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チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 (Vn)クリスチャン・フェラス ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1965年11月6日~8日録音



Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [1.Allegro moderato - Moderato assai]

Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [2.Canzonetta. Andante ]

Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [3.Finale. Allegro vivacissimo]




これほどまでに恵まれない環境でこの世に出た作品はそうあるものではありません。

まず生み出されたきっかけは「不幸な結婚」の破綻でした。
これは有名な話のなので詳しくは述べませんが、その精神的なダメージから立ち直るためにスイスにきていたときにこの作品は創作されました。

チャイコフスキーはヴァイオリンという楽器にそれほど詳しくなかったために、作曲の課程ではコテックというヴァイオリン奏者の助言を得ながら進められました。

そしてようやくに完成した作品は、当時の高名なヴァイオリニストだったレオポルド・アウアーに献呈をされるのですが、スコアを見たアウアーは「演奏不能」として突き返してしまいます。
ピアノ協奏曲もそうだったですが、どうもチャイコフスキーの協奏曲は当時の巨匠たちに「演奏不能」だと言ってよく突き返されます。

このアウアーによる仕打ちはチャイコフスキーにはかなりこたえたようで、作品はその後何年もお蔵入りすることになります。そして1881年の12月、親友であるアドルフ・ブロドスキーによってようやくにして初演が行われます。
しかし、ブドロスキーのテクニックにも大きな問題があったためにその初演は大失敗に終わり、チャイコフスキーは再び失意のどん底にたたき落とされます。

やはり、アウアーが演奏不能と評したように、この作品を完璧に演奏するのは当時の演奏家にとってはかなり困難だったようです。
しかし、この作品の素晴らしさを確信していたブロドスキーは初演の失敗にもめげることなく、あちこちの演奏会でこの作品を取り上げていきます。やがて、その努力が実って次第にこの作品の真価が広く認められるようになり、ついにはアウアー自身もこの作品を取り上げるようになっていきました。

めでたし、めでたし、と言うのがこの作品の出生物語と世に出るまでのよく知られたエピソードです。

しかし、やはり演奏する上ではいくつかの問題があったようで、アウアーはこの作品を取り上げるに際して、いくつかの点でスコアに手を加えています。
そして、原典尊重が金科玉条にようにもてはやされる今日のコンサートにおいても、なぜかアウアーによって手直しをされたものが用いられています。

つまり、アウアーが「演奏不能」と評したのも根拠のない話ではなかったようです。
ただ、上記のエピソードばかりが有名になって、アウアーが一人悪者扱いをされているようなので、それはちょっと気の毒かな?と思ったりもします。

ただし、最近はなんと言っても原典尊重の時代ですから、アウアーの版ではなく、オリジナルを使う人もポチポチと現れているようです。
でも、数は少ないです。クレーメルぐらいかな?

<追記:2018年2月>

アウアーのカットと原典版の違いが一番よく分かるのは第3楽章の繰り返しだそうです。(69小節~80小節・259小節~270小節・476小節~487小節の3カ所だそうな・・・)
それ以外にも第1楽章で管弦楽の部分をカットしていたりするのですが、演奏技術上の問題からのカットではないようなので、そのカットは「演奏不能」と評したアウアーを擁護するものではないようです。

ちなみにノーカットの演奏を録音したのはクレーメルが最初のようで、1979年のことでした。
ただし、それを「原典版」と言うのは少し違うようです。

なぜならば、通常の出版譜でもカッとされる部分がカットされているわけではなくて、「カット可能」と記されているだけだからです。
そして、その「カット」は作曲家であるチャイコフスキーも公認していたものなので、どちらを選ぶかは演奏家にゆだねられているというのが「捉え方」としては正しいようなのです。それ故に、79年にクレーメルがノーカット版で録音しても、それに追随するヴァイオリニストはほとんどあらわれなかったのです。

ある人に言わせれば、LP盤の時代にこのノーカット版を聞いた人は「針が跳んだのかと思った」そうです。(^^;

ただし、最近になって、本家本元(?)のチャイコフスキーコンクールではノーカットの演奏を推奨しているそうですから、今後はこのノーカット版による演奏が増えていくのかもしれません。


フェラスさん、貴方は本当に変わる必要があったのですか?


60年代のカラヤンの録音を聞くとき、私たちはいわゆる「巨匠達」の世界が終焉したことをはっきりと感じざるを得ません。外観上は一切の恣意性が排除され、スコアに書き込まれた音符達が機能的なオケによってこの上もなく精緻で美しい響きへと変換されていきます。
そこにはもう、フルトヴェングラーが君臨していた古き良き時代の面影は跡形もなく消え去っています。

しかし、カラヤン達の若い世代が巨匠達の二番煎じに陥ることを拒否するならば、言葉をかえれば、過去の巨匠達とは異なる価値観に基づいて新しい世界を切り開いていこうとするならば、避けて通れない変化だったことも納得させてくれる演奏です。
何度も繰り返しますが、その事をもって「昔の巨匠達は偉かった、それと比べれば後に続く世代は粒が小さい・・・」みたいな物言いは根本的に間違っています。

過去のある時代の価値観を絶対視し、それを価値判断の基準として後の世代に駄目出しをするのは、愚かな年寄りの愚痴でしかないのです。
もちろん、そう言う新しい世代による新しい試みは常に正しいわけではないのですから、その事への批判は許されます。そして、その批判の正しさは「時間」によって判断されます。
カラヤンの音楽は、いわゆる「コアなクラシック音楽ファン」からは批判され続けたのですが、結果としてはそれが一つのスタンダードになっていったという「事実」の重みは避けて通ることは出来ないのです。

しかし、そう言うからヤンの音楽は共演者に大きな負担を強いたことも事実です。

手兵であるオーケストラに関しては時間をかけて飼い慣らしたことは既に何度もふれました。
しかし、協奏曲やオペラのように、その場その場で「共演者」が入れ替わる場合では時間をかけるわけにもいきません。ですから、そう言う場においては、カラヤンは強引に自分の流儀を押し通したようです。
彼とオペラ劇場の関係については然るべき時が来ればじっくりと腰を据えて考えてみたいのですが、ウィーンでもバイロイトでも、彼の強引なやり方は受け入れられなかったことは事実です。

セルがタンホイザーの上演を巡ってメトともめて、結果として「オペラほど忌まわしいものない」といってオペラの世界から身を引いたことは有名な話です。
確かに、こういう「自分の流儀」を押し通さないと我慢できないタイプの人間にとってはオペラとはまさに「伏魔殿」です。
それはカラヤンも同様であって、しかし、彼は「帝王」だったので、その権力を使って何から何まで自分が差配できるザルツブルグの音楽祭を作りあげて、そこを自らのオペラの拠点としたのでした。

そして、オペラというジャンルにおいてもそこまで我を押し通したのですから、協奏曲であるならば、そこにソリストとしての自由などは基本的に存在するはずはないのです。

もちろん、ソリストは自らのイマジネーションを羽ばたかせて演奏する場面もあるのでしょうが、少なくともそのイマジネーションがカラヤンの意図と合致しているときにだけ、それは許されるのです。
ですから、結果として、カラヤンが協奏曲を取り上げるときは、その共演者は自らのお眼鏡にかなった人物に固定される事になります。彼が大物のソリストと共演すると言うことは殆どなかったのではないでしょうか。

ピアニストであればワイセンベルク、ヴィオリニストではフェラス、フェラスが自殺した後はムターという感じでしょうか。
それにしても、常々不思議に思うのは、フェラスはどうしてカラヤンと共演する道を選んだのでしょう。

ムターが始めてカラヤンと共演したのは13歳でしたから、何も分からないうちにカラヤンに見いだされ、カラヤンによって世界的ヴァイオリニストとして認知されるようになったのですから、良いも悪いもなかったはずです。
ワイセンベルクは誤解を恐れずに言い切ってしまえば、彼はピアノ演奏マシーンのような人でしたから、カラヤンがピアノ協奏曲を録音するときのパーツとしてはめ込まれても痛痒は感じなかったはずです。

しかし、フェラスに関して言えば、彼の本質は明らかに古き良き巨匠達の時代にありました。それは、彼が50年代に残したフランクやフォーレのヴァイオリンソナタを聞けば明らかです。
あの主観に徹したロマンティックな表現には他に抜きんでた魅力があると私などは思うのですが、主観に重きをおいた時代から客観性に重点が移っていく時代へと変化しつつあることをフェラスは感じていたのかもしれません。

カラヤンと共演した一連の録音を聞くと、フェラスもまたその様な新しい表現に自らのヴァイオリンを添わせていこうと奮闘している姿が手に取るように分かります。
しかしながら、彼が幼い時代に学んだ師はカペーでした。
そんな出自を持つヴァイオリニストがかくも機能的なカラヤンの世界に添っていくというのは、たいへんな自己変革を求められた事でしょう。

そう言えば、「カラヤン・アーチ」という言葉があるそうです。
この大きく弧を描くような旋律の歌わせ方こそがカラヤン美学の重要な構成要素であり、それがベルリンフィルの磨き抜かれた響きと合わさるときにきわめて官能的で享楽的な世界が立ちあらわれるのです。
そして、その歌わせ方は、協奏曲においても徹底されていることは明らかであり、ソリストは歌わせ方までカラヤンの支配下にはいることを求められるのです。

もちろん、その歌わせ方はカラヤン以外の指揮者では実現できない美しさが貫かれていますから、それに従っていれば独奏楽器もまた申し分なく美しくあることは出来ます。
しかし、そこには50年代のフェラスから感じ取れた、楽しげで自由な姿はありません。

例えば、57年に録音されたシルヴェストリとのチャイコフスキーではフェラスが感じたチャイコフスキーの世界を、自らの美音でもって何の疑いもなく自由に描ききっています。
そして、それをサポートするシルヴェストリもまた同じベクトルをもった音楽家なので、そんなフェラスの美質が引き立つようにオケをコントロールしてくれていました。

確かに、作品のプロポーションと言うことで言えば、間違いなくカラヤンとの共演盤の方がすぐれています。
おそらく、演奏という行為を幾つかの観点に細分化して得点化すれば、平均点が高くなるのは間違いなくカラヤンとの競演盤です。カラヤンが作りあげる録音の魅力の一つはその様な完成度の高さにあり、そして、そう言う演奏が持っている魅力は決して否定しません。

しかし、音楽というのは、その様な立派さだけで成り立っているものではないことも事実です。
もちろん、聞き手というのは常に気楽で安全な場所から好き勝手に贅沢な要求を突きつける困った存在であることは承知しています。

フェラスは変わろうとしていたことは間違いありません。そして、その変わるためのきっかけとしてカラヤンを選んだのも彼自身だったことでしょう。
しかし、共演を重ねるにつれて彼自身の美質は後退し、彼のヴァイオリンはカラヤンの協奏曲を構成するパーツの一つへと変質していったように感じるのは私だけでしょうか。


  1. ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.77(1964年5月4日~6日録音)

  2. シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 Op. 47(1964年10月4日~6日録音)

  3. チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35(1965年11月6日~8日録音)

  4. ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.61(1967年1月25日~26日録音)



この中ではシベリウスの協奏曲が、もっともフェラスらしい伸びやかさが感じられます。カラヤンとの最後の共演もシベリウスの協奏曲だったと記憶していますから、彼にとってはもっとも違和感を感じることなく演奏できる作品だったのかもしれません。
そう思えば、フェラスさん、貴方は本当に変わる必要があったのですかと声をかけずにおれなくなるのです。
そう言えば、カラヤンが亡くなって彼の庇護の元から離れたムターは、音楽の形を一変させました。やはり女性は強い!!


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