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シューベルト:交響曲第7(8)番ロ短調 D.759「未完成」

ヨーゼフ・クリップス指揮 ウィーン祝祭管弦楽団 1962年6月3日録音



Schubert:Symphony No.8 in B minor D.759 "Unfinished" [1.Allegro moderato]

Schubert:Symphony No.8 in B minor D759 "Unfinished" [2.Andante con moto]


シューベルトが書いた音楽の中でも最も素晴らしい叙情性にあふれた音楽

この作品は1822年10月30日に作曲が開始されたと言われています。しかし、それはオーケストラの総譜として書き始めた時期であって、スケッチなどを辿ればシューベルトがこの作品に取り組みはじめたのはさらに遡ることが出来ると思われています。
そして、この作品は長きにわたって「未完成」のままに忘れ去られていたことでも有名なのですが、その事情に関してな一般的には以下のように考えられています。

1822年に書き始めた新しい交響曲は第1楽章と第2楽章、そして第3楽章は20小説まで書いた時点で放置されてしまいます。
シューベルトがその放置した交響曲を思い出したのは、グラーツの「シュタインエルマルク音楽協会」の名誉会員として迎え入れられることが決まり、その返礼としてこの未完の交響曲を完成させて送ることに決めたからです。

そして、シューベルトはこの音楽協会との間を取り持ってくれた友人(アンゼルム・ヒュッテンブレンナー)あてに、取りあえず完成している自筆譜を送付します。しかし、送られた友人は残りの2楽章の自筆譜が届くのを待つ事に決めて、その送られた自筆譜を手元に留め置くことにしたのですが、結果として残りの2楽章は届かなかったので、最初に送られた自筆譜もそのまま忘れ去られてしまうことになった、と言われています。

ただし、この友人が送られた自筆譜をそのまま手元に置いてしまったことに関しては「忘れてしまった」という公式見解以外にも、借金のカタとして留め置いたなど、様々な説が唱えられているようです。
しかし、それ以上に多くの人の興味をかき立ててきたのは、これほど素晴らしい叙情性にあふれた音楽を、どうしてシューベルトは未完成のままに放置したのかという謎です。

有名なのは映画「未完成交響楽」のキャッチコピー、「わが恋の終わらざるがごとく、この曲もまた終わらざるべし」という、シューベルトの失恋に結びつける説です。
もちろんこれは全くの作り話ですが、こんな話を作り上げてみたくなるほどにロマンティックで謎に満ちた作品です。

また、別の説として前半の2楽章があまりにも素晴らしく、さすがのシューベルトも残りの2楽章を書き得なかったと言う説もよく言われてきました。
しかし、シューベルトに匹敵する才能があって、それでそのように主張するなら分かるのですが、凡人がそんなことを勝手に言っていいのだろうかと言う「躊躇い」を感じる説ではあります。

ただし、シューベルトの研究が進んできて、彼の創作の軌跡がはっきりしてくるにつれて、1818年以降になると、彼が未完成のままに放り出す作品が増えてくることが分かってきました。
そう言うシューベルトの創作の流れを踏まえてみれば、これほど素晴らしい2つの楽章であっても、それが未完成のまま放置されるというのは決して珍しい話ではないのです。

そこには、アマチュアの作曲家からプロの作曲家へと、意識においてもスキルにおいても急激に成長をしていく苦悩と気負いがあったと思われます。
そして、この時期に彼が目指していたのは明らかにベートーベンを強く意識した「交響曲への道」であり、それを踏まえればこの2つの楽章はそう言う枠に入りきらないことは明らかだったのです。

ですから、取りあえず書き始めてみたものの、それはこの上もなく歌謡性にあふれた「シューベルト的」な音楽となっていて、それ故に自らが目指す音楽とは乖離していることが明らかとなり、結果として「興味」を失ったんだろうという、それこそ色気も素っ気もない説が意外と真実に近いのではないかと思われます。

この時期の交響曲はシューベルトの主観においては、全て習作の域を出るものではありませんでした。
彼にとっての第1番の交響曲は、現在第8(9)番と呼ばれる「ザ・グレイト」であったことは事実です。

その事を考えると、未完成と呼ばれるこの交響曲は、2楽章まで書いては見たものの、自分自身が考える交響曲のスタイルから言ってあまり上手くいったとは言えず、結果、続きを書いていく興味を失ったんだろうという説にはかなり納得がいきます。

ちなみに、この忘れ去られた2楽章が復活するのは、シューベルトがこの交響曲を書き始めてから43年後の1965年の事でした。ウィーンの指揮者ヨハン・ヘルベックによってこの忘れ去られていた自筆譜が発見され、彼の指揮によって歴史的な初演が行われました。
ただ、本人が興味を失った作品でも、後世の人間にとってはかけがえのない宝物となるあたりがシューベルトの凄さではあります。
一般的には、本人は自信満々の作品であっても、そのほとんどが歴史の藻屑と消えていく過酷な現実と照らし合わせると、いつの時代も神は不公平なものだと再確認させてくれる事実ではあります。


  1. 第1楽章:アレグロ・モデラート
    冒頭8小節の低弦による主題が作品全体を支配してます。この最初の2小節のモティーフがこの楽章の主題に含まれますし、第2楽章の主題でも姿を荒らします。
    ですから、これに続く第2楽章はこの題意楽章の強大化と思うほど雰囲気が似通ってくることになります。また、この交響曲では珍しくトロンボーンが使われているのですが、その事によってここぞという場面での響きに重さが生み出されているのも特徴です。

  2. 第2楽章:アンダンテ・コン・モート
    クラリネットからオーベエへと引き継がれていく第2主題の美しさは見事です。
    とりわけ、クラリネットのソロが始まると絶妙な転調が繰り返すことによって何とも言えない中間色の世界を描き出しながら、それがオーボエに移るとピタリと安定することによって聞き手に大きな安心感を与えるやり方は見事としか言いようがありません。




強烈に強弱のメリハリをつけた音楽は非常にドラマティックです

この録音のクレジットはかなり混乱しています。
1962年の録音であることは間違いないのですが、オーケストラに関しては「ウィーンフィル」としているものもあれば「ウィーン交響楽団」と記しているものもあります。
しかし、調べてみれば、この録音はコンサートホールというレーベルによってリリースされたもので、その初出のレコードには「Vienna Festival Orchestra(ウィーン祝祭管弦楽団)」とクレジットされています。しかしながら、「Vienna Festival Orchestra」などと言うオーケストラはどこを探しても存在していないのであって、それは契約上の問題等で名前を出せないための「変名」と言うことになります。

クリップスはこの「未完成」以外にも、ブラームスの1番やヨハン・シュトラウスのワルツ集などをこの「Vienna Festival Orchestra」で録音しています。
ですから、この「Vienna Festival Orchestra」の実体は何かと言うことが問題になるのですが、残念ながらその正体を確定するための資料はどこを探しても見つからないようです。それ故に、それぞれが勝手にその正体を憶測して、「ウィーンフィル」とか「ウィーン交響楽団」とクレジットしてしまうのは勇み足と言わざるを得ません。
音の雰囲気から言えば「ウィーン交響楽団」かという気はするのですが、確定する資料がどこにもない以上は「Vienna Festival Orchestra(ウィーン祝祭管弦楽団)」としておくしかないようです。

なお、クリップスは1969年にウィーンフィルと「未完成」を録音していて、それがその両者の「最後の顔合わせ」となっているそうです。
クリップスとウィーンフィルの確執についてはいろいろとエピソードが残っています。とりわけ、絶対音感を持たないクリップスへの嫌がらせはかなり陰湿なものだったようです。

シューベルトの「未完成」交響曲の第一楽章の出だしは、コントラバスとチェロだけではじまる。この楽器の奏者たちはたがいにこの箇所を半音高く演奏しようと陰謀を企てた。それに気づかないヴァイオリン奏者が、楽譜通りに入ってきたとたん、一瞬ひどい耳障りな音になった。怒ったクリップスはヴァイオリン奏者たちの間違いを注意した。彼らはちゃんと楽譜通りに弾いていますと抗議する。しばらく考えたあと、彼はその張本人たちはだれかに気づいてひどく傷ついた。


おそらく、このエピソードはこの最後の録音となったときの出来事かと想像されるのですが、そう言うこともあってか、音楽的にも録音的にもこのコンサートホール盤の方が優れています。

何よりも、どっしりとした低域を土台として、かなり強烈に強弱のメリハリをつけた音楽は非常にドラマティックです。
クリップスと言えば、ワインガルトナーからの系譜を受け継いだ生粋のウィーン子というのが通り相場なのですが、そう言う洒落た雰囲気はほとんどありません。
シューベルトの「未完成」と言えば表面的には半音階転調を繰り返すことによって光と影が交錯するような世界を持っているのですが、それと同じくらいに地獄の底を覗き込むような怖さも合わせ持った音楽です。常のクリップスならば、前者の方に重点をおくかと思うのですが、ここでは何故かフルトヴェングラーのように地獄の底を覗かせてくれるのです。

そして、オケの響きもそう言う地獄に相応しい、重い低域に下支えをされたものになっているのです。この低域の強調は、それまでのクリップスと較べれば極めて異形だと思えます。
クリップスという人はヨーロッパでは思うようなポストに就くことが出来ず、結局はアメリカのバッファロー・フィルやサンフランシスコ響という地方オケをまわることになります。そんなアメリカでの地方暮らしへの怒りのようなものがあふれ出した演奏だったのかもしれないといえば、邪推が過ぎるでしょうか(^^v

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