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バルトーク:2台のピアノと打楽器のためのソナタ, Sz.110


アンタル・ドラティ指揮 (P)Geza Frid ,Luctor Ponse ロンドン交響楽団 のメンバー 1960年6月6日録音


どこか日本の「能」を思わせるような世界

この作品もまた「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」と同じく、指揮者であったパウル・ザッハーからの依頼で作曲された作品です。
よく知られているように、パウル・ザッハーはスイスの有名製薬会社のオーナーであった未亡人と結婚することで巨万の富を手に入れます。そして、彼自身は経営者としての手腕も発揮して会社の業績回復にも貢献したらしいのですが、最大の功績は同時代の作曲家へのスポンサー役を果たしたことです。
彼は、バルトークだけでなくストラヴィンスキーやオネゲル、ヒンデミット、ヘンツェ、エリオット・カーターなどに作品を依頼し、その数は200を超えるとも言われています。もしも、このザッハーの働きがなければ20世紀のクラシック音楽はその相貌を変えていたかも知れません。
さらに彼は、その有り余る資金を活用してスイスのバーゼルに「バーゼル・スコラ・カントルム」という音楽大学まで作ってしまうのです。

そう言えば、日本でも昔のお金持ちはお金を貯めるだけでなく、見事な使い方をする人が少なくありませんでした。倉敷の大原美術館や安来市の足立美術館などを訪れるたびに、その見事さにはいつも感心させられたものです。
貧乏人のひがみと言われればそれまでですが、お金というのはどれだけため込んだではなくて、それをどれだけ見事に使ったかでその人の値打ちが決まるのではないかと思ってしまいます。

それにしても、ビーチャムと言いザッハーと言い、製薬会社とクラシック音楽の相性は良いようです。

さて、そうやって生み出されたこの不思議な音楽なのですが、その楽器構成を眺めてみると伝統的なクラシック音楽の世界では考えられないような佇まいをしています。


  1. ピアノ1:指揮者を兼ねる。

  2. ピアノ2

  3. 打楽器1:ティンパニ3、シロフォン、スネアドラム(響き線ありとなしの2種類)

  4. 打楽器2:シンバル(合わせ式および吊り下げ式)、バスドラム、トライアングル、銅鑼



バルトークはピアノ奏者が指揮者も兼ねる「室内楽」として構想していたようですが、実際の演奏ではピアニストは演奏だけに専念して、指揮は指揮者が行うスタイルも多いようです。
また、打楽器も二人の奏者を想定したようですが、困難なときは三番目の奏者が「シロフォン」に専念しても良いとしていたようです。しかし、指揮者を設けるときはさらに演奏の精度を高めるためにもう少したくさんの打楽器奏者を用意して「管弦楽」のように演奏することも多いようです。

おそらくこの作品は、打楽器がリズムを刻むだけでなく、まさに音楽そのものを構成する上で主役を果たすようになる時代の幕開けを告げる作品だったと言えます。
また、これは私だけの感想かもしれませんが、切れ切れに打楽器とピアノが鳴り響くような場面ではどこか日本の「能」を思わせるような世界を感じます。そして、その雰囲気はその後の武満の「ノヴェンバー・ステップス」にも繋がっていくような雰囲気も感じます。もっとも、武満が「ノヴェンバー・ステップス」を作曲するときに携行したのはドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」と「遊戯」だったというのは有名な話ですから、この2つの間には何の結びつきもないのかもしれませんが、その切れ切れに響く音と音の間に存在する「間」の世界(完全に無音になるわけではありませんが)の美しさに、どこか共通点を感じてしまいます。

そう言う意味において、この作品だけは始めて聞いたときから非常に耳に馴染みやすい音楽でした。

透明感の高い硬質で澄み切った響き


ドラティの経歴を振り返ってみると、「フランツ・リスト音楽院でコダーイとヴェイネル・レオーに作曲を、バルトークにピアノを学ぶ。」となっています。その若き時代にコダーイやバルトークからどれほどの影響を受けたのかは分かりませんが、後年、フィルハーモニア・フンガリカと「コダーイ管弦楽曲全集」を録音していることから見ても、とりわけコダーイとの結びつきは強かったのかも知れません。
バルトークに関しても、アメリカに亡命してから、後の手兵となるミネアポリス交響楽団を指揮して、バルトークの遺作となるヴィオラ協奏曲の世界初演を行なっています。

ただ不思議なのは、あれほど偉大な作曲家だったバルトークが「フランツ・リスト音楽院」では作曲ではなくてピアノを教えていたという事実です。
しかし、その背景には「作曲は教えるものではないし、私には不可能です」という考えがあったことはよく知られています。ですから、この二人の偉大な作曲家から様々な形で音楽の骨格となる部分を学ぶことができたのは、ドラティの出発点としてはこの上もない幸福だったのでしょう。

ドラティという人は「録音」という行為に対しては非常に積極的でした。若い頃から「Mercury」と深い結びつきを持って膨大な量の録音を残しました。それはモノラル期にまで遡り、やがて時代がステレオ録音の時代にはいると「Mercuru」レーベルにおいて演奏・録音ともに極めて優秀なレコードを量産していきました。
そして、「Mercury」が「Philips」に吸収されても、その後は「Philips」や「DECCA」などで意欲的に録音活動を続けました。私は数えたわけではありませんが、そうやって残された正規録音の数は600近くになるそうです。
単純計算でいくと、彼の録音活動は概ね30年ですから毎年20前後の録音活動を行っていたことになります。その合間にヘタレのオーケストラを徹底的に鍛え上げるという仕事もこなしていたのですから、まさに超人的なパワーです。
そして、「なるほど、これほどに精力的活動を続けられた人であったからこそ、フィルハーモニア・フンガリカとのコンビで「ハイドン交響曲全集」なんてのが完成させることができたのでしょうね。」と納得する次第です。

ドラティのバルトークを聞いていていつも感じるのは「響きの美しさ」です。
バルトークと言えば、確かに楽器を打楽器的に扱う「荒々しさ」があちこちに顔を出すのですが、基本的には透明感の高い硬質で澄み切った響きこそが真骨頂だと思います。ドラティの演奏で聞くと、その響きが見事に実現されていることに感心させられます。
ただし、その反面として、バルトークのもう一つの顔である民族的な土俗性は希薄です。そのあたりが、フリッチャイなどとは方向性が異なります。

それにしても、ハンガリーという国は凄い国です。
この国が生み出した指揮者を数え上げるだけでも、いささか呆然となってしまいます。

シャーンドル・ヴェーグ、ユージン・オーマンディ、イシュトヴァン・ケルテス、ゲオルク・ショルティ、ジョージ・セル、フェレンツ・フリッチャイ、フリッツ・ライナー・・・。
そういえば、ハンス・リヒターやアルトゥル・ニキシュもハンガリーの人だったのではないでしょうか。

こういう系列の中に数え上げられると、アンタル・ドラティという名前はいささか霞んでしまうのかも知れませんが、それでもあらためて聞き直してみると、とりわけバルトークのような同郷の作曲家に関してならばその価値は絶対に忘れてはいけないように思います。

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