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プロコフィエフ:スキタイ組曲「アラとロリー」 op.20

アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団 1957年7月録音



Prokofiev:Scythian Suite, for orchestra, Op. 20 [1.Invocation to Veles and Ala ]

Prokofiev:Scythian Suite, for orchestra, Op. 20 [2.The Evil God and Dance of the Pagan Monsters]

Prokofiev:Scythian Suite, for orchestra, Op. 20 [3.Night]

Prokofiev:Scythian Suite, for orchestra, Op. 20 [4.Lolli's Pursuit of the Evil God, and Sunrise]




「ロシア・モダニズムの旗手」としての地位をプロコフィエフに与えた作品

おそらくは、オーケストラという楽器を使ってどこまで「野蛮」さを表現できるかに挑戦した作品と言えるのかも知れません。ですから、プロコフィエフの念頭にはストラヴィンスキーの「春の祭典」が鳴り響いていて、その「野蛮」さを凌ぐような響きを追求して出来上がったのがこの「スキタイ組曲」だと言っても、それほど外してはいないでしょう。
実際、この作品はストラヴィンスキーに続く「ロシア・モダニズムの旗手」としての地位をプロコフィエフに与えたのですから、その目的は十分に果たし得たと言えます。

ロシア・バレエ団の主宰者であるディアギレフからバレエ音楽の依頼を受けたた事が作曲のきっかけです。
ディアギレフはストラヴェンスキーを見いだして「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」の3部作で大成功をおさめていましたので、それに続く才能としてプロコフィエフに白羽の矢を立てたわけです。

ストラヴィンスキーの「春の祭典」は大変なスキャンダルを引き起こしながらも、その圧倒的なパワーによって新しい音楽を求める人々に受け容れられていきました。
ですから、プロコフィエフもその原始的で異教的なライン上で、さらにそれを凌ぐ作品を作りあげようとしたのでしょう。

題材に選んだのはた遊牧騎馬民族スキタイ人に古くから伝わる物語でした。それは、太陽神ヴェレスと邪教の神チュジボーグの争いを語っまさに原始的で異教的な題材でした。
ところが、一通りスケッチが完成した時点でディアギレフにその作品を示したのですが、彼はその作品に駄目出しをします。理由は簡単で、ディアギレフにはその作品は「春の祭典」の二番煎じと映ったようなのです。

そこで、プロコフィエフはこの作品をバレエ音楽として完成させることは諦め、スケッチの中から4曲を選び出して、さらに大規模な管弦楽曲へとパワーアップさせて完成させたのが「スキタイ組曲」なのです。

なお、当初のバレエ音楽には「アラとロリー」というタイトルがついていましたので、この組曲も「スキタイ組曲『アラトロリー』」と記すのが一般的です。


  1. 第1曲:ヴェレスとアラへの讃仰
    太陽神ヴェレスとその娘である森の神アラを讃える音楽。この冒頭部分は疑いもなく「春の祭典」をもはるかに凌ぐ野蛮さに満ちた音楽になっていて、それこそが古代の異教の神ヴェレスとアラへの讃仰になっていると言えます。
    炸裂する打楽器、時空を突き抜けるような金管の叫び、そして、その時空を歪めるかのようなグランカッサのとどろきからは、精神性などと言うものはかなぐり捨ててひたすらとどろき渡るサウンドの創造に興味が集中していく新しい時代の到来を感じさせます。

  2. 第2曲:邪神チュジボーグと魔界の悪鬼の踊り
    太陽神ヴェレスに立ち向かうのが暗黒の魔神チュジボーグであり、地の底から呼び出された悪鬼を従えて踊り狂います。野性味あふれるリズムが魅力的ではあるのですが、ディアギレフにとってはそのあたりが「春の祭典」の二番煎じと感じた理由かも知れません。

  3. 第3曲:夜
    闇の中で力を発揮するチュジボーグは悪鬼どもを従えて森の神アラを奪いに来ます。そして、まさに連れ去られようとしたときに月の女神が輝きだしてチュジボーグは退散します。チェレスタ、ハープ、ピッコロ、そしてピアノなどによって夜のしじまが美しく表現されます。

  4. 第4曲:ロリーの栄えある門出と太陽の行進
    森の神アラをめぐって、アラの恋人である勇士ロリーとチュジボーグの間で激しい戦いが繰り広げられます。やがて、太陽神ヴェレスが輝き出す暁となってチュジボーグは退散していきます。
    いったん静まった音楽が暁の燭光の中から再びよみがえり、太陽の輝きの中で壮大なクライマックスが築かれます。



希有の「凄い音」を聞くことのできる録音であることは間違いなのですが、それをどのように評価すべきなのかは悩みます


この演奏と録音に関しては、とりわけオーディオファイルの方からは圧倒的な賛辞が寄せられてきました。
優秀録音の世界標準とも言うべき「TAS Super LP List」においては、とびきりの最優秀盤であることを示す「BEST OF THE BUNCH」の地位を譲ることはありませんでした。

確かに、オーディオ的に見ればこれほど素晴らしい録音はそうあるものではありません。
いや、もう少し正確にいえば、「素晴らしいだろうと想像される録音はそうあるものではありません」、です。

なぜならば、この録音の凄さを十全に引き出すためには通常の再生システムでは歯が立たないからです。

普通の感覚の持ち主ならば、冒頭の音が飛び出した瞬間に思わずプリアンプのボリュームを絞るために腰を浮かずはずです。
そこで、「いや、もう一頑張り!」とこらえても、次にやってくる床を響かせるようなグランカッサの一撃を食らっては、スピーカーを護るためにボリュームは下げざるを得ません。
しかし、そこでボリュームを下げてしまってはこの録音の本当の凄さは分からないのです。

つまりは、私のような華奢なスピーカーを使っているものにとってはもっとも相性の悪い録音なのです。ですから正確に表現すれば「素晴らしいだろうと想像される録音」となるのです。(^^;

ちなみに、「TAS Super LP List」を選定した「ハリー・ピアソン」が使用していたシステム(Genesis 1:Price USD 300.000!!)は20Hzまでフラットに延びている事を保証する巨大システムで、おまけに彼は大音量再生がポリシーだったそうです。
もちろん、そこまでのシステムは必須ではないでしょうが、それでもある程度の耐入力があり、さらに低域方向にも十全に延びている大型のシステムは必要なはずです。

しかし、そこで貧乏人のひがみではないのですが、一つの疑問は湧いてきます。
それは、この録音において、ドラティが明らかに「録音」のために仕えてることをどう評価するかです。

確かに、この作品においてプロコフィエフは19世紀的な「精神性」などは一切考慮してはいません。彼が求めているものは、「春の祭典」をも上回るような圧倒的なサウンドをいかにして実現するかです。
ですから、ドラティの指揮も録音という営みが実現しようとするサウンドづくりの下請け作業に徹しています。少なくとも、私はその様に聞こえます。

ですから、音楽は録音によって極上のサウンドをつたえるための手段となっていますから、聞き終わった後には「凄い音」を聞いたと言う感覚は残るのですが、どんな「音楽」だったのかという記憶はほとんど残らないのです。

おそらく、このサウンドに音楽的快感を感じられる人はそれでいいのでしょうが、聞き終わった後に言いようのない虚しさを感じてしまうものにとっては手放しでは評価できないものが残るのです。
もちろん、そう言う聴き方こそが19世紀的な教養主義の尻尾がついているからだと言われればそれまでなのですが、それでも、「春の祭典」を聞き終わった後にはこのような虚しさは感じないのも事実なのです。

音楽ソフトというのは音楽を聞くための手段であって、録音はそれを支えるというのが本来のスタイルであるべきです。目的は「音楽」であって、「録音」はどこまで行っても手段であるべきです。
もっとも、オーディオで聞きたいのは「音」であって「音楽」ではないと豪語する人もいるのですが、そう言う方々とは住む世界が違うと言わざるを得ません。

「録音」が「音楽」に奉仕する理想的な形が示されていたのがバルビローリのマーラーの9番でした。
あれは素晴らしいまでの自然さにあふれた録音だったのですが、その録音の優秀さは演奏の素晴らしさを聞き手に伝えるために徹底的に奉仕しているので、聞き手は演奏の素晴らしさのみに心が奪われて、その録音が優秀であることにすら気付かないのです。

それと比べれば、これはまさに真逆です。
音楽は録音によって極上のサウンドをつたえるための手段となっていますから、聞き終わった後には「凄い音」を聞いたと言う感覚は残るのですが、どんな「音楽」だったのかという記憶はほとんど残らないのです。

しかしながら、プロコフィエフの音楽自体がそう言うことを目指している側面があることも事実なので、そこまで視野を広げれば20世紀以降のクラシック音楽というジャンルをめぐる根本的な問題に突き当たってしまいます。
そして、私自身がどうしてもプロコフィエフの音楽とは相性が悪いと感じてしまう理由を、この録音は見事なまでにあぶり出してくれているのかも知れないなどと思ってしまうのです。

やはり、どう評価すべきか難しい録音です。、

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