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シベリウス:交響曲第7番 ハ長調 Op.105

渡辺暁雄指揮 日本フィルハーモニー交響楽団 1962年3月7日録音(杉並公会堂)

Sibelius:Symphony No.7 in C major, Op.105


交響曲には内的な動機を結びつける深遠な論理が大切

マーラーとシベリウスは交響曲という形式の最後を飾る両極端な作曲家だと言えます。片方は、まさに後期ロマン派を象徴するような異常なまでに肥大化した音楽を生み出し、他方はこれまた異常なまでに凝縮した音楽を生み出しました。

この二人が出会ったときに話は交響曲という形式のそもそも論にいたり、マーラーは「交響曲は世界のようでなくてはならない」と語り、シベリウスはそれに対して「交響曲には内的な動機を結びつける深遠な論理が大切」だと語ったそうです。
なるほど、マーラーのように何でもかんでも取り込んで肥大化していくことに何の疑問も感じなければ、音楽を生み出すという行為はそれほどの苦痛を生み出さないのかもしれません。
もちろん、そう言ったからといって、マーラーの音楽を単純な足し算だと貶めるつもりはありません。しかし、マーラーの場合はその後の演奏を通して不都合な点があればどんどん補筆改訂していくのが常でした。その意味では、何年何月何日に筆を置いて「完成」としても、それが創作の「終わり」を意味するものではなかったのです。

交響曲が世界のようなものであるならば、これで「完成」として筆を置いたとしても、その地点から不都合が発生すれば、いかようなものでも付け足すことが出来、いかようなものでも排除することが可能だったのです。
しかし、「交響曲には内的な動機を結びつける深遠な論理が大切」だとするシベリウスのような立場に立つのならば、創作という行為は実にしんどい行為だろうなと同情を禁じ得ません。

何故ならば、内的な論理が必要ならば、途中で不都合が生じればその瞬間に全てが御破算になってしまうからです。
シベリウスの音楽には創作の過程の一番最初から徹底した彫琢が必要なのです。

そして、そういうシベリスが選んだ方向性の行き着くところは、シェーンベルクやウェーベルンのような新ウィーン楽派のような音楽に向かっていくだろう事は容易に察しがつきます。
とりわけ、この第7番の交響曲などはもうこれ以上「凝縮」しようがないほどに凝縮しています。

同じ事は、第4番の交響曲にも言えるかもしれません。
とにかく音楽は内へ内へと向かっていき、緊張感の高まりとともに聴くものを息苦しくさえしていきます。形式的には通常の4楽章構成を持ったスタンダードな顔はしているのですが、その凝縮ぶりは7番以上かもしれません。

しかし、シベリウスにとって音楽からメロディやハーモニーが消え去るというのは到底受け入れられない事だったのでしょう。シベリウスという人の本質はフィンランドという土地に根付いた民族性にあることは間違いありませんが、それと同じほどにベートーベンやモーツァルトなどの古典的な均衡に満ちた音楽のあり方も彼にとっては本能のようなものとして存在していたはずです。

例えば、1番、2番で彼の民族性が大きく前面に出たあとには、先祖帰りのようなコンパクトな3番を生み出していますし、それと同じ事が5番と6番においても指摘できます。そして、その先祖帰りが3番よりは6番の方が上手くいっていることは誰しもが認めるところでしょう。
そんな男にとって、無調の無機的な音楽が受け入れられるはずがありません。

しかし、彼が7番の交響曲を生み出した1920年代という時代は、まさにその様な無調の音楽が一気に広まった時代でもありました。
シェーンベルクの生み出した12音技法の最大の問題点は、そのルールに則っていれば、それほど才能のない人間でも時代の最先端を行く現代的な音楽が「書けてしまう」ところにあったんだと思います。

それは、本人は思いもしなかったでしょうが、結果として12音技法は「芸術」をフォーマット化してしまいました。
フォーマットとは、取りあえずその「形」に従って「パーツ」を作れば、後はそれを適当に組み合わせることで「何か新しいもの」が出来てしまうという便利なシステムです。

そして、その「利点」に真っ先に気づいたのは、おそらくは才能に恵まれていない若き「作曲家」たちだったのではないでしょうか。
問題の核心は「飯が食えるか否か」というせっぱ詰まったものだけに、おそらくはシェーンベルク自身も驚くほどの勢いでこの動きが作曲界全体を蔽ってしまいました。
その結果として、「12音技法」というフォーマットに従うことでそれなりの完成度とクオリティを持つ「無調の音楽」が大量生産されることになってしまったのです。
唯一残念だったのは、圧倒的大多数の聞き手によってそう言う「12音技法に基づいた無調の音楽」が拒否されたことで、結局「食えない」連中はやはり「食えなかった」ことです。。

そして、シベリウスはその様な動きをフィンランドの片田舎から絶望的な思いで眺めていたのではないでしょうか。

この第7番の調性は「ハ長調」です!!
もちろん、音楽は光と影が燦めき交錯するように様々な調を自由に行き来します。しかし、土台に据えられた礎石のようにハ長調の響きは全曲をしっかりと貫いています。

やはり、シベリウスにとってここが行き着いた先だったのでしょう。


世界最初のステレオ録音によるシベリウス交響曲全集

1962年に録音された「世界最初のステレオ録音によるシベリウス交響曲全集」です。
さらに、日本国内で録音されたクラシック音楽が世界的なメジャーレーベル(Epic Records)からリリースされたのもおそらく初めてだろうと言われています。

渡邉暁雄の名前は日本におけるシベリウス受容の歴史と深く結びついています。その業績は朝比奈とブルックナーの関係と較べればいささか過小評価されている感じがするのですが、60年代の初めにこれだけの録音を行い、それが世界市場に向けてリリースされたのは「偉業」と言わざるを得ません。

ただしこの録音の初出年を確定するのには手間取りました。
62年に録音されて、その後「Epic Records」からリリースされたのですから、常識的に考えればぼちぼちパブリック・ドメインになっていても不思議ではありません。しかしながら、どうしてもその初出年が確定できなかったのです。
しかし、漸くにして、1966年に「Epic SC 6057」という番号でボックス盤の全集としてリリースされたことが確認できました。
おそらく、この全集盤の前には分売でも発売されたと思われます。

ボックス盤による全集「Epic SC 6057」
「Epic SC 6057」

ただし、不思議なのは「作曲家別洋楽レコード総目録」の67年版や68年版にはこの全集が記載されていないことです。
渡邉暁雄と日フィルによるこの「偉業」が1966年に「Epic Records」からりリースされたのであれば、当然国内でも発売されたと思うのですが67年版にも68年版にも記載されていません。しかし、ここで確認を打ち切っていたのが私のミスで、69年版の総目録を調べてみると記載されていて、発売が1966年12月となっているのです。
この記載漏れが何に起因するのかは分かりませんが、もしかしたら舶来品を尊び国産品を蔑むこの業界の体質が呈したのかもしれません。

と言うことで、国内でも1966年に発売されているので、この録音は間違いなくパブリック・ドメインの仲間入りをしたことが確認された事はめでたいことです。

この全集はクレジットを見る限りは1962年に集中的に録音されたように見えます。


  1. シベリウス:交響曲第1番 ホ短調 Op.39:1962年5月7,8日録音(東京文化会館)

  2. シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 Op.43:1962年録音(杉並公会堂)

  3. シベリウス:交響曲第3番 ハ長調 Op.52:1962年8月7,8日録音(東京文化会館)

  4. シベリウス:交響曲第4番 イ短調 Op.63:1962年6月20,21日録音(東京文化会館)

  5. シベリウス:交響曲第5番 変ホ長調 Op.82:1962年2月18日録音(文京公会堂)

  6. シベリウス:交響曲第6番 ニ短調 Op.104:1962年音(文京公会堂)

  7. シベリウス:交響曲第7番 ハ長調 Op.105:1962年3月7日録音(杉並公会堂)



しかし、録音プロデューサーの相澤昭八郎氏は1961年から1962年にかけて録音は行われたと語っています。別のところではおよそ1年半をかけてこのプロジェクトを完成させたとも述べていますので記憶違いではないでしょう。
おそらく、1962年という極めてザックリとしたクレジットしか残っていない2番と6番に問題があったのでしょう。

相澤は録音の編集に関しては渡邊からの注文が詳細を究めたので、お金のかかるスタジオではなくて渡邊の自宅で行ったと証言しています。
渡邊の注文は演奏上の細かいミスを潰していくというのではなく、オーケストラのバランスが適正に表現されているか否かに集中していたそうです。

しかし、ワンポイント録音ではそう言うバランスの調整というのはほとんど出来ません。ワンポイント録音で可能なのは左右のチャンネルのバランスを調整するくらいですから、録音現場で拾ったバランスがほぼ全てです。
渡邊もその事は承知していたと思われるます。
何回かのテイクの中からもっとも適正と思えるバランスのものを選びだしてはテープに鋏を入れ、最後のつめとして可能な範囲でバランスの調整を行ったのです。

それでも、どうしても納得できない場合は場をあらためてセッションを組んだものと思われます。
相澤が1961年からプロジェクトをはじめたといいながら録音クレジットは62年だけで完結したように見えるのは、そう言う録音での苦闘が水面下に隠れてしまったからでしょう。

アメリカやイギリスのメジャーレーベルであれば、62年と言えば既にステレオ録音の経験を充分に積んできた時代です。Deccaのようなレーベルであれば「録音に適した会場」を既に見つけ出していて、さらにはそう言うホールの録音特性を知り尽くしていました。
しかし、日本におけるステレオ録音となると、おそらくは手探り状態だったはずです。
その差は歴然としていました。

文京公会堂では会場の前半分の椅子を撤去することが可能でした。その撤去した空間を平戸間にすることでマイクセッティングの自由度を上げることが可能だったようです。
しかし、杉並公会堂や東京文化会館ではそう言うわけにもいかなかったので苦労は随分と多かったようです。

しかしながら、そう言う苦労を乗り越えて実現したこの録音は極めてクオリティの高い優秀なものに仕上がっています。

確かに、時代相応の限界があるので、楽器の響きなどはいささか「がさつ」なところがあるかもしれません。しかし、その「がさつ」さは録音ではなくて、そこで鳴り響いていたオケのものかもしれません。
人によっては強奏部分では音がつまると指摘する人もいますが、それほど気になるほどではありません。
それよりは、渡邊が徹底的に腐心した、オケの理想的なバランスがもたらす自然な響きが非常に見事です。

おそらく、この成果の手柄は録音エンジニアの若林駿介氏に帰すべきでしょう。
若林はこの録音の前にアメリカに渡って、ワルターとコロンビア響の録音現場に参加して学ぶ機会を持っています。ですから、この録音のクオリティをそう言うアメリカでの経験に求める人もいます。
確かに、それは若林にとっても貴重な経験だったことは疑いはないのでしょう。しかし、この録音はそう言う一連のワルター録音と較べると方向性が少しばかり違う事に気づきます。

この録音におけるオケのバランスとプレゼンスの良さは、あるはずのない「理想」を「録音」という技術によって生み出したと言うべきものになっています。
それはあるがままのものをレコード(記録)したと言うよりは、ある種の創作物になっていると言った方がいいかもしれません。言葉をかえれば、プロデューサーの相澤、録音エンジニアの若林、そして指揮者の渡邊の3人によって生み出された「芸術」というべきものになっているのです。

その意味では、この録音を「人為的」と感じる人がいるかもしれません。しかし、こういう事が可能なのが「スタジオ録音」の魅力でもあるのです。

また、丁寧にテイクを積み重ねた結果だとは思うのですが、日フィルの合奏能力も見事なものです。
いわゆる欧米のメジャーオーケストラでも、来日のライブなんかだとこれよりも酷い演奏を平気で聴かせてくれます。
もちろん、個々の楽器にもう少し艶があってもいいとは思う場面はあるのですが、おそらくは貧弱な楽器を使っていた60年代のことですから、そこまで言えば人の能力を超えたレベルの注文になってしまいます。

シベリウス:交響曲第7番 ハ長調 Op.105:1962年3月7日録音(杉並公会堂)

こうして全曲を聴き通してみると、これは色々な意味で一つの偉業であったと思われます。

まずは、渡邊と日本フィルが60年代と初頭という時期に、これほどのレベルでシベリウスの交響曲全曲を演奏し得たと言うことです。
これに少し遅れてバーンスタイン&ニューヨークフィル、マゼール&ウィーンフィルという錚々たる顔ぶれで全曲録音が行われるのですが、それらと代替することが不可能な魅力を持っていることは間違いありません。

さらに言えば、こういう「企画」が通ったという事も「一つの偉業」です。
そして、時代には上り坂と下り坂があると言うことをしみじみと感じさせられる事例です。

もちろん、だから昔はよかって今は駄目だ等と言うつもりは全くありません。
上り坂は全力で駆け上がる勢いがなければ前へは進めません。しかし、同じように下り坂を全力で駆け下りればつまずいて転げ落ちるだけです。
この全集の魅力は、頂上だけをひたすらに見つめていた時代の、そして頂上だけをを目指して全力で駆け上っていた時代の熱さが刻印されていることです。

そして、その事はシベリウス最後の、極限まで凝集された交響曲にも刻み込まれています。
ある方は、さすがの渡邊もこの7番シンフォニーは持て余し気味だと書いていました。

私は全くそうは思いません。

4楽章構成の交響曲を一つの楽章に凝縮して詰め込んだのが単楽章からなる第7番です。そうでなければ、これはただの交響詩になってしまいます。
これが交響詩ではなくて交響曲だというのは、その内部に4つの楽章がコンパクトに折りたたまれているからです。

そして、渡邊の棒は、その折りたたまれた構造を実に分かりやすく丁寧に提示するものとなっています。
ソナタ形式の冒頭からアダージョ楽章への転換、そしてスケルツォ的に展開された部分から、まるで第2番のシンフォニーのようにアッタカで最終楽章に突入していく構造を分かりやすく示してくれています。

当然の事ながら、聴く人によって求めるものは異なるので、そう言う渡邊の解釈を「持て余している」と感じる人がいても異とはしません。

と言うことで、身びいきもあるかもしれませんが、この全集は私の中では「不滅の名盤」としてカウントしたいと思います。

この演奏を評価してください。

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