作品102-1


  1. 第1楽章:Andante

  2. 第2楽章:Allegro vivace

  3. 第3楽章:Adagio - d'Andante

  4. 第4楽章:Allegro vivace



こうすると両者は第1楽章が8分の6拍子の叙情的小品、第2楽章は付点リズムの行進曲、第3楽章は終楽章への導入の役割を果たすアダージョであり、終楽章は活気に溢れた4分の2拍子のアレグロになっているのです。

いささか煩わしい説明ではあるのですが、その様に指摘されてあらため「チェロソナタ第4番 ハ長調 作品102-1」を聞き直してみると、その類似性には驚かされるのです。
そして、この似通った構造が音楽の形式としては非常に変わったものであると言うことを考え合わせれば、ベートーベンはここで一つの実験を試みた事は間違いないのです。

そして、そう言う構造を使って彼が実現しようとしたのは力の発現としての音楽ではなくて、繊細さの描写を通して人間の内面を描き出す事だったはずなのです。

しかし、この道はそれほど容易いものではなかったようで、彼はもう一度作品106の巨大なソナタによって中期の自分を総括しなおすことで、ようやくにして作品109からの後期の世界に分け入っていくことができたのです。

それだけに、それら後期のソナタに通底しているある種の悲壮感を「不滅の恋人」との破局に結びつけるような「文学的解釈」とはいい加減に手を切った方がいいのです。
彼は「力」の発言で大いなるものを表現する道を開いた後に、「繊細」さを極めることで「人間の深い内面」を描きうる可能性を示したのです。

もしも、恋人との破局という「些事」が影響を与えたとしたら、それはその様して生み出した音楽が描きうる一つの対象としての意味は持ち得たかもしれません。
しかし、その様な「些事」が音楽の可能性を切り開く原動力となったというのは明らかに誤った解釈と心得るべきでしょう。


神から与えられた恩寵がケンプというエオリアンハープを通して鳴り響く演奏

演奏家の本質的な部分を考える上で「コンプリートする人」と「コンプリートにはこだわらない人」というのは一つの指標になるはずです。
しかし、世の中は常に「例外」が存在するのであって、この二分法が全く意味をなさない演奏家というものも存在します。やはり、そう言うシンプルな「図式論」で割り切れるほど現実はシンプルではないと言うことなのでしょう。

一般的にいって「コンプリートする人」というのはその一連の演奏に一貫した「論理」みたいなものが通底しています。ですから、その論理に従って一つずつの作品と丁寧に向き合い、じっくりと時間をかけて「全集」を完成させるというのが通常のスタイルです。
例えば、ピアニストで言えばバックハウスなどはその典型だと思うのですが、彼は2回目のベートーベンの全集に10年以上の時間をかけながら結果として29番のソナタを残してこの世を去りました。
モノラル録音による1回目の全集にしても1950年から1955年までの長い時間を要しています。

つまりは、じっくりと時間をかけて一つずつの作品と向き合って丁寧に仕上げていくのがそう言うタイプの演奏家の特徴なのです。
ところが、このケンプというピアニストに関しては、そう言う「常識」が通用しないのです。

外面的に見れば、彼は疑いもなく「コンプリートする人」の部類に入ります。
何しろ、彼はモノラル録音で1回、ステレオ録音で1回の計2回もベートーベンのソナタをコンプリートしているからです。最晩年には、当時は取り上げる人もそれほど多くなかったシューベルトのソナタもほぼコンプリートしています。

さらに調べてみると、ケンプは戦時中の1940年代にもベートーベンの全曲録音に取り組んでいました。
結果としてこの全集は未完成に終わったのですが、もし完成していればシュナーベルに続くコンプリートになる予定でした。
そしてもう一つ、1961年の来日の時にNHKのラジオ放送のためにベートーベンのソナタを全曲録音しているのです。

つまりは、彼はその生涯においてベートーベンのソナタの全曲録音に4回も取り組み、その内の3回は完成させているのです。


  1. 1940年~1943年:SP録音(未完成)

  2. 1951年~1956年:モノラル録音

  3. 1961年:ラジオ放送のためのライブ録音

  4. 1964年~1965年:ステレオ録音



61年のライブ録音は10月10日,12日,14日,16日,26日,27日,30日の7日間で行われています。来日時の限られた日程の中での録音だったのでそれは仕方がないことだったのですが、それ以外のセッション録音の方はクレジットを見る限りはそれなりに時間をかけて取り組んだかのように見えます。
ですから、外見上は疑いもなく「コンプリートする人」のように見えるのです。

ところが、詳しい録音のクレジットが残っている50年代のモノラル録音と60年代のステレオ録音をさらに細かく調べてみると、一見するとそれなりに時間をかけて取り組んだように見えながら、その実態は61年のライブ録音とそれほど変わりのないことに気づくのです。
例えば50年代のモノラル録音をもう少し詳しく見てみると以下のような日程で行われています。


  1. 1951年9月20日:作品110/作品111

  2. 1951年9月21日:作品90/作品106

  3. 1951年9月22日:作品57/ 作品78/作品79

  4. 1951年9月24日:作品53/作品81a

  5. 1951年10月13日:作品7

  6. 1951年12月19日:作品2-2/作品2-3/作品10-1/作品10-2

  7. 1951年12月20日:作品14-2/作品26/作品27-1/作品10-3/作品14-1

  8. 1951年12月21日:作品28/作品31-1/作品31-2

  9. 1951年12月22日: 作品31-3

  10. 1951年9月25日&12月22日:作品49-1

  11. 1951年10月13日&12月22日:作品2-1

  12. 1951年9月25日: 作品49-2/作品54/作品101/作品109




  1. 1953年1月23日:作品13

  2. 1956年5月3&4日:作品27-2

  3. 1956年5月4&5日:作品22



つまりは1951年の9月と12月の10日ほどの間に集中して録音がされていて、落ち穂拾いのように53年と56年に3曲が録音されているのです。
録音の進め方としては61年のライブ録音の時とそれほど大差はありません。

そして、それと同じ事がステレオ録音の方に言えるのです。
煩わしくなるのでこれ以上細かいクレジットは紹介しませんが、ザックリと言って、64年の1月に29番以降の後期のソナタを4曲録音して、その後は9月の4日間で中期の9曲、11月の4日間で初期作品を中心に12曲、そして年が明けた1月の4日間で残された7曲を録音して全集を仕上げているのです。

つまりは、誤解を恐れずに言い切ってしまえば、ケンプという人は「コンプリートにこだわらない人」の感性を持って「コンプリート」しているように見えるのです。
「コンプリートにこだわらない人」の特徴は己の感性に正直だということです。

ですから、普通そう言うタイプの人は「好きになれない音楽」「共感しにくい音楽」をコンプリートするためだけに無理して録音などはしないのですが、なぜかケンプという人は己の感性に従って淡々と録音をしていくのです。
そして、時には1950年12月20日のように、この一日だけで5曲も録音を仕上げてしまったりするのです。
ちなみにその前日には4曲を仕上げていますから、この2日間だけで全体の3分の1近くを仕上げてしまったことになります。

そして、その淡々とベートーベンの音楽を鳴り響かせるケンプの姿に接していると、ブレンデルの「ケンプはエオリアンハープである」という言葉を思い出さざるを得ないのです。
おそらく、ケンプにとってベートーベンやシューベルトの音楽は、好きとか嫌いなどと言う感情レベルで判断するような音楽ではなかったのでしょう。
それはまさに神から与えられた恩寵であり、その恩寵がケンプというエオリアンハープを通して鳴り響くだけだったのかもしれません。

風が吹けば鳴り、風が吹かなければ鳴りやむ、ただそれだけのことだったのかもしれません。

例えば、8番のパセティックの冒頭、普通ならもっとガツーンと響かせるのが普通です。29番のハンマークラヴィーアにしても同様です。

ところが、ケンプはそう言う派手な振る舞いは一切しないで、ごく自然に音楽に入っていきます。そして、その後も何事もないように淡々と音楽は流れていきます。
あのハンマークラヴィーアの第3楽章にしても、もっと思い入れタップリに演奏しようと思えばできるはずですが、ケンプはそう言う聞き手の期待に肩すかしを食らわせるかのように淡々と音楽を紡いでいきます。

普通、こんな事をやっていると、面白くもおかしくもない演奏になるのが普通ですが、ところがケンプの場合は、そう言う淡々とした音楽の流れの中から何とも言えない感興がわき上がってくるから不思議です。
おそらく、その秘密は、微妙にテンポを揺らす事によって、派手さとは無縁ながら人肌の温かさに満ちた「歌」が紡がれていくことにあるようです。

パッと聞いただけでは淡々と流れているだけのように見えて、その実は裏側で徹底的に考え抜かれた「歌心」が潜んでいます。


ケンプのモノラル録音全集に対してこういう言葉を綴ったことがあるのですが、このステレオ録音に対しても全く同じ事が、いやそれ以上にその言葉はステレオ録音の方にこそ相応しいのかもしれません。

しかし、彼の録音をさらに聞き込んでいく中で気づかされたのは、彼の魂とも言うべ「微妙にテンポを揺らす事によって」紡ぎ出される「人肌の温かさに満ちた歌」は、「徹底的に考え抜かれた歌心」ではなくて、まさに彼に吹き寄せる風によって生み出され多た「歌」だったと言うことです。そして、そう言う風が鳴り響かせる「歌」に身を任していれば、音楽にとってテクニックというものはどこまで行っても「手段」にしかすぎないと言うことを再認識させられるのです。

しかしながら、その「歌」の幻想的なまでの心地よさは認めながらも、それでもベートーベンの音楽には演奏する側にとっても聞く側にとっても「傾注」が必要だという事実にも突き当たります。
そして、ケンプの演奏はその様な「論理に裏打ちされた傾注」によって構築されたベートーベンではないことは明らかなのです。ベートーベンという音楽を象るアウトラインが曖昧であり、率直に言ってぼやけていると言われても仕方がありません。つまりは「緩い」のです。

もちろん、そう言う「傾注」と「エオリアンハープ」が同居することなどはあり得ない事ははっきりしています。
そして、その事が明確であるがゆえに、まさにそこにこそケンプの演奏の魅力と限界があると言わざるを得ないのです。
そう考えれば、彼のエオリアンハープ的資質が存分に発揮されるのはベートーベンではなくてシューベルトなんだろうと思われます。

しかし、そこから先のことはシューベルトの録音を取り上げたときに、さらに突っ込んで考えてみたいと思います。

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