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ベートーベン:ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 「大公」 Op.97


ボザール・トリオ 1964年録音


謎の多い作品

ベートーベンという作曲家が不思議なのは時々「大爆発」することです。ただし、この「大爆発」というのは癇癪持ちだったこの男が時々大失敗をやらかすという意味での「爆発」ではありません。
それは、今までの伝統に則って素晴らしい作品を書いていたのが、ある時その殻を打ち破って誰もが想像しなかったような世界を切り開いてしまうことを「大爆発」と称したのです。

交響曲の分野で言えばそれは疑いもなく「エロイカ」です。当時の人々は、あんなにも素晴らしい交響曲(第1番・2番)を書いた男がどうしてこんなわけの分からない音楽を書いたのだと訝しく思ったと伝えられています。
そして、その後もこのジャンルでは驚くような作品を次々と生み出していきました。その意味でも、交響曲こそはベートーベンにとっての主戦場だったのでしょう。

事情は室内楽の世界でも同様です。
弦楽四重奏曲ではそれは「ラズモフスキー」であり、ヴァイオリンソナタならば「クロイツェル」です。
ピアノソナタならば、「アパショナータ」や「ワルトシュタイン」が上げられるでしょうか。

そして、ピアノソナタや弦楽四重奏曲の分野では最晩年にもう一度「爆発」をおこすのです。ただし、その「爆発」は外に向かってではなく己の内部に向かって光を投げかけたのでした。

そして、ピアノ三重奏曲の分野ではそれは疑いもなく「大公」でした。
そして、このジャンルほど、爆発以前と以後との落差が大きなジャンルはなかったように思います。
それ以外のジャンルでは、どこ担ぎの爆発を予感させる「予兆」みたいな者がありましたが、このピアノ・トリオにおいてはそれは突然やってきたのです。
そして、そうであったからこそかもしれませんが、この爆発は勇壮なる打ち上げ花火のように夜空を彩りながら、後には幽かな余韻しか残さずに、彼はこのジャンルから去ってしまうのです。

そういう事情があるからでしょうか、この作品は少しばかり謎めいています。
「大公」というあだ名は、これがルドルフ大公に献呈されたことに由来します。そして、献呈されたルドルフ大公はこの作品に深く感動したと伝えられています。しかし、それは当然のことであって、この作品はピアノ三重奏曲という狭いジャンルだけでなく、室内楽作品全体を見回しても屈指の名作であることは疑いがないからです。

作品冒頭のピアノで歌いだされる雄大なテーマが聞き手の心をがっちりととらえます。そして、何よりも魅力的なのはアンダンテ・カンタービレと指定された第3楽章の美しさです。これを聞いて深く感動しない人がいるならば、その事の方が不思議です。

ところが、そのように優れた作品でありながら、公式の初演は作品完成後の3年後なのです。ちなみに、この演奏会ではピアノを作曲者自身が担当しているのですが、ベートーベンがピアニストとして公開演奏を行った最後となったものです。さらに、出版はその2年後の1816年にまでずれ込んでいるのです。
この「遅さ」は他の作品と比べると異例とも言えるもので、作品の素晴らしさを考え合わせると、実に不思議な気がします。

まあ、これはもう全くの想像の域を出ませんが、もしかしたら献呈を受けたルドルフが、その素晴らしさ故に独り占めをしたかったのかもしれません。もちろん、そんなことを示す資料は何一つ残っていないので全くの妄想の域を出ませんが・・・。
しかし、そう言う妄想を逞しくしたくなるほどに、素晴らしい作品だということです。

ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 「大公」 Op.97


  1. 第1楽章:Allegro moderato

  2. 第2楽章:Scherzo: Allegro

  3. 第3楽章:Andante cantabile ma pero con moto

  4. 第4楽章:Allegro moderato - Presto

一つの公理系と言える演奏


ボザール・トリオはピアノのメナヘム・プレスラーが中心となって1955年に結成されました。設立当初のメンバーはヴァイオリンにダニエル・ギレ、チェロにバーナード・グリーンハウスでした。その後、ヴァイオリンはイシドア・コーエン(1968年~)、イダ・カヴァフィアン(1992年~)、ユンウク・キム(1998年~)、ダニエル・ホープ(2002年~)と交代し、チェロに関してもピーター・ワイリー(1987年~)、アントニオ・メネセス(1998年~)と入れ替わっています。
つまりは、非常に珍しい「常設のピアノ・トリオ」と呼ばれる「ボザール・トリオ」の実態は、ピアニストであるメナヘム・プレスラーの努力によって維持されてきた団体だと言えるのです。

しかし、このトリオにはどこか「風当たり」が強い様な雰囲気を私は感じます。
それは、このメナヘム・プレスラーというピアニストがソロ活動は一切行わずに、このピアノ・トリオの活動に全力を傾注してきたことに原因があったのかもしれません。

下世話な話ですが、貧しい若者が結婚するときに昔は「一人口では食えなくても、二人口なら食える」と言ったものです。一人の稼ぎでは食っていけなくても、貧しい二人が寄り添って家庭を築けば何とか食っていけるという現実を表した言葉なのですが、ボザール・トリオもまた、「ソロでは食ってはいけなくても、室内楽の団体なら食っていける」みたいな見方がされていたのかもしれません。

それに、ピアノ・トリオというジャンルはただでさえクラシック音楽の「裏街道」である室内楽の世界においても、さらに「裏街道」の世界です。そう言う「裏街道」の世界で唯一「エリート的な立場」にいるのが「賢者の対話」と呼ばれることもある弦楽四重奏曲の世界なので、「弦楽四重奏団」はそれなりに「尊敬」はうけるのですが、裏街道のさらに裏を行く「ピアノ・トリオ」となるとどこか見る目もよそよそしくなります。

さらに言えば、そんな裏街道でも時々素敵な花が咲いているときがあります。
ところが、そんな花(例えば「大公トリオ」)が咲いていると、急にカザルスやハイフェッツみたいな連中がやってきて摘んでいってしまうのです。
今さら、ボザール・トリオがそんな花を摘んでいっても誰も見向きもしてくれないので、仕方なくそんな裏街道に咲く雑草みたいな地味な花(失礼^^;)をせっせと摘んでくるしかないのです。

そんな労多くして報われることの少ない仕事をプレスラーは半世紀以上も続けてきたのですが、ついに2008年9月6日のルツェルン音楽祭でのコンサートをもってこのトリオを解散します。この時プレスラーは既に80才を超えていたのですから(1923年生まれ)、これで彼も長い芸歴にピリオドを打って引退かと思ったのですが、何とその後、彼はソロ活動を解禁するのです。
そして、ベルリンフィルやコンセルトヘボウ、パリ管などとも共演をするようになり、現在も活動を続けているようです。亡くなったという情報は聞いていないのですが、2015年の来日公演は健康上の理由できゃんせるになったようですから、もしかしたら第一線からは引退したのかもしれません。

彼は、あるインタビューの中で次のように語っていました。

「ピアノ協奏曲を弾く際、ピアニストは技巧を披瀝して、賞賛を勝ち得たいと思うものです。」
「私だって、他の人と同じでした。他の誰よりも綺麗で大きな音を出し、早いパッセージを華麗に弾きたいと思ったのです。」
「しかし私は、トリオに加わることになりました。そこで音楽そのものに奉仕することを学んだのです。」

なるほど、「音楽に奉仕」することを学ばなければ、こんなにも報われることの少ない仕事を半世紀も続けられるはずはありません。
確かに、「大公トリオ」のような作品ならば、3つの楽器が独奏楽器であるかのように演奏しても様になります。しかし、ほとんどのピアノ・トリオは「バランス」こそが大切です。とりわけ、ピアノはその気になればいとも容易く他の楽器を圧倒することができるのですから、ピアニストには音楽に献身する心構えがなければその「バランス」を維持することはできません。

そして、その様な「バランス」はにわか仕立てのソリストの寄せ集めでは、お互いの「我」が出過ぎて実現不可能です。
ピアノ・トリオという音楽ジャンルのあるべき姿をあるべき様に演奏するには、どうしてもこのような長きにわたって活動を続ける団体が不可欠なのです。

その意味では、一つ一つ取り上げれば物足りなく思える部分があったとしても、このトリオによるベートーベンのトリオ・ソナタはその様な良し悪しの判断や評価を超えたところに存在する一つの公理系と言える演奏かもしれません。


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