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ネヴィル・マリナー(Neville Marriner)|テレマン:リコーダー協奏曲 TWV51-C1
テレマン:リコーダー協奏曲 TWV51-C1
サー・ネヴィル・マリナー指揮 (Recorder)ベルナルド・クライニス ロンドン・ストリングス 1965年録音
Telemann:Concerto in C for Alto Recorder, TWV 51:C1 [1.Allegretto]
Telemann:Concerto in C for Alto Recorder, TWV 51:C1 [2.Allegro]
Telemann:Concerto in C for Alto Recorder, TWV 51:C1 [3.Andante]
Telemann:Concerto in C for Alto Recorder, TWV 51:C1 [4.Tempo De Minuet]
バロック時代には独奏楽器の花形だったリコーダー
クラシック音楽の世界で「リコーダーのための協奏曲」なんて言われると、「何それ!」という感じになるかもしれません。
何しろ、リコーダーと言って真っ先に思い浮かぶのは小学生が「ピーヒャラピーヒャラ、パッパパララー」と吹いているあのイメージです。そんな玩具みたいな楽器のための「協奏曲」って何なのよと言うことになってしまいます。
しかし、今では小学生御用達の楽器みたいになっているリコーダーなのですが、時代を遡れば「花形の独奏楽器」だった時代があるのです。
いわゆる「縦笛」の系譜というのは遡れば先史時代にまで遡れるのでしょうが、今日のリコーダーの原型が登場するのはルネッサンス時代だと言われています。
ソプラノ、アルト、テノール、バスという4種類のリコーダーが生み出され、合唱のパートに寄り添って演奏されたり、単独の四重奏として演奏されたりしたようです。
そんなリコーダーが独奏楽器の花形として活躍したのが17~18世紀のバロック時代、とりわけその後期の時代でした。
当時の音楽というのは、弦楽合奏をベースとしてそこに独奏楽器が一つ加わる協奏曲の形式か、複数加わる合奏協奏曲の形式が主流でした。または通奏低音に独奏楽器が一つまたは複数加わる形式です。
そんな音楽の独奏楽器としてリコーダーは重宝されたのです。
その理由は、弦楽合奏や通奏低音をバックにしたときに、リコーダー特有の豊かに倍音を含んだ高音域のきらびやかな響くのが魅力的だったからです。
当時は、そう言うどちらかと言えば刺激的な響きが好まれたらしいのですが、そう言う時代の好みにリコーダーの響きはピッタリだったわけです。
そして、バロック音楽の時代というのは、音楽が演奏されるのは王侯貴族のサロンというのが一般的でしたから、リコーダーの音量の小ささは殆ど問題にはならなかったようです。
その様な時代を背景として、有名な作曲家たちも競ってリコーダーを独奏楽器とした作品を書くようになったのです。
特にヘンデルやテレマンはリコーダーのための音楽をたくさん残していますし、バッハもまたブランデンブルグ協奏曲の中でリコーダーを独奏楽器として使用しています。
イタリアではヴィヴァルディの名前が挙げられるのですが、高音が特徴的なソプラニーノリコーダーのための協奏曲(イ長調)が有名です。
しかし、ハイドンやモーツァルトが活躍をはじめる18世紀の後半にはいると、リコーダーはその地位をフルートに奪われていきます。
当時のフルートはいまだ発展途上の楽器であり、多くの問題点を抱えていました。そのために、例えば、頼まれ仕事でフルートのための音楽を引き受けたモーツァルトも「気の進まない仕事」だとぼやいていました。
しかし、音楽の場がサロンから多くの聴衆を集めるホールに変わるにつれて、リコーダーはその地位をフルートに譲らざるを得なくなり、ひっそりと表舞台から姿を消してしまいます。広いホールで多数の聴衆を相手にするようになると、リコーダーの音量ではどうしようもなかったのです。ですから、ハイドンやモーツァルト以降の作曲家はリコーダを独奏楽器として想定した音楽は全く(と言いきっていいほどに)書いていません。
しかし、だからといって、バロック時代に書かれたリコーダーのための音楽がつまらない音楽だったというわけではありません。
広いホールでフル編成のオーケストラを相手に独奏楽器の役割を果たすのは不可能ですが、小さなホールで小編成の弦楽合奏などをバックにすれば、その美しい音色は素晴らしく魅力的なのです。
それ故に、一度は演奏会の表舞台から消えて小学生のための楽器として貶められながらも、バロック時代の音楽の光が当たるようになる50年代にはいると、少しずつ復活していったのです。
テレマン:リコーダー協奏曲 TWV51-C1
- Telemann:Concerto in C for Alto Recorder, TWV 51:C1 [1.Allegretto]
- Telemann:Concerto in C for Alto Recorder, TWV 51:C1 [2.Allegro]
- Telemann:Concerto in C for Alto Recorder, TWV 51:C1 [3.Andante]
- Telemann:Concerto in C for Alto Recorder, TWV 51:C1 [4.Tempo De Minuet]
長い道を歩き続けた男の最初の一歩が刻み込まれているのがこの録音かもしれません
マリナーという指揮者は長きにわたって低く見積もられてきた指揮者でした。
誰の言葉だったのかは失念してしまいましたが、来日公演の時に、その登場の仕方がヘコヘコとあまりにも腰が低くて、まるでどこかの営業マンみたいだったとボロクソに書いている評論家がいました。そして、返す刀で、音楽に関しても指揮者としての自己主張の欠片もないバランスだけが取り柄の音楽だと(このあたりの記憶はやや曖昧^^;)、これもまたボロクソに書いていました。
日本のクラシック音楽関係の評論家で、そこまでボロクソに書くというのは珍しいことなので、妙に記憶に残っています。
確かに、マリナーとその手兵である「アカデミー室内管弦楽団」の演奏を聴いて、あまりにも素晴らしくて感動にうちふるえたという経験をした人はまず皆無でしょう。少なくとも私はその様な経験はありません。
しかし、彼らの演奏を(それほどたくさん聞いているわけではあり褪せんが)聞いてみて、心底がっかりしたという記憶もほぼ皆無なのです。
私にとって、彼の名前が一番最初にインプットされたのはロッシーニの「弦楽のためのソナタ(全6曲)」でした。
作品そのものがとびきり美しいのですから、下手なことをしなければ間違いの起こるはずのない作品だとは思うのですが、それでも彼らの音楽は飛びきり美しかったので、すっかりお気に入りの2枚(2枚セットだったのです)になりました。
しかし、その美しさは感動にうちふるえるという類のものではありません。
その後、モーツァルトの交響曲全集やブレンデルをソリストにむかえた協奏曲なども手元に集まってくるようになり、確かに感動にうちふるえることはないけれども外れのない指揮者というイメージが私の中に出来上がっていきました。
しかし、その後あれこれのことを知ってくるにつれて、このマリナーという男はそう言う当たり障りのないただのジェントルマンでないことに気づいていきました。
例えば、あのモーツァルトの交響曲全集は、最初はクリップス指揮の後期交響曲集の補完として初期の交響曲だけが録音されたものでした。それを、「好評につき全曲録音」と言うことに持ち込んで完成させたのがあの全集だったらしいのです。
同じように、ブレンデルとの協奏曲についても最初は20番以降の有名曲だけの録音だったものを、これもまた「好評につき」と言うことで全集にまで結びつけたのです。
そして、彼の手兵であった「アカデミー室内管弦楽団」というのも、もとを遡れば、マリナーがロンドン響のヴァイオリニストだった1959年に仲間たちに声をかけて結成した小さな弦楽合奏の団体だったのです。
そんな小規模のアンサンブルをマリナーは時間をかけてメンバーを増やしていき、さらにには、その増えていくメンバーを養うための演奏会と録音をセールスで勝ち取っていったのです。
マリナーほどの音楽家を私ごときが「凡」と言うつもりはありません。
しかし、マリナー自身はそれこそ数多くのとんでもない才能を間近で見てきた人であり、その凄さと自分の才能を正しく客観的に評価できる人だったのだと思います。ですから、それこそ煉瓦を一つずつ積み上げるように、今できること、やらなければいけないことを着実に積み上げていった音楽家でした。
そして、その成果が、あの膨大なディスコグラフィに結びついていったのでしょう。
彼が取り上げた作曲家の一覧を見ているだけでめまいがするほどです。
ですから、彼ほど長い距離を歩ききった音楽家はそうそういるものではないと思います。
そして、そんな長い道を歩き続けた男の最初の一歩が刻み込まれているのがこの録音かもしれません。
それまでは「L'Oiseau-Lyre」や「Argo」という本当に小さなレーベルでの録音だったものを、はじめて「Mercury」という、それなりに名の知れたレーベルからの録音だったからです。
とは言え、この録音の目玉はマリナーではなくてニューヨークを中心に活躍していた、当時としては珍しいリコーダー奏者だった「Bernard Krainis」のほうでしょう。
それでも、どんな仕事も断らず、黙々とやるべき事を一つずつ積み上げていくというマリナーの生き方がこの時期からはっきりと刻み込まれています・
なお、「ロンドン・ストリングズ(The London Strings)」とクレジットされているのは、未だ弦楽合奏の団体だった「アカデミー室内管弦楽団」のことです。
おそらく、「L'Oiseau-Lyre」との契約の関係で「The Academy Of St. Martin-in-the-Fields」が使えなかったものと思われます。
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