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ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36


エドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 1954年5月22日録音

Beethoven:Symphony No.2 in D major , Op.36 [1.Adagio Molto; Allegro Con Brio]

Beethoven:Symphony No.2 in D major , Op.36 [2.Larghetto]

Beethoven:Symphony No.2 in D major , Op.36 [3.Scherzo]

Beethoven:Symphony No.2 in D major , Op.36 [4.Allegro Molto]


ベートーベンの緩徐楽章は美しい。

これは以外と知られていないことですが、そこにベートーベンの知られざる魅力の一つがあります。
確かにベートーベンが最もベートーベンらしいのは驀進するベートーベンです。
交響曲の5番やピアノソナタの熱情などがその典型でしょうか。
しかし、瞑想的で幻想性あふれる音楽もまたベートーベンを構成する重要な部分です。

思いつくままに数え上げても、ピアノコンチェルト3番の2楽章、交響曲9番の3楽章、ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス、ヴァイオリンソナタのスプリング、そしてピアノソナタ、ハンマークラヴィーアの第3楽章。
そう言う美しい緩徐楽章のなかでもとびきり美しい音楽が聞けるのが、交響曲第2番の第2楽章です。

ベートーベンの交響曲は音楽史上、不滅の作品と言われます。しかし、初期の1番・2番はどうしても影が薄いのが事実です。
それは3番「エロイカ」において音楽史上の奇跡と呼ばれるような一大飛躍をとげたからであり、それ以後の作品と比べれば確かに大きな落差は否めません。しかし、ハイドンからモーツァルトへと引き継がれてきた交響曲の系譜のなかにおいてみると両方とも実に立派な交響曲です。

交響曲の1番は疑いもなくジュピターの延長線上にありますし、この第2番の交響曲はその流れのなかでベートーベン独自の世界があらわれつつあります。
特に2番では第1楽章の冒頭に長い序奏を持つようになり、それが深い感情を表出するようになるのは後年のベートーベンの一つの特徴となっています。また、第3楽章はメヌエットからスケルツォへと変貌を遂げていますが、これもベートーベンの交響曲を特徴づけるものです。
そして何よりも第2楽章の緩徐楽章で聞ける美しいロマン性は一番では聞けなかったものです。
 
しかし、それでも3番とそれ以降の作品と併置されると影が薄くなってしまうのがこれらの作品の不幸です。第2楽章で聞けるこの美しい音楽が、影の薄さ故に多くの人の耳に触れないとすれば実に残念なことです。
後期の作品に聞ける深い瞑想性と比べれば甘さがあるのは否定できませんが、そう言う甘さも時に心地よく耳に響きます。

もっと聞かれてしかるべき作品だと思います。

あまりにも有名なブラームスの51年盤(交響曲第1番)が思い出されるほどに強烈な表現が貫かれています


ベイヌムはブラームスの交響曲第1番のリハーサルを行っていた最中に倒れ、わずか57歳で死去しました。
僅か27才でコンセルトヘボウにデビューし、その2年後には次席指揮者、38年からはメンゲルベルクととともに首席指揮者を務めるようになります。とはいえ、コンセルトヘボウはどこまで行ってもメンゲルベルクのオケであり、ベイヌムの立ち位置は常にメンゲルベルクのサブでした。

とりわけ、あまりにも政治的に無知に過ぎたメンゲルベルクとは異なって、ベイヌムは一貫してナチス批判の立場を崩しませんでした。ですから、首席指揮者という冠はついていても、戦時中は殆どコンセルトヘボウを指揮する機会は与えられなかったようです。
ですから、彼がコンセルトヘボウと本格的に活動をはじめるのは戦争が終わり、メンゲルベルクがナチスへの協力容疑によって追放されてからということになります。

とりわけ、1951年3月にメンゲルベルクが処分が解除される直前に失意の中でこの世を去るのですが、それは同時にベイヌムが名実ともにコンセルトヘボウのシェフになったことを意味しました。それはベイヌムにしてみれば40才を目前にしたときであり、まさに洋々たる前途を見すえていたはずです。
そして、その洋々たる前途はベイヌムだけでなくコンセツトヘボウにとっても同様であり、第2次大戦での傷手から立ち直って、まさに新しい時代を歩み出す思いだったでしょう。

中には、ベイヌムのことをメンゲルベルクが築き上げたコンセルトヘボウの黄金時代を50年代の終わりまで延命させた人という記述に出会います。
それはそれで立派な褒め言葉ではあるのですが(^^;、少し違うのではないかと思ってしまう面もあります。

言うまでもなく、メンゲルベルクの持ち味は主情的なロマン主義です。
それに対してベイヌムの持ち味はそれとは真逆の客観的で古典的な造形を崩しませんでした。

また、オーケストラに対して独裁者であったメンゲルベルクに対して、ベイヌムは同じ音楽をやる仲間として接しました。そして、若手の団員を積極的に登用することで、戦争によって大きく落ち込んでしまったオケのクオリティを回復させたのもベイヌムでした。

確かに、メンゲルベルトとコンセルトヘボウが生み出す響きと、ベイヌムがとコンセルトヘボウ生み出す響きには共通している部分が多いです。しかし、それはただ端にベンゲルベルクの遺産を継承しただけでなく、殆どゼロからの再建であったことは正確に見ておく必要があります。
そして、そうであったからこそ、彼らはメンゲルベルクの主情的なロマン主義から遠く離れたベイヌムの音楽を受け入れることが出来たのではないでしょうか。

ベートーベンの交響曲の中でこの第2番は、もっとも影の薄い存在と言えます。そんな影の薄い1曲だけしかベイヌは録音を残していません。
それは、ベイヌムがベートーベンを振れなかったなどという話ではないことは、この録音を聞けばよく分かります。

ここには、あのあまりにも有名なブラームスの51年盤(交響曲第1番)が思い出されるほどに強烈な表現が貫かれています。それは、第2楽章のラルゲットにも貫徹されていて、それは美しくはあっても甘さの欠片もない辛口の表現に徹しているのです。
続く第3楽章はベートーベンがはじめて「スケルツォ」と記した楽章なのですが、その規模の小ささなどは全く感じさせない大きな音楽になっています。

もちろん、両端楽章については何も言うことはありません。
同時期の同傾向の録音としてはカラヤンとフィルハーモニア管との録音を思い出すのですが、あそこまでスタイリッシュではなくて、もう少し重いものを叩きつけてくるような「えぐみ」があります。もちろん、どちらがいいという話ではないのであって、その「えぐみ」みたいなものがカラヤンとは異なるベイヌムの持ち味だったのでしょう。

ちなみに、カラヤンはベイヌムよりも7才年下で、戦時中は立派なナチス党員でした。それに対してベイヌムは反ナチスの立場を貫き通した人でした。
カラヤンにしてみればその経歴は思い出したくもなければ、ふれられたくもないものであり、それ故に戦後の彼はある意味では漂白したような立ち位置から音楽にのぞんでいたような気がします。

それと比べれば、ベイヌムにとっては、あの愚かさを忘れることも出来なければ、忘れてはいけないという思いは消えなかったのでしょう。

その立ち位置からすれば、ベートーベンの音楽はそれほど簡単に取り組むことのできない課題を内包していたのかもしれません。その人間に対する肯定的な立ち位置をどのように再処理するのかと言うことはそれほど軽い課題ではなかったのでしょう。
そして、その課題と取り組む時間は十分すぎるほどあるとベイヌムもコンセルトヘボウも信じて疑わなかったはずです。

しかし、現実はベートーベンの交響曲の中で、この第2番だけがこのコンビによる唯一のスタジオ録音として残ることになってしまったのです。
無念と言えば無念な話です。

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