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ワーグナー:ニーベルングの指輪~第1夜 楽劇「ワルキューレ」第1幕 第1場~第2場

ゲオルク・ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (T)ジェームズ・キング[ジークムント] (S)レジーヌ・クレスパン[ジークリンデ] (Bass)ゴッドロープ・フリック[フンディング] (Br)ハンス・ホッター[ヴォータン] (MS)クリスタ・ルードヴィヒ[フリッカ] (S)ビルギット・ニルソン[ブリュンヒルデ]他 1963年10月31日 & 11月2日~5日、8日~12日、15日~19日録音



Wagner:Die Walkure,Act1 [Vorspiel - Prelude]

Wagner:Die Walkure,Act1 [1.Wes Herd Dies Auch Sei (Siegmund)]

Wagner:Die Walkure,Act1 [2.Kuhlende Labung Gab Mir Der Quel! (Siegmund)]

Wagner:Die Walkure,Act1 [3.Mud Am Herd Fand Ich Den Mann (Sieglinde)]

Wagner:Die Walkure,Act1 [4.Friedmund Darf Ich Nicht Heissen (Siegmund)]

Wagner:Die Walkure,Act1 [5.Aus Dem Wald Trieb Es Mich Fort (Siegmund)]

Wagner:Die Walkure,Act1 [6.Ich Weiss Ein Wildes Geschlecht (Hunding)]


楽劇「ワルキューレ」第1幕 第1場~第2場の概要

<第1場>





<第2場>





20世紀の録音史に燦然と輝く金字塔

率直に言えば、ワーグナーの楽劇はどうにも取っつきが悪いのです。それが、「ニーベルングの指輪」ともなれば、そのボリュームだけで圧倒されて聞く前からへこたれてしまいます。
自慢ではないですが、この長大な4部作を、とりあえずは最初から最後まで一気に通して聞いたのは、私の人生では「1回」しかありません。それも、ショルティやカラヤン等という名の通った録音ではなくて、グスタフ・クーンが率いるチロル音楽祭でのライブ録音をまとめたものです。
なぜに聞き通せたのかと言えば理由は簡単、速めのテンポで実にすっきりと指輪の世界を描き出していて「胃もたれゼロ」だったからです。

ビジュアルが欠落している「音楽」だけでこのような大作を聞き通すのは並大抵のことではありません。
ですから、世評の高いショルティやカラヤンなどは、その欠落を埋めるためにオケを雄弁に物語らせて、まるで眼前に舞台が見えるかのように演奏してくれます。
しかし、それは「一度は生の舞台を見たことがある人」にとっては有効であっても、そんな機会に恵まれない多くの人にとっては逆に「胃もたれ」を引き起こしかねません。
いや、私は確実にもたれます。
だから、言い訳をするわけではないのですが、このショルティの録音も「一幕だけ」みたいな聴き方をすることが多くて、結局はこの長大な4部作をショルティの録音で一気に聞き通したことは一度もないのです。
その点、クーンの録音は音楽祭の舞台をそのまま切り取ったものなので、変な小細工がないので逆に聞きやすいのです。

さらに言えば、クーンの演奏で指輪を聞き通すと、この4部作からなる楽劇がまるで4楽章構成の巨大なシンフォニーであるかのような統一感に貫かれていることにも気づかされます。そんなような話は「知識」としては頭の中には入っているのですが、それを実感として感じ取らせてくれるクーンの演奏は「ただ者」ではありません。
確かに歌手陣に関しては明らかに力不足を感じる面は多々ありますから、決して理想的な指輪でないことは事実です。しかし、このとてつもなく巨大な作品にはじめて向きあうには好適な録音だと思います。

とは言え、そのあたりを入り口として何とか「指輪」と向きあうことができれば、やはり一度は正面からしっかりと向きあいたいのがショルティの録音です。
このショルティのと言うべきか、カルショーのと言うべきかは迷いますが、まさにこの録音こそはクラシック音楽の録音史に燦然と輝く金字塔です。
そして、「ショルティのと言うべきか、カルショーのと言うべきか」などと言う物言いはいささかショルティに失礼かも知れないのですが、そこにこそ、この録音の持つ大きな意義があります。

よく知られていることですが、この「ニーベルングの指輪」ははじめはクナッパーツブッシュで録音される予定でした。
フルトヴェングラーもクラウスも鬼籍に入ったあとではクナッパーツブッシュこそが最高のワーグナー指揮者でしたから、この記念碑的な録音を任せる指揮者としては当然の選択でした。
しかし、カルショーはデッカの経営陣を説得して、当時46歳の若手指揮者だったショルティにチェンジさせます。
この時カルショーはわずか34歳だったのですから、この大事業を任されるだけでも大変なことでした。ところが、さらに己の理想を実現するために社長に直談判して、指揮者を偉大なるマエストロから駆け出しの若手にを変更させたのですから驚かされます。
クラシック音楽などと言うものが持つ「芸術的価値」などにはほとんど興味のなかったデッカの経営陣がよく認めたものだと思うのですが、考えようによっては、そう言う「価値」には無頓着であったがゆえにクビを縦に振ったのかも知れません。そして、当時のレコード会社というものは、昨今のように単年度でチマチマと「これだけの利益は出せ!」なんてな事をやっているなかったのも幸いでした。
カルショーは「クラシック音楽というのもは短期的には大きな利益は生み出さないけれども、一度成功すれば長きにわたって安定した利益を会社にもたらす」と言うことを何度も繰り返し主張し、その主張が通る時代だったのです。そう考えれば、単年度でこれこれ斧利益を出せなどと言わたら、クラシック音楽の世界では「屑」・・・とまでは言いませんが(^^;、たいしたものが生まれないのは仕方がないのかも知れません。

では、なぜにカルショーは指揮者をクナからショルティに変えたのでしょう。
そこには、この時代の指揮者という存在の大きさが重要なファクターとして存在します。
そう、この時代の指揮者というのはとっても偉かったのです。今のように、オケの前に立って「振らせていただきます」みたいな腰の低い指揮者などは存在しなかったのです。それが、トスカニーニやフルトヴェングラーやクナのようなマエストロクラスになると、それはそれは、神のごとき存在だったのです。
若手の指揮者を相手にしたリハーサルでチンタラチンタラ演奏してたベルリンフィルが、突然本番のように気合いを入れて演奏し始めたので、何事が起こったのかと驚いた人がホールを見回すと入り口にフルトヴェングラーが立っていた、というのは有名なエピソードです。
つまりは、それくらい「偉かった」のです。

ですから、もしもカルショーが指揮者としてクナッパーツブッシュを押しつけられたのなら、それは疑いもなくクナッパーツブッシュの指輪になってしまいます。もちろん、それはそれで素晴らしい演奏になったでしょうが(彼には、ワルキューレの一幕だけと言う変則的な録音がありますが、それはそれは素晴らしい演奏でした)、カルショーが理想と考えるワーグナーにならないことは誰が考えても分かります。

カルショーが理想としたワーグナーは、ワーグナーがスコアに書いてあることをもっとも理想的な形で完璧に再現することでした。そこには、劇場的な効果やマエストロの思い入れ、さらに言えば霊感も不要でした。それは、言葉をかえれば、戦後のクラシック音楽界を席巻した新即物主義という思潮の一つの到達点を打ち立てようとするものでした。そして、何よりも、クナッパーツブッシュを指輪の全曲録音を完成させるのに必要な時間だけスタジオで拘束することなどは不可能であり、もしも強引にクナッパーツブッシュで録音を開始したとしても早い時期でその計画は頓挫していたことでしょう。

ですから、カルショーにとって必要だったのは偉大ではあっても我の強い我が儘なマエストロではなく、能力もあって誠実で、かつ忍耐強いパートナーとしての指揮者だったのです。その点で言えば、彼がショルティに白羽の矢を立てたのは慧眼でした。

ショルティという人は基本的に努力の人でした。
彼は朝早く起き出して自分の手で珈琲を入れ、その二杯目からスコアを広げて勉強するという生活を終生貫き通した人でした。もちろん、彼らは常に関係が良好だったわけではなく、時には激しくぶつかることもあったようですが、それでもショルティは常に誠実であり、粘り強くこの困難な作業に取り組みました。そして、カルショー自身が「時間をかけて、音楽的にも技術的にも懸命に練り上げた」と語ったような「献身」はクナのようなタイプのマエストロには期待できないことでした。
その意味で、この録音は決してカルショーのものだけでなく、ショルティのものでもあったのです。特に、この国におけるショルティの評価は不当と思えるほどに低く、それ故に、この録音におけるショルティの役割をおとしめる評価も散見するのですが、それは絶対に間違っています。疑いもなく、この録音はショルティであったからこそ実現し得たものであることを忘れてはいけません。

この録音は、いろいろな意味で画期的なものでした。そして、数ある功績の中での最大のものは、録音という行為が単なるコンサートの代替物ではなく、コンサートと同じような価値のある新しい芸術のジャンルになりうることを証明したことでした。
このような完璧なポロポーションをもった指輪の演奏を実際の舞台で再現することは絶対に不可能です。
それは、生の舞台がもっている人間くささみたいなものをきれいさっぱり捨象した上に成り立つ人工的な「美」であり、そのような「美」がこの世の中に存在することを誰の目(耳?)にも分かるようにはっきりと示してくれたのです。

おそらく、クラシック音楽の録音の歴史は、この「ニーベルングの指輪」以前と以後に二分されるのだろうと思います。そして、新即物主義という思潮は、まさにこの「録音」と言う行為において、その真の居場所を得たのではないでしょうか。
話は飛躍しますが、グールドがコンサート活動からドロップアウトするのも、このような流れとは無縁ではなかったと思います。
しかし、このコンビによって提供された「美」はある種の絶対性を要求するようになることは容易に察しがつきます。そして、その「絶対性」の要求は、やがては短いパーツの継ぎ合わせによって作り上げられる「整形美人」の横行によって新たな問題に直面するようになるのですが、それは次の話です。

私たちは、このカルショーとショルティのコンビによって、今まで誰も聞いたことがなかった新しいワーグナーの姿を提供されました。それは、偉大なマエストロたちが提供してくれたワーグナーとは全く次元の違う衝撃的なまでに新しいワーグナー像でした。そして、時代はこの新しいワーグナー像をスタンダードなものとして採用するようになり、やがては現実の舞台もこれを模倣するようになっていくのです。
まさに、「20世紀の録音史に燦然と輝く金字塔」という名に恥じない歴史的録音です。

ショルティ指揮 ウィーンフィル 1963年10月31日 & 11月2日~5日、8日~12日、15日~19日録音



出演者


  1. ジークムント:(T)ジェームズ・キング

  2. ジークリンデ:(S)レジーヌ・クレスパン

  3. フンディング:(Bass)ゴットロープ・フリック

  4. ブリュンヒルデ:(S)ビルギット・ニルソン

  5. ヴォータン:(Br)ハンス・ホッター

  6. フリッカ:(MS)クリスタ・ルートヴィッヒ

  7. ゲルトリンデ:(S)ヴェラ・シュロッサー

  8. オルトリンデ:(S)ヘルガ・デルネシュ

  9. ワルトラウテ:(MS)ブリギッテ・ファスベンダー

  10. シュヴェルトライテ:(A)ヘレン・ワッツ

  11. ハイムヴィーゲ:(S)ベリット・リントホルム

  12. ジークルーネ:(MS)ヴェラ・リトル

  13. グリムゲルデ:(S)マリリン・タイラー

  14. ロスヴァイセ:(MS)クラウディア・ヘルマン

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